第三十八齣 誓師(越王が出陣する)

(越王勾践、王妃、范蠡、泄庸、計倪が人々を率いて登場。越王勾践)

朝な夕なに危地を履み

十年(ととせ)の間 戎衣を脱がざることを笑へり

(王妃)

深き怨みに報いんと(ほり)すれば、ぐづぐづとすることぞなき

(范蠡、文種、泄庸、計倪)

弓と刀は群れ集ひ

三軍はをめき叫びて

さらに万馬は奔馳せり

(相見える。范蠡、文種)王さま、いままで呉が滅びなかったのは、内には賢明な太子さまがいらっしゃり、外には勇敢な伍員がいたからでございます。いまや太子さまは陣没され、伍員は諫死いたしました。それにわれらは十年間人口を増やし、十年間教育したため、兵士は強く、糧食は満ち、弓は強く、馬は肥えております。呉王が長江を渡るときに乗じましょう。千里の旅で疲れていますから、わが兵がまっすぐにその前軍に突入し、斉、宋が両側から殿軍を攻撃しましょう。今を措いてほかに機会はございません。

(越王勾践)どうもありがとう。ただ、わが兵が出撃すれば、国もとは手薄となろう。ほかに危難が生じたら、どうすればよいだろう。

(范蠡、文種)私はお妃さまには威厳があり、艱難に際しても大丈夫だと伺っておりまする。宮中の事務は、大小となく、すべてお妃さまにお任せなされ。必ずや内政は収まり、宮廷は整いましょう。大夫の泄庸、計倪の才能と忠勤は、平素より聞こえております。国内の事務は、大小となく、すべて彼らにお任せなされ。さすれば必ず外教[1]は修められ、朝野は静かになりましょう。王さまが国外に出られても、心配はございませぬ。

(越王勾践)それならば、妃よ、衝立に向かって立つがよい、わしは衝立を背にして拝礼しよう。これからは、陣中で何かあったら、わしの罪だが、宮中で何かあったら、お前の罪だぞ。

(王妃)仰る通りにいたしましょう。

(越王勾践が王妃を送って退場。越王勾践)泄大夫、計大夫、二人とも城壁に向かって立つのだ。わしは城壁を背にして拝礼しよう。これからは敵に望んで戦わず、兵士を訓練しなかったら、その罪はわしにある。土地が耕されず、糧秣が調達されなければ、お前たちの罪だぞ。

(泄庸、計倪)仰る通りにいたしましょう。

(越王勾践が泄庸、計倪を送り先に退場。范蠡、文種)内と外との(まつりごと)は、人々にすでに委ねり。ただ軍隊が進むには、賞罰にすべてが掛かっておりまする。請うらくは、王さまの即日壇に登られて、命令を発せられんことを。

(越王勾践が壇に登る)将官たちよ、参るのだ。本日は壇に登って、死刑囚三人を斬り、兵に示そう。敵に財貨を贈った者は、この囚人のようになろうぞ。

(人々が返事をする。越王勾践)後日国境に行ったら、死刑囚三人を斬り、軍に示そう。淫逸にして教えに従わない者は、この囚人のようになろうぞ。

(人々が返事をする。越王勾践)陣中に、親はあっても兄弟がない者がいるなら申し出よ。

(人々)わたくしには父母がおり、年はもう七十歳です。

(越王勾践)わしには大きな仕事があるが、なんじらには年老いた親がある。わしのために死んだら、親を世話する者がなくなることだろう。なんじらを帰し、両親のみまかった後、用いることにいたそうぞ。

(人々)ありがとうございます。

(越王勾践)陣中に兄弟四五人がいる者は申し出よ。

(人々)わたくしには兄弟四人がございます。

(越王勾践)わしには大きな仕事があるが、兄弟がみなここにいるのなら、わしがもし戦に負ければ、なんじらの宗祀[2]はすべて絶えてしまおう。一人を帰らせるがよいぞ。

(人々)ありがとうございます。

(越王勾践)陣中に障害のある者がいれば申し出よ。

(人々)わたくしは片方の目が見えませぬ。片方の脚が動きませぬ。

(越王勾践)わしには大きな仕事があるが、なんじには障害がある。なんじを帰し、良くなったらなんじを使うことにしようぞ。

(人々)ありがとうございます。

(越王勾践)軍令は述べたから、今すぐに前進すべし。しかしわしは江南に駐屯し、敵は江北に駐屯しておる。どのように敵を迎えたらよいだろう。

(范蠡)夜になったら、わたくしは左軍を率い、枚を含んで長江を遡り、五里進み、待機しましょう。文大夫は右軍を率い、枚を含んで長江を越え、五里下り待機するのです。真夜中に、両軍が太鼓と銅鑼をうち鳴らし、一斉に喊声を上げるなら、呉王はきっと兵を分け、応戦をすることでしょう。王さまはその時自ら君子六千を率いられ、枚を含んでこっそりと長江を渡り、呉の陣営を直撃するのです。左右から挟み撃ちにし、内外から攻めたてるなら、勝たないはずはございません。

(越王勾践)それならば、今すぐ兵を率いて進もう。

(人々が返事をする。越王勾践)

数年間、苦労して、恥をすすがんことを期し

本日はじめて駆馳するを得り

陣中ですでに聴く君王の命

閫外[3]に高く掲ぐる大将の旗をしぞ見る

(合唱)

ここより姑蘇まで三百里

金の鐙を鞭打ちて、帰るべし

(范蠡、文種)

そのかみみづから浙水[4]に身を寄すれども

今やはじめて戎衣を整ふ

見よ三軍は剣を持ち、浮雲(ふうん)の気あり

くはへて万騎は弓を張り、明月こそは輝けれ[5]

(合唱)

(越王勾践)談笑し、戈を揮ひて、降伏を受け入るることなかれ

(范蠡)金鞭を投じて江を渡るべし。[6]

(文種)蘇台より面縛[7]したる(きみ)(おみ)とが到りたり

(合唱)伯嚭と夫差は一双となる

 

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]仏教以外の教え。すなわち儒教をいう。

[2]先祖の祭祀。

[3]国外に同じ。

[4]范蠡が西施と出会った場所。

[5]原文「看三軍剣掣浮雲気、況万騎弓彎明月輝」。未詳。とりあえず、上のように訳す。

[6]原文「金鞭投処渡長江」。苻堅が長江を渡るとき、わが軍は数が多いから、鞭を長江に投げ入れれば、その流れをとめることができようといったという話が、『晋書』苻堅載記に見える。「金鞭投処渡長江」は、それをふまえて、越軍が大軍であることを言ったもの。

[7]自分で自分を後ろ手に縛って出頭すること。

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