第二十一齣 宴臣(越王が臣下のために酒宴を開く)

(越王勾践、王妃が登場。越王勾践)

三年(みとせ)の間 故郷を離れ

我身は困窮したれども

江山はなほ存したり

(いぐるみ)を手に執らずとも 傷つきし(おおとり)はつねに恐れり

弓を張ることはなくとも 怯えし猿はなほも驚く

(王妃)

幸ひに帰りきたれば人の死にたることぞなかりし

昨春の眉をわづかに開きたり[1]

(合唱)

願はくは乾坤[2]を再興し

鴻の南国に飛び

龍の東海に起こらんことを

(王妃)大王さま、千載。

(越王勾践)后よ、挨拶は抜きだ。

江関を出で

江関に入り

三年にして帰りきたれば鬢は(まだら)にならんとす

雄々しき心は夜になるとも衰へず

(王妃)

一重の山

二重の山

忘るるなかれ、そのかみの旅路の労を

涙を拭きて青萍を見る

(越王勾践)后よ、ふたたび故国に戻ったが、まだ朝廷に臨んでおらぬ。ほかにも相談があるから、諸大夫の来るのを待とう。

(范蠡が登場)

囚はれし大臣は千里より帰り来たりて

また(きざはし)に上らんことを誰か知るべき

(文種が登場)

股肱は怠惰なりければ、非才を笑ひ

諸事安泰と称するを羞づ[3]

(相見える。越王勾践)后と二大夫がここにいる。わしが呉に囚われたとき、后は鞠躬して傅き、范大夫は窮地を救い、文大夫は国務に励んだ。みなの助けがなかったら、わしは溝渠の鬼[4]となり、越国は永遠に麋鹿の庭となっていたろう。今謹んでささやかな宴を設け、いささかの謝意を尽くそう。諸大夫よ、どうか臨席しておくれ。

(范蠡、文種)とんでもございませぬ。一言だけ申し上げたき儀がございます。そのかみの越国は、王さまの越国ではなく、夫差の越国でございました。夫差が政治を顧みなければ[5]、今日の呉は、夫差の呉でなく、王さまの呉となりましょう。忘れられてはなりませぬ。考えまするに、朝な夕なに心を労し、恥を雪がんことを図らば、わたくしは幸甚でございまする。

(越王勾践)謹んで話を聞いたぞ。酒をもて。

(王妃、范蠡、文種に酒を振る舞う。人々は跪いて受ける。越王勾践)

台殿に風はかすかに

山河には気が巡りたり

運の開けて時の安らかなるを欣ぶ

二大夫よ

汝らの奔走により

大風はあつといふ間に陰霾を掃きつくし

囚はれ人は艱難を経て

恥を雪がんことを誓へば いづくんぞ成と敗とを座視せんや[6]

(合唱)

愁への城は崩るべし

機に乗ぜんことを求めて

ぐづぐづとすることなかれ

(王妃が酒を運ぶ)

江山に

三年(みとせ)にて帰り来たれり

自ら困苦に遭ひたれば

両眉はなほも蹙めり

大王さま

群臣たちの働きにより

ともに社稷を担ふべし

試みに見よ 今日の細き体は

そのかみの美しき姿には似ても似つかず

(合唱。范蠡が酒を注ぐ)

時に利あらず

歳月は耐へ難し

敗残の身はいまだに死せず

幸ひに、舌先はなほも存せり

文大夫よ

汝が危難を支ふれば

物は豊かに民は(なつ)けり

王さま、お后さま

頭を挙げて前の車の倒るるを見ば

後の車は注意して、戒めとなすがよし

(合唱。文種が酒をつぐ)

凡才は

自ら愚鈍なるを羞づ

直々に委託を受くるも

少しも報ゆることを得ず

范大夫どの

おんみは危難に耐へたれば

豺虎の巣より抜け出せり

王さま、お后さま

君臣の捕らへられしを猛省せられ

民と国とが安らかなりとな思しめされそ

(合唱。越王勾践)范大夫よ。わしは今日から明堂に坐し国政を執ろうと思うがどうじゃろう。

(范蠡)本日は丙午(ひのえうま)。復位され朝廷に臨むには、金水が循環し、旺んな相が起こっているため、すこぶる宜しゅうございます。

(越王勾践)范大夫よ。わしはふたたび国都を築き、善い地を選び、国土を拡げたいのだがどうじゃろう。

(范蠡)天象を見ましたところ、宮中に、周囲の長さ千余歩の、小さき城を築かるるがよし。西北に龍飛楼を建て、天門に象らん。東南に漏石竇[7]を横たへて、地戸に象らん。外側に大いなる城を築きて、その北面を欠き、呉に臣事することを示さん。その実は呉に(あだ)を為さんがためなり。

