巻三十八 ともに誤認し莫大姐が駆け落ちすること ふたたび邂逅し楊二郎が元を取ること

  李は桃に代はりて僵れ[1]、羊は牛に易はりて死せり[2]

  世に冤罪のあることは、もつとも不易の(ことはり)ぞ。

 さて、宋の時代、南安府大庾県に吏典[3]の黄節というものがおり、妻李四娘を娶っていました。四娘は惚れっぽいたちで、幾人かの遊び人たちと知り合うのを好み、ひそかに交際しておりました。かつて黄節のために一子を生み、子供はすでに三歳になっていましたが、大人しくしようとはせず、ひたすら淫を貪っておりました。ある日、黄節は公務があったため、役所に十日ほど泊まりました。四娘は姓名の明らかでない間男と話を通じ、三歳の息子を連れていっしょに駆け落ちしました。城を門を出てまもなく、その息子は目の前の風景が見慣れないものでしたので、哭きやまなくなりました。四娘はとても困り、息子を草むらに棄て、間男とともに去りました。大庾県庁に下役の李三がおり、城外へ公務をしにゆこうとしていましたが、城門を出るとすぐに、草むらで子供が哭く声がしました。いそいで進み出て一見しますと、一人の子供が草むらの中で、大声で哭いていました。李三はそれを見ますと、とても可哀想に思いましたが、誰もかれを見にこず、両親もどこへ行ったか分かりませんでした。李三が走ってゆき、かれを抱きますと、その子は半日人を見ていなかったため、心が怯え、ひどく哭いていました。しかし人が近づいてきたのを見ますと、見慣れぬ顔ではあったものの、哭くのを我慢し、抱き上げられるのに任せました。そもそも李三には子供がありませんでしたので、それを見ると喜び−これも事件が起こる定めだったのでしょう。−天がかれに子供を賜うたのだと思い、すぐに抱いて家に戻りました。家人は子供の顔立ちが清げなのを見ますと、とても喜び、家で養い、実子だということにしました。

 さて黄節は役所を出ますと、家に戻ってゆきましたが、部屋はひっそり閑としており、妻は見えませんでした[4]。驚いて隣人に尋ねますと、多くのものが言いました。「押司さまが出てゆかれてまもなく、奥さんはすぐに坊ちゃんを抱いてどこかへ行ってしまわれました。門戸は閉ざされ、ひっそり閑としていましたので、わたしたちはどこぞやのご親戚の家へ行かれたものと思っていました。詳しいことは分かりません。」黄節は妻の四娘がすこしおかしいことはよく分かっておりましたので、慌ててあちこちの親戚の家を尋ねましたが、行方は知れませんでした。

黄節はやむなく貼り紙を書き、あちこち捜し、十貫銭を出して情報提供の謝礼にしようとしました。

 ある日、偶然城を出ること数里で、ちょうど李三の家の前を通り掛かりました。李三は拾ってきた息子を抱き、そこでかれと遊んでいる最中でした。黄節はじっくり見ますと、自分の息子だと分かりましたので、怒鳴って李三に尋ねました。「それはうちの倅だが、どうしてこちらで抱いている。うちの女房はどこへ行った。」李三は言いました。「この子はわたしが草地で拾ってきたもので、奥さんのことなどは存じません。」黄節は言いました。「うちの女房が失踪し、あまねく貼り紙してあることは、みな知っている。今、息子がおまえの処にいるのなら、きっとおまえが姦通し、法を犯し、うちの女房を誘拐、隠匿しているのだろう。弁明はできんぞ。」李三は言いました。「わたしは拾いましたので、そのようなことは存じません。」黄節が李三を掴み、不平を鳴らし、騒ぎますと地方や隣人が、大勢集まってきました。黄節が事情を告げますと、人々は言いました。「李三さんにはもともと息子がなく、抱いてきた時は本当に来歴不明で、押司さまのものだとは知らなかったのです。」黄節は言いました。「息子はこいつの処にいたが、うちの女房もいなくなっているから、こいつがいっしょにさらってきたのだ。」人々は言いました。「そのことはわたしたちには分かりません。」李三は慌てて言いました。「奥さんなど見ていません。あの日草地で、この子だけが哭いていましたので、家に抱いて戻ったのです。押司さまのお子さんである以上、わたしは不運を認め、お還ししましょう。どうしてさらに奥さんのことなどで言いがかりをつけるのです。」黄節は言いました。「馬鹿抜かせ。おまえに言いがかりをつけているだと。現に貼り紙が外にあるのだ。この悪党め、役所でおまえと話しをしよう。」人々に言いました。「すみませんが、皆さん、県庁に連れていってください。良家の子女が誘拐されました。あなたがた地方隣人の責任ですから、逃がさないでください。」李三は言いました。「わたしは何も疚しい事はしていません。いっしょにお役所に行けば、おのずと埒が明きましょうから、一生逃げはいたしません。」

 

 黄節は人々とともに李三を護送し、息子を抱き、まっすぐ県庁にやってきました。黄節は訴状を書き、上の事をすべて県知事に告げました。県知事は李三を審問しました。李三は「路で子供に遇い、抱いて帰ってきたのは事実ですが、ほかの事情は存じません」と言うばかりでした。県知事は言いました。「馬鹿を申せ。かれの家で二人の人間がいなくなったが、一人はおまえの家にいたのだ。もう一人はどこにいる。このように奸悪ならば、打たねば白状せんだろう。」そして李三を刑具に掛け、半殺しにしましたが[5]、白状しようとしませんでした。県庁には黄節のような吏典二十人あまりがおり、多くは吏典仲間の体面を守るため、一斉にやってきて跪き、県知事に言上し、きびしく取り調べることを求めました。県知事はさらに李三をきびしく打ちましたので、李三は我慢できず、やむなく無実の自白をしました。「家に子がなかったため、黄節の妻が子供を抱いているのを見ますと、連れてきて殺し、かれの息子を盗んで戻ってきたのです。このたび捕縛されましたから、死刑をお願いいたします。」県知事はさらに尋ねました。「屍骸は今どこにある。」李三は言いました。「人に見られるのを恐れ、(かわ)に棄てました。」県知事は供述を記録し、自供書を取り、罪に問い、死囚牢に下し、文書を扱う孔目に命じて自供書を作成させ、文書を作成しおわりますと、府庁に護送し、沙汰するのを待つばかりでした。孔目はさらに黄節のために李三の事件をいささかの抜かりもなく処理してやりました[6]。その時は紹興十九年八月二十九日でした。文書ができあがりますと、獄中から李三を引き出し、府庁に送りました。殺人の重罪犯でしたので、鐐肘(てかせ)[7]を掛け、木の枷を戴かせ、法廷に跪かせ、点呼と護送をひたすら待たせました。すると突然、陰雲が四方から押し寄せ、空中に雷電が次々に閃き、李三の体の枷と手錠はすべて脱け落ちました。霹靂の音がしますと、文書を扱う孔目は堂上で撃ち殺され、二十人あまりの吏典の頭上の吏巾[8]は、すべて雷風にさらってゆかれました。県知事は驚いて全身が顫えましたが、まもなく心が落ち着きましたので、孔目の亡骸を検視させたところ、背中に朱色で「李三獄冤(りさんはぬれぎぬ)」という四つの篆字が書かれていました。県知事が李三を呼んで尋ねようとした時、李三はまだぼんやりと立っており、まるで魂を失ったかのよう、呼ぶのを聴きますと、返事しました。県知事は尋ねました。「おまえの体の枷と手錠は、さきほどどのように解けたのだ。」李三は言いました。「わたくしは眼の前が真っ暗になり、まるで夢の中のよう、それ以外のことは何も覚えておりませぬ。体の枷と手錠がどうして脱けたかは分かりませぬ。」県知事はこの件が冤罪であることがはっきり分かりましたので、李三に尋ねました。「先日の子供は本当はどうしたのだ。」李三は言いました。「本当に誰が置いていったのかは存じませぬ。草地で哭いておりましたので、わたくしは可哀想に思い、抱いて家に戻ったのです。黄節夫婦の事に至っては、わたくしは存じませんが、拷問に耐えきれず、無実の自白をしたのです。」県知事はこの時、驚き、悔いて言いました。「今、考えてみると、おまえとは関わりはないな。」すぐに李三を釈放し、黄節に命じ、下役とともに、あらためて李四娘の行方を捜索させました。その後、結局、ほかの土地で捕まりましたので、天下の事件では、もっぱら疑わしい時に、人が冤罪に遭うことがはじめて分かりました。この李三は雷神が霊験を示さなければ、弁明することができないところでした。

