巻三十四 任君用が深閨に楽しみを(ほしいまま)にすること 楊大尉が戯れに食客を去勢すること

 

 

詩がございます。

 

  黄金を用ゐ尽くして歌舞せしむとも、年若き他人(あだびと)に遺して楽しましむるのみ。

  この語は身後の事を(かな)しむのみにして、現報の生前に在ることをいかで知るべき。

 

 さて、この世の富貴な人々に、多くの妻妾を蓄えないものは一人もいません。思うに左に燕姫を擁し、右に趙女を擁し[1]嬌艶(たおやめ)が前に盈ち、歌舞するものが隊を成すのは、人生で誇らしい事であります。ところが男女の大欲は、どちらも同じものであり、一人の精力で幾人かの婦人と渡り合おうとしても、もとより対応しきれるものではございません。まして富貴な人々は、かならず中年前後であり、娶られる妻妾たちは、かならず花にも似た若いひとたちなのです。枕席でする事は、多種多様であり[2]、かれらの意を満たすことはできません。ですから閨房を満たすのは怨嗟でなければ、醜聞ということになるのです。家の決まりがとても厳しく、鉄壁銅牆、鈴を鳴らし、大声を上げ[3]、水も漏らさぬほど防いでも、かれらの体を抑えることができるだけで、かれらの心を抑えることはできません。かれらは(すき)さえあれば火遊びすることを考えますので、あなたのもとにやってくる気はさらさらなく、厭わしいものとしてあなたを見るだけ、これでは何の良いことがございましょう。お金を費やし、苦心したとて、かれらの憎悪を買うだけなのです。こころみに見てみれば紅払[4]は越公[5]の家を離れて、紅綃[6]は臣の家を逃れましたが、このような事は一つだけには止まりません。生前からすでにこのありさまなのですから、一旦死ねば、「樹は倒れ猢猻(さる)は散ず」[7]というありさまで、残花嫩蕊[8]は、多くは他人の手に落ちてしまうのです。関盼盼[9]となるものを求めても、千人に一人もおりません。これは身後の事でもあり、多くを管理することはできませぬから、慨嘆するに足りません。いかんせん富貴な人は、眼前のことだけを見て、極楽であると思っているのです。わたくしは傍らでこれを見ますと、まさにあなたのために愁えを抱くものです。

 

 宋朝の京師の士人が、出遊して帰ってきましたが、日が暮れようとしておりました。ある家の裏庭にさしかかりますと、塀が崩れているところがあり、それほど高くなく[10]、見たところ跳び込むことができるかのようでした。この時、士人は酒興を帯びておりましたので、一跳びで塀を越えました。見れば中は大きな花園で、ほんとうに広々としておりました。四周を一望しますと、花木は繁茂し、小径は交わりあっており、とても美しく想われました。喜んで、石段に従ってくねくね曲がってゆきますと、歩むほど奥深く、悄然として人一人なく、ひたすら踏み込んでゆきましたが、見れども飽かぬありさまでした。空がすこし暗くなってきますと、戻ろうと考えましたが、たちまち来た路を忘れてしまいました。記憶を辿り、道を捜しておりますと、突然、紅紗の提灯が遠くからやってくるのが見えましたので、「きっと召使いが来たのだろう。」と考えました。心の中で慌てましたが、もと来た路を探し出すことはできませんでした。出くわしてはまずいだろうと思いましたので、隠れようと考えました。見れば道の左には一つの小さな(ちん)があり、(ちん)の前の太湖石のほとりには石の洞窟が築かれてあり、その入り口は一枚の小さな毛氈で覆われておりましたので、「この中に隠れれば、おもての人には見えぬだろう。ひとまず隠れることができれば、良いではないか」と考えました。いそいで小さな毛氈を掲げ、まさに身を隠そうとしますと、一人の男が洞窟の中から突然出てきましたので、その驚きは小さくありませんでした。士人が男を見たところ、綺麗な顔の若者でしたが、なぜさきにこの中に潜んでいたのかは分かりませんでした。そのものは突然士人が毛氈を掲げますと、自分の居場所を奪おうとしているのだと考えて、やはりたいへん驚いて、いそいで逃げて、行方が知れなくなりました。士人は言いました。「ありがたい。ひとまずわたしが隠れよう。」そこで息を潜めて、中に蹲んで、きっと見つかることはあるまいと考えました。

 

 ところが、「事は予想がつかぬもの、(かたき)同士はすぐ出会うもの」、紅紗の提灯は、よりによってその(ちん)に上ってきました。士人の洞窟の中は暗い処でしたから、外を見ますと灯りが点っている処はやや明るいのでした。そこでは十人ほどの年若い婦人が、あでやかな服を着て、一人一人が妖冶な物腰、なまめかしさは人の心を動かしました。士人はそれを見、まさにむらむらしておりますと、はからずも人々はがやがやと大勢で石の洞窟の入り口に押し寄せてきて、一斉に毛氈を掲げました。そして士人が見慣れない顔であるのを見ますと、みな驚きました。「なぜあのかたでないのでしょう。」顔を見合わせ、訝りました。するとやや年増の婦人が、紗灯を手に奪い、提げてきて士人をじっくり照らしますと、言いました。「このひとでも良いでしょう。」すぐに細い手で士人の手を引き、引き出しました。士人は質問しようとはせず、なにも悪いことはなかろうと思い、おとなしくかれらについてゆきました。引かれて洞房曲室に行きますと[11]、酒肴が並べられており、美人たちは先を争い、六博[12]をして雄を競い、杯を交わし、(ちょこ)を換え、肩を抱き、頚を交え、顔を寄せ、唇を付けるなど、ありとあらゆることをしました。幾杯かの酒を飲み下しますと、一人一人が火のように熱くなり、三七二十一に構わず[13]、士人を寝床に推し、一斉に集まって、帳の中に入りました。袴を脱がすものは袴を脱がし、腰を抱くものは腰を抱き、どのような順序なのかは分かりませんが、順番に戯れはじめました。士人が精を漏らしますと、吸ってやるもの、さすってやるものがおりましたので、おもわずふたたび怒張しました。さいわい士人は若者で、さらに二本の連珠箭を放つことができ[14]、休むことはありませんでしたが、あなたならたとい鉄で鋳られていたとしても、そのような力はなかったことでしょう。さんざん騒いで、五鼓になりますと、先ほどの人々はようやく散ってゆきました。士人はすでに筋骨が萎え、肢体には力がなく、歩くことができなくなっておりました。するとあのやや年増の婦人が、士人を大きな担箱[15]の中に入れ、二三人の娘を呼んで抬がせました。塀の外に行き、担箱を傾けて士人を出しますと、いそいで門を閉ざして、そのまま入ってゆきました。

 この時は夜が明けようとしていましたので、士人は人に見られて、厄介ごとを引き起こすことを恐れて、やむなく気力を奮い立たせて、一歩一歩やっとの思いで帰りましたが、人に話をしようとはしませんでした。幾日か過ぎますと、体は健康になりましたので、ようやく以前の場所のそばに行き、壊れた塀の中はどういう場所かと尋ねました。人が蔡太師の家の花園だと言いますと、士人は舌を伸ばしたまま、すぐには引っ込めることができず、手に汗を握り、ふたたびそこを通ろうとはしませんでした。

 皆さん、当時の蔡京太師は、とても権勢があり、とても家法が厳しかったのですが[16]、妻妾たちは、爺さんが寝ているときに、背後でこんなでたらめをしていたのです。約束した男が驚いて去ってしまうと、別の男に換え、淫楽をほしいままにし、傍若無人のありさまで、太師はそれを止められなかったのでした。たくさんの妻妾を蓄えたため、このような醜い事が起こったのです。当時、高、童、楊、蔡[17]は四大奸臣と称せられていましたが、蔡太師と大差ない権勢を持っていた楊戩大尉にも、このようなことがあり、その後、事が明るみになりますと、多くの笑い話となったのでした。皆さんがお厭いになりませぬなら、わたくしがこころみにその詳細をお話しするのをお聴きください。

 

  前に満ちたる嬌麗(たをやめ)は荒淫を(ほしいまま)にし、誰かは雨露に飽くことあらん。

  陽台あれば楽地と成りて、雲となるもの襄王に限ることなし[18]

 

