第二十六齣 寄子(伍子胥が子を託す)

(伍子胥父子が登場。伍子胥)

歳月は駆け

一生の終はらぬことを笑ひたり

志気はいよいよ衰へて

赤心を抱けども主君に報いるすべもなく

白首[1]にて為すすべもなく子を棄てつ

(息子)お父さま、これからどなたにお会いになるのでございましょう。

(伍子胥)息子よ、もうすぐ東斉に着くぞ。

(息子)故郷を望めば雲いる山は万と重なり、優しき母を目断す[2]

(息子)雲は平らな崗に接して、山は広き野を囲めり。道はくねくね ゆるゆると斉城に入る。

(伍子胥)枯れし柳に啼く鴉、烈しき風に急ぐ(かりがね)、心を動かす一片の秋の声。

(息子)旅に疲れて駕を休め、薄き霞に微かなる星を見る。

(伍子胥)故郷は何処ぞ。死別と生離、何の恩情をや説かん。息子よ、お前と故郷を離れ、一月(ひとつき)になろうとしている。もう斉国に着いてしまった。

(息子)お父さま。お母さまは家で心配なされています。はやく仕事を終えられて、急いで一緒に帰りましょう。なぜ悲しんでらっしゃるのです。

(伍子胥)息子よ。お前が怒るのを恐れ、今までずっと話せなかった。呉の先王さまのおかげで、お前のお爺さまの恨みを雪いだが、国家の恩には報いておらぬ。王さまは最近伯嚭を信用なさり、越王を釈放し、先日はさらに子貢の話を信じ、北のかた斉国を伐とうとし、このわしに戦争の日どりを決めさせようとしている。思うに、呉が兵を(いだ)せば、越はその隙に乗じて呉の地に侵入するだろう。これからわしは国に戻るが、必ず諫死し、国恩に報いるつもりだ。しかしお前も一緒に死んでは、まことに無益じゃ。わしには結義した弟がおる。鮑牧といい、今、斉国の大夫をしておる。今回お前を連れてゆき、鮑牧の家に預けて、伍家の血筋を残そうと思うのだ。

(悲しむ)

これからは、わしは自分の仕事をするから、お前はお前の仕事をするのだ。わしのことを思うてはならぬ。

(息子)お父さま、旅路が寂しいために、私を連れてこられたのかと思っておりましたが、このようなことだったとは知りませなんだ。本当に悲しいことです。

(伍子胥)息子よ。事ここに至っては、悲しむには及ばぬ。すぐに行き、生きる道を考えるのだ。

(伍子胥)

清らかな秋の道

黄葉は飛ぶ

何故に山に登りて川を渡れる

君臣の義のあるがため

父と子は別れたり

いづれの日にか歓会すべき

(合唱)

この世にて団円するは難からん

ふたたび逢ふはまたの世のことならん

波は東へ西へ寄せ

(へた)のなき浮き草のごと

禁じ得ず数行の涙の下るを

(かりがね)の並びて南へ帰るを羨む

(合唱。息子)

年若く

髪は眉根を覆ひたり

膝下にて仕へたる日は幾ばくもなし

もともとは根に帰する落葉なりと思へども

誰か思はん 波に浮かべる花蕊とならんと

いづれの日にか双親(ふたおや)の恩義に報いん

(合唱。伍子胥)城に入った。ここはもう鮑大夫の家の入り口。どなたかいらっしゃいますか。

(鮑大夫、家童が登場。鮑大夫)

などかは耐へん 強臣の威を示さんと欲するに

見れば社稷はまさに危ふし

伝へ聞く 呉の軍隊を召集せるを

わが国の鎮まるはいつの日ぞ

小者よ、表の方を見てまいれ。

(家童)どちらさまでしょうか。

(伍子胥)入って話をしておくれ。呉国の伍大夫が会いにきたと。

(家童が報告する。鮑大夫)お入りください。

(伍子胥が中に入る。鮑大夫、息子が一緒に拝礼をする。鮑大夫)滄州での一別以来、何年もあなたのことを思い続けておりました。

(伍子胥)旧友は会見に驚いている。新たな恨みをすべて話そう。

(鮑大夫)兄者、こちらはどなたでしょうか。

(伍子胥)倅です。

(鮑大夫)お別れして数年、ご子息はますます大きくなられました。陳恒は主君を弑し、戦を招いておりまする。兄者は遠路を来られましたが、きっと話がおありでしょう。

(伍子胥)弟よ、斉は魯を伐ち、遠国に国威を輝かそうとしている。今回は国命を奉り、戦の日どりを決めにきたのだ。

(鮑大夫)あなたは親御の恨みに報い、平王を墓で鞭打ち、ご主君の仇に報いて、勾践を石室に閉じこめました。忠孝の行いが、四海に広められたのは、すばらしいことでございます。

(伍子胥)弟よ、おまえはその一を知って二を知らない。その昔、父と兄とを楚の平王に殺されたため、孝行をすることはできなかった。今回は主君が伯嚭に騙されたため、忠義を尽くすことさえできぬ。越を防ごうとはせずに、斉を伐つ軍隊を起こしては、まもなく姑蘇に荊が茂ることになろうぞ。君命を奉り、斉への使者となったのは、一つにはわしが殺されると思ったから、二つには血脈を絶やすに忍びなかったからなのだ。雅量あるおまえのもとに、伍氏六尺の息子を預け、養子としよう。どうか豚とも狗とも思うてもらいたい。