これからお話ししますのも、国朝の一人の男が、妻が他人と駆け落ちしたため、交際があった隣人を冤罪に遭わせ、ほとんど殺しそうになったものの、その後事情が明らかになったというもので、大庾のこの件と少々似ております。わたくしがゆっくりお話しすれば、詳しいことがお分かりになりましょう。

  佳期誤りて泄らす桑中の約[9]、好事(あやま)りて牽く月下の縄[10]

  平素の(さま)から推測するを知るのみにして[11]、意外にも翻更(どんでんがへし)のあることをいかで知るべき。

 さて北直張家湾[12]に住民がおり、姓は徐、名は徳といい、城内で長班をしておりました。妻は莫大姐といいましたが、大変美しく、興が乗れば酒を好み、酔えば勢いに乗じて男を挑発し、話したり、惑わしたりしておりました。隣家に楊二郎というものがおり、やはり好き者、年若く、洒落者で、ぶらぶらと遊んで過ごし、何もしっかりしたところがありませんでした[13]。莫大姐と終日ふざけあい、たがいに貪り愛しあい、関係を持っていることは[14]、おもての人々はみな知っておりました。莫大姐はふだんほかにも親しい男と交際していましたが、やはり楊二郎と仲良く過ごしているのには及びませんでした。それに徐徳は役所に行き来し、いつも一月ほど家にいませんでしたので、楊二郎はますます勝手がよくなり、夫婦のように過ごしていました。その後、徐徳は稼いで暮らしが豊かになりましたので、役所で身代わりを捜し、毎日出てゆく必要がなくなりましたが、家で休息するたびに、だんだんと楊二郎と莫大姐のありさまに気付きだしました。くわしく隣近所に尋ねますと、やはり少しずつ話すものが多くいました。徐徳はある日莫大姐に言いました。「おれたちは今までさんざん苦労して、飯が食えるようになったのだから、少しは体面を繕わねばならないぞ。世間に嘲られないようにしようぜ。」莫大姐は言いました。「何を嘲られるのです。」徐徳は言いました。「『鐘は叩かなければ鳴らないし、鼓は打たなければ響かないもの。人に悟られまいとするなら、しないのが一番だ』という。おまえがしている事を、おもてで話していない人はいないぞ。おれを騙してどうする。今後はすこし自重しろよ。」莫大姐は夫に秘密を言われますと、甘えた振りをし、体面を繕うことを幾つか言いましたが、自分でも普段していることはひどく醜いと思っていましたし、騙しきれないことは分かっていましたので、あまり強弁するわけにゆかず、ひそかに考えました。「わたしは楊二郎と親しくしていて、情は夫婦のよう、一時(いっとき)一刻たりともあの人なしではいられない。今回夫に知られたから、きっときびしく邪魔されて、思い通りにすることはできなくなろう。ひそかにかれと相談し、家財をまとめ、いっしょに他国へ駆け落ちし、自由自在に楽しむほうが、本当に良いだろう。」心の中に思いを秘めておきました。

 ある日、徐徳が出てゆきますと、楊二郎を招き、こっそりとその事を相談しました。楊二郎は言いました。「わたしはこちらに何もしがらみはありませんから、ねえさんがわたしと行こうとなさるなら、すぐ行きましょう。ただ、他国へ行くなら、いささかの元手があって、はじめて生活することができるでしょう。」莫大姐は言いました。「わたしは家の貴重品をすべてまとめてゆきますから、しばらく過ごすことができましょう。身が落ち着いたら、ゆっくりと仕事をすればよいでしょう。」楊二郎は言いました。「それはいい。準備しながら、隙を見て駆け落ちを相談しましょう。」莫大姐は言いました。「お話をいたしましたよ。機会を見、日を選び、こっそりとあなたを呼んで駆け落ちしましょう。消息を漏らしてはなりませんよ。」楊二郎は言いました。「分かりました。」二人は閑を利用してさらにすこし例の事をし、さんざん話をして去りました。

 徐徳が帰ってきて幾日かたちますと、莫大姐は思い乱れて、心ここにあらずのありさま、さらに楊二郎がまだ行き来していることも分かりましたので、悔しがって言いました。「ちょっとでも出くわしたら、あいつを真二つに斬ってやる。」莫大姐はそれを聴きますと、ひそかに人を遣り楊二郎に手紙を届けさせ、当分は決して門前に姿を現さないようにさせました。それからは楊二郎は徐家の近くに来ようとはしませんでした。莫大姐は心のなかで切切と、かれとどこへ行ったらよいかということだけを考え、すでに心は徐家になく、夫一人だけを眼の中の釘のように邪魔にしました。女心は一たび淫らになりますと、常態を失い、痴呆のように、心が不安定になり、東と言えば、西と思い、憂鬱になってしまうものです。それに楊二郎も来られませんでしたので、お茶のときもご飯のときもかれのことばかり考え、馬鹿になってしまいました。そしてひどく憂鬱になりますと、夫に頼み、近所の二三人の女たちと約束し、岳廟に行き、香を焚くことにしました。この時、徐徳はこの女房がろくでなしであることが分かっていたのですから、出てゆかせるべきではなかったのです。しかし北方人は単純でしたので、心の中で言いました。「このところ、きびしく束縛していたが、あいつはぼんやりとして、病気になったのではあるまいな。おもてへ行かせ、気晴らしさせよう。」北方の風俗では、女が出てゆくときは、ひとりで行きます。男はおのずとすることがありますので、あまりいっしょに行こうとはしないのです。莫大姐はすぐに女の仲間たちとともに紙馬酒盒を持ち、轎に担がれ、ひらひらと出てゆきました。この外出のため、お話しがございます。

 

 閨中の佚女[15]は、煙月(いろこひ)の場に留められ、枕上の情人(こひびと)は、(あやふ)く囹固の()()らんとす。海が澄み(そこひ)を見なば、伏せたる盆に光の戻ることを得ん[16]

 

 さて、斉化門外に一人美しい若者がおり、姓は郁、名は盛といいました。生来淫蕩で、心は狡猾、もっぱら本分を守らず、良家の婦女を誘惑し、さらに人の利益を奪うことを好み、良心に背く浅はかな事をしておりました。かれは莫大姐といとこ関係、ずっと往来しており、双方はいささか気がありましたが、機会がないため、手をつけることができなかったのでした。郁盛は心の中で残念なことだと思い、しばしば気に掛けておりました。ある日、門前でひとりぼんやり立っておりますと、幾台かの女轎が担がれてきましたので、かれはこっそりと轎に担がれている女を見にゆきましたが、ちょうど轎の簾の隙間から、徐家の莫大姐であることが分かりました。見れば轎の上に紙銭が掛けられていましたので、岳廟に参拝することが分かりました。さらに人足に盒担[17]を担いでもらっている者もいましたが、遊んで酒を飲む女たちでしたので、こう考えました。「もしもかれらを追いかけてゆき、ぶらぶらしても、面白いことは少しだけだ。眼でたっぷり見ることになれば、実際の旨味はない。それによそのご婦人も中にいるから、面白いことがあってもまずいだろう。いささかの酒食を調え、こちらで莫大姐が戻ってくるのを待つ方がよいだろう。わたしは親戚だから、迎え入れ、昼飯をとることにすれば、噂する人はいないだろう。それに莫大姐は酒を貪り興が乗っており、とても気があるから、きっと拒まないだろう。その時に酒興に乗じてかれを誘えば、あの事をせぬはずはないだろう。良い考えだ。良い考えだ。」すぐに賑やかな胡同に走ってゆき、おいしい魚や肉などの生臭もの、榛や松などの木の実だけを選び、とてもたくさん買い、きちんと用意を調えました。

