第三十二齣 諫父(王子が父王を諌める)

(呉王夫差、伯嚭が登場。呉王夫差)

重なる楼閣

日々、花の(かんばせ)にしぞ向かひたる

ちかごろは、体はよぼよぼ

精力の衰へたるがゆゑならん

(伯嚭)

歳月は矢のごとし

幾とせか荒淫に耽りたる

(相見える。呉王夫差)今朝越王が神木二本を贈ってきた。大きさは十二囲、長さは五十丈。このように長くて大きいものは見たことがない。老いぼれの伍員めは、神木を受けるなと言いくさった。先王は姑蘇台を造られたが、とても小さい。今回は新たに(うてな)を建造し、広さは八十丈、高さは三百尺、二百里を見渡すものにしようと思うが、太宰はどう思う。

(伯嚭)まことに宜しゅうございます。この間、王さまはご自身の魂が見えなくなったと仰いましたが、この台を造られば、王さまの魂は中空を飛ぶことができるでしょう。

(呉王夫差)冗談を申すでない。越王は穀物が不作だったため、細絲の銀子百万両で、百万石の穀物を買いたいといってきた。例年は穀物は一石三銭。今では一石あたり七銭増しになっている。老いぼれの伍員めはおかしなことに、穀物を与えるなと言いくさった。わしが計算したところ、公定の価格は三銭、人民に穀物を売らせ、残りの銀は自分のものにしてしまおう。[1]

(伯嚭)それは結構なことにございます。わたくしは毎年借金を抱えており、計算をしてみますと十万石近くになります。王さま、十分の一でも十万の銀子です。伯嚭にこれらの古い穀物を売らせて下さいますように。

(呉王夫差)お前は先日家が貧しいといっていたな。

(伯嚭)わが家の数人の下女どもが、毎日家で麻を裂いてくれているため、生活ができているのでございます。

(呉王夫差)また冗談を。

(王孫駱、公孫聖が登場)竹籬茅舎を後にして、玉殿金門へと至る。

(王孫駱)しばし待たれよ。わたくしがお知らせたら、入られよ。

(王孫駱が中に入って報告する。呉王夫差)中に()れよ。

(公孫聖が中に入る)山人公孫聖、拝礼をいたします。

(呉王夫差)先生、挨拶は抜きじゃ。このわしは姑蘇台で昼寝をしたのじゃ。

二十八齣と同じことをいう。公孫聖が拝礼をして平伏する)申し上げることはできません。

(呉王夫差)すぐに話をするがよい。

(公孫聖)わたくしの罪は万死に値しましょう。大王さまの見られた夢は、兵を起こして斉を伐つことに関するものでございましょう。わたくしは「章」とは戦に負けてあたふたと逃げることだと聞いております。「明」とは昭昭[2]を去り、冥冥[3]に就くことでございます。二つの釜で炊飯し、蒸しあがらなかったということは、大王さまが敗走されて、火を通したものを召し上がることができなくなるということです。黒犬が南と北で吠えていたと仰いましたが、黒は陰類であり、北とは陰の方角にございます。二つの鍬が宮殿の壁に刺さっていたとは、越兵が呉に入り、社稷を掘り返すことにございます。流水が殿堂に入ってきたとは、波涛が押し寄せ、宮殿がすっかり空になるということです。奥の宮殿で鍛冶屋のような音が聞こえたということは、宮女が歎き、泣き叫ぶということにございます。前園に梧桐が生じたとは、桐は俑を作ることができますから、殉葬をするということです。大王さまの夢はとんでもなきものにございます。兵を起こして斉を伐つことに関するものに相違ございませぬ。

(呉王夫差が怒る)この老いぼれめ。わしの前で、勝手なことをぬかしおって。王孫駱よ、なにゆえにこのような者を呼び、このわしを怒らせたのだ。馬鹿者が。

(王孫駱)両手で生死の道を分け、この身は是非の門を跳び出す。

(退場。公孫聖)大王さま、お怒りになられませぬよう。ほかにも話しがございます。今、斉を伐たれてはなりませぬ。王孫駱が冠を解き、肌脱ぎになり、越に挨拶するならば、御身と御国は保たれましょう。

(伯嚭)聞けば公孫聖と伍員とは結義した兄弟とのこと。伍員がこ奴にこのような話をするように命じたのでございましょう。

(呉王夫差)老いぼれめ、このようにとんでもなきことをいうとは。力士石番はどこにおる。

(人々が返事をする。呉王夫差)すみやかに宮中より引きずり出して、鉄槌で撃ち殺すべし。

(公孫聖が天を仰いで長嘆する)天よ、天よ、わたくしは冤罪を受け、忠実なのに罪を得て、罪もないのに殺されます。わたくしを埋葬してはなりませぬ。山中にお棄てになれば、後に姿をあらわして、大王さまに報いましょう。

