巻十三　鹿胎庵で客人が寺の主になること　剡溪里[1]で旧い幽鬼が新しい屍をかりること

　詩がございます。

　　　　　　昔日眉山の翁、ゆゑなくつとめて幽霊を説く[2]。

　　　　　　など怪誕の言葉を讃へん、陰陽はともに一理ぞ[3]。

　　　　　　死者の生きかへりたるとき、生者は愧ぢいることなかれ[4]。

　　　　　　晋人すこぶる玄に通ぜり[5]、阮宣子[6]をぞわれは怪しむ。

　晋代に阮修、字は宣子というものがありました。かれは幽霊がいることを一生信じず、わざわざ『無鬼論』を作りました。かれはこう言いました。「今、幽霊を見た人は、多くは幽霊が生きていた時の衣服を着けていたと言っている。それならば、人間が死んで幽霊がおり、衣服にも幽霊がいることになる。」ある日、書生が訪ねて来、鬼神の事を大いに論じました。一方はいないと説き、一方はいると説き、双方がしばらく弁論しました。宣子は口が達者でしたので、書生はたちまち言い負かされましたが、身を起こすと言いました。「お信じにならないのでしたら、反駁するのは難しいですが、眼の前に立派な証人がおります。わたしは幽霊ですから、話が取るに足らぬとはいえません。」そう言いますと、突然見えなくなりました。宣子は驚いてぼんやりし、黙然として恥じましたが、これはやはりかれの見識の足らない処でした。従来、聖賢の多くは、人が死ぬと幽霊になると説いていますから、どうして幽霊がいない道理がございましょう。単にいるばかりでなく、生前の心配事を放っておけず、出てきて霊威を示すものもたくさんいるのです。ですから古人はこう説いています。「死者を復活させたときに、生者が恥じなくてよいようであれば、その生者は忠臣義士である。」今の世の人で、死者に会えるものが幾人おりましょう。死者は何も知らないと侮っているので、霊威をあらわすのを見れば、本当に恐れるものです。

　宋代福州黄閭の人劉監税[7]の息子四九秀才は、鄭司業[8]明仲の娘を娶って妻にしましたが、その後、妻が死にましたので、三ヶ月して、鄭家の先祖の墓の傍らに葬ることにしました。墓穴を掩いますと、劉秀才は葬送しにきた親戚友人を招いて墳庵[9]で酒を飲みました。突然大きい蝶が飛んできましたが、三寸余りの長さがあり、劉秀才の左右でくるくる舞いとび、追っても去りませんでした。劉秀才は怪しいと思い、戯れて言いました。「妻の霊ではあるまいな。冥府でも分かっているなら、わたしの手のひらに集まれ。」そう言いますと、その蝶はすぐに下りてき、劉秀才の右手で飛びました。一刻近くたちますと、飛んでゆきました。じっくり見ますと手の中にはすでに一つの卵が生んであり、坐っている客は大勢見にきましたので、劉秀才は卵を失うことを恐れ、紙で包み、部屋にいる下女を呼び、渡してしまわせました。

　劉秀才は鄭氏を思い、嘆息してやまず、おもわず涙を落としました。まさに悲しんでいますと、突然下女が入って来、言いました。「悲しむことはございません。わたしがまいりましたから。」物腰を見たところ、声と笑顔は、鄭氏とまったく異なりませんでした。人々の多くは、この下女は気がふれたのだと思いました。晩になりますと家に戻り、鄭氏の部屋にゆき、箱を開け、冠、裳(も)、釵(かんざし)、釧(くしろ)、装身具の類を、できるかぎり多く持ちだしてき、ふだんの鄭氏のように装いました。家の人々が驚いていますと、走り出てきて、劉秀才に言いました。わたしは去って三か月になりますが、あなたが家の中でした事で、あれがよくない、あれがよくない、妾の某がこう言った、僕の某がこうしたということを、逐一数えあげましたが、すべて嘘ではありませんでした。劉秀才は鄭氏が身に憑いたことを知り、この下女を鄭氏だと信じ、ともに話したところ、まったく異なっていませんでした。しばらく憑いたら去るだろうと思っていましたが、それから声は改まらず、夜更けになりますと、鄭氏の床に上り、劉秀才を引いていっしょに寝ました。雲雨の情は、鄭氏が生きていたときのようでした。

翌朝、起きあがりますと、家事を処理し、荘園の年貢の帳簿を調べましたが、すこしも違っていませんでした。親戚たちがそのことを聞き、会いにきますと、かれは人々に時候の挨拶をして持て成しましたが、すべてふだんのようでした。人々はみなかれを鬼小娘と呼びました。下女の父親は劉家の荘園のしもべでしたが、この事を告げられますと、いそいで娘を見にきました。娘はそれを見ても、父親だと認めず、かれの名を呼んで罵りました。「おまえは去年また穀物数斛を借りたのに、なぜ返さなかった。」下男に命じて捕らえさせ、打たせようとしましたが、許しを求めますと、はじめてやめました。