 これぞまさしく、

  鼻を撲つ芳香の餌を調へ、鯨鯢が針に掛かりにくるを待つ。

 さて、莫大姐は女の仲間たちとともに廟に行き、参拝し、あちこちへ遊びにゆきました。酒盒を担ぎ、野原に坐るのに良い場所があれば、すぐに宴を開き、酒を飲みました。女たちの多くはそれほど飲まず、数杯飲むだけでしたが、莫大姐が酒豪であることを知りますと、多くはかれに勧めにきました。

莫大姐は拒まず、杯を取りますとすぐに飲み干し、持ってきた酒をすっかり飲み、すでに七八割方酔いました。日が暮れようとしますと、道具をまとめ、轎に乗り、担がれて戻ることになりました。郁家の門前に戻ってきますと、郁盛はそれを見、いそいで莫大姐の轎の前に行き、挨拶しました。「こちらが拙宅です。ねえさんは途中で喉が渇かれたでしょう。中にお入りください。お茶をお出ししましょう。」莫大姐は酔眼朦朧としておりましたが、郁盛はいとこでしたし、ふだんふざけあうのに慣れていましたから、いそいで轎を止めさせ、轎を出てきますと、郁盛に万福して言いました。「にいさんはこちらにお住まいだったのですか。」郁盛は満面に笑みを浮かべて言いました。「どうぞ中にお掛けください。」莫大姐は酒気を帯びながら、ふらふらといっしょに門に入りました。ほかの家の女の轎は、徐家の轎が親戚に引き留められたことを知りますと、それぞれさきに行きました。徐家の轎かきは入り口で待っていました。

 

 莫大姐が門に入ってきますと、郁盛は一間の部屋に招いてゆきました。酒、果物、肴が、卓いっぱいに並べられていました。莫大姐は言いました。「なぜにいさんにこのように気遣っていただくのでしょう。」郁盛は言いました。「ねえさんがこちらを通り掛かることは滅多にございませんので、一杯の粗酒で、いささか微意を示しただけです。」郁盛は下心がありましたので、ことさらに一人の男も給仕しにこさせず、たった一人で付き添い、みずから酒を注ぎ、きわめて殷勤に勧めました。これぞまさしく、

  茶は花博士(いろごとのなかうど)、酒は色媒人(こひのなかだち)[18]

 莫大姐はもともと酒を飲んでいましたが、郁盛がゆっくりと櫓を漕ぎながら酔った魚を捕らえるように[19]、顔をにこにこさせながら頼むのを断りきれず、さらにたくさん飲みました。酒が回りますと、両眼は朦朧、淫興は勃然として、色目を使い、狂おしいことを語りました。郁盛は身辺に寄り添っていっしょに坐り、一杯の酒を持ち、一方が半分を呷りますと、もう一方が半分を呷りました。さらに、全部を口に含みますと、頚を引き寄せ、流し込むのでした。莫大姐はそれを受けて呑み込み、舌を口に伸ばしてきますと、郁盛はそれをしばらく啜るのでした。おたがいに春心が発動しますと、抱きあって牀の中に行き、下穿きを剥ぎ、例のことをしはじめました。

  一方は酔ひつつ跳ねたり騰つたり、一方は醒めつつ(さす)り弄ぶ。酔ひたるものは花に迷へる夢の蝶。醒めたるものは蕊を採る狂ほしき蜂。酔ひたるものはひたすら興濃く、受けて立ち、いやましに勇ましく、醒めたるものは半ば楽しみ[20]、実際は弄ぶなり[21]。たがひに貪り愛せども(こころ)は異なり、一方は酔ひ一方は醒めいづれも妙境。

 二人は対戦して佳境に到りますと、莫大姐はとても愉快になり、喘ぎながら言いました。「わたしの二哥、愛しいお方、一心にお待ちしていたのです。あなたといっしょに駆け落ちし、楽しみたくてたまりません。うちのろくでなしは野暮天で、人を束縛しています。二哥のように優しくて面白いのには及びません。」そう言いますと、腰から下をみだりに転がしたり聳やかしたりし、郁盛をしっかりと抱きしめて放さず、口ではひたすら「愛しい二哥」と叫びました。そもそも莫大姐はひどく酔い、異常な快楽を感じるばかりで、精神は昏迷し、事情を忘れてしまっていました。ほんとうに「酔うた時のまこと。」といい、「酒は本性を語る。」ともいいます[22]。ふだん心の中で恋恋としているのは楊二郎でしたが、ぼんやりしていて、郁盛と誤認してしまいました。例の事をしているのは郁盛でしたが、語っている話は多くは楊二郎への話でした。

郁盛はもともと楊二郎がかれと親しいのを知っておりましたので、酔って誤認していることがよくわかりました。郁盛は言いました。「この淫売め、おまえは意中の人だけを記憶しているのだな。とりあえず相手に合わせて、かれを喋らせ、何を言うかをみるとしよう。」すぐに言いました。「どうすればあなたといっしょに駆け落ちし、楽しむことができましょう。」莫大姐は言いました。「先日あなたに話しましたよ。家財をまとめ、あなたとほかの土地へ行き、暮らそうと。ずっと機会がありませんでした。今度の秋分の日に、あのろくでなしは城内に入ってゆき、役所で仕事しますから、その晩に駆け落ちしましょう。」郁盛は言いました。「駆け落ちできなかったらどうする。」莫大姐は言いました。「あなたは船に乗る準備をし、荷物を運び、船に乗ったら、夜通し漕いでゆくのです。かれが城内から出てきて気付いても、すでに追いつけないでしょう。」郁盛は言いました。「晩には何を暗号にする。」莫大姐は言いました。「あなたが門の外でちょっと手を叩くだけで、わたしは中であなたを迎え入れましょう。ずっと前からきちんと用意しています。機会を逃してはなりません。」口でむにゃむにゃと、さらにたくさん話しましたが、すべてむずむずするような話にすぎませんでした。郁盛は幾つかの大事なことだけを選び、しっかりと記憶しました。まもなく雲雨が終わりますと、莫大姐は頭髻を整え、頭をくらくら、目をちかちかとさせながら牀から下りました。郁盛はこれに先立ち、食事を轎かきに摂らせておりましたので、かれを呼んできて轎を担がせ、莫大姐を介添えし、轎に乗ってゆかせました。郁盛は戻ってきますと、これは棚牡丹だと思い、心の中で喜びました。さらにかれの腹の中の話を聴きましたので、笑いました。「驚いた。驚いた。かれが楊二郎と駆け落ちしようとしていて、約束したことをすべてわたしに話すとは思わなかった。さらにわたしを楊二郎と思っていたが、おかしなことではないか。誤りをそのままにして、船を雇い、その晩になったらかれの女を横取りし[23]、あいつを載せてゆきほかの場所でしばらく楽しむのに、何の良くないことがあろう。」郁盛は心掛けが良くない男で、まさに痒い処を掻いたように、うまくいったと思いました。船を用意し、期日が来、事を行うのをひたすら待ちましたが、そのことはお話しいたしません。

 