(呉王夫差)力士よ、こやつを陽山に棄て、豺狼に肉を食らわせ、野火で骨を焼き、風沙で骨を舞い上げて、骨も肉もすっかりなくしてしまうのだ。そうすれば音をたてることもあるまい。はやく引き出せ。

(人々が公孫聖を引いて退場。伯嚭)王さま、公孫聖はもう死にましたが、いまだに伍員が残っております。聞けばあ奴は先日斉に使いして、息子を鮑氏に預けたとか、またつねに若さまと交際をしているとか。どんな良いことをしでかすことやら。必ずやあ奴を殺し、後の患いを断たるべし。話をしている最中に、若さまがやって来られた。王さま、伍員めが若さまを焚きつけたため、来られたのでしょう。わたくしはしばらくはずしておりましょう。

(退場。王子が弾き玉と弓をもって登場)胸中はあわただしきこと矢の如く、両足は走ること飛ぶがごとし。先ほどは宮殿の外におり、伍相国に出会い、我が父が善人を殺したことを聞かされた。今すぐに宮中に入り、お諌めしよう。

(拝礼する)お父さま、息子めがまいりました。

(呉王夫差)息子よ。朝、どこを通ってきたのだ。服も靴も湿っておるぞ。

(王子)先ほどは後園におり、秋蝉の声を聞いていたのです。私がじっと見ておりますと、秋蝉は風に吹かれて大きな声で鳴いており、自分は安全なのだと思っておりました。しかしその後ろには蟷螂がおり、秋蝉を食らおうとしておりました。蟷螂は一心に秋蝉を見ておりましたが、黄雀が葉の中に身を潜めているのに気が付きませんでした。黄雀は一心に蟷螂を見ておりましたが、私が弾き玉と弓を持ち、黄雀を撃とうとしているのに気がつきませんでした。私は一心に黄雀を見ておりましたが、脇に穴があいていることに気付かず、たちまちにして井戸に落ち、服も履物もすっかり湿ってしまったのです。

(呉王夫差)息子よ、汝は目先の利益を貪り、背後の患いを省みず。天下の愚行で、これに勝るものはないぞ。

(王子)お父さま、天下の愚行で、これより甚だしきものがございます。魯は周公の末裔にして、聖人孔子がまします国、隣国を侵したことはございません。ところが斉はわけもなく兵を挙げ、魯を伐ちました。斉国は父上が大勢の兵を集めて、千里に(かばね)を曝しつつ、かの国を攻めようとしていることに気が付いておりません。父上は斉国をご自分のものにしようと思っていますが、越王が三江より出撃し、五湖に進入し、わが国の都を屠り、社稷を滅ぼそうとしていることには気が付いてらっしゃいません。天下の愚行で、これに勝るものはございません。

(呉王夫差が怒る)息子よ。小さいくせに、どこでそのような巧みな言葉を習ったのだ。まことに憎むべき奴じゃ。

(王子)

近年になり、国勢の傾くを目にすれど

恩愛を失ふことが恐ろしければ

事情を知りつつ 申し上げたることぞなき

しかれども、傍観し

御前に行かぬわけにもゆかず

(呉王夫差)ほかにも何か言うことがあるか。申したいだけ申すがよい。

(王子)

興廃はいかにといへば

社稷は廃れ

祖宗の霊に別れを告げて

山河を離れ

宮殿は荒れ果つべけん

(呉王夫差)お前は黄色い嘴で、世の中のことを知らぬのに、勝手なことばかり言っておる。

(王子)

お父さまはまもなく幽鬼となりたまはんに

安穏としたまへり

(呉王夫差)何だと。どうしてわしがもうすぐ幽鬼になるというのだ。

(王子)

父上は

酒と女に迷ひたまひて

すでに老いたることをぞ忘れたまひたる

かの越王は積もる怨みも深ければ、夜昼となく兵士を募り、馬を買ひ、糧秣を集めて、復讐せんとせり。

かの者は恨みを抱き

三江で兕甲を着けて戦を挑み

六千人の兵士もて矢を放ち

館娃宮をば自らの庭園とせん

父上よ

備へをなされたまへかし

(呉王夫差)お前の話に従うのなら、斉を攻めるべきではないな。

(王子)

父上の心は狭く

斉への道はますます遠し

よしや勝利を得んとても

必ずや災禍を受くべし

(呉王夫差)もしも斉に勝つならば、名声は天下に聞こえん。どうして災禍を受けようぞ。

(王子)父上が、斉国に勝利されれば、父上は諸侯に対し覇者となり、北地にて会盟せん。そのときに越兵がわが国に侵入すれば、わが国は進退きわまることとなります。

偃蹇として

音信は通ずることなく

江東[4]と勾践の三千里の隔たりはなくなりぬべし[5]

