第八齣 允降(呉王が越王の降伏を受け入れる)

(呉王夫差が将校たちを率いて登場)

海のほとりに兵を連れ

江のほとりで馬を養ふ

英名は天下無双で

錦帳の陣を列ねき

弓と刀は雲のごとくに集まりつ

小醜(ちび)どもは何といふ体たらく

三度(みたび)戦ひ、三度敗れ

会稽山に登りたり

まもなく妖気は清めらるべし

(いしぶみ)に名を刻み、国に帰らん

(人々)叩頭いたしまする。

(呉王夫差)立つがよい。

(人々が答える。呉王夫差)戦勝し、兵は留まる清海湾。愁雲の集ふところは会稽山。さらに飛将を促して、逃げし敵をば追撃すべし。江干に一頭の馬も帰るを得ざらしむべし。

わしは呉王夫差じゃ。越国の勾践をこの地まで追い掛けてきた。あにはからんや、敵は万策尽き果てて、五千の兵士をとどめおき、会稽山を固守しておる。一つは山の険しきがため、二つには草木に覆われ兵を呼び集めることができるため。十日以内に、勝つことができないならば、どうしたものか。諸大夫が来るのを待って、考えることとしようぞ。

(伯嚭が登場)

昨日は陣中で主君に会ふと約束し

朝早く起き、轅門に至りたり

(文種が登場)王さまが、我々が投降するのをお許しになられるならば、ご恩返しをいたしましょう。死んでも深いご恩に報いることにしましょう。

(伯嚭、末が会う。伯嚭)

文大夫どの、いつ来られましたかな。

(文種)長いこと太宰どのをお待ち申しておりました。

(伯嚭)文大夫どの、しばし待たれよ。このわしが先に行き報告をした後で、入られよ。

(人々が伯嚭が会いに来たことを知らせる。伯嚭)

王さま、伯嚭でござりまする。

(呉王夫差)太宰よ、挨拶は抜きだ。

(伯嚭)申し上げます。越王の勾践が家臣文種を遣わしてまいりました。陣中に数日待機しておりましたが、取り次ぎをする者もなく、参謁をすることができませなんだ。

(呉王夫差)おかしなことだ。勾践の奴、その者を遣わしてどうする気なのじゃ。

(伯嚭)両国は交戦しておりますが、使いの者を拒否することはございませぬ。とりあえず中に入れ、何を話すか見てみることといたしましょう。

(呉王夫差)まあよかろう。中に入れよ。

(人々)越国の使者が参謁いたしまする。

(文種は外から膝行して中に入り、頭を垂れる)

越国の家臣文種にございまする。

(呉王夫差が怒る)

勾践は無道な奴で、我が父を亡き者とした。わしは今回兵を率いてあやつを罪に問うつもりじゃ。命も危ういその時に、何の話をするつもりで、お前を遣わしてきたのだ。

(文種)東海の王勾践の悪行は極まれり。おん国の先王さまをたまたま殺めてしまいましたが、大王さまのご慈悲により、誅戮を免れしめば、恩徳に感謝して、(あした)も夕べも忘れることはございませぬ。大王さまはお怒りをお解きにならず、兵を率いて遠征をなさいましたが、もしもお嫌でないならば、盟約をいたしましょう。妻を引き連れ、陪臣を従えて、我が君は大王さまの家臣となりて、お后は大王さまの側室となりましょう。春と秋との進貢は、絶やすことはございませぬ。これはもとより主君より大王さまへの礼物なれど、本当は諸侯より大王さまへの礼物にして、このわたくしを遣わしてその旨をお伝え申し上げる次第。どうぞお受け取りくださいまし。

(呉王夫差)それはできんな。

(伯嚭)勾践は困り果て、使者を遣わし、哀願をしておりまする。お許しになられるならば、勾践の領地は君が領地となりましょう。江以北から、海の南まで、みな王さまの領地となりましょう。

