第十三齣 養馬(越王たちが馬の世話をする)

(石室官、p隷[1]が登場。石室官)

馬を世話する二人の囚人

綺麗な女を連れてゐる

朝な朝なに馬糞の中に腰を掛く

おいこら

馬が痩せたら殴つてやるぞ

(p隷)

わしの上司は際限もなく

お金を掴むことのみを愛したり

上司に知られんことを恐れず

おいこら

p隷が出てきたら、ただごとではすまされまいぞ。

(p隷)叩頭いたしまする。

(石室官)起き上がるのだ。このわしはほかでもない、呉の国の石室を管理する役人じゃ。先日、お上が石室で馬の世話をさせるため、囚人二人と、その妻を送ってきた。p隷よ。奴らはどうして今になってもこのわしに会いにこぬのじゃ。

(p隷)はい。先日二人の男子、一人の女房が送られてまいりましたが、いずれも風采が立派で、わたしには目もくれないのでございます。

(石室官) ここに来る罪人は、幾らかの賄賂を送ってくるものじゃが、会いに来ぬうえ、土産ももってこないとは、実に腹立たしきことじゃ。

(p隷)捕らえて連れてまいりましょう。

(石室官)しばし待て。その女の器量はどうだ。

(p隷)ほんとうに美しうございまする。

(石室官)普通なら一人の男に一人の妻だ。二人の男が一人の女を連れてくるとは。

(p隷)どちらかがもう一人に荷物担ぎをさせてきたのでございましょう。

(石室官)旅路ではどのようにしてきたのだ。

(p隷)道々みんなで良い思いをしてまいりました。[2]

(石室官)p隷よ。その女房を、二人の手から取り上げよ。わしへの賄賂とすることにしよう。

(p隷)彼らが承知せぬときはどういたしましょう。

(石室官)承知せぬなら、獄に下して懲らしめてやる。やつらが天に上れるわけでもあるまいからな。

(p隷)おっしゃるとおりで。やつらのいるところへ行けば、みんな頭を下げますからね。

怨みは天に訴ふべし

いかんせん蒼天はなほも遠きを

(王妃)

衣服を着るもままならず

恥じらひを顔に浮かべて

(ゆふべ)には苦労して馬を世話せり

(范蠡)お后さま、怨みはいつか晴れましょう。

(王妃)大王さま、ごきげんよう。

(越王勾践)后よ、挨拶は抜きだ。

(范蠡)お后さま、参上いたしました。

(越王勾践、王妃)大夫よ、挨拶は抜きだ。

(越王勾践)恥を忍ぶはいづれの時にか終はるべき、恨みの念はいくばくぞ。

(王妃)白雲は江東に飛び去りて、夕日の中で故郷を振り返るに堪へず。

(越王勾践)彫刻をせし(おばしま)に、玉の(きざはし)なほあれど、紅き(かんばせ)衰へり。

(范蠡)王さまにお尋ねします。ほかにも多くの愁えはおありでしょうか。これぞまさしく東に流るる長江の春の水。

(越王勾践)そのかみは越国の主となるも、今や呉国の奴隷となれり。軒冕を取り、樵頭[3]を着く。冠裳を去り、犢鼻を着けり。かくなる汚辱を受けたれば、人であるとはいはれまじ。

(范蠡)お答へいたさん。成湯は夏台にて幽閉せられ、文王は羑里にて捕らへられたり。興廃は運命なりといはれども、その実は人によるもの。それゆゑに成湯は桀に取り入り、みづからを傷付けしことはなかりき。文王は紂に気に入られ、困窮したることぞなき。思んみますに、夫差は古の桀紂にして、王さまは今日(こんにち)の湯文ならん。

(王妃)大王さまは千乗の君なるも、命は鴻毛より軽く、危ふき命を、虎口に寄せり。滅びんとする越国を、興らんとする殷周となさしめんとは、なんと迂遠な物言ひぞ。

(范蠡)お后さま。聖王は、ひたすらに恥辱を忍び、国を省み、徳を修めて、最後には暴虐を討つものと聞いております。天文を観測し、地気を観察しましたところ、敵国ははじめ栄えて、わが国は汚辱を受けているものの、やがてはこちらが覇者となり、敵国は滅びましょうぞ。王さまは今は危ない目に遭ってらっしゃいますが、自由をば得られる機会もございましょう。呉王は盛んであるものの、滅亡の兆しがあります。何卒ご自愛召されませ。