 さて宋の楊戩太尉[19]は、権勢と寵愛を恃み、あらゆる悪事をし、声色を奉るもの、妻妾の多さでは、当時蔡太師より下のものでは、並ぶ者がありませんでした。ある日、大尉は鄭州の家に行こうとし、妻妾を連れてともに行かせることにしました。仕えている幾人かの夫人と各部屋で使っている侍女下女は[20]、多くは西へついてゆきました。そのほかいささか高齢のものと幼くて仕事を憶えていないもの、体が弱く風霜を歴ることを恐れるもの、生理の最中で轎や馬に乗るのに障りがあるものは、残って行きませんでした。侍女下女たちも、五六十人は屋敷に留まりました。太尉は性格が疑り深く、束縛はかたく厳しく、中門から大門までをすべて閉ざし、朱筆の封印を添え、出入りを通じさせませんでした。中門の内側は回廊の壁だけに孔を開け[21]、輪転盤を設置し、おもてから食物を入れるだけでした。一人の年老いた執事、姓は李というものが外で監視し、晩に人に夜回りをさせ、銅鑼を鳴らし、拍子木を敲き、夜通しやめることがなく、おもての人々はかれをまともに見ようとはしませんでした。内宅に留まって、行かなかったものは、幾人かの出色の[22]、大尉に寵幸されている有名な妻妾たちで、一人は瑶月夫人、一人は築玉夫人、一人は宜笑姐、一人は餐花姨姨といい、侍女たちとともに、中に閉じこめられておりました。昼は長く、夜は永く、仕事はありませんでしたので、骨牌をしたり、草合わせしたり、ぶらんこしたり、鞠を蹴ったり、気晴らしをして日々を過ごすばかりでした。しかし興味には限りがあり、慰みなどにはなりませんでした。それに昼間はなんとか過ごしても、晩は寂しいものでしたから、どうして耐えることができましょう。築玉夫人はもともと長安の玉細工師の妻で、資性聡明、容貌美艶、ひそかにいささかの人々と関係を持っており[23]、京師では盛名を伝えられていました。楊大尉はたまたまちらとかれを見て、権勢を用いて奪ってきますと、とても寵愛し、第七の夫人に立て、名を築玉と呼びました。美しく装いますと、玉で彫刻した人のようでしたが、ひそかに本来の心を抱いているのでした[24]。かれは女たちの中でもとりわけ伶俐、妖艶であり、太尉が家にいる時でも、ひそかに年若いものを入ってこさせて楽しむことを考えておりました。今は大尉が居らず、ひねもす閑で、ひっそりと閉ざされておりましたから、どうして淫らな考えを起こさぬはずがございましょう。

 太尉には一人の食客がおり、姓は任、字は君用といいました。もともとは勉強してもものにならない若者でしたが、うまい字を書きましたので、書簡の類を代筆することができました。顔立ちは美しく、年は三十前でした。総角(あげまき)の頃、しばしば太尉と後庭の楽しみ[25]があり、冗談を言い、調子をとるのがとても上手で、性格も従順でしたので、太尉はかれを気に入り、館に留め、食客にしておりました。太尉が鄭州へ行くときは、道中妻妾がたいへん多く、轎や馬に乗ったり下りたりするときに、障りがあるため[26]、屋敷のおもての棟に留まって行きませんでした。任生には方務徳という仲の良い友人がおり、幼いときから同窓で、ふだん屋敷にいるときは、暇さえあれば、訪ねていって、閑談、飲酒しておりました。この時は太尉は家に居らず、任生はますます手持ち無沙汰でしたので、昼はかれを連れてあちこち歩き、晩はともに娼家に泊まったり、ひとり書斎に帰ったりしましたが、このことはお話しいたしません。

 さて築玉夫人は夜の寂しさに耐えきれませんでしたので、もっとも気心の知れた如霞という侍女を呼んできて寝床の片側で眠らせ、かれと淫らな事を話して、鬱憤晴らしをしておりました。話に興が乗りますと、淫行するための張方を取り出し、如霞の腰に縛らせてとりあえず男にし、事を行っておりました。如霞が言われた通りにしますと、夫人もはあはあいいながら、腰をやたらに聳やかし、震わしました。如霞は興が乗りますと、夫人に尋ねました。「男の旨味(うまみ)と同じでしょうか。」夫人は言いました。「すこし飢えを満たすだけで、ほんものとはいえないよ。ほんとうの男の旨味(うまみ)は、このようなものにとどまらないよ。」如霞は言いました。「ほんとうの男がそんなに良いのでしたら、屋敷のおもての棟に男がひとりで居るのは惜しいことです。」夫人は言いました。「任君用さまのことかえ。」如霞は言いました。「その通りです。」夫人は言いました。「あのかたは太尉さまのもっとも親しい客人だし、男前だ、わたしたちは奥であのかたを窺い見てはいつもむらむらしているのだよ。」如霞は言いました。「策を講じてあのかたを入ってこさせることができれば、ほんとうにすばらしいことでしょう。」夫人は言いました。「あのかたはひとりでいらっしゃるのだね。だが塀は高いから、飛んで入ってくることはできないだろうね。」如霞は言いました。「ご冗談を仰って。もちろん入ってくることはできません。」夫人は言いました。「わたしが一計を案じて、かならずあのかたを入ってこさせることにしよう。」如霞は言いました。「後花園の塀の下がおもての棟の書室です。わたしたちは明日の朝、後花園に行き、様子を見ましょう[27]。どうか良い計略を設けてあのかたを入ってこさせられますように。みんなで楽しむことにしましょう。」夫人は笑いました。「わたしが手に入れていないのに、おまえはもう分け合うことを考えているのだね。」如霞は言いました。「独り占めはいけません。わたしたちもみんな乗り気でございますから、力をお貸しいたしましょう。」夫人は笑いながら言いました。「その通りだね。」その晩はお話はございません。

 夜明けになり、髪梳きと洗顔をしますと、夫人は如霞とともに後花園の門を開け、髪に挿す花を摘みにゆき、すぐに様子を見にゆきました。ぶらんこの傍らに行きますと、毛糸の縄が高く懸かっておりました[28]。夫人はそれを見ますと、笑いました。「これは使いものになる。」さらに植木用の梯子が太湖石の傍らに立てかけてありました[29]。夫人は如霞を呼んで言いました。「ごらん、ごらん、これら二つの物があれば、内と外とが塀で隔てられていても心配ないよ。」如霞は言いました。「どのような計略でございましょう。」夫人は言いました。「とりあえずおもてに接している塀のほとりに行って、はっきり見てから、手を打とう。」如霞は夫人を連れて二本の梧桐の樹のほとりに行きますと、指さして言いました。「こちらがまさにおもての書室で、任君用さまは今ひとりで中にいらっしゃいます。」夫人はじっくり見ますと、考えて、言いました。「今晩、ここからあのかたを中に入れ、会うことは、難しくない[30]。」如霞は言いました。「どうしてでしょうか。」夫人は言いました。「わたしとおまえでこっそり梯子を持ってきて、梧桐の樹に立てかけるのだ、おまえは梯子に上り、さらに枝を幾層か踏み上がれば、おもてに声を掛けることができるだろう。」如霞は言いました。「こちらは上ってゆくのは難しくありませんし、おもてに声を掛けるのも難しくありませんが、あのかたが上ってくることはできません。」夫人は言いました。「わたしが何枚かの板の両端を、ぶらんこの縄で縛ろう。一尺余ごとに一枚の板を縛って、纏めればただの一包み、広げればすぐに梯子のようになる。おもてときちんと約束したら、梯子から梧桐の枝の上に行き、縄を二股の太い幹にしっかりと縛るのだ。その後で、板と縄をしばしば塀の外に投げて掛ければ、まさに縄梯子だから、さらに多くの人々も順番に上ってこられることだろう。まして一人はなおさらのこと。」如霞は言いました。「すばらしゅうございます。すばらしゅうございます。ぐずぐずされてはなりません。とりあえずその通りにして試してみましょう。」にこにことしてまずは部屋の中から十枚ほどの小さな板を取り出しますと、夫人に渡しました。夫人はぶらんこの縄をほどいてこさせ、みずから固く縛りますと、如霞に言いました。「おまえはひとまず梯子を立てかけ、上がっていっておもてを眺め、消息(たより)を通じることができるか見ておくれ。もし人がいなければ、この方法でさきにおまえを下におろして、あのかたを招いても良いのだよ。」

 如霞は言われた通り、梯子をしっかり立てかけますと、身軽でしたので、するすると枝に上りました。おもての書舍を見ますと、これも事件が起こる定めであったのでしょうか、いみじくも任君用が方務徳とともに外で遊んで夜を過ごし、先ほど戻ってきて、まさに部屋に入ろうとしておりました。塀の中で如霞は笑いながら指さして言いました。「任先生ではございませんか。」任君用は塀の上の笑い声を聴きますと、頭を抬げて見ましたが、双鬟の娘がかれを指さして話しておりましたので、屋敷の如霞であることに気が付きました。かれはもともと年若い男でしたから、心を抑えることができずに、尋ねました。「ねえさん、何のお話でしょう。」如霞はわざと気を引こうとして、答えました。「先生はこんなに早く外からお戻りですが、昨晩はどこぞやへ行かれたのではございませんか。」任君用は言いました。「わたくしはひとりで居るのは耐え難いので、おもてへ行くのは致し方ないことですよ。」如霞は言いました。「わたくしたちは塀の中でひとりで居ります。中へ行かれてはいかがでしょうか。みんなひとりではなくなりましょう。」任君用は言いました。「両の翼が生えなければ、飛び込んでゆくことはできません[31]。」如霞は言いました。「入ってこようとされるのでしたら、わたしに手だてがございますから、飛ばれることはございません。」任君用は塀の上に向かって大声で挨拶しながら言いました。「おねえさん、おおきにありがとう。はやくよい方法を教えてください。」如霞は言いました。「夫人に申し上げますから、晩に消息(たより)をお待ちください。」そう言いますと、樹を滑り降りてきました。任君用ははっきり話を聴きますと、勿怪の幸いだと思い、言いました。「どのご夫人かしら。このようなご縁があるとは。しかし入ってゆくことはできぬから、とりあえず晩になったら消息(たより)を聞こう。」そしてひたすら日が沈むのを待ちました。まさに

 

  心なき三足烏(みつあしがらす)[32]団円(まど)かにて光こそ皎灼(かがや)けれ。

  いづくにか后羿の弓をもて、この一輪を射落とすを得ん[33]

 

