巻十五 韓侍郎のもとで(はしため)が夫人になること 顧提控[1](したやく)として郎署[2]に住むこと   

 

 

 

 詩がございます。

      かつて聞く陰徳は回天[3]すべしと、古今に効果は的然[4]

      世人に善を行へとお勧めいたさん、結局はみづからを助くればなり。

 

 さて、湖州府安吉州地浦灘[5]に住民がおり、暮らし向きは貧しく、官糧銀二両を払えないため[6]、獄に監禁されていました。家の中にはただ一人の妻がおり、満一歳にならない子供を抱いて過ごしており、ほかに救うべき手だてがありませんでした。柵の中には一頭の豚を飼っていましたので、客商に売り、代金を得てお上に返すことを計画しました。銀子が必要で焦っていたため、高値を待てず、人が買いにきますと、すぐに取り引きさせました。女は銀子の良し悪しを知らず、白くきらきらしているものなら、お上に返せると思っていました。客商が去りますと、持ってきて銀匠に渡し、溶かして錠子[7]にしてもらおうとしました。銀匠は言いました。「これは偽の銀だから、いらないよ。」女は慌てて尋ねました。「どのくらいの純度なのですか。」銀匠は言いました。「すこしも銀がない。鉛、銅、錫、鉄で作ったもので、火に当てられないよ[8]。」女は慌て、手に持って家に戻ってきますと、考えました。「家には供出するものがなく、あの豚がいるだけだった。売って夫を救おうと思っていたが、今はもう人に騙されてしまったから、夫が出獄できないことは明らかだ。これはわたしが不注意であのひとに迷惑を掛けたのだ。申しわけない。もう命はいらない。」自尽しようとしましたが、子供を見ますと、置いてゆくわけにもゆきませんでしたので、心を鬼にして言いました。「おしまいだ。おしまいだ。いっそ子供を抱き、いっしょに身投げして死んだほうが、気がかりがなくてすむだろう。」いそいで河辺に走ってきますと、まさに跳びこんでゆこうとしました。そこにはちょうど一人の徽州商人が立っており、かれがいそいで身投げしようとしているのを見ますと、引きとめて尋ねました。「美しくお若いかたが、どうしてこんな早まったことをなさいます。」女は涙を拭いて答えました。「事が急なのですがどうしようもございませんので、死を望むばかりです。」そこで、夫を救うために豚を売り、あやまって偽銀を受けとったことを、逐一訴えました。徽州商人は言いました。「それならば、お子さんとは関わりはございませんね。」女は言いました。「父もなく母もなければ、死ぬのは必定、いっしょに死んでしまったほうがすっきりします。」徽州商人は惻然として言いました。「払えない官銀はどのくらいですか。」女は言いました。「二両でございます。」徽州商人は言いました。「大した額でもないのに、三人の命が失われようとしていたとは[9]。わたしの宿は遠くありませんから、はやくついてきてください。銀二両を出し、お上に払ってあげましょう。」女は悲しみが転じて喜びになり、息子を抱き、徽州商人についてゆきました。半里足らずで、もう宿に着きました。徽州商人は部屋に入り、銀二両をはかって出てきますと、女に渡して言いました。「銀は足紋[10]ですから、お上に払うにはちょうどよいでしょう。またほかの人に騙されてはなりませんよ。」

 

 女は何度もお礼を言って戻ってゆき、隣人に頼んでいっしょに県庁にいってもらい、官銀を納め、その夫ははじめて釈放され、出獄することができました。夫は家にゆきますと尋ねました。「どこで銀子を手に入れてお上に返し、わたしを救った。」女は先の事情を述べ、言いました。「この恩人に遇わなければ、あなたが出てこられないのはもちろん、わたしたち母子二人もすでに黄泉の鬼になっていたことでしょう。」その夫はなかば喜び、なかば疑いました。喜んだのは銀が手に入って救われ、三人の命をまっとうすることができたから、疑ったのは女が操を失い、独りでいたときに一時の焦りで、いささか疚しいことをし、はじめてこの銀子を得たかもしれなかったからでした。さもなければ、どうしてこのような善人がおり、このように間が良いことがございましょう。口でこそ言いませんでしたが、心に一計を生じて言いました。「事情をはっきりさせるには、かくかくしかじかするしかないな。」女に尋ねました。「その恩人の泊まっている処を知っているか。」女は言いました。「銀をはかりにゆくのについてゆきましたから、どうして知らないことがございましょう。」その夫は言いました。「それならば、いっしょにお礼を言いにゆかねばならないな。」女は言いました。「まさにそのようにするべきでございます。今日は休み、明日いっしょにゆきましょう。」その夫は言いました。「明日を待てないから、今夜すぐにゆこう。」女は言いました。「なぜ昼にゆかず、夜にゆこうとなさるのです。」その夫は言いました。「考えがあるから、構わないでくれ。」

 

 女は逆らうわけにゆかず、やむなく灯を点し、その夫といっしょに徽州商人の宿の入り口にゆきました。この時はすでに黄昏時で、人々はみなしずかに休んでいました。その夫が女に門を叩かせようとしますと、女は言いました。「わたしは女でございますのに、どうして闇夜に門を叩かせるのでしょう。」その夫は言いました。「わたしは闇夜にかれの心を試そうとしているのだ。」女は心の中で夫が疑っていることを悟り、恩義がある人のことを、このように疑うとは、人でなしだと思いました。しかし、夫に疑われるのを恐れ、やむなく声を出して高く叫びました。徽州商人は、夢の中で、女の声を聴きますと、尋ねました。「誰だ。わたしを呼びにきたのは。」女は言いました。「先日、身投げしようとしていた女でございます。あなたさまの大徳を受け、夫を救って出獄させましたので、わざわざ感謝しにまいりました。」皆さんは、この時、徽州商人が不真面目な人間であれば、一人の婦人が闇夜にかれを訪ね、さらに礼をしにきたことを聴き、すぐに善くない心を動かし、ふざけたことを言い、門を開け、出てきて夫に出くわし、おおいにつまらない目に遭い、当初善いことをしたときの心をすっかり汚してしまっただろうとお思いでしょう。ところがこの朝奉[11]はたいへん真面目でしたので、女の話を聴きますと、すぐに声を励まして言いました。「ここはわたしがひとりで寝ている場所ですから、あなたのようなご婦人が来られるべきではございません。それに、闇夜で人にお礼する時間でもございませんから、とにかくお戻りください。礼を仰ることはございません。」その夫はそれを聴きますと、はじめて多くの疑心をことごとく消しさりました。女は答えました。「夫がいっしょにお礼を申しにきております。」

 

 徽州商人はその夫がいっしょに来たと聴きますと、やむなく衣を着て牀を下り、門を開こうとしました。数歩進みますと、天地が崩れるような音がし、門の外さえ揺れましたので、徽州商人が慌てたのはいうまでもなく、夫婦も驚きました。徽州商人はいそいで店員を呼び、火を持ってこさせて見たところ、牀が圧しつぶされて四つの脚はすべて折れ、すっかり瓦礫泥土となっていました。そもそも壁が歪んでおり、今まで牀に掩われていて気づかなかったのですが、この時たまたま崩れ落ちてきたのでした。牀に人がいれば、銅の筋、鉄の骨でも圧死していたことでしょう。徽州商人はそれを見ますと、舌を伸ばしたまま、すぐには引っ込めることができませんでした。店員は門を開かせ、夫婦に会いますと、かえってお礼を言いました。「あなたがたに呼ばれて立ちあがらなければ、命はなかったことでしょう。」夫婦は壁が崩れ、牀が倒れているのを見ますと、やはりたいへん驚きました。「あなたさまの福分が天にも届かんばかりに大きかったため、大難をまぬかれたのでございます。あなたさまの陰徳の報いではございますまいか。」双方がお礼を言いました。徽州商人は夫婦を留め、しばらく茶話し、お大事にと言って別れました。この一件は、商人の二両の銀子が、母子二人の命を救い、かれらがお礼しに来たため、壁に圧しつぶされる災いを逃れたもので、自分で自分の命を救ったかのようなものです。これは上天がたくみに徳に報いたのです。ですから古人は「情けは人のためならず」と言っているのです。

 わたくしがはじめ「結局はみづからを助くればなり」と申しましたのは、でたらめではございません。皆さんがお信じにならないのでしたら、わたくしは今から、他人を救い、自分を救った話を示して、本題といたします。それが証拠に詩がございます。

      女あり(かんばせ)は玉にぞ似たる、など満足に徳に報いん。

      真白き心のかの人の、清き操は秉燭に同じなり[12]

      蘭宸ヘ幽芳を保ち、移し来りて金屋に貯へつ。

      容台[13]粉署[14]の郎、一朝にして掾属[15]に与ふ。

      聖明義人を重んじ、報いは轂の転ずるがごと[16]

 