　このようにすること五年、その後劉秀才が死にますと、下女は大声で叫び、たちまち倒れ、目ざめますと、ふたたびもとのようになっていました。かれに五年間の事を尋ねますと、すこしも覚えていませんでした。身に着けた衣服を見ますと、たいへん恥じ、いそいで脱ぎ、下女本来の仕事をしにゆきました。世の中では幽霊が生者に憑くことはたいへん多いのですが、一時(いっとき)の事にすぎず、幾年も生者になって人と暮らすものはいないことが分かります。それでも、冥界で劉秀才を捨てきれず、さらに家事を切り盛りしようとしたため、このような怪異を現したのでした。どうして幽霊がいないといえましょう。これは生者を借りたものですが、さらに死者を借りたものがございます。これを語れば、

　　　　　　小胆は驚きて死せんとし、英雄なりとも汗を流さん。

　　　　　　満腔の不満の声もて、一夜(ひとよ)の鬼話は心の恨みを報せたり。

　さて、会稽�ｴ県に山があり、鹿胎山といいました。なぜ鹿胎山というのでしょう。その昔、陳恵度というものがおり、もっぱら狩猟して暮らしていましたが、この山中にいったところ、身ごもった雌鹿が、面前を走りすぎるのを見ました。恵度が腰の袋の中から矢を取りだし、一本をつがえて射、「あたれ」と叫びますと、逸れず外れず、まさに鹿の頭に中たりました。その鹿は矢を帯びたまま、いそいで林に走ってゆき、二度跳びあがりますと、はやくも子鹿を産みました。親鹿は出産しますと、すぐに子鹿の体の血をきれいに舐め、その後、倒れて死にました。陳恵度はそれを見ますと、たいへん哀れみ、ふかく前業を悔い、弓を擲ち、矢を捨て、寺に投じ、僧になりました。その後、鹿が死んだ後、草が生え、「鹿胎草」と名づけられました。

この山はもともと剡山といいましたが、このために鹿胎山と改められました。

　山の上には小さい庵があり、人はただ鹿胎庵といっていました。この庵は、さいわいあまり大きくありませんでした。宋の淳熙年間、竹林と号する僧がおり、一人の行者とともに中に住んでいました。山麓の村里は、剡溪里といい、王子猷が雪の夜に戴安道を訪れた場所でした[10]。村里には張姓の家がありましたが、家長が死にましたので、葬儀をしようとし、やってきて庵僧の竹林を招いてゆき、入棺の儀式をさせようとしました。その夜のこと、竹林は小坊主に法事のための経箱を担がせ[11]、従ってゆかせました。その時、すでに日は暮れていましたが、山の中腹あたりにゆきますと、前方で一人の男が叫びました。「日が暮れましたのに、師父さまは山を下り、どちらへゆかれるのでしょうか。」頭をもたげて見ますと、ふだんかれと親しくしていた秀才で、姓は直、名は諒、字は公言というものでした。二人は揖をしますと、竹林は言いました。「官人はどちらからいらっしゃいましたか。拙僧は山麓の家へゆこうとしておりますが、どうしたらよいでしょう。」直生は言いました。「県庁からこちらに来ましたが、日はすでに暮れましたので、庵に来て投宿し、師父さまと清談しようとしていたのです。師父さまは山を下りてゆかないでください。」竹林は言いました。「山麓の張家の主人が納棺されますので、特に招かれ、法事をしにゆくのでございます。法事は今夜ございます。長年檀越であった方ですから、ゆかぬわけにはまいりません。ただ官人がこちらにいらっしゃいましたのに、庵に宿っているものもございません。こちらを立てればあちらが立たず、どうしたらよいでしょう。」直生は言いました。「こちらに泊まらなければ、ほかに場所がありません。」竹林は言いました。「ただ、官人はひとりで泊まる胆力がおありでしょうか。」直生は言いました。「わたしは強い男で、気は湖海を呑み、鬼物に恐れられており、胆力がないはずはありません。おゆきください。わたしは庵にゆき、ひとりで泊まりましょう。」竹林は言いました。「それは宜しゅうございます。ただ拙僧は申しわけございませんから、明日帰ってまいりましたら、罰として宴を設け、罪を乞うことにしましょう。」直生は言いました。「はやくおゆきください。はやくおゆきください。わたしのせいでお布施を貰えなくならないようにしてください。明日、お布施を持ってきて散財しても宜しいでしょう。」竹林はすぐに腰から鍵を解き、直生に渡しますと言いました。「官人、おひとりでゆき、門を開け、お泊まりください。お腹がすいた時は、厨には点心が、竈にはできあいのご飯がございます。食べ物はたくさんございますから、とりあえず召し上がり、今晩をお過ごしください。明日の早朝、拙僧はすぐ戻りましょう。お知りあいですので、このようなご無礼をさせていただきます。どうかお咎めになりませぬよう。」直生は冗談を言いました。「門を開けて入っていってはなりませんな。人目をはばかっている人が中にいるのに出くわしたら、ご安心できないでしょう[12]。」竹林も笑いながら言いました。「庵はむさくるしく、女が隠されていることはございますまい。構いません。構いません。」直生は言いました。「女が中にいれば、わたしが一晩楽しむのによいでしょう。」竹林は言いました。「とにかくお楽しみください。拙僧は決して嫉妬いたしませんから。」大笑いして別れ、竹林はひとりで山を下りてゆきました。