 任君用が日暮れを待ち望んだお話しはこれまでといたします。さて、築玉夫人は下で如霞が塀の外と話しているのを見、一言一言をおおむね聴いておりましたので、如霞が報告するまでもなく、以心伝心、にこにことしてひとまず部屋に戻りました。如霞は言いました。「今晩はきっと寂しくないでしょう。」夫人は言いました。「若者が怖じ気づき、入ってこようとせぬこともあるだろう。」如霞は言いました。「あのかたは先ほどすぐに飛び込んでこようとしてらっしゃいました。良い方法があることを聴きますと、あのかたはすぐに大きな声で挨拶されました。怖じ気づくはずがございません。今宵の楽しみに備えられるのがようございましょう。」築玉夫人はひそかに喜びました。

 

(とこ)()に異錦[34]()き添へ、香炉に満てる名香を焚く。榛松細菓[35]を貯へて食らはしめ、(うま)き酒、佳き茶を置きて、久しく阱中の猿馬と()[36]、今は野外の鴛鴦[37]とならんと思ふ。芳餌を調へ檀郎[38]を釣り、百計をもてかのひとと楽しまんとす。(詞は『西江月』に寄せる)。

 

 日が暮れようとする頃、夫人は如霞を呼んでいっしょに園内に行きました。梯子の脇に行きますと、如霞は前と同じように梯子から梧桐の枝に行き、塀の外に向かって大声で咳をしました。おもてでは任君用が空が暗くなるのを見、様子を窺い、聞き耳を立てていました。突然人が咳をするのが聞こえましたので、顔を上げて見たところ、如霞が樹の枝の高いところに立っておりましたので、いそいで言いました。「おねえさん、待ちこがれていましたよ。はやく良い手だてを用いて、わたしを入ってゆかせてください。」如霞は言いました。「こちらで待っていてください。すぐに迎えにまいりますから。」いそいで梯を下りてきて夫人に言いました。「ながいこと待ってらっしゃいました。」夫人は言いました。「はやく入ってこさせておくれ。」如霞はすぐ朝にきちんと縛った縄を取り、脇の下にしっかり抱え、梯子の上に行き、樹の枝の上に着きますと、かたく二箇所に縛りました。如霞が「えい」と叫んで、板と縄を塀の外に投げますと、縄は垂れ下がりました。任君用がおもてでじっと眺めていますと、なにかが投げられてきましたが、なんと縄梯子でしたので、喜んで小躍りしました。脚を乗せてみますと、固く結ばれておりましたので、登ることができると考え、板を踏み、両手で縄に掴まりながら、一歩一歩塀に上ってゆきました。如霞はそれを見ますと、いそいで駆け下りてきて言いました。「来られました。来られました。」夫人はすこし恥ずかしく感じ、退いて、太湖石の傍らに腰掛けて待ちました。

 

 任君用は塀を跳び越え、いそいで梯子から跳び下りました。そして如霞を見ますと、進み出て両手で抱きしめ、言いました。「おねえさんは恩人です。とても嬉しゅうございます。」如霞は舌打ちして言いました。「ほんとうに恥知らずですね。卑しい顔をなさるのはおやめください[39]。とりあえずおもてに行って奥さまに会われませ。」任君用は言いました。「どちらのご夫人でしょうか。」如霞は言いました。「第七号の築玉夫人にございます。」任君用は言いました。「京師でとても有名な美しいかたですか。」如霞は言いました。「そうでなければほかにどなたがありましょう。」任君用は言いました。「わたくしは今すぐにあのかたに会いにゆこうとはいたしませぬ。」如霞は言いました。「あのかたはあなたを想われ、計略を用いてあなたを入ってこさせましたのに、どうして恐がられるのでしょう。」任君用は言いました。「このようなことならば、わたくしがどうしてお相手できましょう。」如霞は言いました。「ご謙遜なさいますな。良い思いをさせようとしているのでございますよ[40]。案内役のわたくしをけっしてお忘れになりませぬよう。」任君用は言いました。「身をもってお礼いたします。忘れようとはいたしません。」話をしておりますと、もう夫人の面前に着きました。如霞は大声で言いました。「任先生をお呼びしてまいりました。」任君用は満面に笑みを浮かべて、深々と揖しますと言いました。「わたくしは下界の凡夫でございますから、仙女に近づくことを望もうとはいたしませぬ。このたびはご夫人に目を掛けていただきましたが、いずれの世で福徳を積みましたやら。」夫人は言いました。「わたくしは深閨に居りますが、ふだん太尉が宴会するとき、先生のお姿を窺い見、すでに久しくお慕いもうしておりました。今は太尉が居らず、閨中はひっそりとしておりますので、ねんごろに先生をお迎えし、お話しするのでございます。もしもお嫌でないのでしたら、幸いにございます。」任君用は言いました。「ご夫人にお引き立ていただいたのでございますから、鞭を執り、鐙を墜とすこともしましょう[41]。ただ後日、太尉さまがこのことを知られたら、罪は並大抵のものではございますまい。」夫人は言いました。「太尉は何も分かっておらず、たくさんの背後の眼などございません。それにこのように入ってこられれば、気が付くものはおりません。先生はためらうことはございません。ひとまず部屋へ行きましょう。」夫人は如霞に前で道案内させ、片手で任君用を引きながらいっしょに進みました。こうなりますと任君用は魂がもう天の涯に飛び、恐ろしいことなど顧みませんでした。夫人の細い手、軽やかな脚に従って部屋の中へ行きました。

 

 この時、空はもう暗くなり、各部屋は寂然としておりました。如霞はひそかに酒肴を並べ、二人で酒を酌みかわし、四つの(まなこ)は見つめ合い、甘い言葉を交わしました。何杯か酒を飲みますと、欲心は(ほむら)のようで、寄り添い、抱き合い、(おしどり)(とばり)にともに入りましたが、楽しみは名状すべからざるものでした。

 

  もとは旅館の孤客なりしも、今蓬莱の頂上(いただき)にこそ遊ぶなれ。

  たちまち逢へば旨味(うまみ)は格別、こはあきらかに織女(おりひめ)牽牛(ひこぼし)にこそ会へるなれ。

 

 二人して雲雨の楽しみを尽くしますと、任君用は言いました。「かねてからご夫人の美名はお聞きしていましたが、本日は枕席をともにすることができました。天より高く地よりも厚いご恩には、いつになったら報いることができますのやら。」夫人は言いました。「わたくしはすこぶる色恋を望んでいますが、いかんせん太尉に拘禁されているため、『朝に歓び、暮に楽しむ』とは名ばかりで、すこしも面白味がありません。本日は策を講じて先生に入ってきていただかなかったら、ほんとうに麗しい夜を無駄にしていたことでしょう。これからずっと忍び逢いすることにしましょう。楽しみを極めて死んでも望むところでございます。」任君用は言いました。「ご夫人は玉か氷の肌をなさっていますから、お体に寄り添うだけでも、もったいない福分にございます。ましてや雨露の恩を承け、于飛の願いを満たすのならばなおさらのこと[42]。よしんば事が露見したとて、死ぬだけの価値はございましょう。」二人が談笑し、ふざけあっておりますと、いつのまにか東の方角が白んできました。如霞は床の前に来ますと、立ち上がるように促しました。「一晩楽しまれたのですから十分でしょう。空が明るくならないうちに出てゆかないで、いつ出てゆかれるおつもりですか。」任君用があわてて衣を羽織って起きあがりますと、夫人は別れるに忍びず、手を執って名残りを惜しみ、夜に会うことを言い含めて別れました。如霞に命じて後花園から送り出させ、来た時の方法で縄にぶら下がって下りてゆき[43]、晩になるとふたたび入ってくるのでした。これぞまさしく

 

  (あした)にはひそかに(いで)て、(ゆふべ)にはひそかに入れり。

 はたして行くに(こみち)に由らず、すでにひそかに室に至れり[44]

 

 このように幾晩か行き来しますと、如霞とも仲が良くなって、みな熱々のありさまでした。築玉夫人は心の中で喜んで、仲間たちと談笑する時、すこし頭がぼんやりしますと、見境のないことを言い、いささか馬脚を露わしました。仲間たちは初めは気が付きませんでしたが、その後、様子を見ますと、すこぶる疑心を生じました。晩になりますと、気の利くものは、あれこれ聞き耳を立て、いささか音を聞いていました。人々は多くはいける口でしたので[45]、しっぽを掴み、いっしょに汚水の中に入り交じりたくてたまりませんでしたが、行動を掴むことはできませんでした。

