巻二十七　偽漢[1]の後裔が山中で側室を奪うこと　偽者の将軍が江上で美人を返すこと            

かつて聞く盗賊にもまた道義のあるを、かれらの中に英雄は多(さは)にあり。

本物の豪傑にもし遇はば、ひとへに心は奮起すべけん[2]。

    むかし、宋の宰相張斉賢は、布衣であった時、たまたま太宗皇帝が河北に臨駕しましたので、太平十策を上奏しました[3]。太宗はたいへん喜び、かれの六策を用い、残りの四策は斟酌してから用いることにしました。斉賢はかたくなに言いました。「十策はすべてよいので、いずれもすぐに用いるべきでございます。」太宗はその尊大さを笑い、帰朝した日、真宗に言いました。「わたしは河北で宰相の人材を得た。張斉賢というが、おまえが後日使うために残しておこう。」真宗は胸にしっかり記憶しておきました。その後、斉賢は進士に合格しましたが、下位合格でした。真宗は名を見ますと、かれを上位に選ぼうとしましたが、いかんせん合格掲示板は埋めつくされていましたので、特旨で全員に及第を賜い、後日、宰相になりました。

    この張相は不遇であった時、貧窮落魄していましたが、倜儻で大度がありました。ある日、たまたま地方にゆき、投宿しました。その時、ちょうど一群の大盗が掠奪して帰ってき、そこを通りました。宿に泊まり、飯を作り、酒を飲み、槍と刀は森然と列なり、容貌は獰猛でした。住民は捕らえられることを恐れ、東に逃げ、西に隠れ、宿の主人さえ隠れました。張相は一人だけ泊まり、逃げ隠れしませんでした。群盗の酒宴が酣であるのを見ますと、張相は巾幘を整え、岸然として群盗の面前にゆき、拱手して言いました。「みなさん、こんにちは。わたくしは貧しい書生でございますが、みなさんにたらふく飲み食いさせてくれとお願いして、よろしいでしょうか。」群盗は容貌が魁梧、言葉が爽快なのを見ますと、たいへん喜びました。「秀才さまがみずから腰を低くしてこられたのですから、どうしてよくないことがございましょう。ただ、わたしたちは無骨ですから、秀才さまはお笑いになりましょう。」すぐに立ち上がり、張相を招き、いっしょに坐らせました。張相は言いました。「世の人々はみなさんを知らず、盗賊と呼んでいますが、盗賊は卑しい若者がなれないことを知らないのです。みなさんはいずれもこの世の英雄で、わたくしも慷慨の士です。今日はさいわいお会いしましたから、いっしょに楽しく飲むべきで、分け隔てすることはございません。」そう言いますと、大きい碗の酒を取ってつぎ、一気に飲み尽くしました。群盗はかれが豪快に飲むのを見ますと、さらに一碗をつぎましたが、やはり一口で飲み干し、つづけて三碗飲みました。さらに卓上の大皿の豚足を取ってき、すこし引き裂き、虎狼のように飲食し、食べつくしました。群盗はそれを見ますと、みなおおいに驚き、ともに珍しがりました。「秀才さまはほんとうに宰相の器です。このように小節(しょうせつ)に拘らぬことがおできになるとは、けっして凡人ではございません。後日、宰相になり、天下を統轄なさいましたら、わたしたちが盗みをするのはみなやむをえぬ事情によっていることをお思いになるべきでございます。今日は塵埃の中、まず交わりを結ぶことをお願いし、秀才さまがお嫌いにならないことを望みます。」それぞれ身辺から金帛を出してきて置き、我勝ちに、たくさん積みました。張相はすこしも断らず、一つ一つ選び取り、一本の縄で縛り、手に提げ、「失敬」と叫び、大股で店を出てゆきました。そのとき得たものは百両ありましたが、張相はすべて飲み屋に渡し、ながいこと楽しく飲みました。その気魄だけは、貧賎の時から人と違っていました。これは胆力で盗賊を弄べたということで、証拠に詩がございます。

卿相はやすやすと塵埃にあり、大いに嚼(くら)ひて恥ぢざるも珍しきかな。

それより胸中磊落にして、大盗もまた才を憐れむ。

    山東莱州府掖県[4]に勇力の士邵文元がおり、義気は人に勝り、もっぱら路で不正を見たとき、刀を抜いて助けることを好んでいました。あるひとが、知県の面前で、邵文元が力を恃み、盗みをしていると誹謗しますと、知県は着任したばかりでしたので事実を調べず、あらを探してかれを打ちました。知県が朝覲入京するとき、県外に出ますと、一人の男が馬に騎り、刀を提げ、前を走り、馬を下り、目通りしました。知県は邵文元だと悟り、かれが仇に報いにきたと思い、驚き、尋ねました。「どこからきた。」文元は言いました。「知事さまがご入京なさるのを、わざわざお守りしにまいったのでございます。前途には大盗がすこぶる多うございますが、わたくしの名を聞けば、みな退いて避けましょう。」知県は言いました。「わたしはおまえに恩徳を施していないのに、なぜそのような心を持つのだ。」文元は言いました。「知事さまが以前わたくしを戒められたのは、わたくしにきちんと勉強しろと求めただけのこと。それに知事さまは清廉でございますから、わたくしはきっと心を尽くしてお報いしましょう。」知県は心の中からようやく大きな不安が消えました。文元は途中までつきしたがい、別れてゆきましたが、ほんとうにまったく強盗事件がありませんでした。

