東堂老勧破家子弟雑劇
秦簡夫撰
楔子
（冲末が趙国器に扮し、病をおして、浄の楊州奴、旦の翠哥を連れて登場）
（趙国器）わたしは姓は趙、名は国器、本貫は東平府の者。商人となり、揚州は東門里牌楼巷に来て住めり。四人家族で、妻李氏は、不幸にも、はやくに失せにき。生みし一子は、揚州奴とぞ呼びなされたる。娶りし嫁も姓を李といひ、李節使の娘にて、名前をば翠哥とまうし、わたしの家に娶られてより、内の言葉は出だすことなく、外の言葉は入らしめず、はなはだ賢し。想ふにわたしは幼年のとき、商人となり、はやく起き、おそく眠りて、この財産を蓄へて、息子がながく管理せんことを望めり。ところが息子は成人し、妻を娶りてよりのちは、悪しき友人らとともに、酒を飲み、悪さして、服を着て、飯を食べ[1]、財産を管理せず。耳で聞き、眼で見しことは、一端にとどまらず。それゆゑに気鬱となりて、昼も夜も眠ることなし。わたしはまもなく、天を望むに遠くして、地に入るに近くなり、死すべけん。わたしが死せば、息子は必ずわが家を潰し、むざむざと後の世の人々に後ろ指をばささるべし。わたしの東隣には処士がをり、姓は李、名は実、字は茂卿とぞいへる。この人は、ふだんは人と交はらず、古の君子の気風を備ふれば、人はみな東堂老子と呼びなせり。わたしとの交はりははなはだ厚く、わたしより二歳年下なれば、わたしは兄に、その人は弟となり、交遊すること三十年、気に障る言の葉はたえてなかりき。もう一つ、茂卿の妻はちやうどわたしと同姓で、わたしの妻は茂卿と同姓、それゆゑに、親戚として交際し、骨肉にしぞ勝りたる。わたしはこれよりあの人を呼び、息子を托し、あの人がわたしのために憂へを分かち合ふことをお願ひせん。ただ、承知してもらへるかどうかは分からず。揚州奴、いづこにかある。
（揚州奴が返事をし、言う）わたしを呼んでどうなさるのです。ご老人、あなたの病気は、ひたすら人の幼名を呼ぶことですね。わたくしもいい年でございますのに、そのように叫ばれるとは、まことに罪作りなことですね。
（趙国器）李家のおじさまを呼んできてくれ、わたしは話すことがあるのだ。
（揚州奴）分かりました。下男たち、隣から東堂老おじさまを呼んできてくれ。
（趙国器）おまえに行けと言ったのだぞ。
（揚州奴）わたくしを行かせるのですか。一枚の壁を隔てているだけですのに、わたくしに行かせるのですか。
（趙国器）なぜほかの人を行かせるのだ。
（揚州奴）行きましょう。行きましょう。お騒ぎになりませぬよう。下男ども、馬に鞍を置け。
（趙国器）塀を隔てているだけなのに、どうして馬に乗ってゆくのだ。
（揚州奴）それでもわたしの父親ですか。父上はわたくしの性格をご存じない。わたくしは厠へ行くにも馬に乗ります。
（趙国器）こいつめ。
（揚州奴）行きましょう。行きましょう。また怒らせてしまいました。この門を出るとしよう。ここには人がおらぬわい。わたしの父が一言も話さぬうちから、わたしは楯突き、父は仰向けに倒れてしまう[2]。隣の東堂老おじさまは、わたしとは赤の他人だ。あの人はわたしに会わないときはいいが、わたしに会うと、「揚州奴よ」と叫ぶから、ああ、わたしは驚き、胆を潰してしまうのだ。どうしてこんなにあの人が恐いのだろう。話していると、もうあの人の家の入り口。（咳をする）おじさまはご在宅ですか。
（正末が東堂老に扮して登場、言う）入り口で呼んでいるのはどなたかな。
（揚州奴）あなたの息子の揚州奴です。
（正末）どうして来たのだ。
（揚州奴）父がわたしにおじさまを呼ばせたのです。何の用事であるのかは分かりませぬ。
（正末）先に行け、わたしはすぐに参るから。
（揚州奴）わたしも先に行きたくてたまりませぬ。そのほうが気が楽ですから。（退場）