 ある日、人々はたまたま興が乗りましたので、ぶらんこしようと言いました。がやがやとぶらんこの傍らに行きますと、縄が見えなくなっていました。みんなで捜しはじめましたが、築玉夫人と如霞の二人はほとんど声を出すことができませんでした。そもそも最初の二回は、任君用は出てゆくときに、縄を(ほど)いて隠し、他の人に見られることを防いでいました。その後、場数を踏みますと、すこし油断し、夜に来るとき使いますので、(ほど)くのが億劫になりました。ですから、任君用は出ていっていたものの、縄はまだ樹の枝に吊されて、おもてに掛かり、片付けられていなかったため、人々に見付かってしまったのでした。人々は言いました。「ぶらんこの縄ではありませんか。どうしてここの樹に縛られて、おもてに放り投げられているのでしょう。」宜笑姐は年がもっとも若く、身軽でしたので、梯子がそこにあるのを見ますと、樹の枝にするする上り、垂れていた縄を、引き入れました。人々は一枚一枚板が縛ってあるのを見ますと、みんな驚きました。「おかしい、おかしい。人がこちらに出入りしているのではございませんか。」築玉夫人は顔を真っ赤にし、しばらく口を開こうとしませんでした。瑶月夫人は言いました。「あきらかに誰かがここから中に入っているのです。わたしたちは李院公に報せて調べてもらい、太尉さまが家に来られたら、ご報告するべきでしょう。」口ではそう言いながら、眼では築玉夫人を見ました。築玉夫人はうなだれるばかりでした。餐花姨姨は十分察しがつきましたので、笑いました。「築玉夫人はなぜ一言も仰らないのでございましょう。心配事があるのではございませんか。正直にわたくしたちにお話しになり、いっしょに相談なさったほうが、かえって宜しゅうございましょう。」如霞は騙しきれないと考え、築玉夫人に言いました。「この事をもしもみんなに話さなければ、きっとみんなに騒がれてしまいます。ひとりでしようとしてもできなくなったのですから、みんな仲良くはっきり話すことにしましょう。」人々は手を叩きました。「如霞ねえさんは尤もなことを仰っています。わたしたちに内緒にされてはなりません。」築玉夫人はやっと任生がこの塀の外を書室にしていること、計略を用いてかれを入ってこさせた事を話しました。瑶月夫人は言いました。「結構なことだねえ。わたしたちに内緒でこのような良い事をしていたのだね。」宜笑姐は言いました。「今、それを仰ることはございません。すでにみんなが知ったのですから、いっしょに楽しむことにしましょう。」瑶月夫人はわざと言いました。「『為すべきは為せ、為すべからざるは為すべからず』というのに、なぜそのように言うのだえ。」餐花姨姨は言いました。「ならぬことでも、姉妹の誼がございますから、すこし手助けするのが宜しゅうございましょう。」宜笑姐は言いました。「姨姨の仰るとおりです。」みんなはどっと笑って解散しました。

 瑶月夫人は、奥では築玉夫人ともっとも仲良くしていましたから、築玉に秘め事があることを知りますと、楽しみを分けてもらおうと考えておりました。しかし人々が目の前におりましたので、取り澄ましたことを言うしかありませんでした。人々が解散しますと、ひとりで築玉の部屋の中に行き、尋ねました。「おねえさん、今晩は来るのですか。」築玉は言いました。「正直に言いますが、連日、来慣れていますので、来ぬはずはありません。」瑶月は笑いました。「来る時はおねえさんがひとりで楽しむのですか。」築玉は言いました。「さきほど『為すべからざるは為すべからず』と仰いましたね。」瑶月は言いました。「さきほどは一般論で、わたしも真似をしたいのですよ。」築玉は言いました。「おねえさんがその気でいらっしゃるのでしたら、わたくしはお譲りするのが筋というもの。今夜、あのかたを呼び入れましたら、おねえさんの部屋に送ってゆかせましょう。」瑶月は言いました。「わたしはあのかたと馴染みでもなく、恥ずかしいですから、あのかたをわたしの部屋に来させるわけにゆきません。わたしはおねえさんの処で助っ人となればよいでしょう。」築玉は笑いました。「この事は、人に助けられる必要はありません。」瑶月は言いました。「仕方ありません。わたしははじめてで恥ずかしいので、おねえさんの名を騙り、旨味(うまみ)を味わうしかありません。わたしだということは言わずに、しっぽりとなったら手を打つことにしましょう。」築玉は言いました。「それならば、おねえさまはとりあえず隠れなけばなりません。あのかたがわたしの寝床にやってきて服を脱いだら、(ともしび)を吹き消しますので、すり替わられればよいでしょう。」瑶月は言いました。「結構ですね。おたがい助け合いましょう。」築玉は言いました。「もちろんですとも。」二人の相談はすでに決まりました。

 晩になりますと、また如霞を後花園に行かせました。如霞は縄を持って出てゆきますと[46]、任君用を呼んで入ってこさせました。築玉夫人はかれをさきに睡らせますと、灯を吹き消し、暗い中から瑶月夫人を引き出してきて、推して寝床に行かせました。瑶月夫人はさきほど二人で話した時に、すでに春心蕩漾としておりました。さきほど灯りの後ろに隠れてこっそりと任君用が入ってくるのを見ましたが、暗い処から明るい処を見るとはっきり見えるもので、任君用の垢抜けて色気ある様子を見ますと、おおいに劣情を催しました。築玉夫人がかれを引いてきますと、心の中ではすぐに手に入れたくてたまりませんでした。それに暗闇の中で気兼ねすることはなく、何の恥じらいもありませんでしたので、するりと床に潜り込んでゆきました。寝床では任君用が築玉夫人だと思い、軽い車に慣れた路[47]、口を開くのも待たず、身を翻して戯れはじめました。瑶月夫人は欲心がすでに(さか)んでしたので、力いっぱい承けて立ちました。肝心な処にさしかかりますと、任君用は皮膚の肌理と物腰態度が、すこし違うと感じました。それに声を立てませんでしたので、すこし疑わしく思い、そっと呼びかけました。「愛しいご夫人、どうして今夜は口を開かれないのでしょう。」瑶月夫人は答えようとはしませんでした。任君用が尋ねれば尋ねるほど、瑶月は息を潜めて、声も出そうとしませんでした。任君用は焦々して何度もおかしいと叫び、体を押さえたまま動くのをやめました。

 築玉は寝床の脇に立ち、しばらく聴いておりましたが、このありさまを耳にしますと、おもわず笑い、そっと帳を掲げますと、任君用をつよく打って言いました。「ろくでなし、いい思いをして。ひたすら何をくどくど喋っているのです。今晩はわたしより十倍勝れた瑶月夫人に換わっているのに、まだお気付きにならないのですか。」任君用は、案の定違っていたのだと悟り、言いました。「今度はどちらのご夫人に気に入っていただけたのでございましょう。叩頭をしてご挨拶しておりません。ご無礼つかまつりました。」瑶月夫人はようやく声を出しました。「何を気取ってらっしゃるのです。気付いたのならそれでよいのです。」任君用は愛らしい声を聴きますと、思わず興を動かし、ますます奮い立ちました。瑶月夫人は楽しみが極まって言いました。「ほんとうに思いやりのあるおねえさん、わたしに譲ってくださって、ほんとうに楽しいですよ。」精液ははやくも漏れて、四肢は疲れました。築玉夫人は聴くと思わず興奮し、これまた服を脱ぎますと、寝床に跳び上がってきました。さいわいに任君用は旗竿を倒しておりませんでしたが、瑶月はすでに興が去っておりましたので、いそいで機嫌を取り、床から下りさせると、かれを築玉夫人のところへ推してゆきました。任君用は相手を換えて、さらに鋒を交えはじめました。これぞまさしく、

 

  花に柳に倚りそひていと珍しき情あり、巫山は暗く雨と雲とが(みなぎ)れり。

  なよびたる人は(かをり)(ぬす)む蝶、(ひむがし)を過ぐれば西に向かふなり。

 

 三人が一つの床で楽しんだことはこれまでといたします。さて宜笑姐、餐花姨姨は、昼に事実を告げられて、夜に任君用が入ってくることをはっきりと知りますと、瑶月夫人を誘っていっしょに男を囲み、みんなで楽しもうとしました。おのおのがとりあえず夕飯を食べにゆき、その後瑶月夫人の部屋に行きますと、すでに夫人が見えなくなっておりましたので、心の中で訝しみ、いそいで築玉夫人の処へ尋ねてゆきました。部屋の外で如霞に遇いますと、尋ねました。「瑶月夫人はあなたの処に居るのですか。」如霞は笑いました。「とっくにわたしのところにいらっしゃいますよ。今、うちの奥さまの寝床で休んでいらっしゃいます。」二人は言いました。「いっしょに眠っていらっしゃっては、あのかたが来られた時にまずいでしょう。」如霞は言いました。「まずいことなどございません。かえってとても良いのです。三人でいっしょになるのでございますから。」二人は言いました。「あのかたはもう入ってきたのですか。」如霞は言いました。「入ってきました。入ってきました。今ではさんざん出たり入ったりしています[48]。」宜笑姐は言いました。「昼間あのかたはわたしがいっしょに楽しみましょうと言ったとき、ひどく取り澄ましていましたが、今ではあのかたのほうがさきに手を下されたのですね。」餐花姨姨は言いました。「嘘をつく人がいちばん手ごわいのです。」宜笑姐は言いました。「わたしたち二人が騒いで入ってゆけば、わたしたちを拒むわけにゆかないでしょう。」餐花姨姨は言いました。「いけませんよ。今かれら二人は一つになって楽しんで、きっと疲れていますから、わたしたちにまで回す力はございませんよ。」宜笑姐に耳打ちしました。「今夜は我慢し、明日になったらさきに手を打ち、あのかたを部屋に来させれば、わたしたちをきっと楽しませることでしょう。」宜笑姐は言いました。「仰ることはご尤もです。」二人はそれぞれ部屋に帰ってゆきました。その晩はお話はございません。