 この話は、弘治年間に、直隷太倉州で起こったことでございます。州庁に一人の吏典[17]がおり、姓は顧、名は芳といいました。ふだん長官を送迎するために城を出るときは、城外で餅を売る江家を宿にし、休息しておりました。その江老人は名は溶といい、誠実忠厚の人で、商売はたいへんうまくいっていましたが、暮らし向きはなんとか暮らせる程度でした[18]。かれらは顧吏典の物腰がきちんとしており、容姿が立派で、役所の下役らしくないのを見ますと、ひそかに敬愛し、家に来るたびに、「提控さま」と呼び、上賓のようにもてなしていました。江家には母親がおり、娘を生んでいました。娘は愛娘と呼ばれ、年はようやく十七歳、容貌は非凡でした。顧吏典の家にももちろん妻がおり、江家の女たちと交際しており、一家骨肉のようになっていました。諺に「一家飽暖すれば千家怨む」と申します。江老は金持ちなどではないのに、ほかの人はかれの商売が順調で、衣食に事欠いていないのを見ますと、すぐに千金、数百金の財産があると噂するのです。心が浅はかなものたちは、目こぼしをせず[19]、おもわず嫉みはじめるのです。

 

 とある日、江老が家の中で仕事していますと、狼か虎のような捕り手たちが入ってきて、「海賊を捕まえろ。」と怒鳴り、店中の器物を打ち砕きました。江老が出てきて弁明しようとしますと、捕り手たちはいっせいに手を動かし、縄で縛って倒しました。江婆さんと娘は恥を顧みず、いっしょに哭き叫びながら出てきますと[20]、尋ねました。「何事ですか。はっきり仰ってください。」捕り手は言いました。「崇明[21]から海賊たちが護送されてきたが、江溶の名が挙がり、贓物を隠しているといっていたのだ。それなのに何事ですかと尋ねるか。」江老夫妻と娘はひどい濡れ衣だと叫びはじめ、言いました。「昔からよその土地にゆきませんでしたので、海賊に知りあいなどはおりません。無実の人にひどい濡れ衣を着せています。」捕り手は言いました。「濡れ衣であろうがなかろうが、州庁にいって弁明しろ。おれたちと関わりはない。はやくおれたちを応対して役所にゆけ[22]。」江老は田舎者で、盗難事件の恐ろしさを知らず、どのようにして下役に対応するべきなのかも知らず、家をあげてひたすら泣くばかりでした。捕り手たちは動きがないのを見ますと、すぐ怒りました。「老いぼれはずる賢く、家にはきっと贓物があるから、とりあえず捜すとしよう。」人々は有無を言わせず、中に入り、いっせいに手を動かし、地面さえ掘りかえさんばかり、貴重品を見ますとすぐにしまいこみました。江老夫妻、娘三人は、殺される豚のように叫び、天地に向かって泣きました。捕り手たちは拳を揮い、腕を捲り、武威を逞しくしました。

 

 なすすべもなくしていますと、一人の男が踏み込んできて怒鳴りました。「わたしがこちらにいるのだから、でたらめなことはできないぞ。」人々がじっと見ますと、ほかでもない、州庁の顧提控でした。人々は手を止めました。「提控さまはちょうどよいところにいらっしゃいました。乱暴はせず、提控さまに従いましょう。」江老は提控を引きとめました。「提控さま、わたしをお救いください。」顧提控は尋ねました。「どうしました。」捕り手は令状を取りだして見せましたが、海賊が贓物を隠す家だといって係わりあいにしたために、巡捕の役所が捕らえにきたのでした[23]。提控は言いました。「賊が指摘していることは、みな仇敵の口から出ている。この家族は善良なのだから、あきらかに冤罪だ。おまえたちはわたしの顔を立て、助けてやれ。」捕り手は言いました。「提控さまがこちらにいらっしゃるのですから、誰も余計なことを申しはしません。とにかくわたしたちにお命じになってください。役所にゆく準備をいたします。」提控はすぐ江老に命じて酒、飯、魚、肉の類を調えさせ、卓上にたくさん並べさせ、かれらが狼か虎のように、心ゆくまで食べるのに任せました。さらに幾両かの銀子を取り出して足代にしますと、捕り手たちは言いました。「提控さまのお言いつけですから、断るわけにも、争うわけにもまいりません。とりあえず受けとりましょう。万事提控さまのお顔を立て、あのかたを困らせないようにいたします。」提控は言いました。「みんなに助けてもらいたいのはほかでもない。一日遅く連行していってくれ。わたしはさきに役人に会い、あのひとのために弁明し、方策を考えることにしよう。その後で、投牌してくれれば[24]、それがすなわちみんなの厚意だ。」捕り手は言いました。「仰る通りにいたしましょう。」江老はすぐに捕り手についてゆきました。提控は戻ってきますと母子を慰めました。「この件はお金を掛けさえすれば、弁明することができますから、大事にはならないでしょう[25]。」母子は泣きました。「すべて提控さまに救っていただきます。」提控は言いました。「ひとまず店をとざし、心を安らかにして坐っていろ。わたしは手立てを考えよう。」

 

 宿を出、城に入ってきますと、まっすぐ州庁の前に来、捕盗庁[26]の役人に会い、言いました。「わたくしの宿の主人の江溶は、善良な人間ですが、今、海賊によって係わりあいにされています。仇敵が陥れたに相違ございません。どうか知事さまにはわたくしのしがない顔に免じてお救いください。」捕官は言いました。「これは公務だから、わたしとて勝手にするわけにゆかん。」提控は言いました。「知事さま、言上いたします。知事さまがこちらに連行させてくる時、拷問をお免じになることを望みます。」捕官は言いました。「それは言われた通りにしよう。」まもなく、知州が出廷しました。顧提控は審理の合間を見はからい、跪いて言上しました。「わたくしはふだん知事さまにお仕えしているとき、私情をみだりに言上しようとしませんでした。今日、宿の主人の江溶が、海賊によって誣告されておりますが、わたくしはかれが善良な人であること、仇敵に陥れられたにちがいないことがよく分かっておりますので、ぶしつけに言上するのでございます。知事さまのご判断の下、無辜を救われることを望みます。もしわたくしが嘘をついていれば、罪は万死に値しましょう。」知州は言いました。「盗賊の案件は、生半なことではないぞ。ひそかに人の請託を受け、とりなしてやっているのだろう。」提控は叩頭して言いました。「わたくしにそのような不正があれば、知事さまは後日かならずお気づきになりましょう。そのときは罪を受けようと思います。」知州は言いました。「くわしく調べなければならぬ。一方の言葉だけを聴くことはできないからな。」提控は言いました。「知事さまの『くわしく調べなければならぬ』というお言葉は、無辜が救われる路でございます。」ふたたび叩頭しますと、退出し、考えました。「知事さまは、さきほど、一方の言葉だけを聴くことはできないと仰った。思うに人が多ければ公論となる。明日、役所の数人の友人を誘い、大勢で言上すれば、かならず信じることだろう。」その日のうちに、同僚の十数人の提控を飲み屋につれてゆき、腰を掛け[27]、右の事情を話し、明日、かれを助けて話しをするように求めました。人々はふだん顧提控と交際がありましたので、みな従いました。

 

 次の日、捕り手はすでに江溶を捕庁に護送してきていました。捕庁は顧提控の顔を立て、刑具を用いず、法廷に送ってきますと、知州が投文し、挨牌、点呼を行っており[28]、江溶の名が呼ばれますと、顧提控は傍らに立ち、さらに跪いて言上しました。「この江溶はわたくしが昨日言上した者で、ほんとうに善良な者でございます。裏にはかならず不当な事情がございますから、知事さまにはくわしくお調べくださいますよう。」知州は色をなして言いました。「おまえは再三再四、人のために弁明しているが、賄賂を受けたから、無礼なことをしているのではあるまいな。」提控は叩頭して言いました。「知事さまが法廷ではっきりとお調べください。わたくしの宿の主人に贈賄の不正がございますれば[29]、打ち殺されても恨みません。」すると、下役たちがみな跪き、言上しました。「ほんとうに顧さんの宿の主人には、不正はないのでございます。わたくしたちがみなで保証いたします。」知州もふだんから顧芳の行いと、忠直細心な人であることを知っており、心の中で幾分かかれを信じていましたので、言いました。「わたしが調べればおのずと事情が分かるだろう。」すぐ江溶に尋ねました。「この賊たちはおまえを係わりあいにしたが、ふだんから一二人と面識があったのか。」江老人は叩頭して言いました。「知事さま、一人でも知っておりましたなら、死んでも怨みはございません。」知州は言いました。「かれらにおまえを知っている者がいるのか。」江老人は言いました。「それはわたくしは知りませんが、わたくしを知っているとは限りますまい。」知州は言いました。「それならば簡単だ。」一人のp隷を呼んできますと、衣服を脱がせて江溶に着せ、p隷を装わせ、p隷に江溶の衣服を着させ、江溶を装わせました。そして命じました。「強盗が江溶と争う時に、おまえは江溶のになりかわって反論し、強盗が気づくか気づかないかをみろ。」p隷は言われた通り、江溶と入れ替わりました。その後、獄から犯人が連れだされてきました。

 