    ある日、外出し、ある富豪の家の前を通りますと、ちょうど強盗四十余人が家を掠奪しているのに出くわしました。富豪を縛った強盗は刀を頚にあてがい、富豪を脅かしていました。「官兵が救いにきたら、まっさきに手を下すぞ。」そのほかの強盗たちはみな金帛を奪っていました。富豪の家には銅銭の山があり、高さは家と等しかったのですが、強盗はそれをもってゆけないと考え、笑いました。「分け与えてやるのがよいだろう。」住民を呼び集め、銅銭をすべて分けました。住民には、厄介ごとを起こすのを恐れてゆこうとしないものもおり、物好きで様子を見にゆくものもおり、財を貪り、大胆に、心ゆくまで器物を奪うものもあり、銅銭は階段に満ちました。邵文元はこの話を聞き、強盗たちを弄びにゆこうとし、人ごみで肩を傾け、乗りこんでゆきますと、大声で叫びました。「おまえたちは何をしている。何をしている。」人々は言いました。「強盗が大勢います。混乱を招かないでください。」文元は隣家にゆき、一本の鉄叉[5]をとり、門内に立ちますと、大声で叫びました。「邵文元がこちらにいるぞ。おまえたちはこの家の銀子を返し、はやく去れ。」富豪はそれを聴きますと、助けがあるのを見た強盗が、すぐに刀を動かそうとするのを恐れ、大声で叫びました。「壮士どの、来られますな。もし来れば、さきにわたしが殺されてしまいます。」文元はそれを聞きますと、ひとまず走りでてゆきました。群盗はみな金銀を嚢に入れ、馬の背に載せましたが、二十かつぎありましたので、ふたたび富豪を縛って護送し、県外二十里まで送りだし、ようやく縛めを解きました。富豪は髪を振り乱し、いそいで帰りました。ところが文元はひとりで家を出ますと、馬に乗ってすぐにはるばるついてゆき、富豪がすでに戻ったのを見ますと、いそいで馬に鞭うって追いかけました。強盗は男を見ても、何とも思いませんでした。文元は怒鳴りました。「はやく金銀を道端に置け。邵文元を知っているか。」強盗はその名を聞きますと、あわてて答えませんでした。文元は言いました。「ぐずぐずするなら、ひとまずおまえを見せしめにしてやろう。」ひょうと一矢を放ちますと、すでにその中の一人が馬から射おとされて死んでいました。盗賊たちはたいへん驚き、いっしょに馬を下りて道端に跪き、命を許すことを求めました。文元は怒鳴りました。「品物を遺してゆけば、おまえの命を許そう。」強盗は嚢の物をすべて捨て、身ひとつで馬に騎り、逃げてゆきました。文元は他人の家から数頭の馬を借り、これらものを負わせ、富豪の家にゆき、すべて返しました。富豪は迎えますと、叩頭して言いました。「これは壮士さまが力を出して奪ってきた物で、すでにわたしの物ではございませんから、お家にお送りしましょう。惜しもうとはいたしません。」文元は怒鳴りました。「あなたの家の不慮の禍を憐れんだので、力を出して助けたのだ。どうして私利[6]を貪ろう。」すべて富豪に返しますと、振りかえらずに去りました。これは力で盗賊を制することができたということで、証拠に詩がございます。