 翌日の朝、任君用を出てゆかせますと、如霞は夫人の寝床の前に行き、昨晩、宜笑、餐花の二人が瑶月夫人を尋ねてきたことを話しました。瑶月はそれを聴きますと、いそいで尋ねました。「かれらはわたしがここに居ることを知ったのかえ。」如霞は言いました。「知らないはずがございません。」瑶月は驚きました。「どうしたら良いだろう。かれらに嘲笑われてしまうよ。」築玉は言いました。「構いません。いっそ二人の娘も仲間に引き入れて、たがいに気兼ねすることがないようになされば、その時は、任さんも朝に去り夜に来る必要はなく、こちらに留まりさえすればよくなりましょう。みんなで順繰りにすれば、妨げはなくなりますから、悪いことなどございません。」瑶月は言いました。「ほんとうにその通りだが、今日はかれらに会わせる顔がない。」築玉は言いました。「おねえさま、今日はふだんの通りになさり、なにも話題にする必要はございません。かれらが質問しなければそれでよし、質問をした時はわたくしが機を伺ってかれらを引き込み、奥の間で事を行えばよろしいでしょう。」瑶月は安心し、昨晩からの疲れのために、昼まで睡って起きますと、心の中では楽しい事に満足していたのですが、宜笑、餐花の両人に余計なことを言われることを警戒し、見た目はすこし面白くなさそうにしました。ところが二人はすでに考えがありましたので、一言も話をせず、二人の夫人も何もなかったかのように、平然として、やはり話をしませんでした。

 晩になりますと、宜笑姐は餐花姨と相談し、後花園に往き、男を迎えることにしました。二人はそこへ行きますと、人気のないところに隠れました。樹の辺を見ますと、任君用はすでに塀の上に来ており、梯子から地に下りました。頭巾を整え、衣裳を震いますと、まさに足を踏み出して中へ行こうとしました。宜笑姐は進み出てきて怒鳴りました。「どこのならずものでしょう。塀を越えて入ってきてどうするのです。」餐花姨も走り出てきて掴みますと言いました。「泥棒。泥棒。」任君用は驚き、慌てて震えながら言いました。「な、な、中の二人のご夫人に入ってくるように誘われたのです。おねえさん、大声を出さないでください。」宜笑姐は言いました。「あなたは任先生ですか。」任君用は言いました。「わたくしがまさに任君用です。嘘偽りはございません。」餐花姨は言いました。「二人の夫人と密通されて、罪は小さくありません。裁判になさいますか。示談になさいますか。」任君用は言いました。「ご夫人たちがわたしを入ってこさせたのです。わたくしが大胆なのではありません。ただ裁判はできませんから、示談をお願いいたします。」宜笑姐は言いました。「裁判の時は、あなたを李院公に引き渡し、太尉さまがお戻りのとき、報告し、処分していただきますから、大変なことになります。示談を望まれるのならば、今晩は二人の夫人の処へ行くのは許されません。わたしたち二人に従い、こっそりと奥へ行き、わたしたちの指図に従うことにしなさい。」任君用は笑いました。「この中に苦しいことはないでしょうから、お二人に従ってゆきましょう。」三人はすぐに手を取り脚を取り、まっすぐ宜笑姐の部屋に行き、餐花姨も同じ寝床に留まって、翻えれば雲、覆えば雨[49]、倒れる鳳に(まろ)ぶ鸞[50]となりましたことは、申し上げるまでもございません。

 

 一方、築玉、瑶月の二夫人は黄昏時まで待ったものの、任生が来ませんでしたので、如霞に灯を持たせ、後花園の中に行かせ、塀を隔てて声を掛けさせました。そこへ行き、灯で樹のほとりを照らしますと、ぶらんこの縄が塀の中に向かって掛かっていました。そもそも任君用は入ってきた時は、縄を塀の中に入れ、おもてに掛かっているのを人に見られ、後をつけてこられることを防ぐため、中に収めるのが、習慣となっていました。如霞はそれを見ますと、任生がすでに入ってきたことを知り、いそいで報告しにきました。「任先生は入ってこられましたが、奥さまの処へ行かずに、どちらにいらっしゃるのでしょう。」築玉夫人は考えますと、笑いました。「それならば、誰かが巾着切りをしていったのだ」[51]。瑶月夫人は言いました。「二人の娘の処しかないでしょう。」すぐに如霞を見に遣わしました。如霞がさきに餐花の部屋へ行きますと、入り口は閉ざされており、中は寂然としておりました。つぎに宜笑の部屋に行きますと、部屋の中から、ははという笑い声がし、寝床がぎしぎし震動してやむことがありませんでしたので、任生が床で事を行っていることがはっきり分かりました。如霞はまことに口さがないので、いそいで走ってきますと二人の夫人に言いました。「やはりあちらにいらっしゃり、楽しみの真っ最中でした。はやく騒ぎたてにゆきましょう。」瑶月夫人は言いました。「いけません。いけません。昨夜かれらもわたしたちを捉まえなかったのですから、今騒ぎたてにいったら、わたしたちが悪く、和気を傷うことになりましょう。」築玉は言いました。「わたしはまさにかれら二人を仲間に入れようとしていましたが、かれらがさきに気に留めて、もう事を行っているとは知りませんでした。まさにわたしの計画に合っています。今夜はひとまず騒ぐべきではございません。わたしはかれと同じ手で、明日出てゆく路を絶ち、あのかたをからかって慌てさせれば、いっしょにならない恐れなどございません。」瑶月は言いました。「それはどういうことですか。」築玉は言いました。「如霞にあのぶらんこの縄を解いてこさせて隠し、とりあえずあのかたが明日出てゆけないようにさせ、かれらがどのようにわたしたちを欺くことができるかを見るのです。」如霞は言いました。「それはようございます。それはようございます。わたしたちがからくりを設け、人を入ってこさせていたのに、どうして一声も知らせずに、横取りしたのでございましょう。いけないことでございます。いけないことございます。」手に提灯を持ち、一心に後花園に走ってゆきますと、するすると樹に上ってゆき、縄を解くと下りてきて、一まとまりにし、抱えて部屋の中に来て、言いました。「解いてきました。解いてきました。」築玉夫人は言いました。「隠してしまい、明日になったら手を打ちましょう。わたしたちは休みましょう。」二人の夫人はそれぞれ部屋に帰り、さびしく眠ったのでした。これぞまさしく、

 

  玉壷は同じく時を告ぐれど、南宮の()が短くば北宮の()は長からん[52]

 

 一方、宜笑、餐花の二人は任君用を抱き、一晩わけも分からなくなるほど狂いました。晩にふたたび会うことを約しますと、朝にかれを出てゆかせました。任君用は前を歩き、宜笑、餐花の二人は、乱れ髪のまま後ろに従い、こっそりと送り、いっしょに後花園に行きました。任生が普段通り梯に登り木に上りますと、すでに縄梯子はなく、塀の外に出てゆくことができませんでしたので、ふたたび下りてきて、言いました。「誰かが縄を解いてゆきました。きっと二人のご夫人が、わたくしが来なかったため、様子を察し、お咎めになり、わざとわたしを困らせているのでしょう。なんとかほかに縄を捜して出してください。」宜笑姐は言いました。「人を吊して、下りてゆかせるような太い縄はありません。」任君用は言いました。「いっそ二人のご夫人に会いにゆき、罪を白状し、みんなで話し合う方がよいでしょう。」餐花姨姨は言いました。「わたしたちはすこし恥ずかしいですね。」三人がまさにためらっておりますと、突然二人の夫人が如霞とともに園中に走ってきて、手を叩いて笑いました。「わたしたちに内緒で良い事をしたのですから、飛んで出てゆかせることにするのです。」宜笑姐は言いました。「さきにした人がいたので、わたしたちが真似したのです。」餐花は言いました。「とりあえず言い合いはやめましょう。もとはみんなで助け合おうと言ったのに、お二人がわたしたちを置き去りにして、勝手に事をされたので、わたしたちも狡い手を使ったのです。今は話しをすることはありません。ひとまず縄を出してきて、このひとを出てゆかせましょう。」築玉夫人は大いに笑いました。「お尋ねしますが、出してどうなさるのでしょう。あなたが知ってわたしが見たなら、みんな同じで、たといひねもすこちらにいたとて何の障りがありましょう。わたしたちはいっしょになって賑やかに日々を過ごしましょう。」いっしょに笑いました。「すばらしい。すばらしい。夫人の仰ることはご尤もです。」築玉はすぐに任生を引き、美人たちとともに歩いて奥の庭に戻ってきました。

 それからというもの、任生は昼も夜も外に出ることはなく、朝に歓び、暮に楽しみ、夫人たちと肩を並べ、股を重ねるのでなければ、餐花姨姨、宜笑姐たちとつがいになり、淫欲は止まることがありませんでした。体が疲れますと、しばらく休もうとしましたが、どうして自由になりましょう。仕方なく、外に幾日か出てゆかせてくれと頼みましたが、承知する人はさらになく、それぞれがへそくりを出し、美味で滋養のあるものを買い込んで、養生させるだけでした。そして李執事が喋ることを恐れ、それぞれが多くのお金を出し合って口止めしました。ほんとうに何も憚ることはなく、度を超して楽しみました。これがいわゆる、

志は満たすべからず、楽しみは極むべからず。

福が過ぎなば災生じ、かならず敗るる日ぞあらん

ということでして。

 