 知州は賊魁に尋ねました。「江溶はおまえの贓物を隠したのか。」賊魁は言いました。「知事さま、仰る通りでございます。」知州は気拍[30]を敲き、わざと尋ねました。「江溶は言うことはあるか。」p隷は江溶を装い、偽りました。「知事さま、わたくしと関わりはございません。」賊魁は偽の江溶を見ますと、別人であることを知らず、言いまくりました。「そのものは城外に住み、おもてむきは餅を売り、もっぱらわたしたちの贓物を隠していました。どうしてごまかせましょう。」p隷は言いました。「知事さま、冤罪でございます。わたくしはそのものを知りませぬ。」賊魁は言いました。「知らないことがあるものか。おれたちはいつもおまえの家で餅を食べ、某処の贓物いくばく、某処の贓物いくばくは、すべておまえの家にある。まさか忘れたわけでもあるまい。」知州はあきらかに嘘であることが分かりましたが、わざと言いました。「江溶が贓物を隠していたことは、明らかだが、天下には姓名が同じものがいるものだ。」片手でほんものの江溶が扮したp隷を指しながら言いました。「わたしのp隷も江溶というのだが、このものか。」賊魁はp隷を見ましたが、それが江溶だとは気づきかず、叫びました。「知事さま、餅を売る江溶でございます。p隷の江溶ではございません。」知州はさらに手ずから偽の江溶を指さして言いました。「この餅を売る江溶のことか。」賊魁は言いました。「仰る通りでございます。」知州は冷笑し、気拍を二三度つづけて叩き、賊魁を指さしながら言いました。「剮[31]にして殺しても許しがたい奴め。みずからが悪事をし、さらに請託を受け、善良なものを係わりあいにして陥れるとはな。」賊魁は叫びました。「この江溶はほんとうに贓物を隠しております。すこしも相違ございません。知事さま。」知州は怒鳴りました。「びんたを打て。」十回ほど打ちますと、知州は言いました。「まだ口答えするか。あらかじめ人を換え、実情を探ったのはさいわいだった。あやうく無実の民を陥れるところであった。このものはわたしのp隷の周才だが、おまえは江溶だと思い、口に任せてかれを係わりあいにしようとした。このp隷を装っているものは、まさに餅を売る江溶だが、おまえは気づかず、関わりがないと言った。あきらかにおまえは人から請託を受け、江溶に害を与えているのだ。もともと江溶を知らないのだろう。」賊魁はうなだれて語らず、ひたすら叫びました。「わたくしは死ぬべきでございます。」

 

 知州は江溶とp隷にふたたび衣服を換えさせ、夾棍を取ってこさせ、賊魁を挟み、かれを買収して江溶を係わりあいにしようとした人物のことを自供させようとしましたが、賊魁は頑強で、気にも留めず[32]、挟んだり打ったりしても、江溶が富裕であったので、係わりあいにして贓物を賠償させることを望んだのは事実だが、ほかに指図したものはいないと自供するばかりでした。知州は言いました。「江溶の仇敵に使われていることは、疑いない。しかし、今、こいつは死んでも自供しようとしていない。どうしてもその者を知ろうとすれば、また口に任せて誣告し、かえって係わりあいになるものが生まれるだろう。江溶だけを釈放し、問いつめぬことにしよう。」江溶は叩頭して言いました。「わたくしも自分に害を与えようとした仇敵を知ることを願いません。そうすれば、根に持たなくてすみましょう。」知州は言いました。「ほんとうに忠厚な人だ。」筆を持ち出してき、名を抹消しますと、怒鳴りました。「江溶は関わりないから、追いだせ。」江溶は叩頭してやまず、p隷は何度も怒鳴りました。「はやくゆけ。」

 

 江溶が籠から放たれた飛鳥のように、うきうきと役所を出ますと、役所の多くの人々は騒ぎたて、お祝いを言い、囲んで放しませんでした。さいわい顧提控が出てき、話しをし、人々を解散させ、いっしょに江溶の家に戻ってきました。江老人は、一たび門に入りますと、すぐに妻女を呼んできました。「はやく来て恩人に拝謝しろ。今回、提控さまが救ってくださらなければ、あやうく会えなくなるところだった。」三人はいっせいに拝礼しました。提控は言いました。「身内なのですから、力を出すのが当然です。それに知州さまが神さまのようにお裁きをされたので、わたしとは関わりはありません。そのようになさらないでください[33]。」江婆さんはすぐ老人に尋ねました。「なぜこのようにすんなり戻ってこられたのです。酷い目に遭わなかったのですか。」江老人は言いました。「二箇所とも、提控さまがあらかじめ話をしてくださったので、刑具を使われることはすこしもなかった。天字号[34]の裁判は、今はすこしの邪魔もなく、収まったのだ。」江婆さんは何度も礼を言いました。提控は立ちあがりました。「とりあえずゆっくりとお話しください。わたしは役所へゆき、長官さまにお礼を言わねばなりません。」すぐに提控は別れを告げてひとりで去ってゆきました。

 

 江老は提控を送り出し、戻ってきますとにむかって言いました。「これぞまさしく『門を閉ざして家に坐せども、禍は天より来る』だ。このような禍に遭おうとは思わなかった。提控さまが力を出してくださらなければ、命を保つのは難しかったことだろう。いささかの出費があったが、さいわい太平無事となった。恩義を忘れてはならない。どのようにしてお礼をすればよいだろう。」は言いました。「わたしたちの財産は大したものではなく、暮らしてゆくのに精一杯ですのに、何が人の眼に触れたのか、ろくでなしに陥れられ、このような不慮の禍を招いてしまいました。先日、捕り手たちにものを取られましたが、凶暴で掠奪をしているかのよう、貴重品はすべて奪われ、今日、提控さまの大恩にお報いする金目のものがございません。」江老は言いました。「ほんとうに、ものがないのは困るし、すこし揃えても良いとはいえず、あのかたも受けようとなさるとは限らない。どうしたらよいだろう。」は言いました。「ご相談することがございます。娘は年は十七ですが、婚約していません。わたしたちのような家は、婚約するとしても、田舎の家にすぎませんから、むしろあのかたに送って妾にし、あのかたを婿にし、家を支えていただけば、よその人から侮られずにすみましょう。よろしくはございませんか。」江老は言いました。「それはなかなかよいが、娘が承知するかどうかは分からない。」は言いました。「提控さまはお若く、あのかたの家の奥さまも賢く、ふだん娘と話がたいへん合っていますから、むこうも希望することでしょう。」そこで娘を呼んでき、この趣意を告げました。娘は言いました。「お父さま、お母さまが恩徳に報いようとなさっているのですから、この身を惜しみはいたしません。」江老は言いました。「そうはいっても、提控さまは道理を重んじるかただから、もしあのかたにはっきり言えば、きっと従わないだろう。むしろわたしたち三人が、訪ねて拝謝し、その後、娘をあちらに残せば、あのかたは断るわけにゆかないだろう。」は言いました。「仰る通りでございます。」すぐに相談が決まり、暦を持ってきて見ますと、翌日が上吉でした。

 

 次の日の朝、娘を装い、江老夫妻は歩き、娘は小さな轎に乗り、担がれて城内に入りますと、顧家に来ました。提控夫妻は迎え入れますと、尋ねました。「どうしていらっしゃったのですか。」江老は言いました。「老いぼれは提控さまに命を助けていただきましたので、今日は妻女三人とともに拝謝しにうかがったのでございます。」提控夫妻は言いました。「大したことではございませんのに、このようにしていただくとは。娘さんまでいらっしゃるとは、ますますよろしくありません。」江老は言いました。「老いぼれは一言ご無礼申しあげます。老いぼれが先日不当な刑を受け、獄中で死んでいれば、妻女は残され、どこをさすらっていたか分かりません。今、さいわいに提控さまに命を救っていただきましたが、お礼にするものがございません。ただ、娘の愛娘がおり、今年はまさに十七歳でございますから、老妻と相談し、送ってきて提控さまや奥さまのために布団を敷いたり、畳んだり、箕帚を執らせたりするのでございます。提控さまが、醜陋であることをお厭いにならなければ、こちらにおとどめいただき、老いぼれ夫妻は終生頼ることにしましょう。今日は吉日でございますので、一つにはこちらに拝謝しにき、二つにはわざわざ娘を送ってきたのでございます。」提控はそれを聴きますと、色を正して言いました。「ご老人は何を仰います。わたくしがそのような事をすれば、天地は許さないでしょう。」提控の妻は言いました。「老伯伯[35]、干娘[36]、妹妹[37]がいっしょにこちらにいらしたのは得がたいことです。とりあえずお食事をなさってください。お話があればあとでしましょう。」提控は厨房に、飯を並べてもてなすように命じました。酒を飲んでいますと、江老はふたたび先ほどの話を持ちだし、席を立って提控に拝礼しました。「提控さまが老いぼれの頼みを受けてくださらなければ、老いぼれは死んでも瞑目いたしません。」提控は江老の心が痛切なのがよく分かりましたので、ひそかに考えました。「ひとまず承諾しなければ、この老人はかならずじっとしていようとせず、ほかに理由を探してわたしに感謝しようとするだろうから、かえって面倒なことになる。ひとまずかれの言葉に従い、後日手を打つことにしよう。」食事が終わりますと、江老夫妻は立ちあがって別れを告げ、娘にとどまるように命じ、言いました。「こちらで奥さまをお世話させます。」愛娘は恥じらい、涙をこらえ、一声返事しました。提控は言いました。「そのように仰いますな。愚妻はひとまずお嬢さまを数日お留めし、みずから送りかえしましょう。」江老夫妻もかれが一時(いっとき)表向きの話をしているのだと思い、双方が相手を思いやったのでした。