(石室官、p隷が登場。石室官)p隷よ。あの三人の囚人を呼んでまいれ。

(p隷)お前たち、お呼びだぞ。

(越王勾践)お前らに会ったりはせぬ。

(p隷)お前らに会ったりはせぬと申しております。

(石室官)なんと無礼な。

(p隷)お怒りになられますな。人から賄賂を取るときは、ゆるゆると振舞わなければなりませぬ。三人に百頭の馬を養わせ、馬が痩せればぶん殴り、汚れればぶん殴り、育たねばまたぶん殴れば宜しいでしょう。多くの苦労に耐えかねて、必ずや品物を贈ってまいることでしょう。

(石室官)それもそうだな。わしに代わって命令してくれ。

(p隷が話す。石室官、p隷が退場、越王勾践)

やせ衰へて生くるも難きその姿

人に会ふのもいと恥ずかしや

飛び跳ねてなかなか懐かぬばか馬に

苦しく辛き労役あり

このわしも一国の王

平素は猛き心をもてど

捕はれてこの地に至り

一朝にして肩書きを失ひて

奴隷となりて

他人のために馬を養ふ

あな悲し

まもなくわが身は異郷の地にぞ(ほふ)られん

おそらくは

遊魂となり、故郷に帰るほかはなからん

(石室官、p隷が登場)どうして馬が数日で痩せてしまったのだ。殴れ、殴れ。まあいいか。今回は許してやろう。

(退場。王妃)

ぽろぽろと涙は落ちて

恥らへる新参の奴婢

病み衰へていまだ死せざるこの骸骨(からだ)

長々と生くるも辛きこの歳月(としつき)

運命は奇なるもの

存亡はあらかじめ知るべうもなし

雲は故国に連なるも

ここよりは千里なるべし

宮殿は荒れ

人民は疲弊せり

朦朧と

夢の中にて海のほとりに飛びゆかん

徘徊し

環佩はいづれの年にか月下に帰らん

(石室官、p隷が登場)この囚人め。数日で馬がますます汚れているのはどういうことだ。殴れ、殴れ。まあいいか。もう一度許してやろう。

(退場。范蠡)

過ぎたることは争ふすべなく

将来の興廃はしかとは知れず

思ひがけなき災をなどか逃れん

目前の苦労もすべて運命(さだめ)によるもの

成功か失敗か

天の心はいまだ知られず

忍耐し

しばし苦しみに耐へたれば

運の開けて雄飛する日もありつべし

青萍は

蕭蕭と匣の底にて幾夜も鳴れり

功名は

成就せず両鬢に星が混じれり

(石室官、p隷が登場)この囚人め。数日がたったのに馬が育たぬのはなぜだ。p隷よ。連れてまいれ。

(p隷が話をする。石室官)どこの世界にお前らのようなろくでもない奴、恥を知らない女がいるともうすのだ。少しも礼物を送らず、一銭の賄賂さえ送らないとは。紹興の者なのだから、産物もたくさんあろう。揀跳、海[毛皮]を少しはもってくるがよい。

(p隷)揀跳、海[毛皮]とは何でございましょうか。

(石室官)知らんのか。揀跳とはの干物のことじゃ。海[毛皮]とは殻菜[4]のことじゃ。今はお前を殴らぬが、p隷よ、馬糞をすべてあの女にぶっ掛けるがよい。

(越王勾践)この犬畜生。勝手なことは許さぬぞ。

(石室官)それならば一晩で、金を用意して下され[5]