（正末）わたしは姓は李、名は実、字は茂卿ともうし、今年で五十八歳になる。本貫は東平府の者。商売をして、流落し、揚州は東門里牌楼巷に居住せり。幼きときに数行の経書をば読みたりしかば、みづから東堂居士とぞ号せる。今では老いて、人はわたしを東堂老子と呼びなせり。わが西隣の趙国器は、わたしより二歳年上で、もとは同郷。ともに流浪し、この地に住んで、ずっと通家の交際をして、もう二十数年になる。趙どのは、近頃、病気となられたが、何事があるのやら、揚州奴が呼びにきた。わたしはちょうどあの人を尋ねてゆこうと思っていたのだ。はやくも入り口に着いたぞ。揚州奴よ、お父さまにお知らせしてくれ。わしが来たとな。
（楊州奴が報せ、言う）李家のおじさまをお呼びしました。入り口にいらっしゃいます。
（趙国器）お通ししてくれ。
（正末が会い、言う）兄上が病となられましたのに、わたしは連日忙しく、お訪ねもいたしませんで、失礼しました、失礼しました。
（趙国器）お掛けください。
（正末）ご病気はいかがですかな。
（趙国器）わたしの病は、増すことあるも、減ずることなく、まもなく死んでしまうでしょう。
（正末）良医を呼んで、治療をなさいましたでしょうか。
（趙国器）ああ、医者は呼んでおりませぬ。居士どのはわたくしともっとも親しいお方ですから、わたくしの病を当ててくださりませ。
（正末）わたくしに病を当てよと仰いますが、風、寒さ、暑さ、湿気に損なわれたのでございましょう。
（趙国器）違います、
（正末）空腹、満腹、疲労、荒淫ではございますまいか。
（趙国器）それも違います。
（正末）憂えのためではございますまいか。
（趙国器）ああ、それでこそ、気心の知れた友といえます。わたしの病は、まさに憂えから来たものです。
（正末）兄上、それは違いましょう。城の近くに一千頃の田、城の中には、油屋、粉屋、質屋を持たれ、ご令息、お嫁さまにも恵まれて、揚州で一二を争うお金持ち。どのような不足があって、そのように深く悩まれるのでしょう。
（趙国器）ああ。居士どのはご存じない。不肖の息子の揚州奴は、成人し、妻を娶ってからというもの、悪い友人と、酒を飲み、善くないことをし、きっとわたしの財産を損なうでしょう。ですからわたしは憤り、病気になってしまったのです。これは良医が癒せるものではございません。
（正末）兄上は心配のしすぎです。邵堯夫は子の伯温を戒めてこう言いました。「われは汝を導いて、大賢とせんとしたれど、天の心の従ふや否やを知らず」「父在らばその志を見、父没せばその行ひを見る」[3]と。父母が子孫のために財産を築くときには、父母が己の心を尽くすものですが、いずれ立派な人間になるか否かは、子孫の責任、父母は最後まで面倒をみることはできません。兄上がそのように心配されても、空しいことです。
（趙国器）そうはいっても、父子の情は、断つことはできませぬ。わたしは一生辛苦して、たくさんの財産を築きあげましたのに、息子によってこのように損なわれては、死んで黄泉路に行ったとしても瞑目はできません。今日、居士どのを呼びしたのは、ほかでもござらぬ。息子のことを、居士どのにお任せしたいと思ったからです。不肖の息子の世話をされ、流落するのを免れさせれば、環を銜え、草を結んでお礼をし[4]、決して忘れはいたしませぬ。
（正末が立ち、言う）兄上のご付託ですから、ほんとうは断るわけにはまいりません。ただ、一つには兄上は長生きをなさるお方で、二つにはわたくしは才德ともに薄くして、喪に服すべき身寄りでもございませぬから、揚州奴が教えを聴こうとするとはかぎらないでしょう。三つには兄上はたくさんの財産をお持ちですから、瓜田に履を納れることなく、李下に冠を正されぬのです。どうか兄上、ほかに立派な人にお頼みくださいまし。わたしは失礼いたします。
（趙国器）揚州奴よ、おじさまをお引き留めしろ。居士どの、どうしてかように断わられるのか。「六尺の孤を托すべくんば、百里の命を寄すべし」[5]ともうします。わたくしは居士どのと通家の付き合い、三十余年、情は膠か漆に同じく、誼は陳重、雷義[6]のよう。今、このような病状ですから、まもなく死んでしまいましょう。居士どのは平素より德望があり、きっと願いに負かれないので、嫁と子を託すのでございます[7]。居士どの、御身のふだんの気骨は、どちらへいってしまったのでしょうか。「義を見て為さざるは、勇なきなり」といいますぞ。