(呉王夫差)太宰よ、わしは数年苦労して、十万の兵を率いて、敵国に深入りし、勝利は目前。事ここに至っては、軽々しく許すわけにはゆくまいぞ。

(文種)もう一度申し上げます。我が主君勾践は会稽山に隠れていますが、今なお千人あまりの子女と、一万の宝物を有しております。大王さまが哀れと思われ、お許しになられるならば、子女はみな王さまの宮廷にお送りしましょう。宝物もすべてお蔵にお送りしましょう。大王さまがお許しになられぬならば、子女を殺して、宝物を焼き、決死の覚悟の五千の兵を、十万の疲れ果てたる兵たちと戦わせましょう。そうすれば戦の勝敗も、予測するのは難しいことでしょう。

(呉王夫差)太宰よ、お前はどう思う。

(伯嚭)文種の言うことは、尤もらしく聞こえまする。王さまが越国を豊かになさることができれば、武功はすべて成就され、名声も天下に聞こえ、王さまに敬服しないものはないことでしょう。どうしても越国を滅ぼすとおっしゃられては、四海の諸侯は我が国を信じることなく、従うこともなくなりましょう。功あれど功なしとはこのことにござりまする。何卒お察しくださいまし。

(呉王夫差)そうはいっても、疑わしいし、納得もゆかないから、簡単に許すわけにはゆくまいぞ。

小さき島の囚はれ人は

会稽山に追ひ詰められぬ

孤立無援で絶体絶命

その昔侵略を受けしかば

今に至るも恨みは深し

逃げんとも

死ぬるは時間の問題ぞ

談笑し東穴[1]をしぞ平らげん

卑下をして

わざわざ哀願するには及ばず

 

(文種)あな苦しやな

願はくは君臣ともに面縛[2]

自ら妻子を引き連れて

大王さまの朝廷で心を込めてお仕へいたさん

毎年貢ぎ物をして

朝な夕なに奔走せん

あな悲しやな

我が君がお許しを得ば

深恩は幾年を経たるとも消ゆることなかるべし

大王さまには大度を持たれ

哀れと思ひたまへかし

(呉王夫差)それならば、しばらく兵を収めよう。十日以内に、君臣妻子を呉の朝廷に赴かせ、指示に従わしめよ。遅れることは許さぬぞ。

(文種)大王さま、ありがとうございます。

(外が登場)亡国が講和をするなど前代未聞。笳を鳴らし太鼓を撃ちて軍を返せり。丈夫(ますらお)の鵲印は辺境の月に揺れ、大将の龍旗は海辺の雲に靡けり[3]。王さまはもう陣中にお出ましぞ。中に入り、謁見すべし。

(人々が報告をする。外は中に入って謁見する。外)

王さま、伍員にござりまする。

(呉王夫差)相国よ、挨拶は抜きだ。

(伍子胥)こちらはどなたで。

(文種)越の家臣の文種じゃ。

(伍子胥)何をしに参ったのだ。

(伯嚭)主君勾践の命を受け、講和をするため参りました。先ほどはご主君さまよりご承諾いただきました。

(伍子胥)とんでもないこと。申し上げます。勾践は強暴にして、さんざん仇をなしましたが、今や万策尽き果てて、命も危ううございます。上天は越を呉に賜わろうとしています。この機を逃されてはなりませぬ。勾践の首級を呉国の宮門に掛け、先王さまの御霊に捧げることにしましょう。そうすれば初めて積年の恨みは雪がれ、天下の人の嘲りを解くことができましょう。このようなことをなさらず、講和をするのを許すとは。王さまらしくもございませぬ。

(伯嚭)申し上げます。わたくしは「旧悪を思うべからず、恨みをもつこと少なかるべし」と聞いております。そのかみ、晋の文公は宦官の言葉を信じ、袖を切った罪を許しました[4]。斉の桓公は管仲の知恵を用いて、矢を射られた恨みを忘れました[5]。疲弊した我が兵は越国に深入りし、その守りを打ち破り、馬を踊らせ、長駆して、越国の宗廟さえも破壊しました。越人の恨みを僅かなものにして、呉の国の恩情を十分に与えるべきにございます。君子は甚だしいことを求めないもの。越王をお許しになられませ。

