第三齣 謀呉(越が呉への対策を練る)
(勾践と内官が登場)
聖禹[1]は国の基を開き
神工[2]は蹟を留めり
千年の王業はなほ存し
代々封土を受け継げり
呉越は江を隔てて分かる
春秋の末世に当たり
天子は遠く政令は紛々たり
隣国を見れば戦はまさに起こりて
東海に波臣は泣けり
縹渺たる海のほとりの孤城に住まひ
覇業は衰へあともなし
つとに伝へり宛委山[3]には瑞祥ありと
往年の金簡の書を身に帯びて
西のかた楚を阻み
北のかた呉に連なれり
いづれの年にか周室を輔佐したてまつり
東南に丈夫のあるを信ぜしむべき
(人々)叩頭いたしまする。
(勾践)わしは越王勾践じゃ。中原と遠く隔たり、東の涯に生い立ち、かたじけなくも人民の期待を受けて、もったいなくも封土をば授かっておる。神禹より先王に至るまで、四十余代。不穀[4]から夏后[5]まで、二千余年。文を用いて統治するのは難しいことではあるが、武を用い統治するのも易からぬこと。宗廟を受け継いで、辺境の守備をするのみ。はからずもここ数年来、呉の地には戦乱がうち続き、初めはこれを檇李[6]で撃って、さらには敵を姑蘇に破って、吾が臣霊浮[7]は戈を執りまっすぐ進み、敵の闔閭は指を傷つけ戦死した。もとより仲が悪かったため、怒りはますます深まった。跡継ぎの夫差は毎日長洲[8]で兵の訓練、勇将伍員は笠沢[9]に武功をたてた。寡の衆に向かうは難く、弱きが強きを防ぐのは難しい。あらかじめ謀略を立てないならば、強豪の侵略を招くであろう。幸いに后は詩礼をわきまえて、大夫の范蠡、文種は文と武に通じている。后が出てきたら、相談しよう。内侍たち、奥から后を呼んでまいれ。
(伯嚭)お后さま、おいで下さい。
(后が登場)
金井に轆轤は鳴りて
上苑に笙歌は亘る
簾外にたちまち聞くはお召しの声
あたふたと金蓮の歩みを早む
春がきて新たに挿すは翠雲釵、試みに見よ雲頭の靴[10]。王さまの返り見するを期待して、玉輦はゆるゆると金階をしぞ上りたる。王さま千歳。
(勾践)立つのだ。后よ、呉と越は交戦し、平安な年はほとんどない。折り入って相談だが、どうしたらよいだろう。
(后)とりあえず范、文の二大夫に来てもらいましょう。
(伯嚭)言葉も終わらぬそのうちに、二人の大夫が早くも来たぞ。
(范蠡が登場)
閫外に貔貅[11]は集ひ
(文種)殿上に鴛鷺[12]は並べり
(合唱)遙かに望めば狼煙は絶ゆることもなし
袞職[13]にありながら役に立てぬをいたく恥ぢたり。
(范蠡)私は姓は范、名は蠡、字は少伯ともうす。越国の上大夫を拝命しておる。
(文種)私は姓は文、名は種、字は子禽ともうす。越国の下大夫を拝命しておる。
(范蠡)文大夫どの。今日、殿は何の相談で、我らを召されたのでしょうか。
(文種)いっしょに参内いたしましょう。遅れることはなりませぬ。
(人々が報告する)范、文両大夫がまいりました。
(范蠡、文種)王さま、范蠡と文種が参内いたしました。
(勾践)二人とも、挨拶は抜きにせよ。お前たち、呉王は凶悪を恣にし、我が国を侵略し、越国に禍をもたらしておる。闔閭を傷つければ、それを恨んで戦をつづけ、二十余年に及ぶありさま。夫差は侵略を志し、こちらは敵を防ぐのに計略もない。尋ねるが、どうしたらよいだろう。
(范蠡、文種)強大でありながら、弱小なものに仕えますのは、運命を楽しむものです。弱小で強大なものに仕えますは、運命を畏れるものと聞いております。力を尽くし、大国に仕えることは、免れることのできぬもの。城を高くし、堀を深くし、死んでも去らず、仁を行い、徳を修めて、天命に従うまでです。
(后)本日は春の景色も穏やかで、狼煙も収まりましたから、特別に一杯の春酒を用意し、大王さまのお祝いをいたしましょう。憂鬱を解き放ち、歓楽を求めれば、いかほど楽しきことでしょう。
(酒を出す)
春風に鷓鴣は舞ひ
夕月に鸚鵡は歌へり
霞觴を挙げて万年の歓会をこひねがひ
宴を開く紫殿には千秋の樹木のあるなり
お祝ひをする紅楼に百子の図あり
(合唱)憂ふるなかれ
堂々とした廟謨[14]があれば
あつといふ間に軍を指揮して東呉をば滅ぼさん
(范蠡、文種が酒を献じる)
長江に軍艦はひしめきて
山に依り海を背にして割拠して
伯嚭に賄賂を贈りなば
伍胥を退却せしむるは容易なるべし。
(合唱)
(勾践)軍声に有と無を推測し
国勢に賓と主を予測せり[17]
金笳[20]を奏でて海に出でなば旗は風に裂け
(合唱)
(勾践)勝敗は兵家も予測しがたきことぞ
(后)男児は恥を忍ぶもの
(范蠡)江東の子弟には豪傑多く
(文種)巻き返しあるやも知れず
[1]禹のこと。越の開祖。
[2]禹王のした仕事。
[3]浙江省紹興県の山名。会稽山の支峰。
[4]王者の謙称。「不肖」に同じ。
[5]禹王のことをいう。禹ははじめ夏伯に封ぜられた。
[6]現在の浙江省嘉興。
[7]未詳。
[8]蘇州の地名。
[9]松江の別名。『春秋左氏伝』哀公十七年「越子伐呉、呉子禦之笠沢」。
[10] つま先に雲の飾りのついた靴。
[11]貔貅は猛獣の名。ここでは勇猛な軍隊のこと。
[12]文官を喩える。
[13]三公をいう。
[14]国家のはかりごと。
[15]海上の島に住むという黒い雉。『爾雅』注「如雉而黒、在海中山上」。
[16]見張りやぐら。
[17]原文「軍声定有無、国勢推賓主」。義未詳。軍声は戦に際して勝利を祈願して奏でる軍楽のこと。軍楽や国の勢いから勝敗を予測するとの意か。
[18]諸説あるが、蘇州周辺の地。ここでは呉のこと。
[19]小虎。
[20]金管楽器。
[21]璧玉のように美しい月。
[22]原文「金笳出海旗風破、錦帳移営璧月孤」。義未詳。