(鮑大夫)兄者は呉国の忠臣で、私は斉国の義士です。お頼みとあらば、一生懸命尽くさせていただきます。お世話が行き届かないため、ご期待に背いてしまうことだけが心配でございます。

(伍子胥)弟よ、息子は難を避けるのだが、人に知られる恐れがあるから、王孫と改姓し、伍氏とは称さぬこととしよう。

(鮑大夫)分かりました。

(息子)お父さま、本当に私をここに置いてゆかれるのですね。

(悲しむ)

話を聞けばいと悲し

血の涙をぞにはかに流せる

双親(ふたおや)の膝下より

たちまちに離れしことはいまだなし

お父さま

胸の思ひをいかで語らん

などて息子を棄てたまふ

もともとは父上を永くことほぐことを望めど

思はざりき にはかに斑衣を棄てんとは[3]

(伍子胥)

あな悲し

国家は次第に傾けり

我が身を葬る地とてなく 汝は何にか身を寄せん

弟よ どうか息子を育て上げ

わが一脈を存すべし

(鮑大夫)兄者、国家が治まりましたらば、ご子息を引き取りにこられてください。

(伍子胥)我が存亡はいまだ知らざる。思うに孤臣[4]は必ずや溝渠の鬼となりぬべし。我が子よ悲しむことなかれ、弟よ、くれぐれも息子を頼むぞ。

(鮑大夫)

三斉[5]は、主なく国は危ふし

この我の凡庸にして為すすべなきは笑ふべし

兄者の頼みを受けたれば

懸命に養育いたさん

兄者

兄者の誠意は変はることなし

先王を思ひ、忠義を尽くすべし

ご子息は

実の子よりも大切にお世話いたさん

安心し、帰られよかし な憂へたまひそ

(伍子胥)息子よ、無情だからお前を棄てるわけではないのだ。事ここに至っては、お前の世話をしていられぬのだ。それに仇討ちは、わしにはできたが、お前にはできまい。わしは今日身を殺して国に報いる。これも詮方ないことだ。今後は絶対にわしをまねてはならんぞ。

(息子が泣く)お父さま、どうして私を棄てていってしまわれるのです。

(伍子胥)泣くのはよせ。ひょっとしたらまた会えるやも知れぬ。今日からは鮑おじさまを父と思い、実の父と同じように、そのお言葉に従うように。刃向かうことがあってはならぬぞ。

(息子が鮑大夫に拝礼する)お父さま、お掛けください。拝礼いたします。

思へば私はいまだ礼儀を諳んじず

父上さまの朝晩のお教へに

いかでか背くことあらん

いかでか背くことあらん

(伍子胥を見る)お父さま、ただ願うのは椿庭(ちちうえ)の寿命の山と等しからんこと。お父さま、帰られましたら、お母さまによろしくお伝えくださいまし。私は斉に遊学し、まもなく帰るとお伝えください。

萱堂(ははうへ)さまにお伝へあれかし

な悲しみそと

(合唱)

今より去らん海角天涯

人はいづこぞ

夢の中にて空しく帰らん

(伍子胥)

大空に孤雲は飛びて

寒林に夕陽はやうやく低し

我は死すべし

我は死すべし

白髪にして(いさを)は成らず

過ぎし日の事は依稀[6]たり

日は暮れて道は窮まり

空しく夕陽に悲しめり

(鮑大夫と一緒に)

兄者

安心し帰られよ

我が甥よ

汝はしばし身をば寄すべし

今は運には恵まれず

今は運には恵まれず

時運に(たが)

たまたま離れ離れとなれり

いづれの日にか団円(まどゐ)して

父と子は相伴はん

(合唱。息子)

お父さま

西風に涙は湿す旧衣(ふるごろも)

(伍子胥)

骨肉の生き別るるは何ゆゑぞ。

(鮑大夫)

長亭は遙かにありて

目を極むれば草萋萋[7]たり

(合唱)

頭を廻らし

去らんと欲してまた徘徊(もとを)れり

本日袂を分かちて後は

いづれの地にて会ふべきや

腸は断たれり

頭を廻らせ おのおの東と西に別れり

(伍子胥)もともとは同じ林の鳥なるに

(息子)別れ飛び 群を離れり

(鮑大夫)誰か哀れむ一片の影

(合唱)万重の雲に隠れり

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]白髪頭。

[2]見えなくなるまで眺めること。

[3]斑衣は斑斕の衣。年老いた老子が、親を喜ばせるため、着て踊ったという派手な服。ここでは、にわかに親と別れて孝行を尽くすことができなくなろうとは思わなかったの意。

[4]主君の寵を失った臣。ここでは伍子胥自身のこと。

[5]斉、膠東、済北の三地域。現在の山東省東部。ここでは斉のこと。

[6] ぼんやりとかすんださま。

[7]生い茂るさま。

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