                      白昼の探丸[7]は勢ひすでに凶なれば、壮士の笑ひて語るにえたえず。

                      鞭を揮ひて相如の璧を取り戻し、報酬を断るはいよいよ正し。

    さて、計略で強盗を弄んだ汪秀才のことを、本題にいたします。皆さんがこの出処を知りたければ、まずはわたしの『瀟湘八景』をお聴きください。

                      雲は暗し龍堆[8]の古渡、湖は連なる鹿角[9]の平田[10]。

                      薄暮長楊首(かうべ)を垂れて、平明秀麦肩にぞ斉しき。

                      人は羨む春遊の日を、客愁夜泊年にぞ似たる。

                                  ——『瀟湘夜雨』。

                      湘妃はじめて雲鬟を理(をさ)め、龍女[11]たちまち暁鏡を開く。

                      銀盤の水面に塵はなく、玉魄と天心は相映じたり。

                      一声の鉄笛に風清く、両岸の画闌に人静かなり。

                                  ——『洞庭秋月』。

                      八桂[12]の城南路は杳たり、蒼梧[13]の江月音は稀なり。

                      昨夜(きそ)一天の風あれば、今朝百道[14]の帆は飛べり。

                      鏡に向かひ妾(わらは)の顔をしばし見て、楼に倚り郎の帰るを待てるなり。

                                  ——『遠浦帰帆』。

                      湖平らかにして波浪は天に連なり、水は落ち汀沙は千里。

                      蘆花は寂しく秋の容(ありさま)、鴻雁は差池[15]として南へ徙る。

                      小船が通れば、また幾群(いくむれ)が驚かん。

                                  ——『平沙落雁』。

                      軒帝[16]洞庭声は歇み、湘霊[17]宝瑟[18]香は銷えたり。

                      湖上に長煙漠漠として、山中に古寺迢迢たり。

                      鐘を撃つ東林の新月、僧は帰る野渡の寒潮。

                                  ——『煙嶼晚鐘』。

                      湖頭はにはかに暗くして、楼上に徘徊す晚(ゆふべ)の眺(ながめ)。

                      霏霏として雨障軽やかに過ぎ、閃閃として夕陽は映ゆ。

                      漁翁東岸に舟を移し、また西湾に釣(つりいと)を垂る。

                                  ——『漁村夕陽』。

                      石港[19]湖心の野店[20]、板橋路口の人家。

                      少婦箧中の麦と芡(おにばす)[21]、村翁筒裏の魚と蝦。

                      蜃市依稀たり海上、嵐光[22]咫尺の天涯。

                                  ——『山市晴嵐』。

                      隴頭はじめて梅花は放(ひら)き、江面は平らかにして柳絮を布けり。

                      楼は万玉[23]叢中にあり、人は水晶の深き処にあり。

                      一天に素幔低く垂れ、万里に孤舟帰りゆく。

                                  ——『江天暮雪』。

    この八首の詞はみな楚中[24]の景色を述べていますが、浙中の縉紳が作ったものでございます[25]。楚中ではこの詞はすこぶる真の趣を得ていると称せられ、人々は伝えて唱えました。この洞庭湖八百里には、万山がぐるりと連なり、三江[26]に連なり、盗賊の淵薮でした。国初の頃、偽漢の陳友諒[27]がここに拠って楚王と称し、後に太祖に滅ぼされました。今、その子孫は瑞昌[28]、興国[29]の間に住み、柯陳と号し、すこぶる繁栄していました。代々勇力抜群の人を、推したてて主とし、その一族は険阻な土地を背にしてよく闘い、客商を掠奪していました。地方に亡命した無頼は、すべて仲間に入っていました。官兵はまともにかれらを見ようとせず、遊撃、把総などの巡遊する武官を設立し、地方の非常事態を防ごうとしても、みなかれら豪長(ボス)たちと交際しました。地方官はかれらをどうすることもできず、まるで宋代の梁山泊のありさまでした。

    さて、黄州府黄岡県に汪秀才がおり、身は黉宮[30]におり、財産は豊かで、童僕は数十人、婢妾は部屋に満ちていました。人柄は倜傥不羈、豪侠で、遊びを好んでいました。さらに機略は人に勝り、万事はかれの指図を経ますと、かならず見るべきものがありました。渾名は汪太公といいましたが、それはかれに呂望のような智術があると喩えているのでした。かれの家には愛妾がおり、回風といいましたが、ほんとうに沈魚落雁、閉月羞花の容貌を持っており、さらに詩を吟じたり、賦を作ったり、馬を馳せたり、玉を弹いたり、若者のする事で、できないことはありませんでした。汪秀才の寵愛は後房[31]に冠絶していたばかりでなく、遊びにゆくときはいつも、かならず回風を連れていっしょにゆきました。回風の美しさはといえば、

雲鬢は軽く蝉翼を梳き、翠眉は淡く春山を掃ふ。朱唇は一粒の桜桃を綴り、皓歯は二列の砕玉を並ぶ。花は丹臉に生じ、水は双眸を剪る[32]。意態は自然、技芸は抜群。殺人の壮士さへ振り返り、入定したる禅師さへ眼を転じて見る。

    ある日、汪秀才は回風を連れて岳州に来、岳陽楼に登り、洞庭が浩渺として、巨浪が天を打っているのを望みました。その時は冬で水嵩が落ちていましたので、楼上から望むと君山はさほど水面を隔てていませんでした。そこで岳州の南門を出、舟を捕まえて渡り、数里足らずで、もう山麓に着きました。肩輿を雇い、回風とともにゆくこと十余里、輿を下りて湘君祠[33]に詣でました。数十歩の榛の林の中に、二妃の塚があり、汪秀才は酒を取ってきて回風とともにそれぞれ一杯をそそぎました。半里歩いてゆき、崇勝寺[34]の外にゆきますと、三つの大きい字は「有縁山」でした。汪秀才がその意味を理解できないでいますと、回風は笑いました。「わたしたち女といっしょに遊ばれるべきでございます。そうしなければ『縁がある』とはもうせますまい。」汪秀才が僧侶に尋ねにゆきますと、僧侶は言いました。「こちらの山の神は、人が遊びにくるのを嫉み、渡ろうとするたびに、悪風濁浪が人を阻むのでございます。この地に辿りついた人は、縁があるので、こう名づけられているのです。」汪秀才は笑って回風に言いました。「そういうことなら、わたしとあなたが今日ここに来たことは僥倖であるといえましょう。」その僧は汪秀才を多くの景勝に導き、言いました。