(呉王夫差)息子よ、これは老太宰の入れ知恵だな。わしが諸侯に覇を唱え、お前が後日社稷を継げば、お前に対し讐なす国は一つもなくなるであろうに。

(王子)お父さま、伯嚭をいかなる人物と思しめさるる。

かの者は鷹鸇[6]にして

政権を掌握し

性質は奸邪にて

善良なものを損なへり

(呉王夫差)聞けばお前は伍員と交際しているとか。それもあ奴がお前に申したことなのだろう。

(王子)お父さま、あの者は先王さまの老臣にして、王室に功績があり、善人にございます。

先王さまの大老にして

その赤心は蒼天に対すべし

(呉王夫差)かの者が善人ならば、どうして息子を斉国に預けたのだ。

(王子)あの者は今、家も身も保っていますが、息子を斉に預けました。やがてわが国が滅びるときに、お父さまがわたくしをよその人に預けられれば、災はわが身には及びませぬ。

あな悲し

伍員は息子を斉に預けり

わが身を寄するはいづれの年ぞ

(呉王夫差)わしはすみやかに斉を攻め、戻ってくればそれでよかろう。

(王子)

ああ、お父さま

越軍が来るのは易く

我が軍が戻るは難し

(呉王夫差)わが国に兵士は多く、将軍は勇ましく、かの国は馬は痩せ、人は疲弊す。越王は常に臣服しておるから、すぐに来ることはあるまい。

(王子)

兵家のことは奥深く

それを伝ふることは難きも

機略は先を制するにあり

風に乗じて遠きを忘れば

逆まく浪になどかは船を返すべき

(呉王夫差)おかしなことを。老いぼれの伍員の言葉は聞くに堪え、わしの言葉は聞くに堪えぬとは。

(王子)

わたくしは父の子なれば、ご命に従ふべきものなれど

かの者を縁もゆかりもなきものと思ひなし、諫言を拒むわけにもゆかざらん

(呉王夫差)一万の人馬を貯え、王孫弥庸に命令し、そのほうが三江を守るのを助けさせ、越国に備えればそれでよかろう。

(王子)

そはなのめならぬことなり

わが身を棄てて国に報いて

命は黄泉路に赴かん

(呉王夫差)お前が天に登るといっても、わしは聞かぬぞ。息子の見識のなさは笑うべきもの。父親の言葉を聞かぬのは何ゆえぞ。平素から人々はわしに投降するばかり、このたびも他人を恐れることはない。

(退場、王子)父上さま、さんざんお話しいたしましたが、一向にお聴きいれくださらないとは。まもなく国は滅びましょう。帰った後で伍相国にあわせる顔もございませぬ。

(伍子胥が登場)

禍を招き

逆浪と強風に舵を求めり

若さま、

父上さまは船を戻すを肯はれたまひしや

(王子)

万事休すぞ

われはくはしく話したれども

千言万語も徒なりしかば

両眉を顰むるのみぞ

(伍子胥)若さま、左様にございましたか。ご子息のあなたさえ話を聞いていただけぬのなら、必ずや良くないこととなりましょう。

(伍子胥)

我は信じず 実の子さへも諫言に失敗せんとは

このたびはいかんせん

このたびは必ずや殺されよう。

国が覆へらんとしたるに

坐臥することのあるべきや

(王子)老相国よ、伯嚭めは憎い奴じゃ。

かのものは至るところで波風を引き起こし

枯葉の枝を離るるを目の当たりにせん[7]

われはこれよりいかにぞすべき

(伍子胥)若さま、これからは、わたしはわたしの仕事をすることといたします。若さまはご自身のお仕事をなさってください。これでお別れでございます。もうお目にかかることもございますまい。

(王子)ああ悲しい。

(伍子胥)楚国の難を逃れてより後、この地に至り、必ずや良い結末を得られるものと思いましたが、またしてもかようなことになろうとは思いませなんだ。

(伍子胥)

婆娑[8]として

(かうべ)はすつかり白くなり

誰か知るべき、地網と天羅に陥らんとは

若さま、

わたくしたちはこれにてお別れ

わたくしの命は果つべし

またの世で もう一度 若さまをお助けいたさん

(王子)老相国よ、お前が先に死んだなら、わしも程なく後からまいるぞ。

君知るや

わが身もまもなく閻魔に見えん

あの伯嚭めを、

わしは今すぐ訴へて

永遠(とは)に地獄に落とすべし

海深く、天は遥かに

悠々たるこの恨み

いづれの日にか消ゆべけん

(王子)国家の滅ぶを支ふるは難きこと

(伍子胥)孤臣と孽子は互ひに別る

(王子)天長く地は久しきも尽くる時あり

(伍子胥)この恨み綿々として尽くる時なし

 

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]米を人民から三銭の公定価格で買占め、越王に一石一両で売り、利益を得ようということ。

[2]人間界。

[3]冥界。

[4]呉のこと。

[5]原文「却不隔了江東勾践路三千」。未詳。とりあえず、このように訳す。呉と越が三千里隔たっているという言葉は、第二十八齣に見える。

[6]鷹と隼をいう。

[7]原文「我恨他眼見得敗葉辞柯」。「敗葉辞柯」は、国家が滅ぶことをいうという。張忱石等校注『浣紗記校注』参照。

[8]衰えたさま。

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