 

 夫婦が去りますと、提控の妻は愛娘を、奥にあるみずからの部屋に招いて掛けさせ、さらに高級な茶菓を並べてもてなし、下僕や小間使いに命じ、一間の小さな部屋、一台の寝床をきちんと整えさせました。提控の妻のさえ、心の中で、提控には愛娘を留める気がある、今夜は吉日だからかならずいっしょに休むだろうと考えました。提控の妻はもとよりたいへん賢く、嫉妬しない人で、ふだんから愛娘を気に入っていましたので、一つ一つきちんと準備し、提控が晩になって楽しむのを待つばかりでした。これぞまさしく、

      一朶の鮮花はしかと護られ、芳菲は望む花賞づる時[38]

      東君の意はやすやすと動くことなし、惜しみつつ重ねて帳幕(とばり)を施せり[39]

 

 ところが、提控はその晩、妻の部屋へ眠りにゆき、愛娘の処へゆきませんでした。提控の妻は尋ねました。「なぜ江小姐のところへ泊まりにゆかれないのです。わたしに遠慮なさらないでください。」提控は言いました。「あのひとの家は不幸にして厄難に遭い、わたしはふだん交際があったため、力を出して救ったのだ。今、あのひとは娘をわたしへのお礼にしたが、わたしが女色を貪れば、人の危機に乗じ、欲心を遂げたことになる。海賊が人を係わりあいにしたり、下役が掠奪したりする心と何の違いがあるだろう。しがない身分ではあるが、行いを悪くすれば、永遠に不吉なことになるだろう。」提控の妻はかれが誓いを立てたのを見ますと、本気であることを知り、すぐに言いました。「それならば、これもあなたの善行でございます。ただ、昼間つよく断らず、家に留めたのはどうしてですか。」提控は言いました。「江老人は愚直な人で、娘さんの件を承諾しなければ、肉を抉って傷を補うように[40]、ほかに手立てを探してわたしにお礼し、かえってまずいことになる。あのひとの娘さんはふだんおまえと親しくしており、通家姉妹[41]だから、おまえの処に数日住まわせるのは構わないだろう。わたしはこちらで気に入った家の子弟を見つけ、娘さんのために縁談を持ちかけてあげようと思っている。結婚を成就するのも良いことだろう。だからすぐには別れを告げなかったのだ。もともとわたしに妾をとる気があったわけではないのだ。」提控の妻は言いました。「それならばようございます。」その夜は話はございません。それから江愛娘はただ顧家に住み、提控の妻は江愛娘とまるで実の姉妹のようにし、たいへんよく待遇しました。提控の妻は心中つねに提控をかれの部屋にゆかせようとも考えていました。ところが、

      落花には流水に従ふ意あれど、流水に落花を恋ふる(こころ)なし。

      他年栄誉を得し後に、今日過たざることをはじめて知らん。

 

 提控は、平常通りともに住み、一毫の邪念も起こさず、一言の冗談も言わず、愛娘の部屋に脚を一歩も踏み入れませんでした。愛娘ははじめ訝りましたが、その後は怪しいと思わなくなりました。

 

 提控は役所の仕事が多く、いつも家にいませんでした。匆匆として一月あまりが過ぎました。とある日、閑を得て家にいたとき、妻にむかって言いました。「江さんの娘さんが家にいるので、はじめは人を探してあげようと思っていたが、急にはうまくゆかない。今では一月余りたったが、ながくこちらにとどめておくのは、やはりまずいと思うのだ。いささかの礼物を調えて、家に送り返したほうがよいだろう。あのひとの家の両親は、娘がこちらにいたときの様子をきっと質問し、わたしの心がこのようであるのを知れば、わたしに無理強いしにくることはないだろう。」提控の妻は言いました。「仰る通りでございます。」すぐにこの趣意を江愛娘に告げました。すぐに六つの盒盤[42]を調え、さらに珠花[43]四朶、金の耳環一双を出し、江愛娘に送ってきちんと髪につけさせ、一台の轎に従者をつけ、すぐ江老の家に送ってこさせました。江老夫妻は轎を迎え、顧家が娘を送って家に戻ってきたことを知りますと、心の中で訝りました。「どうしてひとりで帰ってこさせたのだろう。」尋ねました。「提控さまはご在宅なのですか。」従者は言いました。「提控さまは来る暇がございませんでしたが、おとうさまにはくれぐれも宜しくと言っていました。このところ、娘さんへのおもてなしがゆきとどかなくなりましたので、今回わざわざ貴宅におくり返してきたのでございます。」江老は話がおかしいと思い、かえって腹いっぱいの疑念を抱いて言いました。「なにかよくないことがあったのだろう。」いそいで娘を中に連れてゆき、腰掛けさせ、妻といっしょに一か月の様子をくわしく尋ねました。愛娘は、顧の妻が手厚くもてなしてくれたこと、提控が部屋に入らず、近づかなかったことを話しました。江老はしばらくぼんやりしていました。「いつも消息を尋ねにゆこうとしていたが、事件の後、商売はあがったりで、貧乏閑なし、そのうえ手ぶらだったので、訪ねてゆくわけにゆかなかった。人をゆかせようとしたが、すぐには便がなかった。おまえの一家は睦まじく、いささかも別れ話はないと思っていたのだが、このようなことになろうとは思わなかった。これはどういうことなのだ。」は言いました。「日柄がよくなかったのでしょう。娘と縁がなかったのなら、人にお祓いさせればよいでしょう。」江老は言いました。「とりあえずあらためて日を選び、また送ってゆき、行動しよう。」愛娘は言いました。「わたくしが見ましたところ、この顧提控は財を貪り、色を好む人ではなく、正人君子でございます。わたしたちがむりにあのかたに謝そうとし、あのかたは断るわけにゆかなかったので、しばらくとどめ、誓ってわたしの体を汚さなかったのです。今、家に送りかえしてきたのですから、ふたたび送ってゆかれる必要はございません。」江老は言いました。「そうはいっても、あのかたの恩義に報いていないのに、あのかたの家にながくお邪魔し、さらに礼物を添えて送ってこられたのだから、こんなことでよいはずがあるまい。やはり、日を改めて、ふたたび送ってゆくのがよいだろう。」愛娘も阻むわけにゆかず、父母の言葉に従うしかありませんでした。

 

 二日が過ぎ、江老夫妻はいささかの餅食を作り、いくつかの新鮮な食物を買い、十ほどの盒盤、一甕の泉酒[44]を調え、担夫(かつぎ)を雇って担がせ、さらに一台の轎で娘を担がせました。に留守番をさせ、江老はみずから娘に伴って顧家に送りました。提控は江老を迎え、江老が来意を述べますと、色をなして言いました。「ご老人は娘さんにご質問をなさっているはずです。わたくしの心は天しか分かってくれません。ご老人はなぜこのように理解してくださらないのでしょうか。今回は決して娘さんを留めようとはいたしません。贈り物はつつしんでお受けします。娘さんはおもてなしいたしません。轎に乗ったままお戻りください。日を改めて拝謝しに伺います。」江老は提控の言葉が厳しいので、はじめて娘が嘘をついていなかったことを悟りました。慌てて門を出ますと、来た轎を停め、ふたたび家に担いで戻ってゆかせました。提控は江老を留めて食事しにゆこうとしましたが[45]、江老も再三断り、受けようとせず、すぐに別れてゆきました。

 

 提控は戻ってきますと、礼物を受け、盒盤を出し[46]、運送費を払い、あつくお礼を言うように命じました。部屋に入りますと、妻にむかって江老が今日また来た趣意を述べました。妻は言いました。「これはご老人がぼけていらっしゃるのでしょう。前回うまくゆかなかったのに、今回またうまくゆくはずはございません。愛娘さんを苦しめただけのことです。また来たのに、会えずに去ってゆかれました[47]。」提控は言いました。「あのひとが轎を下りたとき、迎えいれれば、また余計な事がおこる。むしろきっぱり断るのがよい。あの老人は愚直で、機微を見ない。このように娘を押しつけるのであれば、今後は交際は疏遠にせねばならないな。よその人が事情を知らず、話題にしたら、かえって娘さんの結婚の妨げになり、良かれと思ってしたことが悪い結果になってしまう[48]。」妻は言いました。「仰る通りでございます。」それからは、提控の家は、以前のように江家ととても親密に交際することはなくなりました。

 

