第九齣 捧心(西施が胸を押さえる)

(旦が西施に扮し、胸を押さえて登場)

桃をあざむく(かんばせ)

柳のごとく細き腰

愁へと病に両の眉をぞ蹙めたる

春を傷むにあらざれば

何によりてか門を閉ぢ、床に臥したる

窓外に蜂の飛び

簷前に柳絮が飛ぶは見るも懶し

清明を過ぎて間もなき時ならん

 

春は終はれり

楊の花は径に満ち、春風は吹く

春風が吹きたれば

半ばは簾に降りかかり

半ばは流るる水に随ふ

君を思へば夢は遥かに、運命は定めなし

風のまにまに 千里の彼方へ赴かん

千里の彼方

長亭の馬の上

陽関の笛の音

わたくしは浣紗渓にてかの君に逢ひし後

そのご恩顧に感じ入り

かの渓紗をば贈りた

一月を経たれども

音信はたえてなし

放蕩息子が

役人の振りをしてゐたかも知れず

范蠡大夫が

わざわざからかひたるやも知れず

かの君を信じたしとは思へども

去る者の日々に離れて

見捨てらるるを恐れたり

必ずしも誠の心と限るまじ

あの方を信じまいとはするものの

誠の心と思はれて

言葉は今なほ耳にあり

必ずしも嘘であるとは限るまじ

近頃、呉越が戦ひて

会稽に至れるを聞く

干戈は乱れ

人々は逃ぐ

幸ひにこの谷は奥深く

人の(とぶら)ふこともなし

范大夫さまはこのために

時間がないのでございませう

年を経んとも

必ずや他の女には嫁ぐまじ

しかれども、寝返りを打ち、疑ひて

朝な夕なに憂へたり

(長嘆する)たちまちに、顔を合わせて誓いをし、胸一杯に別れの悲しみ。夜通し胸を痛めたために、恋の病に罹ってしまった。千条の恨みを抱き、両眉を顰めているが、寂しくて、悲しくて、まことに苦しい。

春風は寄る辺なし

春はまた逝く

良きことは成就せず

恋の病に悩みたり

髷は崩れて

胸を病み

美しさも消え

両の(まよね)を顰めたり

美しさをば見せつけて私通をせんとなさりしか

私を妓女と思ひしか

私を妓女と思ひしか

 

日もすがら心配すれど

音信はなく

好事魔多し

あつといふ間に時は過ぎ去り

事が成るのも成らぬのも

あの方次第

結末はいかなるものになるのやら

口先だけで信義なしとは限るまじ

さらに波風が起こりなば

嘘がまこととなる日もあらん

(くろ)(かささぎ)は橋に満ち、川を渡れと促せり

北の村には北威という娘がいる。女医だから、我が家の東施姉さんにお願いし、脈を診に来ていただきましょう。薬を幾つかいただいて、さらに手を打つこととしましょう。

谷川のほとりに慌ただしく逢ひて

はしなくも夜を徹して恋ひ慕ふ

胸の病を知りたくば

細き二本の眉を見よかし

 

最終更新日:2010119

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