　直生は鍵を受けとりますと、まっすぐに山に登ってきましたが、本当によい夜でした[13]。鴉は樹を争ひ、鳥は林に帰りゆく。隠隠たる鐘声に、禅関[14]の清梵[15]を知る。紛紛たる煙色に、家家の晩炊を見る。径(みち)は寂しく人のゆくことは少なく、樵夫(そまびと)の荷を肩にして下る有るのみ。山深く、来る客はなく、稚子(をさなご)の門番の迎へもまれなり。微茫たる数点の疏らな星は、戸前に招き、燦爛たる一鈎の新たな月は、木末に迎ふ。室内の知音は、ただ満堂の木偶あるのみ。庭前の良友は、向かいあひたる金剛あるのみ。徳重く鬼神の欽(つつし)むことなくば、心は迷ひ魑魅が来らん。

直生は庵門に入ってきますと、禅室に赴きました。この時、明月は昼のよう、鍵で部屋の門を開け、仏前の長明灯[16]に点火し、部屋の中に点しました。竈にいってみますと、鉢の中には炊いたご飯がありましたので、持ってきて鍋で熱くし、さらに瓶を傾け、罐を倒し、笋干[17]木耳[18]などたくさんの物を探しだしてきました。そして、笑いながら言いました。「惜しいことに、何杯か酒を飲む場所がないわい。」ご飯をたっぷり食べ、さらに湯を沸かしにゆき、いささかの茶をたてて飲み、部屋の中に入りこみました。門を掩い、布団をきちんと敷き、灯りを消しますと、横になってすぐに眠ろうとしました。

　すぐには眠れず、寝返りを打っていますと、突然、門を叩く音が聞こえました。直生は、庵僧は今は帰ってきていない、付近にほかに人はいないのに、誰がこちらに来たのだろう、きっと山魑木魅だから、構いにはゆくまいとひとり考えました。門の外で叩く音がますます激しくなりますと、直生はもともと胆力がありましたので、すこしも恐れず、大声で言いました。「何物だ。怪しいことをしにきたか。」門の外では言いました。「わたしは山麓の劉念嗣で、怪などではない。」直生はそう言われますと、耳を傾けて聴きましたが、ほんとうに劉念嗣の声でした。親しい旧友でしたので、ぼんやりしながら起きあがり、入り口を開けようとしましたが、「劉念嗣はすでに死んでいるのだから、あきらかに幽霊だ。」と考え、ゆくのをやめました。門の外では言いました。「起きてわたしを入れようとしないなら、自分で入ってこられるぞ。」そう言いますと、部屋の入り口でごとごとと音がし、ただちに部屋に入ってきました。月明かりの中で見ますと、ほんとうに一人の男が、禅椅の上に蹲り、肆然[19]と腰掛けていました。大声で叫びました。「公言。公言。友人がこちらに来たのに、なぜ立ちあがって揖をしない。」直生は言いました。「死んだのに、なぜこちらに来た。」幽霊は言いました。「足下と交際してとても長いが、死んではいない。今、体は現にあるのに、どうして死んだといって戯れるのだ。」直生は言いました。「今、思いだしたが、君は某年某月某日に死に、わたしは某日に君の家にいって葬送し、葬式が終わってはじめて家に戻ったのだ。君が今ここに来たのはおかしい。君はわたしが幽霊を恐れていると思い、わたしに戯れるつもりか。わたしは鉄の漢子(おとこ)で、胆力はとても盛んだから、どんなにたくさんの妖怪でも、決して恐れないぞ。」幽霊は笑いながら言いました。「よけいなことを言うことはない。足下に正直に言おう。わたしは死んで久しいので、幽明を避けず、夜中こちらに足下を訪ねてきたのだ。満腔の心配事があるのだが、足下に訴え、足下が一臂の力を出すことを求めようとしているのだ。足下は許してくれるなら、はじめて話そう。」直生は言いました。「どんな心配事がある。はやく言え。わたしはふだんの交情を思い、もしも力を用いるべきなら、かならず心を尽くすだろう。」