軒轅台：黄帝がこちらで鼎を鋳ました。

酒香亭：漢の武帝がこちらで仙酒を得ました。

朗吟亭：呂仙の遺跡です。

柳毅井：柳毅が洞庭君の娘のために手紙を伝えた処です。

汪秀才は僧侶に別れ、回風とともに、方丈の側から出てゆき、軒轅台に上りました。欄干に凭れて四方を顧みれば、水天一色、もっとも優れたところでした。さらに左側にゆけば、酒香亭でした。巡って山門の左に出ますと、朗吟亭に上り、さらに柳毅井に下りますと、傍らに伝書亭があり、亭の前にはさらに剌橘泉[35]など多くの古迹がありました。

    遊覧していますと、山麓に大男が走ってきました。容貌はたいへん無骨でしたが、やはり遊覧しにきたのでした。回風は隠れようとしましたが、避けるのによい場所がありませんでした。その大男は回風の美貌を見ますと、まじろぎもせず上下を横目で見、かれら二人にくっつき、歩くたびに寄りそって離れませんでした。汪秀才はこの男がすこしおかしいのを見ますと、いそいで山を下りました。船の辺にゆこうとしますと、大男も山を下りてき、口笛を吹きました。すると近くの一艘の船が号頭[36]を吹いて答え、船の中から一二十の大男が跳びあがって来、岸の上の大男に声諾[37]しました。大男は回風を指さして言いました。「この人を捕らえて大王さまに献じにゆこう。」人々は答え、いっせいに手を下し、まるで鷹が燕雀を捕らえるかのように、回風を船に攫ってゆき、帆をいっぱいに揚げて、洞庭湖へゆきました。汪秀才は苦しんで叫びました。この湖は盗賊のいる場所で[38]、巣窟はたいへん多く、どこの悪者が攫っていったか分かりませんでした。汪秀才は悲しく不安になりました。二人で出たのに一人で戻るのは、たいへん苦しいことでした。これぞまさしく、

精爽[39]はいづこに落つる、行雲秋水の中かと疑ふ。

    汪秀才は愛妾が奪われるのをまのあたりにし、それですませるわけはありませんでした。かれは謀略がある人でしたから、すぐさま人を四方に遣わし、様子を探らせ、省府州県の賑やかな市鎮に、すぐに告げ文を貼りました。「噂を聞いて報せにきただけでも、賞銀は百両だ。」あちこちで、汪家の妾がいなくなり、手厚い褒美の広告を出しているという噂が広まりました。昔から「手厚い褒美の下には、かならず勇士がいる。」と申します。汪秀才は、ある日省城に来ましたが、都司の向承��がおり、親しい友人でしたので、酒宴を設けて黄鶴楼に招きました。酒を飲んでいますと、汪秀才は欄干に凭れて一望しましたが、見れば大江は浩渺、雲霧は蒼茫としており、愛妾の回風が煙水の中のどの場所にいるかわからないことを思いますと、袖を揮って起き、声を高くして蘇子瞻の『赤壁[40]』の句を高歌しました。「渺渺たり予の懐、美人を望む天の一方。」歌うこと数回、思わず潸然と涙を落としました。向都司がそれを見、まさに尋ねようとしますと、脇にいる護衛の家僕が慨然[41]として進みでて言いました。「秀才さまがお酒を召しても楽しまれないのは、ご側室を失われたからではございませんか。」汪秀才は言いました。「どうしてご存じなのですか。」家僕は言いました。「秀才さまが街じゅうに掲示していらっしゃるのは、みな知っています。秀才さまはどうかわたしの主人と楽しみを尽くしてください。かならず秀才さまに行方をご報告しましょう。」汪秀才はうなだれて拝礼しました。「行方を知ることができれば、百杯も辞そうとしません。」向都司は言いました。「一人の娘のために、このように慌てるとは。とりあえず三つの大きい杯を飲み干し、かれにはっきり言わせましょう。」汪秀才はすぐに大きい杯を手にとり、一気に三巡飲みました。さらに一杯をつぎ、家僕に奉りますと言いました。「壮士どのがはっきりと仰ることを求めます。百両を贈り物にいたしましょう。」家僕は言いました。「わたくしは興国州[42]の人間で、闔閭山[43]の麓に住み、すこぶる山中の柯陳の家のことを知っています。かしらは柯陳大官人といいますが、数人の弟がおり、いずれも勇力があり、もっぱら世間で強盗をしています。かれの一族はもっとも大きく、世間にはあちこちに頭目がおり、かれが指図しています。以前、聞きましたが、岳州の洞庭湖から一人の美女を奪って戻ってき、大官人に進上した、たいへん愉快に、終日酒を飲んで楽しんでいるということでございます。わたくしの家は、あのものの家から十里と離れておりませんので、くわしく知っているのでございます。これはきっと秀才さまのお家のご側室です。」汪秀才は言いました。「まさに洞庭湖で行方不明になったのだから、この消息は本当だ。」向都司は言いました。「そのものは気前良く、義を好み、盗賊ですが、わたしたちの役所と交際し、上司にもひそかに付け届けをしています。団結は堅く[44]、四方が支持しており、ほかの盗賊が官兵が捕らえられるのとは違います。ご側室がこちらで攫ってゆかれたのなら、再会はおぼつかぬことでしょう。天下に美しい婦人は多いのですから、仁兄[45]はお棄てになるべきです。まずはお気を楽になさい。お気になさっても益はございません。」汪秀才は言いました。「世に生きる大丈夫(ますらお)で、愛妾を人に攫われ、行方を知りながら計略を用いて奪いかえすことができないものはいません。わたしは不才ではありますが、誓ってこの姫を取りかえし、一笑を博しましょう。」向都司は言いました。「まずは仁兄の大才を見るとしましょう。言うのはたいへん簡単ですが。」すぐに汪秀才は安心し、心ゆくまで飲んで散じました。