(p隷)わたくしは油代とてございませぬ。明日わたくしにお分け下さい。

(石室官)こら。まだ貰ってもいないのに、慌ておって。p隷よ。あの女を奥へ連れていけ。

(越王勾践、范蠡が女を奪う。堂候官が登場)殿さまの命を受け、石室にあたふたとやってくる。石室を管理する方はどちらに。

(石室官が出てきて返事をする)どちらから、こられたお方で。

(堂候官)太宰さまより遣わされ、越王さまにお仕え申し上げる者じゃ。

(石室官)どなたが越王さまでしょう。

(p隷)樵頭、犢鼻をつけてらっしゃるお方です。先ほどあなたがいたぶっていたお方です。

(石室官)犬畜生め。どうしてずっと隠していたのだ。ああ。どうしたらいいだろう。

(石室官が中に入り、報告する)表に親戚が会いにきておるぞ。

(越王勾践)この地に親戚などはおらんぞ。

(堂候官が中に入り跪く。石室官、p隷が後に随い跪き、びくびくする。堂候官)大王さま、お后さま、太宰府の堂候官が叩頭をいたします。

(越王勾践、王妃)立たれよ。お尋ねするが、こちらへ何をしに来られたか。

(堂候官)太宰さまの使者にございます。太宰さまは大王さまにくれぐれも宜しく申しておりました。みずからも会いに来ようとしましたが、厄介ごとが起こるやもしれませぬので、わたくしを遣わしてささやかな贈り物を差し上げるのでございます。

(越王勾践、王妃が跪いて受け取る)結構なものを有り難う。

(堂候官)太宰さまは大王さまにくれぐれもよろしく申しておりました。あらゆることに耐えられれば、きっとよき日がまいりましょうぞ。

(越王勾践、王妃)天と地の大恩に、生きても死んでもお報いしよう。太宰どのに一つだけどうかお伝え願いたい。石室を管理する役人は金子をせびり、毎日こちらで騒いでおります。その上、后をこっぴどく辱めました。

(堂候官)身のほど知らずの犬畜生め。帰ったら太宰さまに申し上げ、首をちょん切ってやる。

(石室官)申し訳ございませぬ。これからは気をつけますから。

(越王勾践、王妃)それならば、話しはなさらず、こいつらをお許しください。

(堂候官が石室官、p隷を怒鳴りつけ、先に退場。越王勾践)戻られたら、太宰さまにどうかよろしく。ふたたび故郷に帰りゆき、命があれば越国の半分をお分けしましょう。命がなければ草を結んで環を銜えましょう[6]。もしも嘘なら、天地がわたしを誅するでしょう。

(范蠡)もうひとつ太宰どのにお伝えください。これ以上の礼物は必要ない、重大な事件があったら、知らせてくれと。

(堂候官)謹んで承ります。それでは失礼いたします。

(越王勾践)さすらひて目を挙ぐれども親戚(うから)なし。

(王妃)今もなほ滞在し、この身を寄せり。

(范蠡)いづれの日にか驊騮[7]に乗りて道を開け、

(堂候官)この風塵を飛び出づることを見ん。

 

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]黒服を着けた下役。

[2]原文「路頭路悩、大家用用児」。義未詳。とりあえずこのように訳す。

[3] きこりがつける頭巾。

[4]未詳。

[5]原文「待老爺用了一夜、准了拝見銭罷」。わざとへりくだったものの言い方をしている。

[6]原文「結草啣環」。恩返しをするの意。「結草」は『春秋左氏伝』宣公十五年に見える言葉。晋の大夫魏武子に娘を助けられた老人が、魏武子と闘った杜回を、草を結んで躓かせ倒した故事にむ言葉。「啣環」は黄雀が自分を助けた楊宝に白環四つを与えた故事。『後漢書・楊震伝』の引く『続斉諧記・華陰黄雀』に見える故事。「宝年九歳、時至華陰山北、見一黄雀為鴟梟所搏、墜於樹下、為螻蟻所困、宝取之以帰、置巾箱中、唯食黄花百余日、毛羽成、乃飛去、其夜有黄衣童子、向宝再拝曰、我西王母使者、君仁愛救拯、実感成済、以白環四枚与宝、令君子孫潔白、位登三事、当如此環矣」。

[7]周穆王の持っていた八頭の駿馬の一つ。ここでは駿馬のこと。

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