第四十四齣 治定(越王が国を治める。)
(越王勾践、王妃、范蠡、文種が登場)
積もりし恥は除かれて
煙塵[1]は払はれたりき
笑ふべし、十年の間、英雄の埋没せしを
まさに喜ぶ、天山の早くも弓を掛けたるを[4]
湖南の月に
海北の風[5]
そのかみは護送せられて
江東に過りしかども[6]
旗を整へ
笛や太鼓も勇ましく
長歌して 今は上れり館娃宮
(相見える。越王勾践)わしは今日、かの悪人を殲滅し、積もる怨みを雪ぎたり。内にありては夫人の力、外にありては二大夫の功に頼れり。
(范蠡、文種)滅相もなきことにございます。
(范蠡)聞くならく、「主君が憂へば臣下は労し、主君が辱めらるれば臣下は死す」と。その昔、王さまは会稽に隠れられ、石室で辱められたまふたり。わたくしはそのために死することなし。今や祖宗の神霊と、王さまの威光によりて、功を成しとげて、恥を雪げば、わたくしは死するを得べけん。これにてお別れいたすべし。
(越王勾践が悲しむ)我が国は汝が国ぞ。我が民は汝が民ぞ。汝とともに我が国を治めんと思うていたに、わしを棄て、去ってゆくとは、天が越を見限って、わしを滅ぼすということか。行くなどと言ってくれるな。
(人々が報告をする)西施さまがこられました。
(西施が登場)
思ひ出すのは姑蘇のこと
歓びはいまだ終はらず
樹々の梢に残紅[7]は留まれり
国恩に報ゆれど なほさすらへり
今なほ恐る、相会ふも夢ならずやと
青山の道
故宮を繞れば
清漏[8]は往時とかはることもなし
浮き雲は消え
世の事どもは空しくなりぬ
過ちて五更の風を恨みたり[9]
(会う)大王さま、お妃さま、叩頭いたしましょう。
(越王勾践、王妃)西施よ、立つのだ。
(西施)お二方に、万福をいたしましょう。
(范蠡、文種)西施どの、揖をいたしましょう。
(越王勾践、王妃、范蠡、文種)西施よ。われら君臣夫婦が拝礼しよう。
(人々が上座に向かって拝礼する。西施がすぐに答礼する。越王勾践、王妃、范蠡、文種)
十年の大いなる恥辱はあれど、汝のお陰で恥に報いつ。千載の大いなる国家なれども、その昔、廃墟となりしは笑ふべし[10]。
(西施)か弱き女と思し召さるることなかれ。かつて茂苑[11]の宮中に客となりしも、我が身を保てり。もともとは苧蘿山中の者なりき。
(越王勾践)范大夫よ、報告をすることが一つあり。そのかみは、そこもとの、我に佳人を貸しあたへたる高誼に感ぜり。佳人は今や幸ひに故国に戻れり。汝が屋敷に戻るがよからん。
(范蠡)そのかみは、荒れ山で、婚姻をなすこともあらざりき。大国に嫁し王妃となりし方なれば、お受けすることはかなはじ。
(越王勾践)その昔、武王が紂を滅ぼして、妲己を周公に賜ひしことは、後の世の人々の、ことごとく知るところなり。妲己は天子の正室にして、周公は古今の大聖人なり。武王が賜へば、周公はそれを受けたり。今、夫差の悪徳は、紂に勝れり。大夫の勲は周公に並びたり。ましてや西施は汝の元の妻にあらずや。
(文種)そのむかし、王さまは、お心の中では、ご承知なさらなかったが、わたしのために、仕方なく西施をお借りになったのだ。今、貴殿は何故にわたしの言葉を聞くことができぬのか。
(范蠡)分かりました。
(越王勾践)内侍を呼び、座前の金蓮宝燭[12]を片づけて、文大夫をして西施を屋敷に戻らしむべし。
(范蠡、西施が叩頭して感謝する)これぞまさしく、巫峡の館に雨を降らさん、鳳凰の台にて簫を学ばん[13]。
(范蠡が出てきて文種に向かって低い声で言う)われは聞く、「高鳥尽きて、良弓蔵われ、狡兔死して、走狗煮らる」と。王さまの人となりは、長頚にして鳥啄、鷹視にして狼歩、艱難をともにすべきも、安楽をともにすべからず。わたくしは遠くへ去らん。大夫どのも早々に去りたまふべし。後悔をすることのなきやうになされかし。
(文種)その言葉には従ひ難し。今もなほ国を切り盛りすべきなり[14]。
(ともに退場、泄庸、計倪が登場)お知らせ申し上げまする。王さまのご命を奉じ、昨日、我らは伯嚭を追って、すみやかに銭塘江の畔に到着いたしました。一群の漁舟があって、申しますには、前の夜、空中に人馬が奔り、旌旗が行き交い、幾たびも相国さまと叫ぶのが聞こえましたが、何の音なのかは分からず、翌朝見たとき、江口に死んだ一人の男がいたということにございます。われら二人は信じずに、漁師に引きあげさせて見ますと、伯嚭の死骸でございました。全身は痣だらけ、手足は腐っておりました。人々は、伍相国の陰兵が捕まえていったと申しておりました。今、屍を轅門の外へと持ってまいりました。