    翌日、汪秀才はすぐに五十両を向家の家僕に送り、報告に感謝しました。そして都司とともに柯陳大を訪ねていって消息を探り、事が成った後、さらに五十両を奉り、あわせて百両にすることにしました。向都司は汪秀才の執心を笑い、すぐに家僕を汪秀才の処にゆかせ、自由に使わせ、かれがどうするかを見させました。家僕は銀子を受けとりますと、たいへん喜び、何から何まで[46]、かれの指図に従うことを切望しました。家僕に柯陳の家の兄弟の名を尋ねますと、汪秀才は胸の考えが決まり、書状を書き、まず兵巡衙門に告げにゆきました。兵巡は書状を読みましたが、柯陳大らの名を見ますと、はやくも心の底から脅え、汪秀才に言いました。「これは手ごわい。女のことはしょせん小さなことにすぎない。わたしが文書を発し、人を遣わし、捕らえて対質すれば、かならず争いの発端となり、大きな禍を招くだろうから、絶対にだめだ。」汪秀才は言いました。「わたしは牒文[47]を得れば、ひとりでいってあのものと曲直を論じ、人を求めましょう。大人の下役は必要ありませんし、あのものと争うことにもなりますまい。大人。ご安心ください。」兵巡はかれがやすやすと話すのを見ますと、言いました。「牒文を作るのは難しくない。すぐにあなたの訴状を受理し、登録し[48]、捺印し、渡して持っていってもらおう。」汪秀才は言いました。「わたくしもそうしようと考えているだけで、ほかに多くを求めようとはしておりません。この一枚があれば、事件を片づけてご報告しにくることができましょう。」兵巡は半信半疑でしたが、該当部署に型どおりにきちんと牒文を作るように命じ、汪秀才に与えさせました。

    汪秀才はこの紙を受けとりますと、たいへん喜び、まるで愛妾をすでに手にしたかのようでした。都司に会いにくると言いました。「訴状がすでに受理されましたので、将軍さまの一臂の力を求めにまいりました。」都司は首を振りました。「わたしたちが力を出し、兵卒を動かし、あのものと闘うことを求めるなら、それは絶対できない。」汪秀才は言いました。「どうかご安心ください。いずれも必要ございません。もとより人はいます。ただ、ふだんお乗りの江上の楼船を、一艘借り、巡江の哨船を、二艘借りねばなりません。それからふだんお使いの傘、旗、冠服の類を、借りて使わねばなりません。この外は一人の兵卒の助けも必要ございません。以前手紙を届けた家僕を連れてゆけば十分でございます。」向都司は言いました。「どうするつもりですか。」汪秀才は言いました。「漢にはもとより礼制がございます。今、お話しするわけにはまいりませんが、事を行えばすぐにわかります。」向都司は言葉に従い、すべて汪秀才に貸しました。汪秀才はおおいに喜び、一月あまりの食糧を備え、数十人の下男を呼び集め、あちこちで号衣[49]を借り、みな兵士を装い、いっしょに船にゆき、船を漕ぎ、江を進みました。楽隊は騒がしく、まるで武官が駐屯地を出るかのようでした。証拠に詩がございます。

                      舳艫千里赤壁を伝へ、この日江中に画鷁[50]ゆく。

                      将軍を楼船と漢は号せり[51]、今回は班生[52]の筆を投ぜり。

    汪秀才は楼船に乗り、従者を率い、遊撃の匾額を立て、まっすぐ闔閭山江口[53]に来ました。岸まで四五里のところで、まず一艘の哨船を遣わして二人の男を載せて進ませました。一人は向家の家僕、一人は心腹の下男汪貴で、硬牌[54]を持ち、その地方の住民を呼びあつめにゆき、新任の提督江洋遊撃を迎えました。幾つかの紅帖を帯び、汪姓から一画を除き、帖子に江万里と名を書き、柯陳大官人の家へいって渡し、数人の弟には、それぞれに帖子を送り、あたらしく地方に来た官で、お名前を慕って拝しにきましたと言いました。二人は命を受けてゆきました。汪秀才は船頭に命じ、船をゆっくり漕いでゆかせました。さて、向家の家僕は慣れた道でしたので、汪家の手厚い褒美を得ますと、かれに従わないことはまったくありませんでした。下男汪貴を率いていっしょに哨船に乗り、まもなく岸辺に着きますと、硬牌を担いで上陸し、あちこちに話しました。みな新任官の船が来たことを知り、迎える準備をしました。家僕の汪貴を引いていっしょにある場所にゆきましたが、そこはとある村でした。見れば、

