第十八齣 得赦(許しを受ける)

(宦官が登場)

昨晩(きそのよ)天街(みやこおほじ)(くだかけ)が夙に鳴き、

朝早く禁門に赦免の文を降されり。

すでに見る、九泉[1]に白日明るく、

(りくかく)[2]の青雲に飛びたるを[3]

わしは呉の内監[4]だ。昨日は大王さまの命を受けたぞ。一切の軍民たちの、ご即位の後のもの、ご快癒の前のもの、すでに発覚したるもの、発覚せざるもの、すでに結審したるもの、いまだ結審せざるものなど、犯せし罪は、すべて許さんとの仰せ。我が輩をして国内に告げ知らしむ。まさにこれ君臣はすでに喜び、草木も等しく雨露の恩を受く。

(退場。呉王夫差、伍子胥、伯嚭が登場)

離宮にて病に臥し

花の咲き萎むを見たり

(伍子胥)

丹心はなほ篤けれど

歳月の去りゆくをいかんせん

(伯嚭)

珠翠の人は舞ひ歌ひ

朝な夕なの風月をいかでか徒に過ごすべき

(合唱)

新たに詔を受け万民は赦免せられぬ

(呉王夫差)このわしは病に臥すこと三ヶ月。幸いに病は癒えり。上は天地祖宗のご加護により、下は軍臣、人民の援助に頼れり。軍民の犯したるすべての罪は、これを許さん。

(伍子胥、伯嚭)王さまの千載をお祈りせん。

(呉王夫差)越王はこのわしに帰順すること三年にして、平素に倍する労苦あり。一人だけ許すといえば勾践を許すべし。今日中に殿中で酒宴を開き、北面の座を与え、送りて故郷に帰らしめん。大夫たちよ、客人に対する礼でもてなすべし。粗略にしてはならぬぞよ。

(伍子胥)それは違っておりまする。勾践は内には悪い心を抱いておりますが、表では謙虚な顔をしておりまする。陥穽に囚われた虎狼のように、無理に懐いた振りをしておりまする。今すぐ誅殺なさらずに、大いなる恩を施し、彼奴を自由になさるのならば、人を食らうは必定でございます。

(呉王夫差)三ヶ月病気をしたが、お前は慰めの言葉をすこしもかけてくれなんだ。これはおまえが不忠だということだ。お前は一つも良いものを送ってはくれなんだ。これはおまえが不仁だということだ。人臣でありながら不忠、不仁。お前など必要ないぞ。越王は楚の土地を棄て、千里の彼方に帰順した。その財貨をば献上し、自らも奴婢となったは、忠というもの。わしが病めば、糞を嘗め、怨むことなく、孝順の情の多かったのは、仁というもの。お前は自身を省みず、善人を誅殺しようとしておるぞ。憎らしいわい、憎らしいわい。

(伍子胥)わたくしは虎狼は攻撃するときに、その身を屈むと聞いております。勾践は悪事を企んでいるために、従順な振りをして、王さまの糞を嘗めしも、その実は王さまの心臓を食らわんとしておりまする。わたくしは死を求めたりはいたしませぬ。先王さまに背くことになるからでございます。ひとたび社稷が潰えれば、後悔したとてもはや手遅れ。

(伯嚭)あなたは自分を責めないで、他人を責めてばかりいる。越王さまが糞を嘗めしを、真似することがおできになるのか?

(呉王夫差)太宰の言うことはもっともだ。お前の意見は決して聴かぬ。これ以上余計なことを申すでないぞ。

(伍子胥は長嘆息する)もう駄目だ。明月にわたしの心を捧げようとしたが、泥溝に照る明月だとは知らなんだ。

(退場、伯嚭)伍員めは外見はただただ乱暴、心には忠誠を欠いております。自らを羞じ、席を離れて宮殿を出ていってしまいましたぞ。

(呉王夫差)太宰よ。わしもあの老いぼれが憎くてたまらぬ。このごろ斉、魯が不穏だから、使いをたてて、あの老いぼれを行かせよう。ここでうるさくされなくて済むからな。太宰よ、命令を下すのだ。すぐに越王と夫人を呼び、范蠡大夫と連れだって宴席に赴くように伝えるのだ。

(伯嚭が命令を伝える。越王勾践、王妃、范蠡が登場。越王勾践)

天子の恩は行き渡る

幸ひに本日をもて赦免され

縄目を解かれり

(王妃)

宮殿に登るは恥づかし

笙の音は聴くも懶し

今もなほ異国にて臣、妾と称したり

(范蠡)

神さまの御計らひにて興と廃とは入れ替はるべし

笑ふべし豪傑の数年で倒るるを

(合唱)

今日の山河(やまかは)

どなたかの宮居なりけむ

(人々が報告する)越王が夫人と陪臣を引き連れて参上いたしました。

(呉王夫差)呼び入れよ。

(越王勾践、王妃、范蠡が中に入り平伏する)賎臣勾践、大王さまの大いなるご恩により、宴席にご一緒させていただきます。喜びに堪えませぬ。おそれ多いことでございまする。