 江家は、もともと何も大きな恒産[49]がなく、商売が繁盛しているにすぎず、不慮の事件で搾取された後、暮らしは侘しくなってきました。昔からこう申します。「人の家は天が作る[50]」と。運が訪れる時は、行く先々ですぐに儲かり、焔のように盛んになりはじめますが、運が退く時は、行く先々ですぐに損し、潮のように退いてゆくのです。江家は不運に出くわし、五熟[51]の店の商売さえうまくゆきませんでした。餅食を作れば、つねに六日前後売れず、饐えた匂いを発し、豚や狗に食わせることもできませんでした。なぜこのようになったのだと思われますか。さきに、事件が起こったときは、数日たらずで、驚き恐れたため、娘が顧家にいった後、一か月あまり店を開きませんでしたので[52]、得意先はことごとく疏遠になり、ほかの家へいってしまい、戻ってきませんでした。それに贓物を隠したということが事件になり、よくない噂が広まってゆき、ほかの人は委細構わず、事実だと信じ、関わりあいになることを恐れました。そのため商売はあがったりになり、日に日に財産をすりへらし、だんだん持ちこたえられなくなったのでした。娘を人に嫁がせようとし、かれに頼って後半生を過ごそうと考えましたが、家格が高ければ破談になり、家格が低ければ成就しませんでした。光陰は瞬く間で、一回機会を逃すと一年機会がなく[53]、娘も年をとり、婚期を逸してしまいました。

 

 とある日、一人の徽州の商人が通りかかり、愛娘の容色を偶然ちらりと見、隣人に尋ね、餅を売る江家の娘であることを知りました。人の妾になろうとするかと尋ねますと、隣人は言いました。「昔、訴訟した時、人に送られて妾になりましたが、その家は善行をし、受けようとせず、返してしまいました。妾になることは、承知することでしょう。」徽州商人はこの話を聴きますと、熟練の媒婆に頼み、江家にゆかせ、縁談を持ちかけさせることにしました。事がうまくゆくことのみを求め、大金を惜しみませんでした。媒婆は命を受けますと、江家にゆき、徽州商人の富裕なこと、手厚い結納を出し、娘を招いて側室にしようとしていることを語りました。江老夫妻はまさに焦っておりましたので、言われますと欲念を起こし、すぐに尋ねました。「妾にとってどちらへゆくのですか[54]。」媒婆は言いました。「この朝奉は揚州でだけ質店を開いており[55]、大孺人が徽州の家にいます。今もらわれていって二孺人になり、揚州の質店に住めば、両頭(リャントウ)(ター)[56]で、たいへん楽しいことでしょう。道のりもさほど遠くはございません。」江老夫妻は言いました。「結納をどれほど出してくれるのですか。」媒婆は言いました。「事がうまくゆくことだけを求め、大金を惜しまないと言っています。あなたがたが要求なされば、金持ちですから、かならずあなたがたを満足させることでしょう。お好きなように結納を求めればよろしいのです。」江老は夫妻で相談しました。「おまえとわたしは心の中で娘を捨てられず、留めようとしていたが、このようなよい人には会えない。よその人に与える気があるのだったら、多めに結納金をもらおう。後半生で商売して暮らすのに十分であればよい。ぜひとも三百両を求めよう。少なくしないようにしよう。」相談が決まりますと、媒婆にむかって話しました。媒婆は言いました。「三百両は、たいへん多うございます。」江婆さんは言いました。「一厘が欠けていても、承知しません。」媒婆は言いました。「とりあえず言ってみてあげましょう。ただ、事がうまくいった後、多めにお礼してください。」三人は三百両は大金で、最高の値段だと思っていました。ところが商人は容色を慕う心が強く、二三百金でも何とも思わず、二つ返事で承諾しました。金額通り結納を送り、日を選んで娶り、船を出して揚州にゆきました。江愛娘は泣きながら、一生父母に会えなくなると思いました。江老は娘を売り、心は悲しくなりましたが、さいわい大金を得たため、家であらためて商売したことはお話しいたしません。

 

 さて、顧提控は州にいること六年、両考役満[57]となり、慣例では上京して評定を待つことになっていました[58]。吏部で点呼を受け[59]、韓侍郎の役所で働くことになりました。韓侍郎は正直忠厚な大臣で、提控が謹厚細心で、風采が立派なのを見、やはりかれに一目置き、しばしば役所の前に留めて仕事を待たせました。ある日、侍郎は客に挨拶するために出てゆきましたが、提控は勝手に役所のそばを離れようとせず、前堂で帰りを待っていました。ながいこと待ちましたが、侍郎も遠くの宴に赴いてゆきましたので、すぐには帰りませんでした。提控は待っていてうんざりし、疲れはじめ、(おばしま)に坐して居眠りし、朦朧として眠りました。すると空中の雲の端に黄龍が姿を現し、一片の彩霞が、みずからの身を覆いました。驚いて見ていますと、突然、人がかれを蹴って起こしましたので、たちまち目を醒ましたところ、後堂で、大声で「夫人のお出まし。」と叫んでいました。提控は倉惶としてなすすべもなく、慌てて走って避けようとしましたが、間に合いませんでした。夫人は前堂に歩いてゆき、提控が慌てて走り出てくるさまをその目で見ますと、人に命じて呼びもどしてこさせました。提控は礼節を失ったから、かならず懲罰に遭うと思い、庭に走ってゆき、跪き、地面に平伏し、仰ぎ見ようとしませんでした。夫人は言いました。「頭をあげてわたしをご覧なさい。」提控は勝手なことをしようとせず、すこしだけ首を伸ばしました。夫人はそれを見ると言いました。「はやくお立ちなさい。太倉の顧提控どのではございませんか。どうしてこちらにいらしたのです。」提控は言いました。「恐れ多いことでございます。本官は顧芳ともうし、ほんとうに太倉の者、考満[60]のため上京し、こちらで働いております。」夫人は言いました。「わたくしをご存じですか。」提控はわけが分からず、一言も返事しようとしませんでした。夫人は笑いながら言いました。「わたくしはほかでもない、餅を売っていた江家の娘でございます。昔、徽州の商人が娶ってゆき、実の娘として待遇しました。その後、韓さまに嫁いで側室になりました。正夫人が亡くなりますと、韓さまはわたしを後妻にし、今はすでに封誥を受けております。思いみますに、かような栄華は、すべてあなたが齎されたのでございます。そのかみあなたが厚い徳、義によってわたくしを返されなければ、今日この地位に到れなかったことでしょう。わたくしはいつも気に掛け、お礼するすべがないことを残念に思っていました。今日、さいわいにこちらでお会いしましたから、韓さまに事情を知らせ、いささかのお礼を致すべきでしょう。」提控はそれを聴きますと、ぼんやりとして夢の中のよう、こっそり堂上の夫人を見ますと、まさしく江家の愛娘でしたので、心の中で考えました。「この人がこの地位になろうとは思わなかった。」さらに考えました。「かれはあきらかに徽州の商人に売られて妾になったのに、なぜ韓さまに嫁いだのだろう。さきほど、徽州商人が実の娘として待遇したと言っていたが、これもどういうことだろう。」すぐに外に退出し、こっそり韓府の老執事に問いますと、はじめて事の詳細が知れました。

 

 そのかみ徽州商人が娶っていったとき、徽州人の風俗では、もっぱら鬧房[61]して新郎を騒がそうとするのでした。親戚、友人、知人たちは、住んでいる所で、結婚があることを聞きますと、すぐに酒器を持ってきてお祝いを言うのでした。話していますと、お祝いといいながら、実は遊び半分で、新郎を泥酔させてはじめて楽しいと思うのでした。その夜、徽州商人はおおいに酔い、雲雨のことなど話せずに、新人の枕元で眠り、そのまま夜明けになりました。朦朧とした中で、金の鎧の神人を見ましたが、瓜錘[62]でかれの脳天を打ち、かれを蹴って起こしました。「こちらは二品夫人で、凡人のつれあいではないから、軽率にでたらめな行いをしてはならない。わたしの言葉に逆らえば、かならず大きな災いがあるだろう。」徽州商人は目ざめますと、異常に頭痛を感じましたので、やむなく這いおき、この夢は珍しいと思い、心の中で訝りました。ふだんもっとも信じているのは関聖[63](おみ)(くじ)でしたので、洗髪洗顔をおえますと、携帯している小さな匣を開け、十銭を取りだし、空にむかって誠実に祈り、この女との縁がどうかを見たところ、乙戊を得、第十五籤でした[64]。籤にはこうありました。

      双方の家柄は釣り合ひたれど、縁はなければ占ふなかれ。

      春風の良き消息(たより)を待たば、蘭房に琴瑟は調はん[65]

 

 籤の趣旨を判断しますと、訝りました。「縁がないと明言しているのに、『春風の良き消息(たより)を待たば、蘭房に琴瑟は調はん』といっているが、目の前のものは放っておいて、時が来るのを待てといっているのではあるまいな。」心はますますぼんやりし、さらに一つの籤を取りますと、辛丙を得、第七十三籤でした。籤にはこうありました。

      憶へば昔蘭房に半釵を分かてど、今はたちまち音信の(たが)ふを報せり。

      痴心は連理となるを望めど、結局事の叶ふことなし。

 

 この籤を得ますと、この籤の言っていることははっきりしている、あきらかにわたしには縁がないから、添い遂げられないだろう、夢の中では二品夫人の分があると言っていたから、ほかの人に嫁ぐようだが、どういうことかみてみようと考えました。祈り、さらに占ったところ、丙庚を得、第二十七籤でした。籤にはこうありました。