 任生は奥で一月余り楽しみました。ある日突然、おもてから報せが伝えられてきました。「太尉さまがお戻りにございます。」人々は、多くは夢か現かというありさまで、それほど信じませんでした。ところが太尉はたちまちにやってきて、屋敷の門は豁然として開かれました。人々は手も脚も慌てふためき、いそいで二人に任生を後花園から送り出させ、塀を越えて出てゆかせることにしました。任生が塀のてっぺんに上りますと、下の人はいそいで梯子を片づけ、叫びました。「はやく下りてください。はやく下りてください。」死にものぐるいで、いっさんに駆け戻ってゆきました。その時はとても慌てていたために、注意を払っていませんでしたが、ぶらんこの縄は縛られていなかったため、下りてゆくことはできませんでした。こちらには梯子はなくなり、下りてくることもできませんでしたので、考えました。「人に出くわしたら、大変だ。」身を躍らせて跳び出そうとしましたが、いかんせん衰弱した体で、手脚はくたくた、胆はびくびく、じたばたしながらぶるぶる震え、塀の天辺に跨って坐っているしかありませんでした。まるで、

羝羊は(まがき)に触れて[53]、進退はいづれも難し

というありさまでありました。

 

 昔から「冤家(かたき)同士はすぐに出会う[54]」ともうします。太尉は戻ってきますと、ほかの事は問題にせず、まずは邸内各所の塀に行き、疑わしい痕跡があるかないかを見ようとし、まっすぐに後花園へと行きました。太尉が頭を抬げますと、すでに塀の上に人が居ました。この時、任生は高い処で下を眺めていましたが、太尉がみずから来たことを知りますと、慌てて為す術もなく、体を塀の頂に伏せるしかありませんでした。これは「兔の顔隠し」[55]というもので、すぐには誰だか分からないだけで、体を隠すことはできないものなのです。太尉は奸智が余りある人でしたから、どのような事があって奥の塀の上に来たのかはよく分かっていましたが、閨房に関わることでしたから、噂が広まってはかえって不体裁だと考え、わざと声を揚げました。「この塀は高いのに、人が上ることはできないはずだ。上に人がいるが、きっとなにかの悪魔に憑かれているのだろう。梯子を捜して扶けおろして事情を尋ねることにしよう。」左右の従者は返事して梯子を持ってきますと、任生を一歩一歩支えながら地面に下ろしました。任生は太尉の先ほどの話をはっきり聴いておりましたので、心に一計を案じ、間違いを正さぬことにし、人事不省を装い、人々に引かれて、太尉の前に連れてゆかれるに任せました。太尉は顔を確認しますと、言いました。「任君用ではないか。なぜそのような顔をしている。きっと鬼が憑いたのだろう。」任生はかたく両目を閉ざし、ひたすら口をききませんでした。太尉は神楽観[56]に行き、道士を呼んできて、お祓いさせることにしました。

 

 太尉の威令にぐずぐずとするものはなく、一刻足らずで道士ははやくもやってきました。太尉がかれに任生を見させますと、道士は出任せを言いました。「邪が憑いております。」手で剣を執り、口で幾度か呪文を誦え、浄水を噴きますと、言いました。「良くなりました。良くなりました。」任生ははたして眼を見開いて言いました。「わたしはどうしてこちらにいるのでございましょう。」太尉は言いました。「先ほどは何をしていた。」任生は嘘をつきました。「夜にひとりで書室に坐して、ぼんやりとしておりますと、五人の錦衣花帽[57]の将軍が来て、かれに従って天宮へ行き、なにかを書き写すように言いました。わたくしはそのものの怪しい様子を訝って、必死で拒んだのですが、そのものは従者にわたしを捕らえさせ、空に飛び上がろうとしました。わたくしはあわてて樹の枝に吊り下がり、叫びました『わたしは楊太尉さまの食客なのだから、無礼はならぬぞ。』小鬼たちは「楊太尉」の三文字を口にしますと、すぐ手を緩め、突き飛ばしたため、わたしはたちまち気を失い、太尉さまが目の前にいらっしゃるとは知りませんでした。太尉さまはいつお戻りになられましたか。こちらはどちらでございましょう。」脇の人は言いました。「先ほど鬼によって迷わされ、塀の上に伏せていたのを、太尉さまが救って下ろしてこさせたのです。こちらは後花園です。」大尉は言いました。「今、話していたのは、何の神だ。」道士は言いました。「このかたの仰ったことからしますと、五通神道[58]にございます。こちらに独居し、連れ合いがないのを見、悪さをし、食を求めたのでございます。今、わたくしの護符一枚を差し上げますから、部屋に貼り、さらにいささかの三牲[59]と酒、果物で神さまを鎮めれば、平穏無事にございましょう。」太尉はすぐさま言葉通りにするように命じ、道士を送って戻ってゆかせ、任生は館で介助し、休息させることにしました。任生は心の中で言いました。「ありがたい。天字号[60]の厄介事は、もう騙しおおせたぞ。」

 

 任生はひどく疲労し[61]、元気はもとより消耗しておりましたので、鬼に迷わされたために休息が必要だという名目で、館で十日ほど養生しました。しょせん年若かったため、恢復するのは簡単で、だんだん元気になりましたので、入ってきて太尉に会い、お礼を言いました。「太尉さまが道士を呼んで救ってくださいませんでしたら、今頃はどれほど神鬼に迷わされていたか分かりませぬし、しがない命を喪っていたかもしれませぬ。」太尉も忻然として言いました。「平安無事でまずは良かった。老いぼれと君用どのはながらく会っていなかったのだし、今では君用どのの病気も良くなったから、幾つかの品を調え、楽しく飲もう。」すぐに酒を持ってこさせますと、酌みかわし、猜枚[62]や酒令[63]をし、おおいに楽しみました。任生は臨機応変に、心にもないご機嫌とりをしました。席上、任生はわざと鬼に遇ったことを話し、太尉の心を探ろうとしました。話題にしますと、大尉は「君用どのをひとりにさせて(あやかし)に遇わせてしまったのは、老いぼれの落ち度です」と言い、ねんごろに慰めました。任生は心の中でひそかに喜びました。「した事は、すこしもばれていないわい。ただ、美人たちには、いつまた会うことができるやら。この世では夢に見るしかないだろう。」書室で、静かな夜に、つねに思ってやめませんでした。しかし太尉が疑っていないのを見ますと、ひどく後ろめたかった気持ちは消え、心配もなくなり、僥幸であったと考えました。ところが太尉は腹に一物あり、塀の上にいる任生を見たときから、すでに九割方は腹の中で察しをつけており、築玉夫人の部屋に行きますと、何とあの縄梯子にした縄が、任生をからかったあの晩から、持ってこられて壁間に積まれており、日がな賑やかにしていたために、この場所に捨て置かれたまま、隠されていませんでした。太尉はそれを見ますと、この物が、まさに人を引き入れてきたものだと思いました。すぐさま如霞を拷問しますと、如霞は苦しみに耐えきれず、すべてを白状しました。太尉はさらにあちこちを調べ、一部始終の事柄を、すべてはっきりさせました。しかしすこしも顔に表すことはなく、任生への待遇はまったくふだんと変わりなく、むしろさらに手厚くしました。これぞまさしく、

 

  腹の中には剣を(いだ)き、笑まひの(うち)に刀を(かく)す。

  虎の口をし弄びなば、などて逃るることをかは得ん。

 

 ある日、太尉は任生を招いて酒を飲み、まっすぐ奥の書斎の中に引いてゆきました。しばらく楽しく飲みますと、二人の歌姫を呼び出してきて歌を唱わせ、順番に酒を勧めさせました。任生は歌姫を見ますと、おもわず奥で交わった幾人かを思い出し、心は怏々として、ひたすら酒を飲み、酩酊しました。太尉が立ち上がって入ってゆきますと、歌姫もすぐに入ってきて[64]、任生だけは残されて椅子で居眠りしておりました。すると突然、四五人の壮士が面前に行き、有無を言わさず、任生を縛り上げました。任生はこの時酔っており、事情が分からず、口ではとりとめのないことを言い、あたまはぼんやりしておりました[65]。たちまち人々に担がれて寝床に置かれますと、一人の壮士が、風のように一振りの快刀を抜き放ちました。この時の任生はまさに、

 

  命は五鼓(あけ)の山に沈める月のやう、身は三更(よは)の油の尽くる()(ごと)し。

 

 皆さんは、任生の命を始末しようとするなら、こんなことは太尉の家ではし慣れた事ですし、任生がしでかした罪業も小さくはないのですから、殺しても過ちではない、酒でかれを奥の間に誘い込み、その後で手を下すことはないとお考えでしょう。そもそもこれは殺そうとしたのではなく、処置はまことに珍しいものだったのです。刀を持った壮士は任生の腰から袴をずり下ろし、左手でかれの陽物を引き出し、右手でさっと切り落とし、すぐに両の睾丸を剔り出したのでした。任生は夢の中で「ああっ」と叫び、痛さのあまり気を失ってしまいました。壮士はすぐに優れた効果のある止痛生肌の塗り薬を傷に塗り[66]、任生の縛めを解き、入り口をかたく閉ざして外に出ました。この壮士たちは何者でしょうか。かれらはふだん宮中で用いられている閹工[67]で、去勢が専門なのでした。太尉は任生がかれの妻妾を汚したことを咎めましたが、ふだんはかれが気の利くことを気に入っておりましたので、すぐにはかれを殺さないようにさせ、閹工たちに命じて去勢させたのでした。去勢されたものは風に当てることはできませんので、奥の密室に引き入れましたが、古人のいわゆる「蚕室に下す」[68]とはまさにこのことなのでした。太尉はさらに正しく治療するように、命を傷わないようにと命じ、飲食の類にはかならず留意させました。任生は痛みのために十は死に九は生きるというありさまでしたが、さいわいに正しい治療を受けましたので、死なないですんだのでした。そして太尉が以前の事をすべてお見通しで、この毒手を下したことを悟りました。怒りを忍び、訴えることはなく、ひとまず命を留めることができたのを喜びました。十日ほど経ちますと、やっとのことで起きあがり、いささかのお湯を求めて顔を洗いました。すると下顎のわずかな髭はすべて盆の中に抜け落ちました。いそいで鏡を取って映しますと、まるで太監のような顔になっていました。小さな肚の下には大きな(かさ)ができており、一本の淫行の具はすでに東洋大海に棄てられてしまっていました。任生はそこをさすりますと、涙を雨のように落としました。証拠に詩がございます。

