第三十三齣 死忠(伍子胥が忠義に死す)

(呉王夫差が登場)

目の当たりにす、歳月の一瞬なるを

朝な夕なに快楽のみを求めたり

近国はみな従へど

遠国はいまだ従ふことぞなき

三軍をみづから率ゐ、前進すべし

わしは楚、越を服従させて、名声は四方にふるっているのだが、斉、晋のみが従わない。必ずや彼らを伐とう。昨日太宰に命じて先に一隊の軍を率い、斉と艾陵で戦わせ、敵はわずかな(よろい)さえ残せなかった。老いぼれの伍員めが、このわしに敵を伐つなと申したはおかしなことだ。だがわしは勝利したのだ。今回はわしが一人で行こうと思う。伍員めは必ずやふたたびわしを諌めてこよう。太宰よ、出発のとき、必ずやあの老いぼれを殺してやろう。奴がくるのをしばらく待とう。こちらにも考えがある。先日わしは殿上に坐し、庭に四人の者たちが背中合わせになっているのを目にしたぞ。一人が人の言葉を聞くと、四方に去っていってしまった。群臣に質問したが、みな見なかったと言っていた。昨日はふたたび殿上に坐し、庭で二人の者が向かいあい、北向きの者が南向きの者を殺すのを見た。群臣に尋ねたが、やはり見えなかったと言っていた。どういうわけか分からない。斉に勝つ兆しであるかも知れないぞ。

(伍子胥が登場)社稷はまもなく覆るべし。わが王はだんだんと暗愚となれり。忠臣は死を恐るることなし。死を恐るるは忠臣ならず。

王さま、伍員がまいりました。

(呉王夫差)相国よ、お前は先日、斉を伐つべきではないと諌めたが、このたび太宰は一隊を率いてゆき、勝利を得ることができたぞ。わしはこのたび六軍をみずから率い、誓って斉を平定し、ひとり諸侯に覇を唱えよう。そうなれば、お前はひどく恥ずかしい思いをしようぞ。

(伍子胥)天に見棄てられる者は、先に小さい利益に誘われ、その後大きな禍を蒙るといわれております。斉国は瘡疥の病[1]に過ぎず。幸いに勝ったとしても、小さな利益に過ぎませぬ。越は実は腹心の病であり、発作が起これば、大きな禍となりましょう。昨日、王さまが殿上にお掛けになっていたところ、四人の者が背中あわせになっており、声を聞き、逃げ散るところをご覧になったと仰いましたが、これは君主が民衆の支持を失う兆しです。さらに北向きの者が南向きの者を殺したとうかがいましたが、これは臣下が君主を弑し、国家が滅ぶ兆しです。必ずや妖物が現れましょう。王さま、どうかご覚悟めされよ。御国は保たれるやも知れませぬが、いつまでも暗愚であれば、御身はすぐに滅びましょうぞ。

(呉王夫差)老いぼれは偽り多く、呉の妖物だ。わしは先王の顔を立て、誅殺は行うまいぞ。これよりは退いて自決して、ふたたびわしと顔を合わすな。

(伍子胥)その昔、先王さまはお前を王にしようとはなさらなかった。このわしは死を賭して先王さまをお諌めしたのだ。お前はわしを恨んでいるが、わしはお前に対して功があるのだぞ。それなのに、わしに死を賜うとは、わが死は惜しむに足りないが、呉の宮殿に荊棘の生ずるは口惜しい。越人はお前の宗廟を暴こうぞ。

(呉王夫差)老いぼれめ、お前は不忠不信だぞ。息子を鮑氏のもとに預けて、わしから離れ去ろうとしておる。すみやかに自裁せよ。ぐずぐずするな。

(伍子胥)わしが不忠で不信なら、先王さまは必ずやわしを追放していたはずで、このわしは、先王さまの臣下ではいられなかったことだろう。今となっては、関龍逢[2]、王子比干[3]と地下で遊べばそれでよい。わしとて先に死にたいわい。主君がとりこになることは見るに忍びぬ。わしが死んだら、我が目を抉り、我が首を都の西の門に懸けよ。勾践が呉に入るのを見るとしようぞ。

(呉王夫差)老いぼれめ、お前が死ねば、屍を鴟夷[4]に盛り、江中に投じ、魚鼈に肉を食らわせようぞ。波涛(なみ)にお前の屍を浮かべれば、お前は何も分かるまい。何も見られまい。力士石番はどこにある。

(人々が返事をする。呉王夫差)わが属縷の剣を、老いぼれに授け、すみやかに自殺せしめ、報告するのだ。

(退場。伍子胥が裸足、裸で、剣を手に執り、天に叫ぶ)わしはお前の父親の忠臣で、西のかた強楚を撃破し、南のかた勁越を征服し、名声を諸侯に揚げさせ、覇王の功をもたらしたのに、本日は義に背き、恩を忘れて、このわしに死を賜うとは。

