第二十五齣 演舞(西施が舞を演ずる)
(西施が登場)
散る花は寄る辺なく乱れ飛ぶ
残んの春をな恨みたまひそ
佳人は古より命薄きもの
過ぎし日のことを笑へり 相手のことは問ふなかれ
このたびは別館に来たれども
いづこの屋敷に身を終へぬべき
美人ははやくも裏切られ
装ひせんと鏡に臨むことも慵し
恩を受けしは顔にはあらず
わらはがもしも化粧せば
風暖かく、鳥の音は細やかに
日は高く、花影は重ならん
越渓の娘は思へり、芙蓉を採りたる年月を
わらはは西施。なにゆゑにかくぞ申せる。わらはは世にも希なる容貌を持ち、聡明なること人に勝るも、今までずつと、よき連れ合ひに恵まれず。范蠡大夫に誘はれしかど、越王殿下に退けられたり。思ふに人の窮通は、まことに定めによるものにして、顔によるものにはあらず。先日はお后さまがわざわざ西城へと来られ、わらはに歌舞を教へられたり。城を傾くる容貌も恃むに足らず。どんなに歌舞がうまくとも、何にかはせむ。
環珮の音がする。お后さまが来られたようだ。
(王妃が登場)
三年の間 異国で命永らへ
別館に来たれば魂は消ゆるなり
この世では歌舞には縁のなきものと思ひたりしが
美人が来たれば
これより歌舞を教ふべし
夕月出づれば 鶴は三殿へと戻り
春風吹けば 鶯は千門に鳴く
(西施)お后さま、叩頭いたします。
(王妃)お立ちなさい。西施さん、昔から絶世の美女は、第一に顔、第二に歌舞、第三に体つきといわれています。顔がよくても、歌舞を知らねば、奇とするには足りませぬ。歌舞に通じていたとても、体つきがよくなければ、美しいとはいえませぬ。美しい人、あなたの顔には非の打ち所がありませんが、歌には歌の、舞いには舞いの形があります。物腰は穏やかで、歩みはなよやかで、初めて人の心を動かすのです。昨日は老いた宮女を遣わし、舞を教えようとしましたが、失礼があるかもしれぬと、大王さまが心配されて、私にいくよう命じたのです。
(西施)どうぞよろしくお願いいたします。わたくしも一生懸命がんばりますから。
(王妃)西施さん、私の話をお聞きなさい。歌は人の心を養うもの、それゆえに陽春[1]は花の下にて、子夜[2]は部屋の中にて奏するのです。古人には白水、緑水、玄雲、白雲、江南、淮南、出塞、入塞[3]がありますが、その声は喨喨として、調べはゆったり。現在の江南は麗しの地、しばしば白苧、採蓮[4]を歌っています。西施さん、まずは歌を習いましょう。
宴席で塵を飛ばし、雲をも駐め
音調はゆつたりとして潤ひあるべし
頭を揺らし、目を閉ぢて
口を曲げ
唇を噛むことなかれ
(合唱)
なまめかしく
宮殿の深きところに夜入らば
一座のものは春風の中、酒に酔ふべし
西施さん、昨日は歌を教えましたが、覚えていますか。
(西施)はい。
(王妃)私に聞かせてください。
(西施)
麗しき喉 清らかに
縹緲として 麗しき喉 清らかに
真珠の盆にまろぶがごとし
秦楼楚館の麗しき宴席で
鶯はしきりに鳴けり[5]
裊裊として 香しき塵を巻きあげ
裊裊として 香しき塵を巻きあげ
亭亭[6]として 彩雲をとどめたり
両眉は愁へに顰め
両眼は秋波を送れり
清らな歌の妙品に入るを羨む
花の間を数巡するは堪へがたし
花の間を数巡するは堪へがたし
灯前に常に倚るには堪へがたし
別れを恨み腸を断つ
(王妃)西施さん、まだ知らないと思いますが、唇を動かすと、声は流れるかのようで、余韻はたゆたい、秦青[7]韓娥[8]も、あなたにはかないますまい。本当にすばらしいことです。
(西施)歌の大意は、分かりましたが、舞はいかがでございましょうか。
(王妃)西施さん、私の話を聞いてください。舞は人を沈滞へと導くもの。それゆえに、春風は宴席に起こり、月は楼頭に集まるのです。古より舞い踊る鳳鸞に、縈塵と集羽[9]があります。腰を曲げ、袖を振り上げ、激楚[10]に陽阿[11]、動作は音に呼応して、抑揚は節に適えっておりまする。現在、呉の宮殿では、しばしば回風転波[12]を用いています。美しい人、それでは舞いを学びましょう。
宴にて その美しさは群を抜き
くるくると 軽やかな姿は宜し
縦横に動き回れど
塵すら立つることはなし
(合唱)
西施さん、昨日は舞を教えましたが、覚えていますか。
(西施)はい。
(王妃)私に舞いを見せておくれ。
(西施)
薄絹の衣は緩く
柔らかな薄絹の衣は緩く
軽やかなるは痩せたるが為
風の前では裊裊と 月の下では紛紛と
婆娑として 歌と笛の音
細やかな腰をひねらば
細やかな腰をひねらば
くるくると掌上の人のごと[13]
にはかに進まばまめまめしく
退くときは逡巡す
金蓮の歩みは穏やか
香風に 繍裙開く
柔らかく陽台の雲のごと
(王妃)西施さん、まだ知らないと思いますが、あなたが体を動かせば、妙なる姿は立ち上がったり、横になったり、驚鴻や遊龍[16]も、あなたにかなわないでしょう。本当にすばらしいことです。昼でも夜でも練習するのを、忘れてはなりませんよ。
(西施)どうもありがとうございます。忘れたりはいたしません。
(王妃)しばらく休んでいなさい。明日また練習しましょう。
(西施)かしこまりました。
(王妃)百年は三万六千日
来る日も来る日も 春風の中 杯を挙ぐ
(西施)歌は果て 陽春に白雪は飛び
舞は果て 清らな月に霓裳は酔ふ
[1]楽曲の名。
[2]東晋の婦人子夜が民謡をもとに作った五言四句の詩。及びそれに倣って作られた詩。子夜歌。
[3] いずれも楽曲の名。
[4] いずれも楽曲の名。
[5]原文「鴬声風外緊」。未詳。
[6]美しいさま。ここでは歌声の妙なるさま。
[7] 『列子』湯問に見える、古の歌の名人。歌を歌うと雲をもとどめたという。
[8] 『列子』湯問に見える、韓の歌の名人。
[9] 『拾遺記』燕昭王に見える舞いの名人の名。
[10] 『漢書』司馬相如伝上に見える舞の名。
[11] 『淮南子』俶真訓に見える舞の名。
[12]回風は『洞冥記』に見える舞の名。転波は未詳だが、回波のことと思われる。『大唐新語』に見える舞曲名。
[13]原文「蹁躚掌上人」。手の上でも舞うことができるほど軽やかだということ。
[14]花籃のこと。鬘の一種。『揚州画舫録』巻九参照。
[15]蝉の羽のように薄い鬢。
[16] びっくりした鴻と、浮遊する龍。美女の軽やかな舞姿を譬える。ともに曹植『洛神賦』に見える言葉。