 

  そのかみは花陰(はなかげ)に楽しきことは多かれど、今はただひとり坐しつつ無聊に悶へり[69]

  裙帯はむなしき衣食なることをはじめて知れど[70]、生くれば受くる(さち)もあるべし。

 

 任君用が去勢されますと、楊太尉は会うときは笑顔を浮かべ、ますますかれを殷勤に待遇し、しばしば奥に連れていっては、妻妾たちとともに坐らせ、宴させ、ふざけあわせました。これはかれの身に一物がなく、心配することもないため、慰みの種にするにはもってこいだったからでした。当初、瑶月、築玉などの、関わりのあった者たちは、しばしば昔の誼を語り、かれをたいへん憐れみました。しかし今では「弄ぶべき蛇はなく、見ることはできても食らうことはできぬ」というありさまで、来てもすることはありませんでした。任生は古馴染みたちに言いました。「太尉さまがお帰りになられてからは、この世ではみなさまと永く会う日がないものと思っていました。今ではしばしば会うことができますが、無用の物となりはてて、むなしく唾を呑むばかり、まことに悲しゅうございます。まことに悲しゅうございます。」それからというもの、任生は十日のうち九日は太尉の奥の間に居りました。外に出ようにも、額はつるつる、声は女で、太監の顔になっており、知り合いに会うことを恐れていたため、街へ散歩にゆこうとしなかったのでした。ふだんたいへん親しくしていた方務徳にも半年会いませんでした。務徳は大尉の屋敷に行って尋ねましたが、太尉が命令していたために、人はみなかれが死んだと言いました。

 ある日、太尉が妻妾を連れて相国寺[71]に出遊しますと、任生は隨行しました。たまたまひとりで大悲閣[72]に行きますと、ばったり方務徳に出くわしました。務徳が見たところ、顔立ちは任生に似ているものの、顔つきは変わってしまっていましたし、すでに死んだということを聞かされてもおりましたので、心の中でためらい、進み出て確認しようとはせずに、立ち去ってゆきました。しかし任生のほうは務徳に間違いないと考え、いそいで呼びかけました。「務徳くん、務徳くん、なぜ友達のぼくに気が付かないのだい。」務徳はようやくほんとうに任生であることに気付いて、やってきて揖をしました。任生は旧友を見ますと、手に手を握り、おもわず嗚咽流涕しました。務徳はかれにながいこと姿を見せなかったわけ、どのような悲しい事があったかを質問しました。任生は言いました。「禍に遭ったのだが、一言では言い尽くせないよ。」そして一部始終の事柄を、くわしく話し、「一時(いっとき)いい気になったため、はからずもこのような禍を受けてしまった」と言い、痛哭して止みませんでした。務徳は言いました。「きみは楽しみすぎたから、罰を受け、このようなことになったのだ。もう過ぎたことなのだから、悔やむのはよせ。これからは外に出てきて仲間を尋ね、気晴らしをして過ごすがいいよ。」任生は言いました。「もう友人に合わせる顔などあるものか。余生を貪り、生き長らえるだけのことさ。」務徳はおおいに溜息をついて別れました。その後、尋ねたところ、任生は鬱鬱として楽しまず、まもなく太尉の屋敷で死んだとのことでした。これがすなわち淫行の結末であり、方務徳らは年若く好色な人に会いますと、任君用の例を挙げ、戒めとなしたのでした。皆さんお聴きください。血気の定まることのない若者たちは、もとより身を謹むべきなのです。太尉にしてもこのような毒手を下しはしたものの、結局愛する妻妾たちを任生に弄ばれてしまいましたから、これもまた多くの婦女を蓄える富貴な人の戒めとなることでしょう。

 

  笑ふべし垂れさがりたる一肉具、喜ぶものは奪ひあひ怒れるものは削りとる。

  言寄せん年若き漁色の人よ、大いなる身を()さき身に煩はさるることなかれ。

 

 さらに楊太尉を笑う詩がございます。

 

  淫根を切らるれば淫欲は去り、残躯をなほも留むれどともに[73]衰ふ。

  (たと)ふれば宮女らの奄尹[74]を尋ぬるがごと、ともに情は多けれど詮方もなし。

 

最終更新日:2008813

二刻拍案驚奇

中国文学

トップページ



[1]原文「自道是左擁燕、右擁趙女。」。梁元帝『長安道』「燕雜趙女、淹留重上春。」。

[2]原文「枕席之事、三分四路」。「三分四路」が未詳。とりあえずこう訳す。

[3]原文「提鈴喝号」。鈴を鳴らし、大声を上げ、夜回りすること。『金瓶梅詞話』第六十九回「街上已喝号提、更深夜静、但一天霜気、万無声」。

[4]隋唐時代の女侠、、隋末のの侍妓であったが、李靖と駆け落ちしたことで名高い。前蜀杜光庭『虬髯客』、張鳳』の主人公。

[5]楊素のこと。隋の人。『隋書』巻四八などに伝がある。越国公であった。『隋書』楊素伝「及還、拜荊州總管、進爵郢國公、邑三千戶、真食長壽縣千戶。以其子玄感為儀同、玄獎為清河郡公。賜物萬段、粟萬石、加以金寶、又賜陳主妹及女妓十四人。素言於上曰、里名勝母、曽子不入、逆人王誼、前封於郢、臣不願與之同。於是改封越國公。」。

[6]裴鉶『伝奇』所収『崑崙奴伝』の登場人物。高官の家にいたが、崑崙奴の助けを得、崔生とともに駆け落ちする。

[7]諺。権力のある人物が死亡したり、没落したりすると、かれに頼っていた多くの人々が四散することをいう。『拍案驚奇』巻二二「若是富貴之人、一朝失勢、落魄起來、這叫做「樹倒猢猻散」、光景著實難堪了。」。

[8]そこなわれた、やわらかい花蕊。ここでは没落したものの女の眷属の喩え。

[9]唐代の妓女。張尚書の愛妓。張尚書の死後、彭城の燕子楼に独居して嫁さなかった。宋・尤袤『全唐詩話』張建封妓参照。

[10]原文「苦不甚高」。「苦」は「却」に同じ。

[11]原文「引到洞房曲室」。「洞房」は奥の間。多く閨房を指す。「曲室」は密室。

[12]遊具名。六簙とも。『楚辞』招魂「有六簙些」注「投六箸、行六棋、故為六簙也。言宴樂既畢、乃設六簙、以菎蔽作箸、象牙為棋、麗而且好也。簙、一作博。」。

[13]原文「不管三七二十一」。「なりふり構わず」という意味の決まり文句。

[14]原文「放得両枝珠箭」。未詳。とりあえずこう訳す。「放得両枝珠箭」は「二回射精することができた」ということの喩えであろう。

[15]未詳だが、長持ちのようなものであろう。

[16]原文「你想当時這蔡京太、何等威、何等法令」。「法令」は未詳。とりあえずこう訳す。

[17]高俅:『宋史』徽宗本紀・政和七年「七年春正月丁酉、于闐入貢。庚子、以殿前都指揮使高俅為太尉童貫:『宋史』巻四六八などに伝がある。楊戩:『宋史』巻四六八などに伝がある。蔡京:『宋史』巻四七二などに伝がある。。

[18]原文「自有陽台成、行雲何必定襄王」。楚の襄王が雲夢に遊んだ際、夢の中で神女と契り、別れる際、神女が、陽台の下で朝には雲、暮には雨となろうと言った故事に因む句。『高唐賦』「昔者楚襄王與宋玉遊於雲夢之台、望高唐之觀。其上獨有雲気、崒兮直上、忽兮改容、須臾之間、変化無窮。王問玉曰、此何気也。玉対曰、所謂朝雲者也。王曰、何謂朝雲。玉曰、昔者先王嘗遊高唐、怠而昼寝、夢見一婦人曰、妾巫山之女也、為高唐之客。聞君遊高唐、願薦枕席。王因幸之。去而辭曰、妾在巫山之陽、高丘之阻、旦為朝雲、暮為行雨。朝朝暮暮、陽台之下。旦朝視之如言。