　幽霊はしばらく嘆息しますと、はじめて言いました。「わたしは不幸にして世を去ったが、一年たらずで、妻の房氏はすぐ再婚した。嫁いだのはまあよいが、わたしのあらゆる箱や財貨、田地家屋の証文は、すべて占有していった。わたしには九歳の一人息子がいるだけだが、家財はすこしも分けられなかった。そのうえ、すこしも世話されず、飢え凍え、一人ぼっちで、おもてで乞食して過ごしているのだ。」ここまで話すと、本当に悲しくなり、すぐおいおいと哭いて立ちあがろうとしました。直生はたいへん哀れみ、言いました。「今回会いにきたのは、息子さんを引きとってもらいたいからだろう。」幽霊は言いました。「幽冥[20]は悠悠[21]としており、見て悲しむばかりで、訴える場所がないので、わざわざ足下に会いにきたのだ。足下がふだんの誼を思っているのなら、わたしのために話し、この怨みを晴らしてくれ。家財を取り戻し、倅に渡し、生きられるようにさせてくれれば、わたしは九泉の下で瞑目し、草を結び、環を含んで報いたことに倣うとしよう[22]。」直生はそれを聞きますと、義気憤憤として、言いました。「頼みを受けたからには、これはわが身の上のこと。明日すぐに県知事に会いにゆき、怨みを晴らしてあげよう。ただ、君は死んでいて証人になれず、わたしが口で話すだけでは証拠にならない。」幽霊は言いました。「わたしが逐一話すから、はっきりと記憶してくれ。わたしは銭を若干、粟を若干、布帛を若干持っており、わたしの妻の身辺では、化粧箱の匣に一冊の細かい帳簿があり、鍵はぴたりと身に繋いである。田数畝は、某郷にある。家屋数間は、某里にある。証文はかれの部屋の紫漆の箱にあり、しばしば牀頂[23]に置かれている。さらに銀五百両があり、かれの親戚頼某の家に預けてある。聞けば何回か取りにいったが、頼某の家は金を預かっていることを認めようとしないそうだ。もしお上の力を得れば、やはり取りもどすべきだ。これらにはすべて証拠がある。足下が留意してくれれば、かれに使われる恐れはないだろう。ただ、息子は幼小無能だから、足下が助けてくださらなければ、到底成長できないだろう。」直生は逐一牢記し、忘れることを恐れ、さらにかれに何度も話させ、二三遍話しますと、おおくの項目は、すべてはっきりしました。直生は言いました。「すっかり憶えた。この件は引きうけたから、よけいなことを言うことはない。しかし今までどこにいたのだ。今日はどこから来たのだ。」幽霊は言いました。「わたしは死んだが罪はなく、冥府に入らなかったのだ。あちこち遊蕩し、家の中のこのようなありさまを見た。冥府に到っていないので、訴える場所がなく、人の世の官府のほかは、幽魂が訴えられるところではないので、我慢して今に至ったのだ。今日はたまたま山麓の家へ斎食を食べにゆき、足下がこちらの山の上にいることを知ったので、わざわざ上がってきて望みを告げ、力を出すように懇願したのだ。どうか留意してくれ。」

　直生はかれとやりとりし、夜が更けたと感じ、心の中で考えました。「かれは幽霊だが、わたしはもう長いこと話したから、鬼気に侵され、迷わされてはならない。心がはっきりしているうちに、去らせよう。」そこでかれに言いました。「劉くん、頼むのがおわったのなら、行ってくれ。わたしは体が疲れてしまったから、眠りを妨げないでくれ。」そう言いますと、すぐに声がしなくなり、二回劉くん、劉念嗣くんと叫んでも、答えませんでした。直生はすでに行ったと思い、帳を掲げて見ますと、月光は朦朧として、禅椅の上には、依然として人が坐しており、動きませんでした。直生は言いました。「これはまたおかしなことだ。幽霊はすでに行ってしまったのに、今度は何ものだろう。」大きく咳しますと、禅椅の物(もののけ)も同じように咳しました。直生がかれを相手にせず、いびきをかく振りをしますと、椅子の上の物(もののけ)も同じようにいびきをかきました。前のように劉くんと叫びますと、返事しませんでした。直生ははじめは胆が大きく、劉の幽霊と問答した時、生者のように幽霊を扱い、すこしもおかしいと思いませんでしたが、この時は、精神がいささか疲れてしまっており、話もされず、このように真似されるだけでしたので、すぐに恐ろしくなって立ちあがろうとしました。言いました。「万一牀に上がってきたら、大変だ。」いそいで牀から走りおり、外へ向かってすぐ走りました。椅子の上の物(もののけ)は、背後からずっと追ってきました。直生は仏堂の中にゆき、背後に足音が響くのを聞きますと、考えました。「以前、人が話すのを聞いたが、鬼物は歩くとき、前に進むことができるだけで、曲がれないという。今、回って走れば、きっと追いつけないだろう。」そして堂の柱のほとりを一巡りしました。その鬼物は路にそって走って止まらず、柱にぶつかり、抱きしめると動かなくなりました。直生はかれが柱を抱いたのを見ますと、「これはありがたい」と叫びました。一筋の煙のように門の外に滑り出、二三歩を一歩にし、一気に山麓に走ってゆきました。

　夜が明けますと、山麓から二人の男が、前後して走ってきましたが、それはまさに竹林と小坊主でした。かれらは直生を見ると言いました。「官人はかようにはやく起きられましたか。なぜこのように喘いでいらっしゃるのでしょう。」直生は喘ぎがややおさめるまりますと、言いました。「びっくりして死にそうになりました。」竹林は言いました。「なぜですか。」直生は夜来の事を、すべて話し、言いました。「あなたたちはわたしを置き去りにして檀越の家で楽しみ、わたしが山の上でこのように脅かされていようとは思わなかったことでしょう。今わたしは山を下ってきましたが、その物(もののけ)がどうしているかはわかりません。」竹林は言いました。「官人にお知らせします。わたしたちが出くわした事は、あなたのよりもさらにおかしいことでした。」直生は言いました。「わたしよりもおかしかったはずはございますまい。」竹林は言いました。「わたしたちが真夜中に法事を行い、まさに納棺しようとし、霊杵[24]を振り、真言を念じ、偈文を誦え[25]、海被[26]を開いてみますと、屍骸がどこかへいってしまっていましたので、家中が慌て、表や裏を探しましたが、跡形がありませんでした。納棺の儀に参加した親戚たちは多くは脅えて逃げましたが、孝子[27]は逃げるべきところがなく、家中が大騒ぎになり、わたしたち法事をするものさえ、いささかの知恵もなく、散じて戻ってくるしかございませんでした。おかしいと思われますか。」直生は首を振りながら言いました。「これはおかしい。世の中の人々のする事は常態に反し、怪異は一つに止まらず、本当に天地が引っくり返ったかのようです。目で見なければ、言われても信じませんでした。」竹林は言いました。「官人、今からどちらへゆかれますか。」直生は言いました。「劉家の息子を訪ね、話しをしようとしているのです。」竹林は言いました。「ひとまず落ち着いてください。昨夜はお付き合いせず、さらにこのような恐ろしい目に遭わせてしまいました。今はひとまずうちの庵にいって腰掛け、朝飯を食べてから対処しましょう。」直生は言いました。「今は真昼間ですから、昨夜の様子がどうなっているかを見てみましょう。」