 さて莫大姐は家に帰り、翌日一日酒に酔い、昨日郁家へ行った事は、まるで夢の中のよう、多くはあまり記憶しておらず、ぼんやり憶えているだけ、すでに楊二郎と日を決めたと思い、きちんと準備し、出発を待つばかりでした。ところが楊二郎は二度話しをしたことがあったため、その意思があることは知っていましたが、くわしく言い含めなかったため、準備をしてはいませんでした。秋分の夜、すでに二鼓になりますと、莫大姐は家で消息を待っていました。するとおもてで手を叩く音がしました。莫大姐は気付きますと、やはり手を叩き、門を開けて出てゆきました。暗闇の中で見ますと一人の男が手を叩いておりましたので、心の中で楊二郎だと思いました。いそいで身を翻して入ってゆき、衣嚢(ころもぶくろ)箱籠(ころもばこ)を、すべて運び出しますと、その男は一つ一つ受け取り、船の中に置きました。莫大姐は人に見られるのを恐れ、火を使おうとせず、部屋の中の灯を消し、部屋の入り口を鍵を掛けずに閉ざし、暗闇の中を出ました。その男は介添えして船に乗せ、飛ぶように船を漕ぎました。船の中では二人は多くは小声で話しましたし、慌てておりましたので、莫大姐は楊二郎だと思い、すぐには見分けがつきませんでした。莫大姐は慌てふためき、一日忙しくしていましたので[24]、船に乗りますと、ようやく心が落ち着き、疲れてきましたので、何もしませんでした。一言二言話しましたが、その男もあまり返事しませんでした。莫大姐は横になり、服を着たまま眠りました。

 夜明けになりますと、すでに潞河[25]で、家から百十里ありました。眼を開けて船室にともに坐っている人を見ますと、楊二郎ではなく、これぞまさしく、斉化門外の郁盛でした。莫大姐は驚きました。「どうしてあなたなのです。」郁盛は笑いました。「あの日ねえさんは岳廟から帰ってくる途中、うちに来て小酌なさいました。ねえさんはわたしのことを嫌がらず、歓会を賜いました。ねえさんがみずからわたしに約束なさいましたのに、どうして驚かれるのです。」莫大姐はしばらくぼんやりしましたが、じっくり考えますと、先日かれの家で酒を飲み、酒に酔って淫媾したこと、その後誤認して、本当のことを告げたこと、意識が戻ってからは記憶をまちがえ、楊二郎と約束したのだとばかり思い、誤ってかれと約束したことに気が付いていなかったことをはじめて悟りました。しかし今、事すでにここに至っては、話すこともできず、やむなくかれについてゆくことにしました。ただ楊二郎にはどのように対処したものでしょう。そこで尋ねました。「今にいさんといっしょにどちらへ行ったらよいのでしょう。」

郁盛は言いました。「臨清は大きな波止場のある場所で、わたしの宿の主人がそこにいますから、あなたとそこへ行って住み、する商売を捜しましょう。わたしたち二人はいっしょに連れ合いになれば、ほんとうに楽しいでしょう。」莫大姐は言いました。「わたしは衣嚢(ころもぶくろ)にたくさんの元手を持っていますから、にいさんが商売しようとするならば、利益を上げて暮らすことができましょう。」郁盛は言いました。「それはとても良い。」それから莫大姐は郁盛とともに臨清へゆきました。

 話変わって、徐徳は役所の仕事が終わりますと、家に戻ってゆきましたが、家は悄然として人一人もなく、箱籠(ころもばこ)や什物はみなすでに運ばれて、なくなっておりました。徐徳は罵りました。「あのあばずれはきっと間男にくっついて逃げたのだ。」隣人に尋ねますと、隣人は言いました。「奥さんは夜の間に行方が知れなくなりました。翌日わたしたちが見ますと、門が鎖されていましたので、中の様子は分かりませんでした。ご老人がご自分でお考えください。ふだん往来していた人が誘っていっただけのことです。」徐徳は言いました。「すぐに分かる。楊二郎の家にいるのだろう。」隣人は言いました。「図星ですよ。わたしたちもそのように話しておりました。」徐徳は言いました。「普段からの家の恥は皆さんに隠すべくもありません。今日事が起こったのは、あきらかに楊二郎のせいです。この事はお上に訴えねばなりません。すみませんがお二人はわたしの証人となってください。今わたくしはさきに楊家へ行方を尋ねにゆき、かれと騒ぎを起こしましょう。」隣人は言いました。「このことはみんなが知っています。役所へ行ったら、わたしたちは正しい道理を説きましょう。」徐徳は言いました。「申し訳ございません。申し訳ございません。」すぐに腹を立てながら、楊二郎の家に走ってゆきました。ちょうど楊二郎が出てきましたので、徐徳は掴んで言いました。「うちの女房をさらってどこに隠した。」楊二郎はそのような事はしていませんでしたが、そのことを気に掛けていたことがありましたので、突然話を聞かされますと、とても驚き、喚きました。「そんな事は知りません。わたしを騙しにきましたね。」徐徳は言いました。「近所ではおまえがうちの女房を誘拐したことをみんなが知っている。まだごまかそうとするか。いっしょにお役所に行こう。女房を返せ。」楊二郎は言いました。「お宅の奥さんがいついなくなったかは知りません。わたしは家でおとなしくしていたのに[26]、わたしを尋ねてきて人を返せと仰るとは。お役所に行っても、わたしとは関わりはありませんよ。」徐徳はかれの弁明を聴かず、捕らえて地方に渡し、いっしょに城内の兵馬司に送ってゆかせました。

 徐徳は役所には馴染みがあり、かれに味方するものが多かったため、兵馬司はさきに楊二郎を監獄に下しました[27]。翌日、徐徳を姦通誘拐の件で、巡城察院[28]の役所に訴えますと、兵馬司に批文を送り、きびしく追究させました。兵馬が楊二郎を審問しますと、楊二郎ははじめはひたすら関わりないと否認しました。徐徳は地方を引き連れていましたし[29]、人々はかれが姦通していたと証言しましたので、兵馬は刑具に掛けるように命じました。楊二郎は我慢できず、やむなくふだん姦通往来していたのは事実だと供述しました。

兵馬は言いました。「姦通が事実なら、当然おまえがさらって隠したのだろう。」楊二郎は言いました。「ふだん仲良くしていただけで、駆け落ちの一件は、本当にわたくしと関わりはございません。」兵馬はさらに地方と徐徳を呼んで尋ねました。「かれの妻莫氏にはほかに間男がいたか。」徐徳は言いました。「ほかにはいません。楊二郎だけが昵懇にしていたのが真実でございます。」地方も言いました。「隣人たちも楊二郎が間男であることを知っているだけで、ほかの男が話題にされたことはございません。」兵馬は楊二郎を怒鳴りつけました。「まだそのように強弁しようとするとは。本当のことを言え。さらってきてどこに隠した。」楊二郎は言いました。「本当にわたくしの処にはおりませんので、どこにいるのかは存じません。」兵馬は大いに怒り、きびしく夾みあげるように命じ[30]、どうしてもかれに語らせようとしました。楊二郎はやむなくさらに自供しました。「いっしょに駆け落ちすることを相談したことはございます。わたくしは承知せず、約束していませんでしたので、今回どうしていなくなったのかは存じませぬ。」兵馬は言いました。「いっしょに逃げることを相談し、今回逃げたのなら、当然事情を知っていよう。こいつはひそかに隠し、一時(いっとき)ごまかし、こっそり姦通しにゆこうとしているのだ。今から獄に収容し、三日五日に一回催促すれば[31]、隠しおおせることはできまい。」そして楊二郎を収監し、数日ごとに引き出して訊問しました。楊二郎は同じことを言うばかり、他人のことを自供することはできませんでした。徐徳はさらにしばしば催促しにきましたが[32]、楊二郎の尻になることはできず[33]、不当に棒で打ったものの、すこしも手掛かりはありませんでした。楊二郎は、これぞまさしく、諺にいう、