（跪く）
（正末も跪き、言う）ああ。兄上、何ゆえにこのような丁重な挨拶をなさるのです、わたしには荷が重すぎます。兄上、どうか立たれませ、わたくしは承知いたしましょう。
（趙国器）揚州奴よ、卓を運んでくるのだ。
（揚州奴）下男たち、卓を運んでくるのだ。
（趙国器）わしはおまえに命じたのだぞ、他の人を使うのか。
（揚州奴）わたくしが運びましょう。わたくしが運びましょう。馬鹿ものどもめ、大事なときに、呼んで使おうとしたのに、逃げて一人もおらぬとは。爺さんにもしものことがあったときには、みんな売り飛ばしてやるぞ。（卓を運び、言う）ああ、二十歳になったが、卓を運んだことはない、こんなに重いものだとは。（卓を放す）
（趙国器）紙と墨、筆と硯を持ってきてくれ。
（揚州奴）紙と墨、筆と硯はこちらにございます。
（趙国器が書き、言う）証文を書き終わったから、署名しよう。揚州奴よ、近う寄れ、この証文にわたしといっしょに署名するのだ。
（揚州奴）わたしに署名させるとは。わたしには罪もなく、何が書かれているのかも分かりませぬ。わたしがこっそり食べるわけでもございませぬに、両の手でしっかり持つとは。（署名し、言う）署名しましたが、わたしを売られるおつもりですか。
（正末）おまえを売るのではないならば、どうしろと申すのだ。
（趙国器）この証文は、居士どのがお収めください。（また跪く）
（正末が受け取る）
（趙国器）揚州奴よ、おじさまに腰掛けていただき、おまえの嫁を呼んでくるのだ。
（揚州奴）おじさまは今、坐ってらっしゃる。妻よ、出てこい。
（旦が登場）
（趙国器）揚州奴よ、嫁といっしょに叔父さまに八拝するのだ。
（揚州奴）わたしに拝礼させるとは。冬年節[8]でもございませぬに、何に拝礼をするのです。
（正末）揚州奴よ、わたしがおまえと拝礼をする順番を争うのか[9]。
（揚州奴）おじさま、わたしは八拝するのはもちろん、一日中おじさまに拝礼しても、なんのご利益がございましょう[10]。
（旦）とにかくお父さまに従われ、おじさまに拝礼をなされませ。
（揚州奴）黙れ、おまえの出てくる幕ではない。下がっていろ。拝礼しよう、拝礼しよう。（拝礼をし、言う）一拝をとりあえず八拝といたしましょう。（立ち上がり、服を整え、言う）おじさま。おばさまはお元気ですか。
（正末が怒り、言う）こら。
（揚州奴）この爺さんはますます凶暴になったわい。
（正末）揚州奴よ、お父さまは何の病だ。
（揚州奴）存じませぬ。
（正末）黙れ。父親が病んで半年だというのに、なぜ知らぬのだ。おまえは「父の病は子が世話する」ということを存じておろう。
（揚州奴）おじさま、どうかお怒りになりませぬよう。父の病気は、知っていないと言おうとすれば、知っていないではすまされません。知っていますと言いたいのですが、ほんとうに想像がつきませぬ。ただ、父は坐っては寝て、寝ては坐っていますから、恐らくは運動不足でございましょう。
（正末）揚州奴よ、お父さまが作ってわたしに渡された証文に、何と書いてある。
（揚州奴）存じませぬ。
（正末）知らぬなら、なにゆえに署名したのだ。
（揚州奴）父がわたしに署名をしろと言いましたので、署名せぬわけにはまいりませんでした。
（正末）知らぬなら、二人ともこちらに来て、わしの話を聴くがよい。お父さまは、おまえを生んで、育て上げたが、おまえが妻を娶った後、悪い友人らとともに、酒を飲み、悪さして、財産管理をしなかったため、心配で病気となってしまわれた。証文には「揚州奴が物事を行なうときは、叔父李茂卿に伺いをたてなければ、行うことを許さない。叔父の教えに従わなければ、殴り殺しても咎めない」と書いてある。お父さまはわしがおまえを殴り殺すのを許されたのだ。