あな悲し

百年(ももとせ)辛苦せし我が身

両辺の薄くなりたる鬢を見よ

この我はひたすらに孤忠もてわが国に報いんとせり

ひとたびも主君を忘れしことはなし

千載の勲を建てて、四海に忠義を聞こえしめたり

百戦するも我が身は存し

功を尽くして社稷を正し

心を尽くし社稷を正すも

一心にわが国を強ならしめんとする者はどこにもをらず

(人々)老相国よ、お前は今、西のかた強楚を破りと申したが、わしらは知らんぞ。とりあえず一くさり話すがよい。

(伍子胥)

強楚を撃ちし勇猛と

荊城を平定したる功績(いさをし)の話しをぞせん

このわしは、千軍と万馬を率ゐ、先頭に立ち

敵を殺して旗は惨惨

敵を殺して兵馬は紛紛

敵を殺して隻輪も還ることなからしめたり

敵を殺して片甲も存することなからしめたり

このわしは墓を掘り

亡魂を鞭うちて辱めたり

山川を蹂躙し

黎民(たみ)を逃散せしめたり

昭王は雲中に逃亡し

昭王が雲中に逃亡するや

公主は怯え、閨房を逃れたり

夫人をばとりこにし

王さまと結婚せしめき

宮殿の煙塵となり

陵墓の毀たるるを見たり

かの国の社稷をば蹂躙し

諸侯は恐れ

万邦は戦きて

江東の気は新たしくなりぬれど

本日は、

義に背き、恩を忘れり

(人々)老相国よ。おまえは先ほど南のかた勁越を服せしめたりと申したが、わしらはわからぬ、老相国よ、もう一度話すがよいぞ。

(伍子胥)

この我は転戦し、会稽山の月を渡りて

兵を率ゐて、澣海の雲に浮かべり

山頂に登らば敵は退きて

たちまちに宗廟に荊は茂り

城は毀たる

美しき夫人はみづから掃除して

堂々たる王さまは編民[5]となる

厩のうちにて三年の永きを過ごし

わが国の名声は天下に聞こえり

(人々)老相国よ、お前にはそのような功績がありながら、大王さまはなにゆえにかような仕打ちをなさるのだ。

(伍子胥)

王さまは今まさに正しき者を誅せんとせり

奸邪と親しみ

日もすがら、

淫らなる声、美しき顔の紅裙(をみな)を侍らせ

酒盃によりて迷魂陣に陥れり

危ふき社稷を省みず

苦しむ民を省みず

実の子が別るるを省みず

(人々)老相国よ、わが国が今すぐに滅びるものか。諫言ばかりしくさって。お前はせっかちすぎるのだ。

(伍子胥)

王さまは斉国を攻めんとしたまひ

越王が背後を狙ひ

三江に兵戈を擁し

五湖に戦艦を停むることを省みず

勾践はおそらくは姑蘇を侵さん

三華の瑞露[6]

九転の霊丹[7]

盧医の妙手と

扁鵲[8]の神針ありとも

呉の民を生かすは難し

この我は先に死すべし

宮殿の塵となるのは見るに忍びず

(奥で銅鑼を鳴らし促す。人々)大王さまが催促してらっしゃる。老相国よ、とくとくご自害めさるべし。

(伍子胥)

これよりは、呉の宗廟に別れを告げて

呉の人民に別れを告げん

老いたる妻の生き死には妻に任せん

息子にはいかで(たより)を通ずべき

わが身を棄てて

先王にご報告せん

昔のことをつぶさに語り

昔のことをつぶさに語り

寄る辺なき一生の辛苦を述べん

伯嚭め。悪者め。

お前を追ひかけ

逃るることを得ざらしめ

天に登るに道はなく

地に入るに門なからしめん

(奥で促す)老相国よ、とくとくご自害めさるべし。大王さまが報告を待ってらっしゃる。

(伍子胥)慌てるな。わしは立派なますらおぞ。いざゆかん。

生涯勇烈、(かうべ)を刎ねたり

青鋒剣を一振り持ちて

前の世の龍逢と親しまんとす

数十年を生きし我が身は、一瞬にして損なはれ

緲緲たる銭塘の英霊は、波頭に漂ふ

(剣を投げて退場。人々)老相国は亡くなられた。大王さまに知らせにゆこう。これこそは「三尺の属縷に白首(しらがくび)を懸け、一生の忠義は丹心を貫く」。

(退場)

 

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]皮膚病。

[2]夏の桀王を諌めて殺された大臣。

[3]殷の紂王を諌めて殺された皇族。

[4]皮袋。

[5]平民。戸籍に編入された人民をいう。

[6]未詳。三華は精、気、神をいう。

[7]未詳。九転陰丹とは鉛霜のこと。

[8]盧医、扁鵲は同人物。戦国時代盧の名医。

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