(呉王夫差)わしは貴殿が糞を嘗めたる恩に感じて、日夜気にかけていたのだ。今日は端午の節句だから、前殿に宴を設け、蛇門の外に祖帳を設け、貴殿が国に帰るを送らん。時を経るとも忘るるなかれ。

(越王勾践)わたくしを生みたるは父母なれど、わたくしを育みたるは大王さま。ご恩に背くことあらば、天地に誅せられましょう。大王さまの千載千載千千載をお祈りせん。

(呉王夫差)ともに飲むべし。酒をもて。

(呉王夫差が酒を運ぶ。越王勾践、王妃、范蠡が跪いて受ける。呉王夫差)

宴席に玳瑁の筵は連なり

殿閣に風は吹き、暑気は散ぜり

今日のこの酒は

何すとて設けられたる

忘るるなかれ 本日 呉より辞したることを

忘るるなかれ その昔 会稽山に隠れしことを

(合唱)

君を送れば酩酊し泥酔すべし

太平の佳節を(あだ)にすべからず

(越王勾践が酒を運ぶ)

わたくしは別るるに得忍びず

振り向きて依依として宮闕(みやゐ)を恋へり

罪は深きも

あつといふ間に雪がれり

北海の如きご恩を受けたれば

南山のごと長生きをなされんことをお祈りせん

(合唱。王妃が酒をもってくる)

珠翠はすつかりゐなくなり

空しく残すは翠裙褶

いかんせん別れの情の尽きざるを

涙の珠は血となれり

もともとは暑さを避けし北地の賓鴻(かりがね)

風に乗り、去りゆきて、ふたたび東の蝴蝶とならん

(合唱。范蠡が酒をもってくる)

帰ればますます悲しかるべし

生きても死しても深きご恩に報ゆべし

亡びし国を再興せられし諸侯はをらず

ともに風をし受けたれば、(きざはし)の芝蘭とならん

ともに露をし受けたれば、塀を隔つる枝や葉と思しめさるな[5]

(合唱。伯嚭)

今日よりは

今日よりは軍装を片付けて

これよりは

これよりは戦の思ひを棄てよかし

旅せられんとも

ご恩を忘れず

忠義を尽くし

毎年の貢物をし

しばしも絶やすことなかれ

(呉王夫差)太宰よ。命令を下すのだ。越王に鸞輿と法駕[6]、楽隊と旗指物を与うべし。このわしは百官とともに祖帳し、蛇門の外まで送ろうぞ。

(合唱)

城じゆうは賑やかに

笙の音は満ち、喜びは溢れたり

鸞車に雑踏

香塵は絶え

十里の紅楼

珠簾を掲げり

越王は嬉しげで

夫人の顔は美しく

范大夫こそ豪傑なれとみな言へり

(伯嚭)王さまに申し上げます。もう蛇門の外でございまする。

(呉王夫差)とまれ。貴殿を送り故郷に錦を飾らしめん。今しがた言いしことをば忘るるなかれ。

(越王勾践、王妃、范蠡が平伏する)ご恩に背くことあらば、天と地に誅されん。大王さまの千載千載千千載をお祈りせん。

(呉王夫差が越王勾践の手を引き、車に乗せ、越王勾践、王妃、范蠡が退場する。呉王夫差)命令を下すのだ。宮殿に帰るぞよ。

(合唱)

旗は並びて

旗は並びて

みな言へり、重なりあへる雲なりと

提灯は連なりて

提灯は連なりて

星星が明滅せるかと見まがへり

帰り道くねくねとして

帰り道くねくねとして

景色は格別

景色は格別

千門の羅綺[7]

九逵[8]の風月[9]

(呉王夫差)

気は空を呑む真の豪傑。

(伯嚭)

誰か我が高き勲に得勝(えまさ)らん

(合唱)桓文[10]が甦へるとも及ぶまじ

(呉王夫差)花の(あはひ)を通り過ぎ、禁中を出で[11]

(伯嚭)笙の音は合歓宮にぞ入れるなる

(合唱)試みに見よ今夜千門の中

一筋の銀河には星ぞ巡れる

最終更新日:2010119

浣紗記

中国文学

トップページ



[1]九泉は冥土のことを言うが、ここではその意味ではあるまい。獄舎のことと思われる。

[2]鳥をいう。

[3]前二句は、恩赦により罪人が獄舎から出されることを表現したもの。

[4]宦官。

[5]原文「我並含風既作当砌芝蘭、同受露莫認隔牆枝葉」。未詳だが、呉王に向かって、自分たちはともに王さまのご恩を受けたから、他人とは思わないで下さいということを述べたものと思われる。

[6] いずれも天子の乗り物をいう。

[7] うすぎぬとあやぎぬ。それで着飾った女性。

[8]都の大通り。

[9]清風明月。美しい夜の景色を言う。

[10]斉の桓公、晋の文公。ともに春秋時代の覇者。

[11]原文「蓮漏穿花出禁中」。「蓮漏」は未詳。

inserted by FC2 system