（揚州奴が悲しみ、言う）お父さま、ほんとうに酷いことをなされる。どうして人に、わたしを打ち殺させるのでしょう。
（趙国器）息子よ、これも致し方ないことなのだ。
（正末）兄上、ご安心なさいまし。揚州奴は決して勝手なことはしませぬ。
（唱う）
【仙呂賞花時】児女のため、憂へしために、鬢髪ははや絲となりたり。財産のため、身は亡べども、心はいまだ死することなし。この老骨はげにぞ心を砕きたる。兄上は嫁と子を托されたれば、
（言う）兄上、心配なさりませぬよう。
（唱う）わたしは御身をかならずや喜ばしめん。（退場）
（揚州奴が趙国器を扶け、言う）妻よ、父上の顔色がよくないぞ。介添えし、後堂に連れていくのだ。お父さま、しっかりとなさってください。
（趙国器）揚州奴よ、もう大人なのだから、財産を管理して、妻子を世話して、倹約をせよ。わしはまもなく死ぬであろうぞ。
（詩）息子の資性のはなはだ劣りたるがため、日夜愁へて一命を終ふ。庭に赴き、教へをし受けたくば、夢にてふたたび相逢ふほかはなかるべし。（ともに退場）
第一折
（丑がお茶屋に扮して登場、詩）茶は迎へたり三島の客[11]、湯は送りたり五湖の賓[12]。旨き味をしもつてせずんば、お金を使ふ人々に近づき難し。
わたしはお茶屋。今日この鍋を焼いて熱くし、誰が来るのか見てみよう。
（浄が柳隆卿、胡子伝に扮して登場）
（柳隆卿の詩）養蚕もせず、田も耕さず、馬扁のみにて年を過ごせり。
（胡子伝の詩）なにゆゑぞ、朝から晩まで奔走するも、たちまちにわが銭の失はれたる[13]。
（柳隆卿）わたしは柳隆卿といい、弟は胡子伝という。われら二人は何らの仕事をすることもなく、口のみに頼って日々を過ごしている。城内にいる、趙の若さま揚州奴は、われら二人と結義して、兄弟となってから、やることなすこと、すべてわれらに従っている。あの人はわれら二人がいなければ、茶も飲まず、飯も食らわぬ。われら二人はあの人がいなければ、餓死してしまうことだろう。
（胡子伝）兄貴、俺の女房のズボンも、あの人のものだ。兄貴の網児[14]もあの人のものだ。
（柳隆卿）ああ。俺の頭が悪くなる。[15]
（胡子伝）兄貴、俺たち二人の食べるもの、着るものは、あの人のものでないものはない。ここ幾日か、あの人に会っていないから、懐はすっかり干上がってしまった。兄貴、俺たちは、あの人を茶店に訪ねていくとしよう。あの人に逢えたらば、酒にも肉にもありつけるだろう。食べきれなければ、包んで家に持っていき、女房に食わせてやろう。
（柳隆卿がお茶屋を見て、言う）その通りだな。お茶屋よ、趙の若さまは来たか。
（茶屋）お見えではございません。
（柳隆卿）番をして、あの人が来たら、わたしたち二人に話してくれ。わたしたち二人はお茶は飲まないよ。
（茶屋）承知しました。趙の若さまがもう見えましたよ。
（揚州奴が登場、詩）四肢八脈は美しけれども、五臓六腑に才はなし[16]。骨に染みたるがさつさは抜き出しえず、見目良さは胎の内より持ちきたるなり[17]。
わたしは揚州奴とまうす者。人々はわたしを趙の若さまとしばしば呼べり。わが父が亡くなりてより、日月の過ぐるはまことに疾うして、はや十年なり。家産、金銀、珠翠、骨董、玩器、田畑、屋敷、牛、羊、油屋、粉屋、質屋、小間使ひ、奴僕らを、質入れし尽くし、売り尽くし、ことごとく失ひたりき。わたしはふだん、手は金を使ふのに慣れ、口は物をし食らふのに慣れたれば、一両日で銀数十個を使ふを得ずば耐へられず。わたしは二人の兄弟と交際をせり。一人は柳隆卿といひ、一人は胡子伝、かれら二人は心腹の友。一言もわたしが話さざることを、かれらはたちまち悟るなり。かれらはいづれも頭を話さば尾を知るものたち。いかでかれらを敬はざるべき。父上が仰ることには、わたしは絶対承服せねど、かれら二人が話せることは、心に適ふものなれば、お経のごとくにかれらの話に耳を傾く。ここ幾日か、かれらが見えぬ。ふだんは茶店で会ひたれば、これより茶店に赴きて、一声尋ねてみるとせん。（会う）