  そのかみ事をなしたれば、つまらぬことはともに来れり。

  烏狗(くろいぬ)は食を(くら)へど、白狗(しろいぬ)は災に遭ふ。

 楊二郎は不当に打たれるのに我慢できず、無実の罪に陥れられ、不当に捕らえられていることを上司に訴え、別の役所に連行されて尋問を受けました。しかし徐徳の家では本当に人がいなくなったのでしたし、姦通していたのは本当だと自白してもいましたので、釈放されるというわけにゆきませんでした。かれを憐れむものは[34]、かれに貼り紙を出させ、賞金を約束させ、人を募って捜索させました。しかし十人中九人は楊二郎が隠したのは本当だと言い、冤罪だと言うものは誰もいませんでした。これも楊二郎が人の妻女に淫したために受けるべき果報でありました。

女色は従来禍胎なり、奸淫すれば誰かは非災を招かざる[35]

  駆け落ちはまつたく関はりなかりしも、冤罪をゆゑなく受けしにはあらず。

 楊二郎が禍を受け、年を重ねても解決しなかった事はひとまず措きます。さて、郁盛は、あの日莫大姐を載せて臨清地方に行ってから、空き家を借りて住み、二人して淫楽に耽り、しばらく過ごしておりました。莫大姐はずっと楊二郎のことが心の中にありましたので、体は現に郁盛に従っていましたが、結局本気ではなく、日ねもす気は漫ろ、哀しい声で溜息をついていました。郁盛ははじめは仲睦まじく二か月ともに過ごしましたが、すぐに双方がいささか嫌悪し、不愉快になりはじめました。郁盛はひとり考えました。「今はあいつのものを使っているが、持ってきたものには尽きるべき時がある。商売することもできないし、将来どのような結末になるだろう。それに他人の女房を、身辺に留めていては、いずれ露顕するだろうから、長久の策ではない。自分の家にも行きたいから、こちらにじっとしていることはできない。人を捜してあいつを売った方がよい。顔立ちがとても良いから、まだ銀子百十両の値打ちはあるだろう。あいつの体とあいつが身に着けてきたたくさんのものがあれば、十分楽しい思いができるぞ。」聴けば、臨清渡口駅前の楽戸魏媽媽の家で多くの粉頭(しろくび)を養っている、景気の良い遣り手婆で、女を求めているとのことでしたので、人を捜して話しにゆかせました。魏媽は親戚を訪ねるふりをして様子を見にき、容姿を見ますと、八十両の代金を出し、きちんと引き渡し、あとは人を担いでゆくばかりでした。郁盛は莫大姐を騙しました。「この魏媽媽はわたしの家の姻戚で、とても仲良くしているのだ。おれたちはこの異郷で、あのひとと知りあいになり、交際すれば寂しくもないだろう。魏媽媽は先日訪ねてきたのだから、今日はおまえが挨拶を返しにゆけばよいだろう。」莫大姐は女の(さが)で、きっかけを捜しておもてへ行きたくてたまりませんでしたので、そう言われますと、すぐに身支度しはじめました。

 郁盛はすぐに一台の轎を雇い、莫大姐を魏媽の家に担いでゆかせました。莫大姐が見ますと、魏媽媽はにこにこしながら頭や足を眺めていましたが、じろじろ見るばかりで、偉そうにして、あまり接待しませんでした。さらに多くの粉頭(しろくび)が目の前におりましたので、心の中で言いました。「何が母方の親戚だ。どうやら女郎屋のようだ。」一杯の茶を飲み、別れを告げて出発しようとしました。魏媽媽は笑いました。「どこへ行こうとしているんだい。」莫大姐は言いました。「家へ行くのです。」魏媽媽は言いました。「ほかに家などないよ。あんたはもうここの人だよ。」莫大姐は驚きました。「それはどういうことですか。」魏媽媽は言いました。「あんたの家の郁官児はわたしから八十両銀子を手に入れ、あんたをわたしの家に売ったんだよ。」莫大姐は言いました。「そんな馬鹿な。わたしの体はわたしのものなのに、誰がわたしを売ったのです。」魏媽媽は言いました。「何がわたしのものだい。銀子はもう持ってゆかれてしまったから、あんたのことなど知るものか。」莫大姐は言いました。「あのろくでなしとはっきり話しにゆきましょう。」魏媽媽は言いました。「今頃あのひとはみずからの道を急いで、七八里以上進んだだろう。尋ねてゆけるものかね。わたしの所は良い商売なんだから、安心してお住みよ。わたしの殺威棒[36]を食らわないようにおしよ。」莫大姐は郁盛に騙されたことを知り、大いに不平を鳴らしはじめ、ひとしきり大哭きしました。魏媽媽は怒鳴りつけ、打つよと言うばかり、粉頭(しろくび)たちはあれやこれやと宥めにきました。莫大姐はもとより貞節牌坊を建てられないものでしたから[37]、事ここに到り、罠に落ち、為す術もなく、やむなく和光同塵し、そのまま娼妓になりました。これも莫大姐が女として心掛けが良くなかったために受けるべき果報でありました。

  女は何ぞ異心あるべき。淫を貪り実夫をひたすら避けんとす。

  今は他人に避けられて、天の報いは昭昭として(あざむ)くべからず。

 莫大姐は娼妓となった後、心の中でつねに考えました。「わたしは楊二郎と駆け落ちして楽しむことだけを考えていたが、酔って記憶を誤り、郁盛のろくでなしに騙され、こちらに売られるとは思わなかった。今、楊二郎はどこでどうしているだろう。わたしの家はわたしがいなくなって、どのようなありさまだろう。」つねに切切と心配していました。泊まりにきた客を迎える時も、以前の事情を話しましたが、悲しみ、涙を流すしかなく、かれの愚痴に構う人はいませんでした。光陰は箭のよう、知らぬ間に四五年が過ぎました。ある日、一人の客がきて泊まり、酒を飲みましたが、莫大姐を見ますと、まじろぎもせず、ひたすらじろじろ見ておりました。莫大姐もいささか顔見知りだと感じ、おたがいに訝しく思っていました。莫大姐は口を開いて尋ねました。「お客さまのお国は。」その客は言いました。「姓は幸、名は逢といい、張家湾に住んでいる。」莫大姐は「張家湾」の三字を口にされますと、思わず潸然と涙を落とし、言いました。「張家湾にお住まいでしたら、長班徐徳の家をご存じでしょうか。」幸客[38]は驚きました。「徐徳さんはわたしの隣人で、かれの家では奥さんが失踪して数年になります。さきほどお顔がすこし似ていると思いましたが、まさに徐の奥さんではございませんか。」莫大姐は言いました。「その通りです。徐家の嫁で、人にさらってこられ、こちらに身を落としております。さきほどお客さまのお顔を見たとき、いささか顔見知りだと思いましたが、昔の隣人の幸官児さまだとは思いませんでした。」そもそも幸逢も風月中人(すきもの)で、かつて莫大姐がいささか噂されているのを見て、やはり干唾を呑み込んでいましたので[39]、一見してすぐに分かったのでした。幸客は言いました。「奥さん、あなたがこちらにいらっしゃるのは大したことはございませんが、一人の男を酷い目に遭わせていますよ。」莫大姐は言いました。「誰ですか。」幸客は言いました。「お宅が楊二郎を訴え、幾年か裁判をしているのです。どれほど打たれたか分かりません。今でも監獄にいますが、埒があきません。」莫大姐はそう言われますと、とても悲しみ、そっと幸客に言いました。「昼はすべてを話すわけにはまいりません。晩にこちらにお泊まりください。お話しすることがございます。」

