第十四齣 打囲(呉王夫差が狩りをする)

(呉王夫差、伯嚭が宮女、将校に扮した人々を率いて登場。合唱)

大刀と長弓と

江東に集まれり

車は流るる水のごと

馬は龍にぞ相似たる

江と山とを相望み

笙の音は香しき風を送りて

千本の軍旗は瑞雲(めでたきくも)を支へて

姑蘇台の高きところに錦は重なる

今晩は上宮に宿るべし

(伯嚭)立つのだ。わしは三呉を拠点とし、天下に雄飛す。天子の下ではわしが一番。諸侯には並ぶものなし。光陰は幾ばくもなし。天下の山河も役にはたたず。富貴はすでにきはまれり。歓楽を今求めずしていつ求むべき。本日は晴れて穏やか。季節は晩春。大勢の侍女たちを連れ、将校を引き連れて、都城の内へ外へと行かん。水郷に山村に、柳と花を訪ぬべし。歌舞するものは歌舞をして、狩りするものは狩りをせん。ひとしきり楽しめば、いかばかりよきことか。これぞまさしく、旗や幟は地を圧し、夜は明けて、春風に酔ふ。将校たちよ、この先はいずこぞ。

(人々)この先は錦帆、百花洲でございまする。

(呉王夫差)命令を下すのだ。しばしの間馬を止め、木蘭の船に乗り、錦帆、百花洲へと赴かん。

(宮女たち)

錦の帆を揚げ

象牙の帆柱 動かして

百花洲には

清き波立つ

木蘭の船を渡らせ

万の紫 千の紅

花枝を動かして 蝶と蜂 狂ほしく飛ぶ

(合唱)ああ。眺むれば前と後ろで押し合ひし

喜びの心はうまき酒のごと

花を求めて行き来せり

行き来して春風の中をあまねく歩きたり

(呉王夫差、伯嚭、人々)

江のほとりと水郷に行き

花の谷川

柳の池によぎりたり

彩鷁[1]は波のまにまに放たれて

とんとんと太鼓は鳴りて

一双の鴛鴦(をし)が飛び立つ

清らなる波に戯れ

漣に浮かびたるなり

青き山 幾筋も

緑の波はさまざまに姿を変へぬ

はろばろとまたはろばろと

春風にのる木蘭の櫂

蓮摘みの歌をうたへり

蓮摘みの歌をうたへり

(呉王夫差)将校たちよ。この前方はいずこぞ。

(人々)闘鶏坡、走狗塘にございまする。

(呉王夫差)号令を下すのだ。今しばし木蘭の舟に留まり、ふたたび馬に跨って、闘鶏坡、走狗塘にゆくとしようぞ。

(宮女たち)

闘鶏坡にて 弓と刀を聳やかし

走狗塘にて 鬨の声をば轟かす

軽き(きう)をば身につけて

軽き(きう)をば身につけて

花の帽子[2]はもこもこと

黒馬は金の鞭

玉の手綱を輝かす。

(合唱。呉王夫差、伯嚭、人々)

騎馬隊は整然とうち並び

歩兵はびつしり集ひたり

旗竿を西郊にうち並べ

紅の薄絹、刺繍(ぬひとり)の傘

王さまのとく来たまふを待ち望む

滾龍袍、黄金帯

数千人がお辞儀して

数千人が喝采す

道を開けまた道を開け

がやがやと江海を覆せるが如きなり

江海を覆せるが如きなり

犬、鷹はいづれも疾し

犬、鷹はいづれも疾し。

(呉王夫差)この前方はいずこぞ。

(人々)前方は姑蘇台にございまする。

(呉王夫差)号令を下すのだ。これから姑蘇台へゆくぞよ。

(宮女たち)

姑蘇台に雲は浮かびて

浣花池に泉は清し

湖は光り輝き

湖は光り輝き

白波は天に翻る

広々として魚と龍が出没す

(合唱。人々)もう姑蘇台についたぞ。大王さま、台にお登り下さいまし。

(呉王夫差)太湖は実にすばらしい。丸々として三万六千頃。重なりあうのは七十二峰。ほんとうに雄大な景色だわい。太宰よ、あの山は何というのじゃ。

(伯嚭)洞庭山にございまする。

(呉王夫差)あの山は何というのじゃ。

(伯嚭)穹窿山にございまする。

(呉王夫差)あの山の麓は何というのじゃ。

(伯嚭)馬を養う石室にございまする。

(呉王夫差)石室で、真中に座っておるのは何者じゃ。

(伯嚭)越王勾践にございまする。

(呉王夫差)右側に端座しているのは誰じゃ。

(伯嚭)勾践の夫人にございまする。

(呉王夫差)左側に恭しく立っているのは何者じゃ。

(伯嚭)大夫の范蠡にございまする。

(呉王夫差)勾践は小国の君主に過ぎず、夫人は裙釵[3]の女に過ぎず、范蠡は一介の草莽の士にすぎず。困窮したれど、君臣と夫婦の儀をば失はざるは、まことに憐れむべきことぞ。まことに尊ぶべきことぞ。この地にて拘留すること、すでに二年になりたれば、奴らを許してやるとせん。太宰よ、お前の意見は。

(伯嚭)王さまは聖王の心をもたれ、困窮の士を憐れと思しめされたり。王さまの千載をお祈りいたさん。

(呉王夫差)

江南で 尊きは我のみぞ

気は空を凌ぎ湖海を飲み込めり

威光は四海に輝きて 名声は盛んとなるべし

(人々が合唱)

豪の者、勇しき者

楚の人も、秦の人も

世の半分は帰順せり

みすぼらしきその体

小さき海のほとりの国

小国の王、小国の王

君臣夫妻は恭順す

恭順す

奴らを帰らせ恩徳を与ふべきなり

奴らを帰らせ恩徳を与ふべきなり

(呉王夫差)すでに日も暮れたから、都には帰らずに、姑蘇台に赴こう。太宰よ。お前はみなと一緒に帳房に行き、休むがよいぞ。(伯嚭が返事をする)笙の音は中庭へ帰りゆき、灯火(ともしび)楼台(うてな)を下れり。

(退場。宮女たちが呉王夫差の介添えをする。呉王夫差)洞房の奥深いところに連れていってくれ。銷金の帳の(うち)にて、羊羔の美酒をちびちびと注ぎ、低く歌って、ひとしきり楽しく集えば、いかばかり楽しいことか。

(宮女たち)

寵する女官は貫魚[4]の如く

繍幃の中にて鸞鳳に倣ひたるなり

泥酔し、泥酔し

翠と紅に寄り添へり

暮れの太鼓に明けの鐘

(合唱)

(呉王夫差)春の行楽 遨遊し

(宮女)姑蘇台の最上階に登りたり

(宮女)宴果つれば、争ひて君を扶けて、(うすぎぬ)の帳に入らしめ

(合唱)明月の西楼に沈むとも構ふことなし

 

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]彩色された船。鷁は鷁首の舟のこと。

[2]原文「花帽」。後ろにある「もこもこ(蒙茸)」という形容から、花の形の飾りがついた帽子と思われるが未詳。

[3]布裙荊釵の略。粗末な服装をいう。

[4]貫き並べた魚。

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