（茶屋）趙の若さま、いらっしゃいませ。人が茶店で腰を掛け、ちょうどあなたが来るのを待っていらっしゃいます。お二方、趙の若さまが来られましたよ。
（胡子伝）来たぞ。来たぞ。わたしとあんたは、一方が善人となり、一方が悪人となるとしよう。あんたは外に出ていってくれ。
（柳隆卿）弟よ、おまえが出ていけ。
（胡子伝）兄貴、あんたが出ていってくれ。
（柳隆卿が会い、言う）兄さん、どちらにいらっしゃったのです。朝ずっとあなたのことをお待ちしましたよ。
（揚州奴）兄さん、ここ数日、あなたもわたしに会いに来られませんでしたね。
（柳隆卿）胡子伝もここにいますぜ、
（揚州奴）わたしが自分で行きましょう。（会い、言う）兄さん、こんにちは。
（胡子伝は相手にしない）
（柳隆卿）若さまがお見えだぞ。
（胡子伝）どこの若さまだ。
（柳隆卿）趙の若さまさ。
（胡子伝）その人の親爺さんはどこで役人をしていたんだい[18]。その人も若さまだって。役人と偽るものは徒刑になるぞ[19]。わたしの前で役人の振りをするとは、総甲[20]を呼んできて、この馬鹿ものを縛ってもらおう。
（揚州奴）ほんとうに聞き分けがない。朝酒を飲んだのだろう。
（柳隆卿）わたしたちは朝ずっと待っていて、ご飯を食べていないのです。
（揚州奴）そうですか。どうしてはやく言わないのです。わたしはあなたのお腹の蛔虫ではありません。あなたに銀子を差しあげますから、ご飯を買ってお食べなさい。（小道具を与える）
（胡子伝）お茶をとり、若さまと飲むとしましょう。そのようにうぶでは、耐えられないでしょう。[21]
（揚州奴）兄さん、わたしがうぶなのではなくて、あなたの顔の皮がとても厚いのです。
（柳隆卿）縁談がございますが、仲立ちをしてさしあげましょう。
（揚州奴）兄さん、お二人の好意は有り難いのですが、わたしは今では昔と違い、財産を篩って驢馬にやってしまい[22]、この二着の服だけで、体裁を保っています。他の人の仲立ちをなさってください。
（胡子伝）言っただろう。まったくわたしの言うことをきかないからな[23]。死んでしまった狗は塀には上らないのだ[24]。
（揚州奴）兄さん、わたしは上らないのではなく、腰の中身がしっかりとしていないのですよ。
（柳隆卿）ぺっ。あんたは金がないと言うが、あの家が天王の鎧を着けているものだから、銭に換えられないのかい。
（揚州奴）ああ、あなたはわたしの兄弟ではなく、父親です。大事なときに、誰もわたしに、さようなことは言いませんでした。そうですね。お金がなくても、家を売ったら、お金が手に入るのですね。お兄さん、ただ一つ、この家は、父親が生きていたとき、瓦を葺き替えるだけでも、百錠掛かったものですが、今、誰がこのようにたくさんのお金を出すのでしょうか。
（胡子伝）千錠の値段のものを、たったの五百錠にすれば、五百錠の値段のものを、たったの二百五十錠にすれば、人々はみな争って買うでしょう。
（揚州奴）その通りですね。千錠の値段のものを、たったの五百錠にすれば、五百錠の値段のものを、たったの二百五十錠にすれば、人々はみな争って買いますね。ほんとうに辛いことです。兄さん、ただ一つ、隣の李家のおじさんは、少々話がわからない御仁ですから、無理でしょう。
（胡子伝）おじさまが承知しなければ、すこし利益を分け与えればよいでしょう。
（揚州奴）そうですね。あの人が承知しなければ、すこし利益を分け与えればいいのですね。今すぐにこの家を売りましょう。査定もせねばなりませぬし、証文を書く人も必要ですね。
（柳隆卿）わたくしが査定しましょう。
（胡子伝）わたくしが証文を書きましょう。
（揚州奴）ああ、あなたが査定し、あなたが証文を書くのですね。家を売ったら、わたしはどこに住むのでしょう。
（柳隆卿）わたしの家にぼろぼろの驢馬小屋がございます。
（揚州奴）あなたの家のぼろぼろの驢馬小屋でも、雨漏りがせず、身を潜ませることさえできればよいでしょう。ところで、何をご飯にしたらよろしいでしょう。