 幸客はその晩莫大姐とともに寝ました。莫大姐はひそかにかれに告げ、本当に楊二郎と交わりがあったこと、郁盛が楊二郎に成り代わり、さらってきてこちらに売ったことを、最初から最後まですべて話しました。さらにかれに言いました。「昔の隣人の顔に免じて、家にこの事を知らせにいってください。一つにはわたくしを救い出してゆくためです。二つには楊二郎にはっきり話せば、陰功[40]にもなるためです。三つには郁盛の奴にこのような酷い目に遭わされたので、日の目を見たら、かれを陥れてやるためです。」幸客は言いました。「話しにゆきましょう。話しにゆきましょう。楊二郎、徐長班はわたしと同じ土地の人ですし[41]、懸賞広告も貼られています。今回、事実を知りましたから、もちろん報せにゆきましょう。郁盛のやつは有名な悪党で、天理に許されませんから、かならず露顕することでしょう。」莫大姐は言いました。「隠密にした方がよいでしょう。消息を漏らせば、あいつはさらにわたしを隠すことでしょう。」幸客は言いました。「あなたとわたしが知っているだけです。今、人に会っても、決して話しはしません。あちらに行ったらすぐに出頭します。」二人は相談が決まりますと、幸客はまっすぐ張家湾に戻ってき、徐徳に会いますと、言いました。「お宅の奥さんの行方が分かりました。わたしはこの眼で見たのです。」徐徳は言いました。「今どこにいますか。」幸逢は言いました。「あなたのためにいっしょに役所へ行き、奥さんをきちんと戻してあげましょう[42]。」

 徐徳は幸逢とともに兵馬司に来ました。幸逢は役所に一枚の訴状を提出しました。「告訴者幸逢は、張家湾の民。誘拐人身売買の件につき告訴いたします。本湾の徐徳は、妻莫氏がいなくなったため、お上に訴えましたが、身柄が確保されていませんでした。今回、(わたくし)は本婦が臨清の楽戸魏鴇の家におり、売笑しているのを目撃しました。本婦は街のごろつき郁盛にさらわれ、売られて彼の地にいると称しています。良民を売り、娼妓にしたことは、告訴するべきでございます。申し上げたことは事実でございます。」兵馬はすぐに訴状を受理し、察院に文書を送り、ひそかに兵番[43]を遣わし、郁盛を捕らえ、役所へ行かせ、拷問しました。郁盛はごまかしきれず、以前のことをはっきりと供述しました。すぐに獄中に収容し、莫氏が来た時に、対質して罪を定めることにしました。すぐに察院の批文を奉じ、告訴者幸逢と夫徐徳を護送し、臨清州に関文を送り[44]、莫氏及び良民を買って娼妓にした楽戸魏鴇をともに確認、拘束し、役所に送り、審問することにしました。原差が捕縛しますと[45]、臨清州庁はすぐに下役を増派し、いっしょに捕らえにゆかせました。人々は魏家に行きますと、まるで、

甕の中から(すつぽん)を捕らふるごとく、たちまち捕らへぬ。

臨清州では人を揃えますと、批回[46]を送り、兵馬司に護送してゆかせました。楊二郎はその時まだ獄中におりましたが、その事を知りますと、いそいで訴状を書き、「わたしと関わりはございません。今日はさいわいに日の目を見ました。」などと称して提出しました。兵馬司はそれを受理し、いっしょに沙汰を待ちました。

 その時、関係者は一斉に審理を受けにきましたので、兵馬はまずは莫大姐を呼び、尋ねました。莫大姐は郁盛がどのようにかれを騙して臨清に行き、どのようにかれを騙して娼家に売ったか、詳しいことをすべて話しました。さらに魏鴇母を呼んで尋ねました。「どうして良民の妻を買った。」魏媽媽は言いました。「わたくしは楽戸で、娼妓を買うことによって生計を立てております。郁盛はみずからの妻を売りたいと称していましたので、わたくしは本当の夫が決定をしているのだと思い、買ってやったのでございます。かれがさらってきていたとは思いませんでした。」徐徳は走ってきますと言いました。「妻は失踪したとき、家の多くの箱籠(ころもばこ)や財産を持ってゆきました。今、人が捕らえられたなら、盗品のことを追究し、わたくしに返還させることを望みます。」莫大姐は言いました。「郁盛はわたしを騙して魏家に行かせ、わたしは身一つで売られたのです。すべて持ち物は、多くは郁盛に取られましたので、魏家と関わりはございません。」兵馬は卓を叩いて言いました。「郁盛はなんと憎らしいのだ。人をさらってゆき、姦通し、さらにかれの身を売り、財産を奪ったのだな。このようなろくでなしがいるとは。」きびしく打つように命じました。郁盛は弁明しました。「かれを娼家に売ったのは、わたくしが悪うございました。甘んじてその罪を認めましょう。しかし駆け落ちに関しましては、かれが自分からわたくしに従ってきたもので、わたくしがかれをさらったのではございません。」兵馬は莫大姐に尋ねました。「おまえはその時、なぜかれに従って逃げたのだ。本当のことを言わなければ、拶子に掛けるぞ。」莫大姐はやむなく楊二郎と仲良くしていたが郁盛と誤認してしまった事を、すべて白状しました。兵馬は笑いました。「だからおまえの夫の徐徳は楊二郎を訴えたのだな。楊二郎は不当に幾年か入獄したが、徐徳はまったくの誣告をしたというわけではなかったのだな。莫氏が誤認していたとはいえ、郁盛が機会に乗じて誘拐したことは、ごまかせないぞ。」郁盛を四十回大板で打つように命じ、良民をさらって売ったことにより軍罪に問うて護送し[47]、盗品を持ってゆき、徐徳に返還しました。莫氏の身売り金八十両は、追究し、没収しました。魏媽が良民を買ったのは、事情を知らなかったためなので、不応の罪に問うことにし[48]、出した身売りの代金は、幾年か売笑させて利益を得ていましたので、償わなくてよいことにしました。楊二郎は初め姦通し、後に関わりはありませんでしたが、やはり贖杖に問い[49]、釈放して帰宅させました。幸逢は事実を訴えましたので、行いを評価し、褒美を賜いました。お裁きが示されますと、莫大姐を元の夫徐徳のもとに送り、引き取らせました。徐徳は言いました。「妻はわたくしに背いて幾年か駆け落ちし、さらに娼家に落ちましたから、もうこのような淫売はいりません。役所で離婚し、別に嫁がせることを願います。」兵馬は言いました。「それはおまえの自由だ。とりあえず引き取ってゆき、自分で人を捜し、嫁がせるときは、おまえのために裁きをしてやろう[50]。」

 人々はそれぞれの家に行きました。楊二郎はひとりで考えました。「他人がさらっていったのに、わたしを冤罪に陥れ、幾年も入獄させるとは、ただではすまさん。」隣家を訴え、徐徳と争おうとしました。徐徳もすこし怯え、済まなく思い、隣人たちに仲裁を頼みました。隣人たちはこの件を調停することについて相談しました。「いずれにしても徐徳は莫大姐といっしょになれない。今、ほかに人をさがして嫁がせようとしているが、楊二郎に娶らせ、両家の怨みを解いてはどうか。」徐徳に話しました。徐徳も言いました。「迷惑を掛けたから、提案に従ってもよい。」楊二郎はそれを知りますと、いよいよ願い通りでしたので、笑いました。「そのようにしようとするなら、もっと長く牢にいたとしても、絶対に文句を言わない。」隣人たちはこの趣旨で三方を合意させ、役所に申し立てました。兵馬は楊二郎が身代わりに入獄したことをよく知っており、内心いささか忸怩たるものがありましたので、地方の処分に従い、徐徳が婚書[51]を立て、楊二郎に譲って妻にすることを受理しました。莫大姐は願いが叶い、昔の知りあいに嫁ぐことができました。これらの苦しみを嘗めたため、慎み深くし、正しいことを学び、以前のように禍を招くことはなく、楊二郎と添い遂げました。これは楊二郎の前世の縁かも知れませんが、かれは苦しみを嘗めることが少なくなかったのですから、美事ではございません。後人はこのことを鑑とするべきでございます。