冷気は人を侵し、寒風は顔を打つ。三冬客の過(よぎ)ることなく、四季人のゆくこと少なし。団団として蒼桧は龍形のごと、鬱鬱として青松は虎迹のごとし。紅日がすでに昇れど、荘門(むら)の内に鬼火は熒熒[55]、黄昏に到らざれども、古澗の辺に悲風は颯颯。盆は盛る人の酢と醤[56]、銭を鋳る炉を板は蓋へり。たちまちに聞く一陣の血腥きを、そもそもは悪者の住む処なり。

    家僕はもともと地元の人でしたから、柯陳の家を知っており、帖子を持ってまっすぐ入ってゆきますと、知らせました。柯陳大官人は向家の家僕が下役であると思い、疑心を抱かず、弟の柯陳二、柯陳三などと集まって相談しました。「この役所は、われわれのようにきちんとしている。あちらが礼をもって持てなしているのだから、わたしは礼をもってかれらを迎えるべきだ。今、わたしたちは果盒[57]を整え、羊と酒を持ち、装束を美しくして、迎えにゆこう。一つにはわたしたちに礼節があることを示し、二つにはわたしたち兄弟に威風があることを示すとしよう。かれの挙止がどうかを見、かれらを手厚くもてなすか否かを斟酌すればよい。」相談が決まりますと、外で遊撃の船が江口に来たことが知らされましたので、一方で轎かきに命じ、轎を担がせ、客に拝しにゆこうとし、すぐに出発しようとしました。柯陳兄弟ははたしていっせいに軍装し、二三十名の子分を点呼し、羊を引き、酒を担い、旗幡を捧げ、香燭を点し、山を出て迎えにきました。

    汪秀才は船が波止場につきますと、借りてきた紗帽紅袍を身に着け、轎かきを呼びあつめ、四人に担がれ、四人に支えられて上陸しました[58]。それに先だち、土地の人々の声喏はすでにおわり、柯陳兄弟が両脇に立ち、お辞儀をし、前で導き、汪秀才はまっすぐ柯陳の家ｎ荘園に担いでゆくように命じました。広間の前に担いでゆき、轎をおりますと、柯陳兄弟はいそいで座椅子を運んで真ん中に並べました。柯陳大は口を開いて言いました。「大人。お掛けください。弟たちが目通りするのをお許しください。」汪秀才は言いました。「挨拶は結構です。みなさんはいずれも民間の義士好漢です。本官は任官する前から、ながく名をお聞きしておりました。今さいわいにこの地方の知事となり、まさにみなさんと義気相通じていますので、わざわざご挨拶しにきました。官民の礼に拘ることはできません。客人主人として接すれば、ながいつきあいができましょう[59]。」柯陳兄弟が跪きますと、汪秀才は片手で扶けおこし、何度も言いました。「そのようになさいますな。わたしたち豪傑は普通とは違うのですから、通常の礼法に拘ることはございません。」柯陳兄弟は謙遜し、汪秀才を腰掛けさせ、三人は侍立しました。汪秀才はいそいで座席を取ってくるように命じ、左右に分かれて坐りました。柯陳兄弟は遊撃がこのように持てなしているのだと思い、喜びはなみなみならず、いそいで酒を買ってもてなしました。汪秀才は帯を解き、服を脱ぎ、心ゆくまで酒宴し、猜拳[60]酒令し、すこしも礼法に拘りませんでした。酒をつぎながら、多くの豪傑のことを語り、腕を捲り、会うのが遅かったことだけを恨みました。柯陳兄弟は心服したばかりでなく、さらに恩に感じ、みな言いました。「遊撃さまからこのようなもてなしを受ければ、わたしたちは赤心をもって報い、死んでも恨みません。長江で事件があるときは、一たび呼べばすぐに応え、みずから罪を作り、遊撃さまのご恩顧に背くことは絶対にございません。」汪秀才はそれを聞きますと、ますます嬉しがり、つづけて百ほどの大杯を、なみなみとついで辞さず、日中から、夜中まで飲み、ようやく別れを告げて船に乗りました。この日は、柯陳大官人の酒ということになりました。二日目は柯陳二が主人となり、三日目は柯陳三が主人となり、それぞれ招待しました。柯陳大官人はさらに言いました。「先日は突然おいでになったので、大したおもてなしができませんでした。」ふたたび招いて酒を飲み、みな金帛を送って宴席に代えました。汪秀才はまったく断らず、欣然として受けました。