　すぐに竹林とともに、一行三人は話し、笑いながら、山に上がってきました。

　　　　　　一夜両地に怪をなし、語るを聴けばいたく驚く。

　　　　　　禅師は見聞きせざるとも、心に挂礙なしとは限らず[28]。

　三人はいっしょに庵の前にゆき、いっしょに頭を擡げました。直生は言いました。「まだこちらにいる。」竹林が見ますと、一人の死者が、堂柱を抱きしめていました。小坊主は大声で叫び、経箱をぽとんと地に擲ち、何度も叫びました。「こわい。こわい。」竹林は舌打ちして言いました。「わたしたち二人がこちらにいるのだから、恐れることはない。とりあえずじっくり見ろ。」竹林は庵の門を大きく開き、明るいところで見ますと、これはおかしいと叫び、舌を伸ばしたまま、中に入れられませんでした。直生は言いました。「昨夜わたしと真夜中まで話し、その後わたしを追ったのは、まさにこのものです。かれの話では、劉念嗣の亡骸に違いありませんが、今は分かりません。」竹林は言いました。「じっくり見ますと、あきらかに張家の主人の顔のようです。昨夜いなくなったものでしょうが、どうしてこちらに走ってきたのでございましょう。」直生は言いました。「それならば、劉念嗣は亡骸に憑いてわたしと話しにきたのです。道理でかれは山麓の家に斎食を食べにいったと言っていました。ほんとうにとてもおかしなことです。今はひとまずかれがわたしに命じたことを、逐一書きだし、忘れないようにしましょう。」竹林は言いました。「ご自身のお仕事をなさってください。今、この亡骸がこちらにあるのは、よくありませんから、とりあえず張家の人に知らせて確認しにこさせましょう。違うと分かれば、さらに相談することにしましょう。」いそいで小坊主に朝飯を作らせ、みなで食べますと、小坊主に命じ、山を下りさせ、張家へ知らせにゆかせました。「山の上に屍骸がありますが、柱を抱いており、檀越さまにすこし似ていますので、わざわざお身内を呼びにきて、見にいっていただくのです。」張家の息子はそう言われますと、いそいで親戚数人を誘い、飛ぶように山の上に確認しにきました。隣人はこの話を聞きますと、みな珍しいことだと言い、約せずして集まり、無数に従って見にきました。

そのありさまは、

たちまち騒がす剡溪里、鹿胎庵を踏みて平らにせんとせり。

　さて、張家の息子が庵に見にゆきますと、上座にあったのは、ほんとうに父親の亡骸でしたので、天に叫び、地を打って哭きました。哭きますと、拝礼して言いました。「お父さま、どうしてきちんと棺に入っていらっしゃらぬのでございましょう。なぜこの場所にいらしたのです。このようにおかしなことをなさるとは。今すぐ家にゆきましょう。」人々に助けさせ、手を触れ、かれを外し、下ろそうとしましたが、いかんせん両手できつく抱いており、牢固として外すことができませんでした。力を使って外そうとしましたが、肢体を損なう恐れがありましたので、心に忍びませんでした。しばらく動そうとしましたが、なすすべはありませんでした。この時、山麓から見にくる人々はますます多くなっていましたが、その中のあるものが言いました。「新しい屍は、強い魂を持っているので、絶対に外せないから[29]、柱ごと家に持ってゆくよりほかない。」張家は力がある家でしたから、すぐ話に従い、職人を呼び、幾本かの材木で、梁を支え、柱の半分を截断し、その後、柱と屍を横にし、木の板で担ぎ[30]、はじめて柱を取り出しました。一方で木の板に縄を縛り、担いで山を下りてゆこうとしておりますと、一人の里正が走り出てきて言いました。「皆さん。慌てないでください。わたしの話をお聞きください。この事件はたいへん珍しく、この地の怪異に関わっていますから、知県さまにお知らせし、いっしょに検分しなければならないでしょう。」人々はみな手を止めますと、言いました。「それならばご自分で報せにいってください。」里正は言いました。「知らせる時はこの屍がもとの家でどのように見えなくなったか、いつこの庵の中に来たか、どのようにこの柱を抱いていたかを話さなければなりません。くわしく話して、はじめて知県さまと受け答えすることができます。」張家の人々は言いました。「わたしたちは納棺した時のことを知っているだけでございます。被(かけぶとん)を開きますと、亡骸が見えなくなっていたのです。その後、庵の師父さまが報せにきたため、はじめて探しあてました。こちらの事は、知りません。」竹林は言いました。「拙僧も法事をするため、ともに張家におりましたので、こちらの事は知りません。今朝、庵に戻ってはじめて知りました。この庵に秀才さまがいらっしゃり、晩にこちらに泊まり、亡骸をご覧になったのでございます。」この時、直生はすでに帳簿を書きおわり、走り出てきて言いました。「晩の事は、多くはわたしの肚の中にあります。」里正は言いました。「それならば、官人は知県さまに会い、証人になってください。」直生は言いました。「わたしは知県さまにお会いし、話そうとしていたのです。」