      世の万物はおのおの主あり、一粒一毫なりとも取りそ。

      英雄と豪傑は天の生みたるものなれど、歩歩規矩に従ふべきなり。

 

 徽州商人は見おわりますと言いました。「籤の句はこのようにはっきりしているから、きっとほかに夫になる人がいるはずだ。わたしの考えは決まった。」

 そうはいっても、昼間、娘の美しい容色を見ますと、おもわず心を動かしました。しかし、いささか邪念を生じますと、すぐに頭痛を感じるのでした。晩になり、牀の辺に近づきますと、ますます精神がぼんやりとし、頭痛は耐えがたくなるのでした。徽州商人は考えました。「このようにおかしなことが起こるのは、夢の言葉、籤の言葉が正しいからに違いない。万が一、娘の体を傷えば、かならず神に憎まれるだろう。むしろ諦め、義理の娘にし、人を探して嫁がせれば、やがてほんとうに富貴を得るかもしれない。」そこでこの考えを江愛娘に告げました。「わたくしは年は四十あまりで、あなたと年が違います。それに家にはもともと大孺人[66]がおり、今、揚州の質店には二孺人もいます。先日、あなたのお貌が美しいのを見たので、すぐに娶ってきました。昨晩、神さまを夢みましたが、あなたは貴人だ、わたくしとつれあいでないと言っていました。今はみだりにあなたを辱めようとはしません。わたくしはあなたの倍の齢を重ねています。むしろ義理の父娘になり、良縁を探して娶わせ、交際をはかりましょう。お考えはいかがでしょうか。」江愛娘は妾ではなく娘になることを聴きますと、承知しないはずもなく、こう答えました。「ご意思に従いましょう。お引き立てに値しないことだけが心配でございます。」すぐに立ちあがり、蝋燭を挿すかのように徽州商人を四たび拝しました[67]。それ以後は徽州商人を「おとうさま」と呼び、徽州商人は愛娘を「大姐(ターチエ)[68]」と称し、別の床で眠りました。揚州の質店に同行してゆきますと、途中で結義した友人の娘だ、人を探すように頼まれていると言い、すぐに媒婆に命じ、四方に縁談を探させました。

 

 ちょうど初春で、韓侍郎が家族をつれて赴任しようとしており、舟が揚州を通りましたが、夫人が病気でしたので、側室を娶って夫人を世話させようと考え、関下[69]に舟を泊めました。この話が広まりますと、媒酌たちは蝿が生臭いものに集まるかのようにし、来るものは三四十組にとどまりませんでした。あちこちから人を探しだしてきましたが、すべて気に入りませんでした。最後にある人が言いました。「徽州の質店に義理の娘がおり、太倉州から来たとのことです。顔はたいへん美しく、やはり人の妾になろうとしていますから、尋ねみてもよいでしょう。」すぐに媒婆が仲立ちして質店に話しにきました。そもそも徽州人には奇癖があり、「烏紗帽」、「紅繍鞋」であれば、一生これら二つとは銀子のことで争わず、そのほかは万事吝嗇なのでした[70]。韓侍郎が妾をとろうとしていることを聴きますと、はやくも半分おとなしくなり、夢の兆があたったことをみずから誇り、すぐに成約したくてたまらなくなりました。韓府も人を遣わして見させ、見るとたいへん気に入りました。徽州商人は自分の義理の娘としておりましたので、結納のことで争わず[71]、かえって嫁入り道具をつけ、紗帽と交際することだけを貪れば、それで満足するのでした。韓府は仕官している家でしたから、することはみすぼらしくありませんでしたし、徽州商人の行いが立派で、身代金のことを語りませんでしたので、かえっておろそかにできず、(かんざし)(たまき)、髪飾り、緞子、銀子など三四百金の礼物を送りました。徽州商人はそれを受けますと、嫁入り道具を増やし[72]、みずからは大服[73]を着、おおいに吹き、おおいに叩き[74]、愛娘を官船に送ってきました。侍郎と夫人は、顔立ちが美しく、さらに礼儀がきちんとしているのを見ますと、心の中で喜び、一目置いて見ようとしました。晩になり、雲雨しますと、体はまるで処女のようでしたので、ますます敬いました。旅路でずっといっしょでしたが、たいへん仲睦まじくしました。

 

 都に着きますと、はからずも夫人は病が重くなり、亡くなっていましたので、全財産はすべて愛娘に頼んで管理させました。愛娘は管理の仕方がきちんとしており、生前の夫人に勝っていました。老若男女は、みな喜びました。韓さまは愛娘を気に入り、吉日を選び、後妻にしました。おりしも弘治改元のために恩典が施され、江氏のことを冊子に記入して報告し、夫人の封誥を請い、それからは内外ともに夫人と称しました。夫人になってからは、心の中でつねに、以前二箇所に嫁いだが、多くの善人に遇わなければ、どうして処女の身を保て、今日この楽しみをもたらせたろうと思っていました。徽州商人は義父となっていましたから、今なお交際が絶えていないことは、いうまでもありませんでした。顧提控は最近の居所が分かなかったところ、突然、堂前で遇いましたが、役所で働いていたのでした。まさにいわゆる、

      一葉の浮萍(うきくさ)は大海に帰したれど、人はいづくにありても逢ふべし[75]

 

 夫人は顧提控を見ますと、奥の間に戻りました。侍郎が帰ってきますと、侍郎にむかって言いました。「わたくしには恩人がおり、報いるすべがございませんでしたが、あなたの役所で働いていようとは思いませんでした。」侍郎が誰かと尋ねますと、夫人は言いました。「事務を処理する吏員の顧芳でございます。」侍郎は言いました。「どのような恩があるのだ。」夫人は言いました。「わたしは本籍は太倉の人ですが、あのかたも太倉州の吏で、わたしの父母が盗賊によって係わりあいにされたとき、あのかたに救われたため、さいわい大きな災いを免れたのでございます。父母はわたしをお礼にしましたが、あのかたは固辞して受けず、むりにあちらに留まりますと、あのかたと奥さまは賓客として待遇してくださり、誓って犯しませんでした。ひとり室内にいること一か月で、礼儀正しく送りかえしました。その後、徽州商人の義理の娘になり、今日を迎えることができたのです。本当に恩人でございます。」侍郎はたいへん驚いて言いました。「これは柳下恵[76]、魯男子[77]のすることで、わたしたちにはなし難いことだ。掾吏[78]の中に、このような仁人君子がいようとは思わなかった。あのひとを埋もれさせることはできない。」その事を上奏文に書き、朝廷に奏聞しましたが、その大略はこのようなものでした。

思いみますに太倉州の吏顧芳は、冤罪を雪ぎ、法廷で侠骨を示し、謝意を峻絶し、暗室で心を変えないことを誓いました[79]。地位は賎しいですが、衣冠[80]でもなし難いことでございます。特別に表彰し、篤行を明らかにするべきでございます。

 

 孝宗は上奏を見ますと、たいへん喜んで言いました。「世の中にこのような人がいようとは。」すぐに韓侍郎を召して対面し、詳細を尋ねました。侍郎が逐一奏上しますと、孝宗は賛嘆してやみませんでした。侍郎は言いました。「これはすべて陛下の中興[81]の教化によって齎されたことで、表彰するべきでございます。」孝宗は言いました。「表彰されるにとどまらず、その人は国家の役に立つにたえよう。今どこにいる。」侍郎は言いました。「今は都で考満[82]を経て、臣の役所で働いております。」孝宗は内侍[83]たちを見返り、どこの部署で司官が欠けているかを言うように命じました。司礼監秉筆内監[84]が奏上しました。「昨日、吏部が上奏いたしましたが、礼部の儀制司主事一名が欠けております。」孝宗は言いました。「それはよい。礼部は教化の源だから、あのものがちょうどよかろう。」すぐさま「顧芳を任官させるので、吏部は心せよ。」と御批を加えましたので、韓侍郎は即座に聖恩に謝して退出しました。

 

 侍郎は当初、かれを表彰し、かれにふさわしい肩書きを与えようとしたにすぎず、聖恩によりこのように嘉せられようとは夢にも思っていませんでした。にわかに特等の高い官位を与えられたのは、本当に望外の喜びでした。朝廷を出、役所に戻ってきますと、夫人に話しました。夫人も喜びにたえず、感謝しました。「恩に報いてくださったことに大いに感謝いたします。たいへん幸せでございます。」侍郎は夫人が喜んでいるのを見ますと、心はますます楽しくなり、いそいで従者に命じて顧提控に知らせました。提控は知らせを聞きますと、まるで地下から天上にのぼったかのよう、ふたたびふさわしい衣服を着け、従者について入ってきますと、まずは侍郎に拝謝しました。侍郎は挨拶を受けようとせず、言いました。「今は朝廷から任命された官員なのですから、おのずと規則がございます。とりあえず冠帯に換え、聖恩に謝した後、私邸ですこし話しても遅くはありません。」まもなく礼部衙門の人が来て伺候し、鴻臚寺についてゆき、名を知らせました。翌朝、午門の外で聖恩に謝し、役所に赴任しました。