    酒席が終わり、船に戻ってゆきますと、柯陳兄弟はみな拝謝しにきました。汪秀才は船に留まり、すぐに酒を買って持てなすように命じました。柯陳兄弟は断りました。「わたしたちは草莽の小人で、遊撃さまのご愛顧を受け、酒食を献ることができれば、大いに幸いでございますから、宴を賜わるわけにはまいりません。」汪秀才は言いました。「返礼をしない道理はありません。わたしだけがご馳走になり、主人となってお礼の宴を設けることを許されぬはずはありますまい。それにわたしたちがおつきあいするときは、お礼するのに慣例に拘ることはありません。昨日お宅にいったときは、みなさんが主人となりました。今日はみなさんがご来臨したのですから、わたしが主人となりましょう。この場で劇を演じるのに、何の良くないことがございましょう。」柯陳兄弟は断るわけにゆきませんでした。酒席を並べ、設営が終わりました。汪秀才は席を決めますと、一班の梨園の子弟を連れてき、舞台に上がって劇を演じました。演じたのは『桃園結義』、『千里独行』など多くの豪傑の思いを述べた戯曲でした。柯陳兄弟はいずれも山野の人で、この騒ぎを見て、どうして貪り見ぬことがございましょう。ところが汪秀才はすでにひそかに船を動かすことを命じており、劇の銅鑼太鼓を合図にし、すぐさま船を出しました。月明かりに乗じ、流れに沿ってゆき、ゆるゆると進み、船倉の中の者には気づかれませんでした。往来すること数十余里、戯曲ははじめて終わりました。興が酣になる前に、ふたたび席を移して車座になり、さかずきを挙げて酒令しました。楽人は美しく唱い、酒を勧め、おおいに楽しみました。汪秀才は船がすでに遠くへきたことを知りますと、はじめて発言しました。「わたしはみなさんに愛され、このように親しくするのは、きわめて楽しいことといえます。ただ、胸に小さな事があり、みなさんにたいへん都合が悪いことですので、みなさんと良策を考えたいと思います。」柯陳兄弟は愕然として言いました。「何事でございましょう。遊撃さまがはっきり仰ってください。わたくしどもはみなご命令を聴きましょう。」汪秀才はしもべに手箱を運んでこさせますと、告げ文を取りだして手に取り、尋ねました。「汪秀才がみなさんを訴えており、愛妾が奪われたと言っていますが、そうした事はありますか。」柯陳兄弟は二人して顔を見合わせ、隠すことができませんでした。柯陳大は返事しました。「岳州で捕らえた娘がおり、回風といい、汪家のものだと言っております。今わたくしの処におります。偽りはございません。」汪秀才は言いました。「娘一人は小さな事ですが、その汪秀才は当今の豪傑で、凡人ではありません。今、汪秀才は上奏して征討を奏請しにゆこうとしていますが、まずはこの状況を上司に告げ、上司はひそかにこの牒文を発し、わたしにこの件を処理するように頼みました。わたしは義気があり経験豊富な人間ですから、兵を起こしてお騒がせしにくることはできません。みなさんをこちらにお招きした理由は、明日、上司に会い、汪秀才とその件につき弁論してもらうためです。」柯陳兄弟はそう言われますと、驚いて顔を土色のようにし、言いました。「わたしたちはやすやすと上司に会うことはできません。一たび法廷にゆけば、きっと監禁され、いずれにしても殺されましょう。」人々は逃げようとし、立ちあがりましたが、窓を推して見ますと、大江の中、煙水は茫茫として、すでに舟もなく、岸もなく、巣穴は遠く、救援は来ず、なすすべがありませんでした。これぞまさしく、

翅膀(つばさ)があれば天上に飛びあがり、鱗甲(うろこ)があれば深淵に潜りこむ。

はや巣窟を失へば天に上るに術はなく、目の前の災禍をいかで遅らせん。

    柯陳兄弟は騙されたことを知り、いっしょに跪きました。「遊撃さま、命をお救いくださいまし。」汪秀才は言いました。「事ここにいたったからには、お上に会わなければ、わたしは復命できません。しかしもしお上に会えば、あなたたちを辛い目に遭わせるでしょう。ぜひとも長い目で考え、この牒文を解消できれば、お上に会わないでよくなりましょう。」柯陳兄弟は言いました。「わたくしは愚昧でございますから、遊撃さまの良策をお求めしたく思います。」汪秀才は言いました。「汪生は一人の妾のために焦っているのですから、一艘の哨船を飛ばしてお家にゆき、この妾を船に迎えてくるのがよいでしょう。わたしが連れてゆき、役所で引き渡してかれに返せば、この牒文はすぐに解消でき、あなたたちは出頭しないでよくなりましょう。」柯陳兄弟は言いました。「それは難しくありません。手書を書いて執事に送り、証書にし、連れてこさせましょう。」汪秀才は言いました。「ぐずぐずしてはならん。はやく書け。」柯陳大が証明書を書きますと、汪秀才はすぐに向家の家僕と汪貴の二人を呼んできました。かれらの一人は道を知り、一人は人を知り、ひそかに命じました。証書を与え、二艘の哨船がいっしょに漕いでゆき、すぐに報告させました。船では銅鑼と太鼓をつぎつぎに奏で、心ゆくまで酒を飲みました。柯陳兄弟は汪秀才が平然としているのを見、驚きや恐れは幾分なくなりましたが、なおも心が不安で、萎縮しておりました[61]。汪秀才はしかしひたすら豪快にし、談笑して楽しみ、酒を飲んでやめませんでした。

