第四十二齣 呉刎(呉王夫差が自刎する)

(呉王夫差、王孫駱が登場。呉王夫差)

そのかみは、戦に勝てば、気は猛かれど

誰か知るべき、功業の一日にして潰ゆるを

(王孫駱)

奔走し荒野に至り

前途の明暗 しかとは知れず

(呉王夫差)王孫大夫。わしは越兵に追われ、この地に来た。先日伯嚭を講和のために遣わした。どうして今になっても報告がないのだろう。

(王孫駱)王さま、それは違います。伯嚭は天下第一の奸臣です。あの者は越王が講和を受け入れませんでしたので、こっそり逃げていったのです。まだあの者が報告をするなどと思ってらっしゃるのでしょうか。

(呉王夫差)王孫大夫よ、あの者がそのように奸悪であったなら、何故にあの者のことを訴えてくれなかったのだ。

(王孫駱)わたくしが訴えておりましたなら、伍相国の属縷の剣を賜っていたことでしょう。王さまに付き従って今日を迎えることなどできませんでした。

(呉王夫差)先日西施がここに隠れていろと言ったが、どうして今になってもわしを迎えにこないのだろう。

(王孫駱)王さま、それは違います。西施はどこの者でしょう。あの者は越国より来たりしもの。ここ数年、わが国に来て反間[1]をしていたのです。

(呉王夫差)あの者とこのわしは心は一つじゃ。そのようなことはあるまい。王孫大夫よ、わしは宮中を出でてより、昼夜を分かたず奔走し、陽山にやって来た。わしは今目は霞み、脚はよろよろ、腹は空き、口は乾いた。どうすればよいだろう。(地に倒れ、生の稲を食らう)これは何だ。

(王孫駱)生の稲にございます。

(呉王夫差)公孫聖が言っていた。火の通ったものが食べられず、あたふたと歩くとはこのことだったか。わしは公孫聖を殺し、この山に投棄した。公孫聖は埋葬されることを拒んで、姿をとどめ、このわしに報いようとした。果たして霊が現れるだろうか。

(王孫駱)王さま、試みに呼んでみなされ。

(呉王夫差が公孫聖に呼びかける。三たび呼ぶと、奥で三たび返事がある。呉王夫差は天を仰いで大声で叫ぶ)夫差よ、夫差よ、平素よりかばかりに善悪をわきまへず、賢愚を分かたざりしとは。ふたたび呉国に帰るはかなはじ。

(奥に向かって拝礼をする)

願はくは、代々公孫先生に謹んでお仕へいたさん。

(范蠡、文種が人々を引き連れて登場)言うなかれ、王侯に封ぜらるるは大将なりと、誰か知らん死闘をするは書生なるを。呉王よ呉王、いまだ自尽をせぬつもりか。何をぐずぐずしておるのだ。

(呉王夫差)お二人は、范、文大夫さまですか。わたくしは「高鳥尽きれば、良弓(しま)われ、狡兔死して、走狗烹らる、敵国敗れば、謀臣亡ぶ」と聞いております。いまや呉国は敗れました。次は御身らの番ですぞ。

(范蠡、文種)つべこべ言うのはやめられよ。我らは主君の命を奉じて、大王さまに申し上げよう。呉には六つの大罪がある。大王さまはご存知か。

(呉王夫差)試みにおっしゃってくださいまし。

(范蠡、文種)伍相国を殺ししは、大罪の一。公孫聖を殺ししは、大罪の二。伯嚭をば信任せしは大罪の三。北のかた斉と晋とを伐ちたるは、大罪の四。呉と越が同音の地であるのにもかかはらず、侵略し、蹂躙せしは、大罪の五。越が闔閭を殺めたる罪を忘れて、兵を返して、後の患を致ししは、大罪の六。今天は呉を越に賜はれば、受くるが当然。

(呉王夫差)お話はしかと承りました。

千年の基業

王気は鬱として[山召]嶢[2]たり

平生の志

雲霄[3]にあり[4]

誰か知らん、倏忽にしてすなわち蕭条[5]たらんとは

ただ見るは、城池に宮闕

みな白煙となりて消ゆるを

閑花に野草

荒野にて麋鹿(のろじか)の残照に遊べるを見る

走狗塘にて旌旗を巻き上げ

闘鶏陂にて弓刀をすべて失ふ

(范蠡、文種)死は人の忌み嫌うものなれど、今大王は六つの罪がありながら生き延びることを願えり。あな卑しや。

(呉王夫差)わしはもう観念したぞ。多言は無用じゃ。王孫大夫よ。

(王孫駱が返事をする。呉王夫差)