　里正はすぐにこの地の人々を揃え、張家の孝子は屍を担ぐものに従い、宜秀才はみずから書いた帳簿を持ち、押し合いながら山を下り、いっしょに県庁に来ましたが、この時の見物人は人の山、人の海どころではありませんでした。かれらは騒いで県庁に満ちました。知県は堂に出ますと、尋ねました。「何を騒いでおる。」里正は二箇所のこの地といっしょに跪き、言いました。「この地の怪異を、告げにまいりました。」知県は言いました。「どんな怪しいことがあった。」里正は言いました。「剡溪里の民家の張某が、死んで納棺されましたが、亡骸が突然見えなくなりました。二日目に鹿胎山の庵で、仏堂の柱を抱きしめていました。直秀才が山中に宿っており、来た時のことをはっきりと見ています。今、家族たちは柱ごと亡骸を取り、家に帰ろうとしています。見たところ、この怪異は、この地に関わることですから、報せぬわけにはまいりませぬ。そのため、怪異をなした屍と、関係する人々を、すべて知事さまの台下に送ってき、知事さまのご沙汰にお任せするのです。」知県は言いました。「わたしはかつて野史を読んだが、死者が起きられることを、屍蹶[31]といい、人の世にもある事なのだ。今日、たまたまこちらにいても、おかしいとは思わない。ただ、直秀才が見た様子は、どのようだったか。」直生は言いました。「大人が屍蹶と仰ったのはもちろん正しゅうございますが、そこにはさらに多くの事情がございます。この屍が怪異をなすことができるのではなく、不満を持った幽霊が、この屍を借りて、わたしに、怨みを晴らすことを求めるように、頼みにきたのでございます。今、大人にお会いしましたので、くわしくお話しいたします。ただ、この言葉は漏らすべきではございません。大人の主導で、このものたちを裁いてください。ほかにも正直に申しあげることがございます。」

　知県は事情を告げられますと、すぐに担当部署と地方[32]に命じ、供述を取らせ、立件させ、張家の親族に、遺骸を受けとって帰り、納棺するように命じましたので、それぞれは散じてゆきました。直生だけを留めてくわしく尋ねますと、直生は言いました。「わたしには旧友の劉念嗣がおり、暮らしはたいへん満ち足りていましたが、死んでまもなく、その妻房氏は、家財をすべて占有し、二度目の夫と再婚し、九歳の一人息子は路頭にさまよっています。昨夜、幽霊が庵を叩き、わたしに苦しみを訴え、その妻が奪った金額と預けた家をくわしく語り、はっきりと、わたしが出ていって、代わりに大人の台下に訴え、これらのことの審理を要求してくれと言いました。わたしが義気に激せられ、すべて承諾しますと、幽霊は安心して去ってゆきました。ところが、かれは張家のあらたな屍を借りてついてきました。幽霊が去っても、屍は残っていましたので、わたしはおかしいと感じ、部屋から走り出ますと、その屍はすぐにわたしを追いかけてき、柱にぶつかるとそれを抱きました。さいわいすでに夜が明けていましたので、元の場所から逃れることができ、この珍事は、実は友人の一点の不満怨念が齎したものであることがはじめて分かりました。今、わたしは幽霊が言ったことを記録し、一枚の紙いっぱいに記録しました。大人はこれをご覧になり、訴状に照らして、わたしのために取り戻し、この子を成人させてくだされば、幽霊が懸命に頼んだ心は無駄にはならず、大人が怨恨を雪ぎ、孤児を救い、大徳があるということになりましょう。」知県はそれを聞きますと、言いました。「世の中にこのような行いの正しくない婦人がいるとは。官府がそれを知らなかったために、幽霊を来させて申告させたのだな。民牧[33]として恥ずかしい。今、先生に証人になっていただけば、わたしはすべて取り戻そう。」直生は言いました。「わたしが行ってその子を探しあてましょう。そうすれば、はじめて主役がいることになりましょう[34]。」知県は言いました。「家財を取り戻した後、その子を探してきて返させても、遅くはない。さきに秘密を漏らさないようにしよう。」直生は言いました。「大人のご差配はきわめて適切でございます。」知県は直生をおもてに出して待機させ、ひそかに令状[35]に署名し、劉念嗣のもとの妻房氏を捕らえて役所に来させることにしました。