    夜明けになりますと、二艘の哨船[62]ははやくも側室の回風を乗せ、飛ぶように報せにきましたので、汪秀才はすぐに船を招いてきました。回風が船に来ますと、汪秀才はたいへん喜び、船倉にゆかせ、四錠の銀子を出してき、二人の使いにそれぞれ一錠を与え、二艘の船のものにはそれぞれ一錠を与えることにしました。人々は声を揃えて礼を言い、分けましました。汪秀才はさらに三大杯の酒をつぐように命じ、柯陳兄弟に別れを告げました。「事はすでにおわった。わたしはみずから上司に報告するから、おまえたちがこちらにいることはない。これで戻れ。」柯陳兄弟は感激し、命を救ってくれた恩に礼を言いました。汪秀才は柯陳大官人の髯を梳きながら言いました。「おまえたちは汪秀才を知っているか。それはわたしだ。あたらしく昇任した遊撃などではない。愛妾を捨てられないため、このような芝居をしたのだ。今、愛妾はふたたびわがものとなり、みんなと数日宴して、おおいに楽しむことになったが、これもなにかの縁だろう[63]。みんなおおきにありがとう。これでお別れだ。」柯陳兄弟は夢からはじめて覚めたかのよう、酔いがはじめて醒めたかのよう、ようやく心の不安は消え、思わず大笑いしました。「秀才さまはここまで面白く、このように豪放不羈でいらっしゃるとは、ほんとうに豪傑でございます。わたしたち無骨ものが、さいわい数日お伴することができたのも、ご縁でございましょう。ご側室の事は、気づきませんで、恥ずかしゅうございます。恥ずかしゅうございます。」それぞれ腰帯の銀子を解いて出したところ、ほぼ三十余両ありましたが、汪秀才に送って言いました。「とりあえずご側室への贈り物といたしましょう。」汪秀才は再三断れず、笑って受けました。柯陳兄弟は哨船で送ってくださいと要求しました。汪秀才は岸に通じている大路まで送るように命じ[64]、すぐに上陸させました。柯陳兄弟は殷勤に別れ、船に乗ってゆきました。

    汪秀才は房船[65]から回風を呼びだしてきて、以前驚き恐れた事を話しますと、回風は嗚咽して告げました。汪秀才は言いました。「今はふたたびわたしの手に帰ったのだから、旧い事をふたたびもちだすことはない。とりあえず一杯の酒を飲み、驚きを鎮めよう[66]。」二人は渇いていたところに漿を得たかのよう、飲んで楽しみを尽くし、ともに舟に宿りました。翌日出発し、武昌の波止場に着きますと、向都司に会いにゆき、言いました。「船や器物などの物をお借りしていましたが、すでに事を終えましたから、すべてお返ししましょう。」向都司は言いました。「ご側室はどうなりましたか。」汪秀才は言いました。「おかげさまで、もう舟におります。」向都司は言いました。「どのように取りかえしてきましたか。」汪秀才は新任官を装い、挨拶し、欺いたことを、くわしく話し、言いました。「すべて下役どのの考えたことで[67]、わたくしも下役どのの力によること少なくはありません。」向都司は言いました。「このような珍しい事があるとは。本当に十二分の胆略があって、はじめてこのようなはたらきをなすことができたのです。仁兄の能力ならば、兵を動かすことができます。」すぐに汪秀才はさらに五十両を向家の家僕に贈り、以前の広告で約束した金額を満たしました。さらに一艘の船を雇い、側室の回風を乗せ、都司に一艘の哨船で護送することを求め、童僕たちを載せました。人々を乗せますと、入っていって兵巡道に報告し、原牒[68]を返しました。兵巡道は尋ねました。「あの件はどうなりましたか。牒を返しにこられましたが。」汪秀才はさらに始終の事を、くわしく申しあげました。兵巡道は笑いました。「干戈を動かさず、虎穴に入り、人を取りかえすことができたのは、ほんとうに奇才奇想だ。秀才は後日朝廷に用いられ、辺疆の大事を処理するのは、難しくないだろう。」おおいに賞賛を加えました。汪秀才は感謝して外に出ますと、回風を載せ、また黄岡にゆきました。黄岡の人々はこの事を聞きますと、みな驚嘆しました。「汪太公の名声は本物だった。本当に嘘ではなかった。」証拠に詩がございます。

英雄の作用(はたらき)はもとより優れたるものなれば、虎狼は懐(なつ)きともに居るを得。

驪龍の眠るをひそかに窺ふことはなし、頷下の珠を探りて戻すことを得つ。

最終更新日:2009年6月29日

二刻拍案驚奇

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