(越王勾践)本当にありがとう。わしはこれから、心と体を働かせ、朝夕怠ることもなく、目が疲れれば蓼を焚き、足が冷えれば氷に漬けよう。冬寒ければ氷を抱き、夏熱ければ火を握ろうぞ。薪を部屋に積み重ね、夜はその上に臥し、胆を戸に懸け、出入りのたびにこれを嘗めよう。人をして宮門に立たしめて、通るときには、声高らかに、勾践よ、会稽の恥を忘れたか、馬を世話した苦しみを忘れたか、糞を嘗めた恥を忘れたかと叫ばせよう。心の中で、大敵に報いることつねに念おう。大夫はどう思う。

(范蠡、文種)それならば、万民も、社稷も大いに幸せにございまする。

(越王勾践)

いかんともせんすべはなし

深き恥辱は車にも載せがたし

后よ

心を労して

歓楽を貪るなかれ

(王妃)

大王さま

かならずや

霧は散り、雲は飛び

海の日はしらじらと万里を照らさん

(合唱)

凱歌を奏し

月殿と雲階に万歳を山呼せん

(范蠡)

東海に名を挙げて

土くれを飛び越ゆるかのごとく

呉の宮殿を踏みしだくべし

(文種)

悲憤せり

必ずや剣に仗り、長駆すべし

三呉に勝利し、帰り来ん

(合唱。文種)申し上げます。五色は人の目を眩ますと聞いております。それ故に、妙なる歌舞は、人を害する(なかだち)で、蛾眉と皓歯は、生命を損なう斧でございます。計略でございまするが、美女を選んで、呉王に献じることにしましょう。一つには、帰順の心を示すため、二つには、呉王の荒淫の心を動かすためです。奸臣は用いられ、忠臣は疑われ、かの国は日々に衰えましょう。我が国は坐して変化を観察しましょう。わたくしの考えでは、これが上策にございます。

(越王勾践)大夫の策はとても良い、しかし佳人は得難いものだ。どうしよう。

(范蠡)一人の娘が山中におりまする。あでやかさは群を抜き、天下にもまれなるもの。わたくしと結婚を約しましたが、いまだ娶っておりませぬ。お使いになるのでしたら、今すぐ献上いたしましょう。

(越王勾践)結婚してはいなくとも、すでにそなたの妻だから、恐らくは無理であろうぞ。

(范蠡)わたくしは、天下のためにする者は、家をも顧みぬものと聞いております。未婚の娘にございますれば、お気遣いご無用でございます。

(文種)王さま、他にも人を遣わして、村ごとに十人を精選し、麗しい娘がいれば、すみやかに召し、求めても得られぬ時は、范大夫どのと婚約した娘を召せば、それで宜しゅうございましょう。

(越王勾践)それもよかろう。

(越王勾践、王妃)

傾国の美女を求めて

送らば人は堕落せん

昼夜の荒淫、節度なく

奸佞は用ゐられ、忠良は災禍を受くべし

(范蠡、文種)

か細き腰に翠の帯

高き髻 金釵に酔はば

必ずや呉は滅ぶべし

なんぢとともに姑蘇百尺の(うてな)に登らん。

 

四方に威光を施して名声は広まれり

海内にあまねく徳を施せり

(越王勾践、王妃)

その時に始めて信ず 江東に棟梁の人材ありと。

(越王勾践)江東の要害の地に雄図を立てり

(王妃)三年間 遙か呉の地に囚はれたるを忘るるなかれ

(范蠡)今晩は廟堂に妙策を述べ

(文種)何れの年にか 大いに笑ひて姑蘇に登らん

 

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]原文「稍展前春眉黛」。「前春眉黛」がよく分からぬ。昨年は囚われの身だったので眉を顰めていたが、その憂いも今年になってやや解けたとの意か。

[2]乾坤は天地万物。ここでは越の国をいうものと思われる。

[3]原文「股肱怠惰笑非才、羞称庶事康哉」。股肱の臣である私は怠惰であり、その非才は笑うべきもの。万事安泰などというのは恥ずかしい、の意。『書』益稷「股肱良哉、庶事康哉」−股肱の臣がよければ、万事安泰−を踏まえる。

[4]溝渠は溝壑に同じいと思われる。溝壑は死体を棄てる場所。

[5]原文「夫差棄而不用」。未詳。とりあえず、上のように訳す。

[6]原文「肯坐観成敗」。成敗は興廃に同じ。現在は呉が盛んで、越は衰えているがこのままでは済まさない、の意。

[7]原文「東南伏漏石竇」。漏石竇は『呉越春秋』にも見える言葉だが、どのようなものなのかは未詳。ちなみに、石竇は石穴をいう。

 

 

 

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