　そもそもこの房氏は、幼名は恩娘といい、姿は艶麗、心は淫蕩でした。はじめ劉家に嫁ぎ、暮らしは豊かでしたが、劉生は生まれつき羸弱で、敵に遇えば先に敗れ、力を尽くしてご機嫌を取っても、決して満足しませんでした。そのため虚労の病を得、三年で死んでしまいました。劉家は、舅、姑、伯父、叔父などの親戚がなく、房氏だけによって切り盛りされていましたが、喪に服して終七[36]となりますと、房氏はすぐに耐えられなくなり、一年に満たないうちに、すぐに当地の幸という姓のものに嫁ぎました。そのものは幸徳といい、房氏より四歳ほど年下、若くて美貌、精力は強壮で、さらに抽添の法をよくしましたので[37]、房氏ははじめて男女の楽しみがあることを知りました。そしてひたすら夫が死ぬのが数年遅かったことを恨み、一家のあらゆるものを、すべて持ちさり、二度目の夫のご機嫌を取り、息子さえあまり顧みませんでした。息子が会いにゆきますと、一つには、二度目の夫に嫌われることを恐れていたため、二つには、息子がだんだん成長し、二度目の夫と思いのままに楽しむ時に、所詮目障りであったため、ひたすら追いはらい、「劉家」の二文字を、人に話されることを恐れていました。そこへ青天の霹靂で、県庁から「劉家のもとの妻の房氏」を捕らえに来ましたので、驚いて事情が分からず、二度目の夫と相談しました。「わたしは問題がないのに、なぜ県庁がわたしを捕らえにきたのでしょう。令状に『劉家』の二字がありますが、もしや誰かが子供に告訴するように唆したのでしょうか。」使者に令状を見せてもらいましたが、原告が誰なのかは分からず、隠れる所もありませんでしたので、使者に従って役所にゆくしかありませんでした。幸徳はいっしょについてゆきましたが、令状に名がありませんでしたので、出廷するわけにもゆかず、房氏を連れてゆき、出廷させるしかありませんでした。

　知県は房氏を見ますと、尋ねました。「おまえは劉念嗣のもとの妻か。」房氏は言いました。「はじめは劉家におりましたが、今の夫は、幸徳ともうします。」知県は言いました。「だれがおまえの二度目の夫のことを尋ねた。前の夫の劉念嗣が死んだこと、かれの財産がどのようであったかということだけを話せ。」房氏は言いました。「もともと大した財産などはございませんでしたし、死後息子は幼く、わたくしを養えませんでしたので、再婚するしかございませんでした。」知県は言いました。「おまえの夫がわたしの夢に現れ、おまえが財産をすべて占有し、二度目の夫に嫁いだと言ったのだ。かれは多くのものがおまえの手中にあることを、逐一記憶していたから、本当のことを供述するのだ。」房氏は心の中でそれを信じず、ごまかしました。「本当にすこしもございません。」知県は拶子を持ってこさせ、指を締め上げましたが、房氏は痛みを忍びながら、ありませんと言いつづけました。知県は言いました。「とりあえず逐一尋ねることにしよう。おまえの夫は、銭若干、粟若干、布若干がおまえの家にあると言っていたが、あるか。」房氏は言いました。「ございません。」知県は言いました。「田地は某郷に、家屋は某里にあるそうだが、そうなのか。」房氏は言いました。「ございません。」知県は言いました。「おまえの夫は言っていた。金銭物品の細かい帳簿は、化粧箱の中にあり、鍵はおまえの身辺にあり、田地家屋の証文は紫漆の箱の中にあり、牀頂に置いてあると。このようにはっきりしているのに、まだごまかそうとするのか。」房氏ははじめに細目を告げられたとき、すでに慌てていましたが、それでも無理に「ございません」と言っていました。今このように秘密を話されますと、心の中で驚きました。「夫が夢ではっきりと告げたのだ。」すぐにごまかせなくなり、やむなく叩頭して言いました。「知事さまがこのようにくわしくご存じだとは思いませんでした。ほんとうにすべて事実でございます。」知県はすぐに拶子を緩めさせ、たちまち護送してゆかせ、化粧箱と紫漆の箱を取ってこさせ、法廷で開いて見ますと、直生が書いていたことと一つも異なりませんでした。さらに尋ねました。「ほかにも白銀五百両を親戚の頼某の家に預けているそうだが、そうなのか。」房氏は言いました。「それもございます。しかし、頼家は、わたくしがこっそり預けたものであることをよいことに、その後、取りにゆきますと、あれこれと理由をつけて、持ちだしてきて返そうとしないのでございます。」知県は言いました。「それはわたしが手を打とう。」すぐに一人の下役を選び、その婦人を護送してゆかせ、劉家の息子を探してこさせ、いっしょに報告しにこさせることにしました。さらに直秀才を招いて話しにこさせるように命じました。知県は直生に言いました。「あらかた聞きだしましたが、先生が書かれたこととまったく同じでしたので、幽霊がくすしきものであることが分かります。今、女を護送して息子を探しにゆかせましたから、先生もおゆきになり、みなで探し、もし会えば、いっしょにこちらに来て、面と向かって財産を取り戻してやってください。これもまた先生が友としての務めを果たしたということでございます。」直生は感謝して言いました。「当然するべき事ですから、すぐ出ていって探してきましょう。」直生は去ってゆきました。