[19]宋代、武官の筆頭。

[20]原文「是上前的幾位夫人与各房随使的娘侍婢」。「上前」が未詳。とりあえずこう訳す。「娘侍婢」は下女、小間使い、乳母の類。

[21]原文「惟有中門内前廊壁間挖一孔」。「中門」は家の奥と表を隔てる門。「前廊」は未詳だが表と接する壁に設けられた回廊であろう。

[22]原文「有幾位奢遮出色」。「奢遮」も「出色」の意。

[23]原文「私下也通些門路」。未詳。とりあえずこう訳す。

[24]原文「也就暗着本来之意」。未詳だが、昔関係していた男のことを思っていたということであろう。

[25]原文「多曽与太尉後庭取過来」。「後庭」は肛門のこと。「取」は楽しみを得ること。「与太尉後庭取過来」は大尉と男色関係にあったということ。

[26]原文「因是途中過多、轎馬上下之、恐有不便」。未詳。とりあえずこう訳す。轎や馬に乗降する際、妻妾が世間の眼に触れるのを恐れたことを述べているか。

[27]原文「我明日早起、到後花園相相地頭」。「地頭」は「場所」の意。

[28]原文「只見絨索高懸」。「絨索」は「絨縄」に同じいか。「絨縄」は羊の毛、兔の毛、駱駝の毛などで作った縄。

[29]原文「又梯子倚在太湖石畔」。「修梯子」が未詳。とりあえずこう訳す。

[30]原文「今端的只在此取他進来一会、不為難」。「端的」は「まさに」「たしかに」の意。

[31]原文「我不生得双翅、進来」。「来」は句末の語気詞。

[32]太陽の中にいるという三本足のカラス。ここでは太陽そのもののこと。『淮南子』精神訓「日中有踆烏、而月中有蟾蜍。」高誘注「踆、猶蹲也。謂三足烏。蟾蜍、蝦蟆。」。

[33]原文「安得后羿弓、射此一」。后羿は羿のこと。尭の時の人で、十の太陽のうち九つを射落としたことで有名。『淮南子』本経訓「(羿)上射十日而下殺貐」高誘注「十日並出、羿射去九」。

[34]未詳。珍しい錦か。『佩文韻府』引元楊載詩「襆被冬深裁異錦」。

[35]未詳。ハシバミやマツの実を用いた高級菓子のことか。「細」は繊細で上等なこと。

[36]原文「久作阱中猿」。未詳。とりあえずこう訳す。

[37]原文「今思野外鴛鴦」。「野外鴛鴦」は未詳だが、野合する男女の喩えであろう。

[38]美男として有名であった晋の潘岳が幼名を檀奴といい、これに同じ。ここでは美男の意。

[39]原文「不要饞臉」。「饞臉」が未詳。とりあえずこう訳す。

[40]原文「造化着你」。「造化」は「幸運」の意。ここでは動詞として用い、「幸運にしてあげる」の意。

[41]原文「敢不墜鐙」。墜鐙」は「」とも。騎乗する人に従うことから転じて、ねんごろに付き従うこと。元曲や白話小説に用例多数。

[42]原文「何况承雨露之恩、遂于之愿」。「雨露」は恩沢の喩え。「于」は『詩経』葛覃「葛之覃兮。施于中谷。維葉萋萋。鳥于飛。集于灌木。其鳴喈喈」に典故のある言葉で、ともに飛ぶこと。転じて夫婦や男女が和合すること。

[43]原文「元従来時方法在索上挂将下去」。未詳。とりあえずこう訳す。

[44]原文「果然行不由径、早已非公至室。」。『論語』雍也「子游為武城宰。子曰、女得人焉爾乎。曰、有澹台滅明者、行不由徑。非公事、未嘗至於偃之室也。」。

[45]原文「大家多是吃得杯児的」。「吃得杯児」が未詳。男癖が悪いことの喩えか。

[46]原文「把索児収将出去」。「収将出去」が未詳。とりあえずこう訳す。

[47]原文「軽車熟路」。慣れていてたやすくできる事の喩え。『送石士序』「若駟馬駕軽車、就熟路、而王良、造父之先後也。」。

[48]原文「進来。進来。此時進進出出得不耐煩」。「進進出出」はいうまでもなく性行為の動作を述べたもの。

[49]原文「翻雲覆雨」。もともとは杜甫『貧交行』「翻手作雲覆手雨、紛紛軽薄何。」に典故のある言葉で、相手が貧しくなるとすぐに態度を変える軽薄な人間の有様をいうが、ここではむしろ、前注で述べた、楚の襄王が雲夢に遊んだ際、夢の中で神女と契り、別れる際、神女が、陽台の下で朝には雲、暮には雨となろうと言った『高唐賦』の故事に因み、男女の情交のこと。

[50]原文「倒鳳顛鸞」。たおれる鳳凰、まろぶ鸞鳥。情交する男女の喩えとして、俗文学に用例多数。

[51]原文「這等、有人剪著綹去也」。剪綹」は巾着切りのこと。ここでは任君用を横取りしたことのたとえ。

[52]原文「一樣玉壺傳漏出、南宮夜短北宮長。」。「玉壺」はここでは漏刻の壷。漏刻を玉漏ともいう。「南宮夜短北宮長」は、唐・裴交泰『長門怨』自閉長門經幾秋、羅衣濕盡還流。一種蛾眉明月夜、南宮歌管北宮愁。」に基づいていると思われる。なお、「一樣玉壺傳漏出、南宮夜短北宮長」という句は『玉合記』第十一齣・義姤にも見える。

[53]『易』大壯「羝羊觸藩。羸其角。」

[54]原文「自古道冤家路児窄」。「冤家路児窄」は「冤家路児狭」とも。俗文学に用例多数。

[55]原文「這叫得兔子掩面」。「兔子掩面」は未詳だが、文脈からして「頭隠して尻隠さず」の意であると解して間違いなかろう。

[56]官署名。明の洪武十一年に置かれ、太常寺に属し、天地、神祗、宗廟、社稷などを祭祀するときの楽舞を掌った明史』職官三・僧道「神樂觀掌樂舞、以備大祀天地、神祇及宗廟、社稷之祭、隸太常寺、與道司無統屬。」。

[57]花羅、彩錦などで作った帽子。宋周密『武林旧事』「有曾經宣喚者、則錦衣花帽、以自別於眾花羅はを織り成した薄い絹織物唐杜甫『奉和中丞西城眺十韵』「花封蛺蝶、瑞送麒麟。」『宋史·地理志五』「成都府﹞贡、高紵布、牋」。

[58]江南民信奉されていた邪神。兄弟五人であるとされる。」五通」、“五圣」、“五灵公」、“五郎神」、“五猖」などとも。唐宋からある。宋郭彖『睽志』卷五「郡人素有五通神、依后土祠祟。」

[59]『孝孝行「雖日用三牲之餐、猶不為孝也。」邢@疏「三牲、牛、羊、豕也。

[60]原文同じ。「天字第一号」とも。「第一番の」ということ。「天」は『千字文』の第一字であり、旧時、『千字文』の文字を物を数えるときに用いていたため。『水滸伝』第二一回「有那梁山泊晁蓋送与你的一百両金子、快把来与我、我便天字第一号官司、招文袋里的款状。」。『初刻拍案惊奇』卷十八「日日僱了天字一号的大湖船、了盛酒、吹歌唱倶備、携了此妾下湖。」

[61]原文「任生因是几時琢喪過度了」。未詳。とりあえずこう訳す。

[62]いわゆるなんこ遊び。手に瓜子や碁石を握り、相手にその数、奇数か偶数か、色などをあてさせるもの。

[63]酒席で禁令を設け、それに背いたものは罰杯を飲ませるという遊び。

[64]原文「太尉起身走了進去、歌也随時進来了」。「歌也随時進来了」は太尉の視点に立って状況を描写したもの。

[65]原文「没个清頭」。「没清頭」は事理に暗いさま、愚かなさま。『二刻拍案惊奇』卷十八「有天上如此没清、把神仙与你伙人做了去。落得活活弄了。」

[66]原文「那壯士即將神效止疼生肌敷藥敷在傷處」。神效」は優れた効能。「止疼」は止痛。「生肌」は新しい肉を作ること。『医宗金·外科心法要·生肌方』「生肌定痛散。此散治潰爛紅熱痛有腐者、用此化腐、定痛、生肌。

[67]未詳だが、去勢手術を行うものであろう。

[68]古代刑を行し刑を受けた者が入れられる室。『漢書』張安世伝「初、安世兄賀幸於衛太子、太子敗、賓客皆誅、安世為賀上書、得下蠶室。」注「師古曰、謂腐刑也。凡養蠶者、欲其而早成、故為密室蓄火以置之。而新腐刑亦有中風之患、須入密室乃得以全、因呼為蠶室耳。」。

[69]原文「今朝独坐無聊」。なお、原文では「聊」のやや右下にほぼ同じ大きさで「[月ォ]」の字が刻せられている。「[月ォ]」は「聊」と同音で男根の意。

[70]原文「始知裙帯喬衣食」。「裙」はスカートの帯。転じてそれを着けている女性のこと。「喬」は「ろくでもない」という意味。「衣食」は「職業」の意。この句、全体の意味は、女がろくでもないものだということがはじめて分かったということであろう。

[71]開封にある寺院名。北斉天保六(五五五)年創建。

[72]相国寺内にある殿舎。明代相国寺の後には大悲音が安置されていたという。『如夢録参照。

[73]原文「尚留残共婆娑」。未詳。とりあえず、このように訳す。「婆娑」は衰微衰老のさま。『反挽歌』之一「羈此婆娑世、欲不能。」『陶庵夢·老子茶』「抵岸、即閔汶水於桃葉渡。日晡、汶水他出、、乃婆娑一老。」清李『意中·卷簾』「看他老婆娑、好一似前瘦

[74]宦官を統率する官。『礼記』月令「是月也。命奄尹。申宮令。審門閭。謹房室。必重閉」鄭玄注「奄尹、主領奄豎之官也、於周則為内宰掌治王之内政」。

inserted by FC2 system