不当に囹固に坐することすでに数年、今まさに嬋娟を保つを得たり。

何ぞ如かん自ら家常飯を守り、官司を害せず銭を損はざるに。

 

最終更新日:2008813

二刻拍案驚奇

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[1]原文「李代桃僵」。「李代桃殭」とも。ここでは犯人でないのに犯人扱いされ、酷い目に遭うことの喩え。集·相和歌辞三·鶏鳴』「桃在露井上、李在桃旁、虫来桃根、李代桃殭。木身相代、兄弟相忘。」。

[2]原文「羊易牛死」。ここでは上の「李代桃僵」と同じく、無実の罪を蒙ることの喩え。『孟子·梁恵王上』「王坐于堂上、有牛而堂下者。……曰、何可也、以羊易之。」。

[3]元、明、清代、府の吏員をいう元李行道『灰闌記』第四折「小的做个吏典、是衙里人、不知法度。」『古今小·之客舫遇侠僧』「衆p隷上、把老人拿下、打了十板。衆吏典都来討饒。」

[4]原文「妻子多不見了」。「多」が未詳。衍字か。

[5]原文「打得一仏出世」。「一仏出世、二仏生天」は半死半生のさまをいう。「出世」は生まれること、「生天」は死ぬこと。『醒世恒言·李道人独』「李清直等得一仏出世、二仏升天、方纔有个青衣童子開門出来。」『二刻拍案驚奇』巻五「真珠、哭得一仏出世、二仏生天。」『二刻拍案驚奇』巻十八「当日把玄玄子得一仏出世、二仏生天、又打勾一二百榔。」

[6]原文「孔目又為著節把李三獄情做得没些漏洞」。未詳。とりあえずこう訳す。

[7]世明言』第三十八巻任孝子烈性「大尹教去了肘、上了木」。

[8]古代官吏がかぶった帽子。明郎瑛『七修稿·文三·洪遂初』「不是青雲不致身、自嗟無学久因循。七年米今朝算、落得儒巾博吏巾。」

[9]原文「佳期誤泄桑中約」。「桑中」は男女が密会する場所。漢書·地理志下』「地有桑濮上之阻、男女亦亟聚会、声色生焉。」。「佳期誤泄桑中約」は莫大姐が郁盛に楊二郎との駆け落ちの約束を漏らしてしまったことを指す。

[10]原文「好事訛牽月下繩」。「月下」は「月下氷人」「月下老児」のこと。婚姻をつかさどる神。唐李玄怪·定婚店』に見える。紅い縄で結婚すべき男女を結びつけるという。「好事訛牽月下繩」は、後述の、莫大姐が郁盛と間違って結ばれてしまったことを指す。

[11]原文「只解推原平日」。未詳。とりあえずこう訳す。「推原」は推測することであろう。『施公案』第五二八回 除奸朝清正・降旨衆将加封「推原其故、王朗被之後、将山上金糧草送与他、不下有数万余金、因此将他放去。」

[12]現在の北京市通州区にある鎮名。水陸の要衝の地。光緒十年『畿輔通志』巻六十七・輿地二十二・関隘「張家湾鎮在州南十五里、元時万戸張壱瑄督海運至此、因名。東南漕艘至湾即入通州、蓋盧溝与白河会流所也。(方輿紀要)為南北水陸要会。官船客船駢集於此、最称繁盛。(長安客話)嘉靖三十一年修築張家湾鎮城堡。(明世宗実録)置巡検司。(名勝志)」。

[13]原文「没甚根基」。「根基」は仏教でいう道根、根性のこと。楼夢』第百一回「个散花菩、根基不浅、道行非常。」『老残遊記続稿』第四回「你本是有大根基的人、只因為貪恋利欲、埋没了你的智慧、生出無的魔障。」

[14]原文「弄上了手」。未詳。とりあえずこう訳す。

[15]美女のこと。佚は「昳」に通じる。『楚辞·離』「望瑶台之偃蹇兮、有娀之佚女。」王逸注「佚、美也。」また淫女のこと。清黄六『福恵全·刑名部·奸情』「有佚女私娼、令方甲逐。」。

[16]原文「方令盆覆得還光」。「盆覆」は濡れ衣を晴らせないことの喩え明李『送屠大理元刑福建』昼遊非衒欧陽夜坐本求生。况逢紫日、盆覆教仰大明。

[17]盒子の形をした物入れ、天秤棒で持ち運びする明沈榜『宛署雑記·宗』「盒担五抬、一。」。

[18]原文「茶為花博士,酒是色媒人。」。茶や酒が機縁になって色事が行われるという意味の慣用句であろう。

[19]原文「更加郁盛慢櫓揺船捉酔魚」。「酔魚」は、魚を中毒させて捕えること。宋朱弁『曲洧旧』巻三「土人不善施網罟、冬柴水中罧以取之、以擣煮大麦撒深潭中、食之輒死、浮水上、可俯掇、久之復活、之酔云。」

[20] 原文「醒的半兼趣勝」。「半兼趣勝」が未詳。とりあえずこう訳す。

[21]原文「玩視偏真」。未詳。とりあえずこう訳す。「玩視」は無視軽視『元典章·聖政二·体察』「然訪聞官吏、承弊之後、尚有狼藉猥、以当然、若不正言事、曲之防、人情玩不能一切痛革。」。清魏源『聖武』巻九「上恐啓莠民玩。」。『清史稿·穆宗一』「以視軍務、惨教民、遣戍新疆。」。

[22]原文「真個酔里醒時言、又道是酒道真性」。「酔里醒時言」も「酒道真性」も、酒に酔えば本当のことを喋ってしまうことを述べた慣用句であろう。

[23]原文「到那剪他這綹」。剪綹」は巾着切りのこと。元岳伯川『拐李』第一折「老子倒乖、哄的我低自取、你却叫有剪綹的。」『醒世姻縁伝』第九三回「原来人是剃的待詔、又兼剪綹生、在渡船上、乗着人衆擁擠、在人那腰袖内遍行摸索。」

[24]原文「碌了一日」。碌」は忙しくすること。沈鈞儒『寥寥集·夜帰』「微躯不自恕、歴碌勉能支。」。清初陳維ッ『湖海楼詩集』巻八『屡過東海先生家不得見呉丈修齢詩以柬之』「最愛玉峰禅老子、力追艶体斗西昆。朱門縦視如蓬戸、入幕長愁似隔村。索飯叫号孫太横、抄書歴碌眼嘗昏。此間赤棒喧豗甚、隠几偏知処士尊。」清徐枕亜『玉嬌梨』第一章「夢霞至此、已哭不成声矣。歴碌半日、心砕神疲……」第五章「然夢霞已為一縷情絲牢牢縛定、神経全失其作用、不覚惶急万分、歴碌万状、彷徨不定、疑惧交加。」第二十九章「而余也歴碌風塵、東奔西逐、亦不獲閉戸閑居、従事涂抹、几案生塵矣。」。

[25]潞河駅。通州の地名。光緒十年『畿輔通志』巻百二十二・兵制四「潞河駅在通州旧城東関外潞河西岸明永楽中置州。東南三十五里曰和合駅、旧明合和駅、以白楡渾三河合流而名。駅明永楽中置。万暦間、移置張家湾改名。有駅丞。又潞河駅西旧有逓運所。今革。(大清一統志)二駅倶極衝。本朝康熙三十四年裁潞河駅丞以駅帰併和合駅。両駅駅務倶和合駅駅丞管理其夫馬銭糧知州掌之。(雍正志及州志)」。