　知県は牢内から一人の盗人を引きだしてき、ひそかに命じました。「わたしがおまえをある家に連れていったら、奪った銀子を、こちらの家にたくさん預けてありますと言え。そのように言えば、幾晩か鎖を緩め、点心をやろう。賊は言いました。「その家の苗字は何といいますか。」知県は言いました。「姓は頼だ。」賊は言いました。「うまい苗字だ[38]。いずれにしてもそいつの家をごまかしてやりましょう。」知県はすぐに多くの捕り手を連れ、盗人を護送し、まっすぐに頼家に担がれてきました。頼家は庶民の家でしたから、突然知県さまが門に担ぎ込まれてきますと、はやくも大慌てしました。下役たちは知県を囲んで真ん中に坐らせ、頼某を呼びますと、頼某は戦戦兢兢として跪きました。知県は言いました。「良民になろうとはせず、盗品を隠すのか。」頼某は言いました。「わたしはすこぶる詩書礼楽を弁え、きわめて本分を守っておりますから、かような悪事をしようとはいたしません。」知県は盗人を見て言いました。「この盗人が姓名を出し、現金千両を、おまえの家に預けたと供述している。ごまかせまいぞ。」頼某は誰がこのように誣告したのかを確認しようとしました。盗人は命を受けていましたので、すぐに叫びました。「たくさんの銀子がそのものの家に隠されています。」頼某は慌てて言いました。「わたしはこのものを知りませんのに、どうして誣告するのでしょう。」知県は言いました。「口で言うだけでは証拠にはならぬ。左右のものよ。表と奥の捜査に掛かれ。」頼某もみずから様子を見にゆき、隙をみて品物を奪ったり隠したりすることを許そうとしませんでした。

　狼のよう虎のような人々は、指示を得[39]、部屋に入ってきますと、引っくりかえさないのは地面だけ、箱をたくさん役人の面前に運んできました。その中の一箱が重かったので、知県は開いて見させました。頼某は銀子が中にあるのを知っていましたので、慌て、すぐに叫びました。「これは親戚が預けているものでございます。」知県は言いました。「それでも開け。」開きますと、はたして箱じゅうが白い物で、ほぼ四五百両ありました。知県は言いました。「これはあきらかに盗品だ。」盗人もすぐに叫びました。「これはまさにわたしが奪ってきたものでございます。」頼某は言いました。「これはわたしのものではなく、親戚の家の寡婦房氏の物でございます。房氏は再婚するため、ひとまずこちらに預けてあるので、盗品ではございません。」知県は言いました。「信じられぬな。供述を書きとめ、県庁に行き、検分しよう。」頼某はすぐに誰が預けた銀子の金額かをはっきりと書き、署名し、県庁についてきました。そこへ房氏が護送されてき、息子を探しあて、直生も鉢合わせし、ともに県庁に入って報告しました。知県は頼某を来させて言いました。「先ほどは銀子が盗品ではなく、房氏が預けたのだと言っていたな。」頼某は言いました。「はい。」知県は言いました。「預け主が今こちらにいるから、その人に返せ。窃盗事件はおまえとは関わりなかった。はやく出てゆけ。」頼某は房氏を見ながら、口には言わず、じっと見ているしかありませんでした。多くの悪い心を働かせたものの、かえって騙され、そのうえびっくりさせられて、つまらない気分でひとり去ってゆきました。

　知県は劉家の息子を呼んで見にこさせ、直生に言いました。「このような子供は、まさに世話してやるべきです。今は帳簿と証文がともにありますから、きちんと点検し、銀子を取り戻し、渡すのは、すべて先生のお仕事です。」直生は言いました。「大人は神のようなご明察で、奸邪は逃れられません。亡友が知れば、九泉で感謝することでしょう。この子を成人させる事は、亡友が冥界から頼んだことですが、すでに大人によって処置がなされました。もしもわたしに初めがあって終わりがなければ、人に謗られるばかりか、幽霊にもひどく責められることでしょう。」知県は言いました。「先生が誠実で幽冥を感動させていらっしゃるため、お友達が頼みごとをしたのです。今、幽霊の言葉に一つも真実でないものはなく、死者の霊力と生者の友情は、恐れるべく、敬うべきです。はからずも幽霊によって、この一件が調べだされたのは、ほんとうに奇聞です。」すぐに房氏と息子を護送して出てこさせ、帳簿に照らして品物を渡し、証文によって田地家屋を調べ、逐一きちんと管理させることにしましたが[40]、すべて直生が処置してやりました。乞食をしていた子供は、富豪の子になりました。直生が頼みに負かなかったのも、すべてあの晩の幽霊の話があったからでした。

　その時、二度目の夫の幸徳は、房氏から、知県さまの夢に前の夫が現れたため、このようにはっきりと知っているのだと言われ、心の中ですでにいささか恐れており、夫妻二人はすこしも反抗しようとしませんでした。その後、幽霊が来て一晩姿を現し、直秀才に頼んだことを知りますと、ますます身震いしました。そしてすこしでも頭が痛くなったり熱くなったりしますと、すぐに疑いを生じ、その後、いささかのお金を費消し、幾たびか追善し、ようやく安心することができました。すでに死んだ人の幽霊でも、軽々しく裏切ってはならないことがわかります。証拠に詩がございます。

　　　　　　などて世上に神鬼の多き。人心の満たざることのあればなり。

　　　　　　光明が白日のごとくんば、幽霊がありとも霊威なかるべし。

最終更新日:2008年12月23日

二刻拍案驚奇

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