第四齣 伐越(呉が越を討つ)

(伍員が登場)

楚の国の亡命者[1]

呉の国に漂泊せしはいづれの年ぞ

思へば昔、江上に戦を避けて

蘆荻の中に身を潜め

父の恨みに報ゆるも、魂はいまだに還ることぞなき

君恩に報いんとする心は今なほ誠なり

今一度、山河を踏み越え

戦をやめん

十年(ととせ)の間、剣に頼りし心はいかに、荊城[2]の廃墟となるをこの目で見たり。秦国の援兵至れば、今もなほ包且[3]を恨めり。

わしは姓は伍、名は員、字は子胥、楚の国の者。腰の周りは十囲 身の丈は一丈、幼くして韜略を諳んじ、長じては典籍を習ひたり。志は霜より激しく。忠誠心は白日をも貫けり。叱咤すれば風雲も色を変じて、嘆息すれば山をも揺るがす。皇天后土も、中興の心をば見そなはし、名山と大川も、英豪の気を諒とせり。しかれども、雄図はいまだ遂げられず、侠気はいまだ除かれず、一飯の恩には必ず報いをし、僅かなる仇にも必ず報いをす。父兄(ちちあに)の深き恨みのあるゆゑに、墓中の人をも鞭打てり[4]。貞烈な大恩人、瀬中の(むすめ)に金を与へたり。昔は楚国の亡命者なりしかど、今は江左[5]の重臣となる。故国は千年、郢[6]の樹と雲の寂しき。万里の孤臣、さすらふは呉越の山河。いかんせん、勾践は暴虐をほしいままにし、さいはひにあらたに立ちし跡継ぎは兵士をぞ訓練したる。檇李の恥に報いんとして、会稽の山を撃たんと誓ひたり。とりあへず太宰伯嚭の来るを待たん。ともに主君の陣に行き、相談をせばいかばかりよきことやらん。

(伯嚭が登場)

自ら笑へり 堂々の六尺(りくせき)の体を持てど

狡き心は穿(こそどろ)に似る

三寸の舌を頼りにし

忠義の心はかけらももたず

わしは伯嚭じゃ。呉国にて太宰の職を拝命しておる。伍相国とともに陣中で主君に会うことを約したから、いっしょに行かずばなるまい。相国どの、ごきげんよう。

(伍子胥)太宰どの、ごきげんよう。陣地に参上することを約束したが、殿は陣地に来られましたか。

(伯嚭)轅門が大きく開いていますから、すでにお越しでございましょう。

(呉王が諸将とともに登場)

中興の覇業は天を飲み込めり

貔貅を擁し、長洲に狩をせり

いとも小さき遊魂と

弾丸[7]の小さき(かたき)[8]

日ならずして、鯨鯢[9]の奔るを見るべし

(人々)叩頭いたします。

(呉王夫差)立つがよい。

(人々が答える)

(呉王夫差)百尺の高き台は太湖に面し、(あした)には鐘を打ち、(ゆふべ)には(つづみ)を叩き、姑蘇に(うたげ)す。威光は輝く海外の三千国、江南の第一の都に拠れり。

わしは呉王夫差だ。太伯の余業を受け継ぎ、周の故封をよく守り、魚腸の剣[10]は三千本、水犀の師[11]は十万人。山を掘り、海を煮て、魚と塩に恵まれり。浚渫し、水路を通じ、商人の品物は豊かなり。日が暮れて四方には歌声と鐘の音、春風に靡くは千家の(はな)(やなぎ)。これぞまさしく並ぶは金釵十二行[12]。門辺には珠履[13]を穿きたる三千の客が盈ちたり。本日は陣に来れり。轅門へ謁見しに来りしは誰そ。

(人々が答える)相国さまと太宰さまでございます。

(伍子胥、伯嚭)伍員と伯嚭が参上いたしました。

(呉王夫差)相国よ、太宰よ、挨拶は抜きだ。

(伍子胥)申し上げます。越人勾践はわれらが先王さまを殺め、恨みは深くつもっており、仇はまだすすがれておりませぬ。今兵糧は整いましたから、精鋭を率い、この機に乗じて征伐せねばなりませぬ。

(呉王夫差)太宰はどう思う。

(伯嚭)申し上げます。王さまは即位され、人民を治められ、海甸[14]は平穏となり、戦争はやみました。朝にも晩にも楽しまれるのがお宜しく、兵を発するお暇などございませぬ。それに水陸を進むのはかなり困難、勝つか負けるかも分かりませぬ。わたくしの考えでは、まだ戦争をすべきではないものと存じまする。

(伍子胥)太宰どの、それは違う。父母の仇とは、ともに天を戴かぬもの。兄弟の敵に対しては、兵士を返すことはないもの。それに尊い王さまと、強き諸将の力に頼り、弱敵を粉砕すれば、真夏に春の氷を溶かすかのごとく、跡形もなくすることができましょう。疾風が秋の竹皮を巻き上げるように、敵の巣窟を攻撃し、敵の首領を殲滅するのが、どうして駄目だとおっしゃるのか。

(呉王夫差)それならば、将軍たちよ、明日は吉日、兵を調え、前進じゃ。

越王の海辺にて困窮するは笑ふべし

ゆゑもなく禍を招きたり

隣国で軍隊を弄び

辺境の守備はせず

こころみに見よ

(合唱)勾践の国を保つは難くして罪を逃るることはなし

自ら招きし罪なれば

たれをか怨まん。

(伯嚭)

太平の世に楽しく遊び

吉日に口を開きて笑ひたり

金屋[15]に春は生じて

銅溝[16]に月は満ちたり

歓楽を求むることなく

かへつて(うれへ)を招きたり

(合唱する。伍子胥)

人生でもつとも憎きは親の仇

恨みは残り、志をばいまだに遂ぐることぞなき

堂々とした大国は

恥に耐へたり

急ぎ伐つべし

ためらふことは許されず

(呉王夫差)猟々[17]たる軍旗は江関[18]を揺るがし

(伯嚭)進軍するは 千里の彼方 碧海湾

(伍子胥)こころみに見よ、鯨鯢は遠くへ逃げて

(合唱)まつすぐに会稽山へ登りたり

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]伍子胥は政争により、父と兄を殺され、楚から呉に逃れた。

[2]楚の都。

[3]楚の大臣。呉が楚に侵入した際、秦の援軍を得て呉を破った。

[4]伍子胥が父と兄を殺した楚の平王の墓を暴き、平王の屍をむち打ったことを言う。

[5]長江の東の地。すなわち呉のこと。

[6]楚の都。

[7]弾丸の地のこと。はじき玉のようにきわめて小さい土地をいう。

[8]上二句、義未詳。原文「[艸最]遊魂、弾丸小寇」。越王勾践を小人、越を小国と侮ったものか。

[9]雄鯨と雌鯨をいうが、悪人の代名詞。『春秋左氏伝』宣公十二年注「鯨鯢、大魚名、以喩不義之人呑食小国也」。

[10]宝剣の名。呉王闔廬が王僚を暗殺するときに用いたもの。

[11]水犀の皮で作った鎧をまとった兵士。『国語』越語「今夫差以水犀之甲者、億有三千」。

[12]金のかんざしを着けた十二列の美女。

[13]真珠で飾った靴。

[14]沿海の地。ここでは越のこと。

[15]金で飾り立てた家屋。

[16]呉王夫差の宮殿にあった銅で作った溝。『呉都記』「呉王於宮中作海霊館、館娃閣。銅溝玉檻、其楹皆以珠玉飾之」。

[17] ものの翻るさま。

[18]荊門山と虎牙山の間の地。楚の地。

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