(呉王夫差)太宰の言うことはもっともだ。

 

(伍子胥)王さまよ

惑はされてはなりませぬ

積年の深き恨みに

一朝にして報復し

我らが心は初めて晴れん

先王さまに越王の首級を献じて

宗廟の供物となさん

王さまよ

とくとく準備なされかし

ご覧あれ

江東も海西[6]も誼を通ぜり

天は呉に越国を賜ひたり

このやうな機会には、百年(ももとせ)()とも逢ひ難し

放つてをくは許されず

 

(伯嚭)相国どの

しつこいぞ

深山(みやま)の鳥は籠に入り

林の猿は檻に入る

さらに矢を射ることのあらめや

社稷も傾きたりければ

小さき恨みは解くに堪へたり

ゆきて見よ、会稽山は険しくて固く守るは易きこと

勝敗は予測しがたし

兵が疲弊し食糧が尽きしときには

必ずや我が軍に利こそなからめ

(伍子胥)王さま、伯嚭の言うことに、従われてはなりませぬ。

(呉王夫差)思ふに越王勾践は

すでに誠意を示したり

金を納めにやつてきて

たくさんの辺境の地を明け渡すべし

このわしが越国を滅ぼさずんば

諸侯は呉国の徳を仰がん

(文種が拝礼をし、天に感謝する)天よ。願わくは我が王さまの命の長からんことを。

(振り返って呉王夫差に拝礼する)南山のごと万年も、お命の尽くることなく、覇者となり、威光は四海に行き渡り、周室よりも栄えんことを。

(呉王夫差がこっそり文種に向かって)講和のことは、約束したぞ。反古にはせぬから、すぐに帰国し、急いで戻ってくるがよい。

(文種が叩頭する)それではお別れいたしまする。近日中に天顔を拝しましょう。

(伍子胥)王さま、勾践を許してはなりませぬ。

(伯嚭)王さま、約束を違えてはなりませぬ。

(伍子胥)悪党め。

近日中に誅滅せられん

九仭の山を造らんとして

一簣を()くとはこのことぞかし

労を惜しまば

事は敗れん

後に悔ゆるも手遅れぞかし

(伯嚭)偏屈め。いとも小さい弾丸の地が、大国の我が国にかなうはずがない。この者は年をとり、事情が分かっておりませぬ。

 

(呉王夫差)軍を返せと檄を飛ばせり

(伯嚭)見よ大将の軍旗の雲のはてに続くを

(伍子胥)あな惜しや、数年間、戦をししは無駄骨折りぞ

 

(呉王夫差)三軍は喜びて勢ひは雷のごと。

(伍子胥)海辺まで行軍せりとみな言へり。

(伯嚭)鞭を打ち、金の鐙を響かせて

(合唱)ともに凱歌を唱ひて帰る。

 

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]義未詳だが、禹穴のことと思われる。禹穴は会稽山にある、禹の生地といわれる場所。ここでは勾践が立てこもる会稽山のこと。

[2] みずから後ろ手に縛って、死の覚悟を表すこと。

[3]原文「丈夫鵲印搖辺月、大将龍旗掣海雲」。岑参『献封大夫破播仙凱歌』に同様の句が見える。鵲印は、本来漢の張が鵲の化石から得た金印をいうが、ここでは将軍の持つ印の意で使われている。

[4]晋の文公は即位前、宦官の勃鞮に斬りつけられ、袖を切られた。文公が勃鞮の罪を許した云々の典故は未詳。

[5]斉の桓公は即位前、管仲に矢を射掛けられ、帯金具に当てられたが、その後管仲を宰相として用いた。

[6] ともに江蘇省一帯をいう。

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