[26]原文「我好耽耽在家里」。「好耽耽」が未詳。とりあえずこう訳す。

[27]原文「兵馬司先把楊二郎下在鋪里」。「鋪里」が未詳。とりあえずこう訳す。

[28]巡城:。御史の一つ。京城の治安をつかさどる。嘘雲『世事通考·文公署』「巡城、巡……正七品。」『西湖二集·周城隍辨冤断案』「次日巡城御史拘左右審問之故。」。察院:御史台のこと。明清時代は御史台都察院と称し、御史が出張すると、その駐節する役所は察院といわれた。巡城察院は、京師の巡察をする御史。

[29]原文「徐徳拉同地方」。「拉同」が未詳。とりあえずこう訳す。

[30]原文「喝叫重重夾起」。「夾」は夾棍に掛けること。夾棍は刑具。二本の棍棒で犯人の腿を挟むもの。『明史·刑法志三』「全刑者曰械、曰、曰棍、曰、曰棍。」清阮葵生『茶』巻六「棍始於宋理宗、以木索并施、両股、名曰帮。」

[31]原文「三日五日一比」。「比」は「比卯」「比較」のこと。旧地方官府で糧を徴収したり罪人を捕縛したりするとき、期限を設け、期限までに職務を遂行しないと刑罰を与えたこと。『豆棚閑話·朝奉郎金倡霸』「或有説官司累、急急去救父母的。或有説糧拖欠、即刻去比卯救家属的。」元無名氏『郎旦』第四折「禀両箇名下、欺侵一百多両、累小的、不知替他打了多少。」『醒世恒言·硬留合色鞋』「三日一比得利無可奈何、只得将田産变買。」明有光『王都御史』「民離農畝、日在官府聴候比、昼夜捶楚、流血成溝。」『醒世姻縁伝』第三二回「這様人也没得吃的年成、把那糧按了分数、定了期限、三四十板打了比。」。

[32]原文「徐徳又時時來催稟」。「催稟」が未詳。とりあえずこう訳す。『二刻拍案驚奇』巻二十五「徐茶酒乗劫新人蕊珠冤完旧案」「知断決不、只把徐達収在中、五日一比。三郎苦毒、時時催禀。」。

[33] 原文「不過做楊二郎屁股不著」。前後とのつながりが未詳。とりあえずこう訳す。

[34]原文「有矜疑他的」。矜疑罪人を憐れみ、事件を疑わしく思うこと。『明史・李已「朝審時、重囚情可矜疑者、咸得末減。」。清方苞『両朝聖恩恭「苞伏念辞奏当甚、而聖祖矜疑、免殛、又免放流。」清沈『生祠』某公居官日、断無矜疑。」。

[35]原文「奸淫誰不惹非災」。「非災」は意外な災金董解元『西廂記諸宮調』巻四「当日全家遇非災、夫人心下驚。」。関漢衣夢』第三折「我救了你非災、有救我横。」。明屠隆『綵毫·展叟単騎』「願皇天祐脱非災、一浄氛埃。」。

[36]犯人を収監する前、棒で打ち、服従させること。関漢卿『蝴蝶夢』第三折「別過枷梢来、打三下威棒。」元李致牢末』第二折「旧犯人入牢、先吃三十威棒。」『水滸伝』第九回「太祖武徳皇帝留下旧制:新入配軍須吃一百威棒。」。

[37]原文「莫大姐原是立不得貞節牌坊的」。「貞節牌坊」は節を守ったり、殉したりした女のために建てた牌坊。清李『奈何天·左』「請問這貞節牌坊、是朝西。。」「貞節」とも。『禅真後史』第三九回「玉旨批定日期、於正月十五日辰三刻、州前貞節坊下待詔家起火、至十八日未即刻火熄、共焚官民屋宇九千三百七十一家了。

[38]「客」は客商のこと。「幸客」は客商の幸逢ということ。

[39]原文「也曽咽著乾唾的」。未詳。とりあえずこう訳す。ただ、日本語の「固唾を飲む」と異なり、むしろ意味は「指を咥える」に近いであろう。『二刻拍案驚奇』巻之七『使者情媾宦家妻、呉大守配儒女』「只是各自一只官船、人眼又多、性急不便做手脚、只好咽干唾而已。」。

[40]人の世で行われ、冥土で功として認められる善行。唐呉筠『遊仙』之五「功著、乃致白日升。」。蘇軾『送蔡冠卿知州』「知君決功、他日老人酬。」。

[41]原文「楊二郎、徐長班多是我一塊土上人」。「一塊土」は同じ土地のこと。『儒林外史』第十四回「况且你土的人、彼此是知道的。」。

[42]原文「我替你同到官面前、還你的明白。」。「還你的明白」が未詳。とりあえずこう訳す。

[43]家宅捜索に当たる兵であろう。明史』呂坤伝「自抄没法重、株連數多。坐以轉寄、則並籍家資。誣以多贓、則互連親識。宅一封而雞豚大半餓死、人一出則親戚不敢藏留。加以官吏法厳、兵番搜苦、少年婦女、亦令解衣。臣曽見之、掩目酸鼻。」。

[44]原文「行関到臨清州」。「行関」は文を送ること。『二刻拍案驚奇』巻一「我常州府盗情事、扳出与你寺干、行守提。」『二刻拍案驚奇』巻四「即将僉事収下候、待行取到原告再文は同級の官府で交わされる文『元典章·兵部三·押運』「各脱脱禾、止凭前站文即行付、并不当、成此弊。」『警世通言·玉堂春落逢夫』「却説公子行下文、到北京本司院提到淮、一秤金、依律罪。」『儒林外史』第四五回「県)隨在公案上、将一朱印墨文、叫堂吏下来看。」

[45]原文「原差守提」。「原差」は最初に遣わされる下役。『五美縁』第十六回「当下吩咐原差、両案人犯伺候、堂聴」。「守提」は身柄を確保して引き立てることであろう。『醒世姻伝』第十二回「差人下武城県守提一干人犯、務拿珍哥出官、上有名犯證、不許漏一名。」。

[46]糧物、罪人などを送達する時に官府が発する返答文。明沈徳符『野獲編補遺·部·江南白糧』「各料物、有索取四百余両、乃得批迴者矣。」『古今小·沈小官一害七命』「却説沈c在路、渇飲、夜住行、不只一日、来到。把段疋一一交納過了、取了批回。」清梁『両般秋雨盦隨筆·侯元』「侯元経)年五十、官江左丞、解餉部、為庫吏需索、不即予批迴、侯大窘。」

[47]原文「問略販良人軍罪押追」。「軍罪」は充軍に同じ。辺境に送り服役させること。「押追」は護送することであろう。『大清律例』詐欺官私取財「若五家同時関閉、一併拘拏押追、照前治罪。」

[48]法律用語故意でない犯罪。関漢『金池』第四折「失了官身、本庁責打四十、你一个不罪名。」元仲章『勘巾』第三折「怎把我也个不『水滸伝第三回「原告人保回家、佑杖断有失救房主人并下処隣舍止得个不

[49]原文「也問杖贖釈放寧家」。「杖贖」は「贖杖」のことであろう。「贖杖」は犯人が財貨を納めて杖刑を免除されること。『醒世姻縁伝第十二回「珍哥罪、鼂源有力徒罪、伍聖道、邵無力徒罪、海会、郭姑子杖。

[50]原文「再与你立案罷了。」。「立案」が未詳。とりあえずこう訳す。

[51]結婚契約書。『儒林外史』第十四回「今丫已是他拐到手了、又有些事、料想要不回来、不如趁此就写一、上写収了他身価一百両。

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