蘇台は見えず

思ひ起こすはかの多嬌[6]

月の出る(ゆふべ)を共にし

花の咲く(あした)に伴ひ

清歌と妙舞鮫綃[7]に酔ふ

今ごろはいづこにてむなしく宵を過ぐすらん

游魂は縹渺として

洞房の奥深く いづれの日にかまた至るべき

浣花池に碧草は淒淒たり

採蓮渓に緑水は滔滔たり

(范蠡、文種)「世に万歳の君はなく、生死は一なり」と聞いております。どうしてご自害召されませぬのか。わが国の剣をば、大王さまの御首(おんくび)に加えましょうか。

(呉王夫差)しばらく向こうへ行っていてくれ、催促をするには及ばぬ。

(呉王夫差)王孫大夫よ、

過ぎし日の事どもを説き起こしなば

涙の雨をむなしく払ふばかりなり

伯嚭の老いぼれめ、

このわしは一心に世を救ふ夔龍[8]と思へど

たれか知るべき、汝は国を貪る鴟梟ならんとは

古より人の齢は五十年(いそとせ)と言われておる。わしははや六十余歳。鬢髪はすっかり白くなっている。死んだとて悔いはないわい。鬢髪を見れば、年若い時には及ばぬ。あと数年も生きられまい。

(剣を見る)

ひそかに見れば、属縷の剣は腰にあり。団花[9]の戦袍に血を注がん。

(范蠡、文種)王さまのご命令です。大王さま、とくとくご自害めさるべし。ぐずぐずされてはなりませぬ。

(呉王夫差)このわしとてますらおぞ。いざ逝かん。王孫大夫よ、このわしは生前は恥多く、死後もまた恥多からん。身まかりし後、知覚がなくばそれでよし、知覚があらば、泉下にて太子と伍子胥と公孫聖に顔向けできぬ。三尺の繍羅[10]もてわしの目を掩へかし。な忘れそ。

(王孫駱)かしこまりました。

(范蠡、文種)王孫大夫よ、貴殿は忠臣、伯嚭とは異なれり。わが王は必ずや重く用いて下されよう。しばらくこの場を離れていなされ。大王を引き止めてはいけません。

(呉王夫差)王孫大夫よ。新しき主君にはよく仕ふべし。

(王孫駱が泣く)聞くならく、烈女は二夫を易へることなく、忠臣は二君に仕へぬものなりと。大王さまが逝かれなば、わたくしもすぐにまいらん。

(人々が王孫駱を引いて退場。呉王夫差は剣を抜き手に持つ)

今日よりは江山に別れを告げて

明日は地底に到り、遨遊すべし

両目を掩ひ 息子に出会ふことを恐れり

笑ふべし、このわれは群臣にいかで見えん

伯嚭の奴め、わしが自殺をした後に、お前一人が生きていくことはできぬぞ。越国の兵士たち、聴くがよい。

(人々が跪いてはいと言う)汝らのご主君にくれぐれもお伝えあれ。伯嚭は奸臣。すみやかに殺すべし。用いてはなりませぬとな。

(人々)大王さま、あの者を殺しても、もはや手遅れ。

(呉王夫差)お前たち、はやく主君に知らせるのだ。奸臣は決して許すべきではないぞ。この恥は諸侯の笑いの種とならん。最期を迎えしますらおを怒らすなかれ。

にぎやかに過ごせしこともいまやむなしく

恨みの気 騰騰として九霄に入る

笑うべしこの我もこれで最期ぞ

(剣を投げて退場。奥で言う)王さまのご命令だ。范、文二大夫よ、聴くがよい。呉王が死んだら、その墳丘を高くして、封樹[11]を茂らせ、国君の礼をもて秦余杭の山麓に葬るべし。今すぐに兵を収めて、奸臣伯嚭を生け捕るべし。ぐずぐずしてはならぬぞよ。

(范蠡、文種)かしこまりました。これぞまさしく、善悪必ず報いあり、あるは遅速の違いのみ。

(人々が退場)

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]敵の中に入り込み、敵同士を離間させること。

[2]高々としたさま。

[3]大空。

[4]志が高いことをいう。

[5]衰えたさま。

[6]美人。

[7]鮫綃はうすぎぬ、あるいはそれで作ったハンカチをいう。これを手にとって舞うこと。第二十八齣参照。

[8]舜に仕えた二人の臣下夔と龍をいう。

[9]丸い花柄。

[10]刺繍を施した薄絹。

[11]墓の土盛りの上に植える木。

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