これぞまさしく、

      昔日の蕭主吏[85]、今日の叔孫通[86]

      両翅はなどか特別ならん、(くれなゐ)の錦袍はつまらぬものぞ[87]

 

 その日、顧主事は役所の仕事を終えますと、すぐに公服を着、韓府の私邸にきて侍郎に拝謁しました。顧主事は言いました。「お引き立てに大いに感謝いたします。皇上の面前で極力推薦なさったために、今日があるのでございます。このご恩は天のように高く、地のように厚うございます。」韓侍郎は言いました。「これはひとえに足下の陰徳が大きかったため、聖上の恩寵がひとかたでないものとなり、この特典を得たのであって、老いぼれは何の功績もない。」拝しおわりますと、主事は夫人に拝謁することを請い、賞めてくれた大恩に感謝しました。侍郎は言いました。「愚妻はすでに同郷であることをかたじけのうしておりますが、今日は親戚も同然でございます。」命を伝え、夫人を呼びだしてきて会わせました。夫人が主事に会いますと、たがいに礼を言い、それぞれ四拝しました。夫人は奥へ入ってゆきますと、酒を調えました。その日、侍郎は主事をもてなし、楽しみを尽くして別れました。夫人は、さらに顧主事が家を離れたのがいつなのか、父母の安否と行方を尋ねました[88]。顧主事は答えました。「家を離れること一年、江家の商売は普段通りで、さいわいにして平安無事でございます。」侍郎は顧主事と相談し、三か月後、主事に休暇をあたえて本籍に帰らせ、かれに頼んで江老夫婦を迎えさせることにしました。顧主事は承知し、休暇を給わり、故郷に錦を飾りましたので、郷里の人はみな羨みました。江家に挨拶しにゆき、娘の消息を伝えますと、江家は喜びが天から降ったかのようでした。主事は休暇が終わりますと、妻子を連れて帰京復任することにし、すぐ二号船[89]に江老夫妻を乗せるように命じました。上京して会いますと、一家は喜びが尽きませんでした。

 

 それから侍郎は主事と通家の交際をし、まるで伯叔子侄のようでした。顧家の正妻と韓夫人がますます親密になったことは、いうまでもございません。その後、顧主事の三人息子は、みな読書して及第しました。主事は寿命が九十五歳に達し、病むことなくして亡くなりました。これは上天があつく善人に報いたのでした。ですからわたしは世の人々に善行をするようにお勧めします。善行を積めばみずからが利を得るからです。

 

 証拠に詩がございます。

 

      眼前に美色があれば(なんぴと)か慕ふことなき、恩徳に報いんがため去りてまた来るときはなほさらのこと。

      もしもたまたま一笑を通ずることのあらませば、掾吏はいかで容台に入ることあらまし[90]

 

最終更新日:200913

二刻拍案驚奇

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[1]提控は吏目のこと。明代、翰林院太常寺太医院留守市舶塩課諸司及び都指官司各千各州に置された。文書を管理したり、刑及び官署の事務を輔佐した。

[2]中央官の官署をいう。ここでは韓侍郎の官署。

[3]運命を盛んな方向に変える。

[4]明らかなさま。『礼·中庸』「故君子之道、闇然而日章、小人之道、的然而日亡。」唐柳宗元『与翰林俛』「非的然昭晰、自断于内、孰能了僕于冥冥之哉。」『警世通言·大郎金完骨肉』「逆弟妻、也是自作自受、皇天報応、的然不爽。

[5]地名と思われるが未詳。

[6]原文「因欠官糧銀二両」。「官糧銀」が未詳。一条鞭法で、年貢の代わりに納める銀のことと解す。

[7]銀塊。銀錠。銀錠の画像検索結果

[8]原文「見火不得的」。未詳。とりあえずこう訳す。

[9]原文「能得多少、壊此三條性命」。「能得多少」が未詳。とりあえずこう訳す。

[10]純度の高い銀。

[11]本来官名。南宋以降、富豪、店主などに対する呼称。

[12]原文「遇彼素心人、清操同秉燭」。秉燭は灯りをつけつづけること。この句、『三国演義』第二十五回に見える、曹操が、関羽と劉備の仲を裂こうとし、劉備の夫人と関羽を同じ部屋に泊まらせたが、関羽は蝋燭をつけたまま戸外に立ち、徹夜したという物語に基づく句。顧芳が江愛娘に手を触れなかったことを述べている。三国演義』第二十五回「関公拝謝。操設宴相待。次日班師還許昌。関公収拾車仗、請二嫂上車、親自護車而行。於路安歇駅館、操欲乱其君臣之礼、使関公与二嫂共処一室。関公乃秉燭立於外、自夜達旦、毫無倦色。ZDIC.NET 典 網》

 

[13]礼部のこと。この句、顧芳が礼部儀制司主事になったことを述べた句。ZDIC.NET 典 网】

 

[14]粉省とも。尚省の称。ただ、この物語で、尚書省は一度も出てこないから、ここでの「粉署」は、「容台」との関連で出てきた言葉で、実際上の意味はないのであろう。

[15]佐治の官吏。代三公から郡県の役所まで、すべて掾属がいた。人は長官が自ら選び、朝廷によって任命されなかった。魏晋以後、吏部によって任免されるように改まった。ここでは、具体的には顧芳を指す。ZDIC.NET 典 網》

 

[16]原文「報施同転轂」。「転轂」は回る轂。迅速であることの喩え。賈島『古意』碌碌復碌碌、百年双轂。

[17]元、明、清の府の吏

[18]原文「生意尽好、家道将就過得」。訳はこれであっていると思うが、どういうことなのか未詳。売り上げは多かったが利益は少なかったということか。

[19]原文「有那等眼光浅、心不足的、目中就著不得」。「目中就著不得」は「眼裏著不得沙子」のこと。「目こぼししない」の意。醒世姻伝』第五十九回「這賊淫婦、快著提溜子売了。我眼裏著不得沙子的人、你要我的漢子。

[20]原文「大家啼啼哭哭嚷将出来」。「大家」が未詳。とりあえずこう訳す。

[21]崇明島。長江河口にある中州。倭寇の襲撃を受けることが多かった。一例を挙げる。『明史』巻二百十二・劉顕・郭成伝「郭成、四川南衛人。由世職官蘇松参将、進副総兵。倭犯通州、為守将李錫所敗、転掠崇明三沙。成撃沈其舟、斬首百三十余級。」

[22]原文「快些打発我們見官去」。「打発」は対処すること。こちらでは、賄賂を贈ること。

[23]原文「巡捕衙里来拿的」。巡捕は警察。

[24]原文「然後投牌」。未詳だが、文脈からして訴えを申し立てることか。

[25]原文「不妨大事」。「不妨」が未詳。とりあえずこう訳す。

[26]原文同じ。未詳だが、盗賊の捕縛に当たる部署であろう。

[27]原文「是日拉請一般的十数個提控到酒館中坐一坐」。「一般的」が未詳。とりあえずこう訳す。

[28]原文「正知州投文、挨牌唱名」。「投文」は未詳。投文牌と関係あるか。投文牌は訴訟の受理を告げる看板。「投文」は投文牌を出して訴訟を受理することか。「挨牌」はまったく未詳。字義、文脈からして、牌のところに集合させることか。

[29]原文「若不是小吏典下処主人及有賄賂情弊」。「及」が未詳。とりあえずこう訳す。

[30]員が取り調べをする時に用いる木片。驚木。驚堂木。zdic.net 漢 典 网】

 

[31]凌遅の別称。身体を生きながら切り落としてゆく惨刑。

[32]原文「那里放在心上」。とりあえずこう訳す。

[33]原文「快不要如此」。「快」が未詳。とりあえずこう訳す。

[34]「いの一番」「第一級」の意。「天」の字は『千字文』の第一字であるため。ここでは「一番厄介な」「一番ひどい」などという意味であろう。

[35]年長男性に対する呼びかけ

[36]老年の女に対する尊称。

[37]年少の女性に対する呼びかけ。zdic.net 漢 典 网】

 

[38]原文「一鮮花好護侍、芳菲只待賞花時」。「芳菲」は香花芳草。ここでは江愛娘の喩え。この二句、江愛娘が顧芳の家に入り、顧芳に手をつけられることを待つばかりになったことを述べたもの。

[39]原文「等閑未動東君意、惜処重将帳幕施」。「東君」は家の主人。ここでは顧芳のこと。「惜処重将帳幕施」は未詳。顧芳が江愛娘を大切にし、帳の奥深くに守っているという趣旨に解す。

[40]原文「剜肉做瘡」。未詳。「剜肉補瘡」「剜肉医瘡」という諺があり、よい肉を抉って傷を補うということ。これと同じか。「剜肉補瘡」「剜肉医瘡」は夷中『田家』「二月、五月糶新穀。医得眼前、剜却心肉。」に基づく言葉で、一時しのぎの、姑息な解決方法の喩え。「剜肉做瘡」は「姑息な手段で」というぐらいの意味で使っているか。