(越王勾践)そのようなことがあったか。役人を遣わして江口に廟を建てさせ、伍子胥を祭り、伯嚭の梟首を人々に示すのだ。
(泄庸、計倪が返事をする。文種)お知らせいたします。王さまに申し上げます。わたくしは范大夫を送りましたが、范大夫は家に帰ろうとはせずに、一艘の小舟にて、太湖へ行ってしまいました。
(越王勾践)さやうなことが起こるとは。このわしは、范大夫より、数多の厚き恩を受くれば、いづれの日にか恩に報いん。文大夫よ、良工に范大夫の金像を鋳造せしめ、座右に起きて、朝晩政治を論ずるときは、対面をするかのごとく、必ずこれに諮るべし。妃よ、大夫たちよ、本日は、功を成し遂げ、恨みを雪げり。天地山川、宗廟社稷に礼拝し、天のご加護にいささか報いん。
(越王勾践、王妃)
皇天の厚恩に感激す
皇天の厚恩に感激す
社稷は霊験あらたかなり
数年間沈滞するも
一朝にして晴れやかとなる
(合唱)
将兵は比類なく勇猛にして
海に沿ひ 南下せり
ただ見る、大国も小国も進貢するを
天下の民はどよめきて
海の魚龍は歓声をあげ
風教を守り
(文種)
そのかみの我を笑へり
そのかみの我を笑へり
徳は劣りて才は平凡
傾き乱るるわが国で、衆人を御するあたはず
さいはひに本日はいささか功を奏すれど
心のうちではなほ恥ぢ入れり
(合唱)
江山はぐるりを囲み
曈曈[19]たる海の日に波は澄みたり
煙霞を高みに頂きて
鬱鬱たる会稽山に紫気は濃し
一統に逢ふを喜ぶ
車書[20]はみな同じとなれり
周王の万歳の洪基[21]は永く
まさに知る、大越の興隆するを
願はくは千秋の頌を捧げて
ひとたび怒らば諸侯は恐れん
(合唱)
海甸に春風は吹き
海甸に春風は吹き
宮居にめでたき雲は籠めたり
これよりは征馬を放ち
兵を休めて
周、呂[22]を迎へ
顔、孔[23]をしぞ招くべき
浮生は風に似
光陰は倏忽として一哢[24]のごと
十年にして一覚す姑蘇の夢
今まさに天王の寵を受くべし
万国の梯航[25]は一旦にして通じたり
四海に危険のなきことを祈願して聖躬[26]を言祝ぐべきなり
(越王勾践)勝国[27]の豪勇は天が下にぞ聞こえたる
(文種)今よりは海西君と称せらるべし
(泄庸)中原の政教に風煙接し[28]
(計倪)越地の山河に日月こそは新たなれ
[1]煙火、戦塵。
[2]水郷地帯。呉越の地をさしていよう。
[3]国境地帯で焚かれる烽火。
[4]原文「天山早掛弓」。杜甫『投贈哥舒開府翰二十韻』に「青海無伝箭、天山早掛弓」という句が見える。戦が収まること。
[5]湖南は、太湖の南、海北は東海の北。越の地をさす。
[6]原文「昔年曾送過江東」。とりあえず、上のように訳す。
[7]散らない花。
[8]漏は漏刻のこと。清はその美称。
[9]原文「錯教人恨五更風」。含意未詳。ただ、「五更春夢」といえば、はかないことのたとえなので、今までのことは夢のようだったということを言っているか。
[10]越が呉に一時滅ぼされたことを歌ったもの。
[11]長洲苑ともいう。呉の宮苑。蘇州の別名としても用いる。
[12]金蓮の飾りのついた燭台。
[13]簫史善が鳳凰台で簫を吹き、秦の穆公から娘弄玉を賜ったという故事にちなみ、才子と佳人が結婚することをいう。
[14]原文「尚当裁之」。未詳。とりあえず、上のごとく訳す。
[15]御苑。
[16]遊ぶ麒麟。
[17]宮廷。
[18]来訪する鳳凰。麒麟も鳳凰も聖天子のもとに現れる瑞獣。
[19]明るいさま。
[20]車の軌道の幅や書体。
[21]大いなる功業。それによって作られた国。
[22]周公旦と太公望呂尚。ともに周の建国の際の賢臣。
[23]顔回と孔子。
[24]鳥が一声囀ること。
[25]水陸の交通をいう。
[26]天子の身体をいう。ここでは天子そのものを指していよう。
[27]滅ぼされた国。ここでは呉のこと。
[28]未詳。呉を征服したことにより、越の地が、中原と接するようになったということを述べたものか。