[41]代々付き合いのある家の、同年輩の女性同士。

[42]未詳。岡持の類か。

[43]真珠でって作った花状の髪飾り南朝梁范静妻沉氏『詠歩摇花』「珠花縈翡翠、宝葉。」元都剌『上京即事』之四「昨夜内家清暑宴、御涼帽挿珠花。」清蒲松『聊志異·神女』「乃于髻上摘珠花一授生曰、此物可鬻百金、請緘蔵之。

[44]原文同じ。まったく未詳。

[45]原文「提控留江老転去茶飯」。「転去」が未詳。とりあえずこう訳す。

[46] 原文「受了礼物、出了盒盤」。訳はこれでよいと思われるが、「出了盒盤」の部分、何のためにこのような行為をするのかが未詳。礼物を受け取って、それを入れていた器は返すということか。

[47] 主語は江愛娘。

[48]原文「外人不知就里、惹得造下議論来、反害了女児終身、是要好成歉了」。未詳。自分はよかれと思って江愛娘を拒んだが、それをよその人が知ってあらぬ噂をたてたら、今後、彼女の結婚にも差しさわりがあるだろうという趣旨か。「終身」は「終身大事」、結婚のこと。

[49]原文「那江家原無甚大根基」。「根基」が未詳。とりあえずこう訳す。

[50]「人家天做、不在人為」とも。『二刻拍案驚奇』巻二十二に用例あり。

[51]「五孰」とも。調理された各種の食物をいう。

[52]原文「先前為事時不多幾日、只因驚怕了、自女児到顧家去後、関了一個月多店門不開」。文の脈絡がおかしいように思われるが未詳。とりあえずこう訳す。大まかな方向は、以前、海賊の仲間だと誣告される事件があったので、びっくりしてしまい、店を閉じてしまったということであろう。

[53]原文「一錯就是論年」。未詳。とりあえずこう訳す。

[54]原文「討在何処去的」。「在」は「往」の誤字であると解す。

[55]原文「這個朝奉只在揚州開当中監」。「中監」が未詳。衍字か。

[56]正妻と同等の妾をいう。zdic.net 漢 典 网】

 

[57]原文「両考役満」。「考」は「」のことで、明代、三年ごとに行われた勤務評定のこと。すぐ前に、「州にいること六年」とあり、二度目の勤務評定となるので、「両考」というのであろう。「役満」は勤務評定により、免職されたり、新たな職を与えられたりすること。『明史』巻七十一・選挙三・考満考察「考満之法、三年給由、曰初考、六年曰再考、九年曰通考。依職掌事例考覈陞降。」。

[58]原文「例当赴京聴考」。「聴考」が未詳。とりあえずこう訳す。「聴」は「聴候」のことであろう。

[59]原文「吏部点卯過」。「点卯」は旧時、が卯の刻にを点呼したこと。

[60]勤務評定のこと。前注参照。

[61]「閙新房」とも。新婚の晩、戚友人が新郎新婦の部屋で騒いでしむこと。清呉光『吾学·昏礼』「世俗有所閙新房者、闥之間女所聚、乃群喧呼、恣為諧謔。」清蛟『夢廠著·曲枝辞下·命記』「世俗娶妻、花之夕、聚於新室中、呼坐、至更闌燭跋、甚者達旦不休、名曰房。

[62]武具の一種。画像検索結果

[63]関聖帝君。いうまでもなく関羽のこと。関帝廟でお御籤をひくのである。

[64]原文「卜得個乙戊、乃是第十五簽」。「卜得個乙戊」というのがどういう状況なのか未詳。以下、同様の記述が出てくるが、すべて未詳。

[65]原文「直待春風好消息、卻調琴瑟向蘭房」。「春風」は男女の愉しみ。「琴瑟」はいうまでもなく、夫婦の喩え。「調琴瑟」は夫婦が仲良くすること。「蘭房」は香女の居室。『文』潘岳『哀永逝文』「委房兮繁襲窮泉兮朽壤。」注「房、妻所居室也。」南朝梁劉孝『淇上戯蕩示行事』「日闇人声静、微房。」唐王『詠妓』「妖姫飾、窈窕出房。」

[66]第一夫人。

[67]原文「挿燭也似拝了徽商四拝」。「挿燭」は跪拝する時、連続して叩頭する作。『水滸伝』第四回「那女孩児濃妝艷裹、従里面出来、請魯達居中坐了、挿也似拝了六拝。

[68]女性への尊称。

[69]原文同じ。まったく未詳。

[70]原文「原来徽州人有個僻性、是「烏紗帽」、「紅繍鞋」、一生只這両件不争銀子、其余諸事慳吝了。」。「烏紗帽」は役人のことであろう。「紅繍鞋」が未詳。この文、おおまかな趣旨は、徽州人は結婚相手が役人や「紅繍鞋」のときは、結納金の額で争わないということであろう。

[71]原文「不争財物」。「財物」が未詳。「財礼」の意であると解す。結婚の際、男の家から女の家に送られる結納。

[72]原文「増添嫁事」。「嫁事」が未詳。とりあえずこう訳す。

[73]原文同じ。未詳。

[74]原文「大吹大擂」。大いに笛を吹き、太鼓を叩きということ。

[75]原文「一葉浮萍帰大海、人生何処不相逢。」人は大海に浮かぶ浮き草のような存在であるが、逢うべきときは出会うものであるという意味の諺。

[76]春秋の大夫展、字は季、又の字は禽、士となり、食邑は柳下、は恵であったので、展禽、柳下季、柳士、柳下恵などと称せられる。女の体を暖めてやったが、国人から淫らだと言われなかったことで有名。次注参照。

[77]女色に近づくのを拒む人をいう。『・小雅・巷伯』「哆兮侈兮成是南箕「毛人有男子独于室之釐又独于室。夜暴雨至而室壊而托之男子而不人自牖与之言曰、子何我乎。男子曰、吾之也男子不六十不居。今子幼吾亦幼不可以人曰、子何不若柳下恵然。不逮之女国人不称其乱。男子曰柳下恵固可吾固不可。吾将以吾不可学柳下恵之可。

[78]官府で輔佐をする官吏の通称。東観漢·呉良曹掾。旦、与掾吏入」唐杜甫『物』掾吏関詩興多。」明自昌『水・邂逅』「小生姓、行三、与宋公明哥哥同掾吏。

[79]原文「貞心矢乎暗室」。「暗室」は奥深い部屋。『梁・武帝下』「性方正、居小殿暗室、恒理衣冠。」唐孟郊『上達溪舎人』「暗室未及、幽吟涕空行。」明高啓『中秋翫月校理宅得南字』「今年在舎反寂寞、暗室困如僵蚕。」また、人が見ていない場所。『南史・梁下・文帝』「自序云、有梁正士世讃、立身行道、始如一、雨如晦、鶏鳴不已。弗欺暗室、况三光。数至於此、命也如何。」この句、人が見ていない場所でもみだらな心を起こさなかった顧芳のことを述べたもの。zdic.net 漢 典 網】

 

[80]縉紳、士大夫の代称。漢書·杜欽伝』「茂陵杜鄴与同姓字、以材能称京、故衣冠謂欽為盲杜子夏以相。」顔師古注「衣冠士大夫也。」唐李白『登金陵凰台』「呉花草埋幽径、晋代衣冠成古丘。」『初刻拍案驚奇』巻二七「高公他説得是衣冠中人、遭盗流落、深相憐憫。」高旭『元旦』憐肝胆存屠狗、失笑衣冠尽沐猴。

[81]孝宗弘治帝は後世の史家から明中興の祖とされている。

[82]前注参照。

[83]主管の官『後漢書·』「隣県戸帰附者、寔輒訓導譬解、遣各令本司官行部。」李注「司官主司之官也。

[84]『明史』巻七十四・志第五十・職官三・宦官「司礼監、提督太監一員、掌印太監一員、秉筆太監、隨堂太監、書籍名畫等庫掌司、書堂掌司、六科廊掌司、典簿無定員。」。

[85]主吏は、秦代、郡県の地方官の属吏。蕭主吏は蕭何のこと。ここでは元下役であった顧芳の喩え。『史·高祖本』「沛中豪桀吏令有重客、皆往主吏、主。」裴集解引孟康曰「主吏、功曹也。

[86]何とも。前初期の儒学者、漢の高祖が朝の礼を制定するのに協力、太常及び太子太傅となった。ここでは礼部の儀制司主事となった顧芳の喩え。

[87]原文「両翅何曽異。只是錦袍紅。」。「両翅」は烏紗帽の両脇についた飾り。ここでは烏紗帽そのもの、さらにはそれを被る官員を指す。「錦袍紅」は官員の着る紅い袍であろう。この句、官員の地位など大したものではないということを述べたもの。(烏紗帽の画像検索結果

[88]原文「夫人又伝問顧主事離家在幾時、父母的安否下落。」。「伝問」はおそらく、人を介して尋ねるのであろう。人妻の身で、夫以外の男子と直接対面するわけにはゆかないため。

[89]原文同じ。未詳。

[90]原文「若使偶然通一笑、何椽吏入容台。」。「通一笑」はここでは顧芳と江愛娘が情を通じること。椽吏は下役、ここでは顧芳を指す。「容台」は前注参照。

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