（胡子伝）わたしの家には、割れた土鍋と、二つの割れたお碗と、二双の折れたお箸がございますから、すべてあなたにお送りすれば、十分でしょう。
（揚州奴）結構な兄弟たちだ。この家に一千錠の値打ちがあれば、五百錠だけ請求し、五百錠の値打ちがあれば、二百五十錠だけ請求しろ、人々は値段が安いと思ったら、みな争って買うだろうだと。李のおじさまが承知しなければ、あの人にすこし利益を与えろだと。わたしにかわって証文を書き、わたしにかわって査定するだと。おまえの家にぼろぼろの驢馬小屋と、割れた土鍋と、二つの割れたお碗と、二双の折れた箸があるから、わたしが十分楽な思いをすることができるだと。おまえたち馬鹿もの二人に、わたしの命を葬らせまいぞ。（ともに退場）
（正末が卜児、小末の尼とともに登場）
（正末）わたしは李茂卿という者、わが老友にこんなに先を見る目があるとは思わなかった。「わたしが死んだら、不肖の息子が家を亡ぼすことだろう」と言っていたが、今日果たして言っていた通りになったわ。酒と女に恋恋として、数年たらずで、財産はすっかりなくなってしまった。「子を識るは父にしくはなし」とはよくいったもの、ほんとうにその通りだ。（唱う）
【仙呂点絳唇】もともと父祖の住処なりしも、誰か思はん、不肖の子孫の、財産を蕩尽せんとは。思へば半世苦労して、千年の謀をぞあだになしたる。
【混江龍】奸策を弄するなかれと人に勧めん。福はなき定めなりせば、受け難かるべし。前生にて定められたることなれば、汝がこの世にて財物を貪るを誰か許さん。蓄へあるも運が尽きなば君子は窮し、楽するも家が富みなば息子は驕らん。
（言う）想うにこの財産もやすやすと得たものではない。
（唱う）商売をして、はかりごとをばほしいままにし、田地を開き、広く耕し、河泊を断ちて、漁樵を遮り[25]、山を掘り、石炭を取る。あの人はやりくりし、名利を占め尽くしたくてたまらず。しかれども、しまひには、邯鄲の道となりたるのみなりき。すべては檐に騒ぎたる燕雀と、葦に巣くへる鷦鷯なりき[26]。
（旦が登場、言う）わたくしは翠哥という者。舅どのが身まかりてより、揚州奴は財産を、使い尽くして、今は家をも売ろうとしている、わたしは東堂おじさまに告げにいこう。ここがあの方のお家だ。すぐに入ろう。（会う）
（正末）嫁よ、いかなる用件じゃ。
（旦）舅どのが身まかってから、揚州奴は財産を使い尽くして、今ではさらに家をも売ろうとしていますので、翠哥はおじさまにお知らせにまいったのです。
（正末）そうだったのか。あの馬鹿ものが来たら手を打つことにしよう。
（揚州奴が二浄とともに登場）
（柳隆卿）趙の若さま、お急ぎください。ぐずぐずされてはいけませぬ。
（揚州奴）くねくね曲がって、はやくも李家の入り口にやってきた。兄さん、ひとつ話がございます。わたしは今からゆきますが、家を売る話をすぐに切り出すわけにはまいりません。あの爺さんはすこし依怙地で、話がしにくい人ですから、ゆっくりと遠まわしに話しをしましょう。あなた方二人はひとまず来ないでください。（会い、挨拶をし、言う）おじさま、おばさま、こんにちは。
（旦を見る）なぜ来ているのだ。わたしのことを告げ口しにきたのであろう。
（正末）揚州奴よ、何をしに来た。
（揚州奴）わたしの嫁がおじさまに会いにきたとは。わたしの嫁は若いので、体裁がよくありませぬ。
（二浄が入ってきて正末に会い、拝礼する）
（正末が怒り、言う）この二人は誰だ。
（二浄）わたしたちは、少々勉強した秀才で、ごろつきたちとは違いますぜ。
（正末が怒り、言う）わたしの家にやってきて、何の用事だ。
（柳隆卿）あの人に善意で挨拶をしたのに、怒りだすとは。ほんとうに面白くない。
（揚州奴）わたくしの友だちで、一人は柳隆卿といい、一人は胡子伝といいます。
（正末）柳隆卿、胡子伝などはわしは知らぬぞ。おまえはかれらを連れてわたしに会いにきたのか。揚州奴よ。
（唱う）
【油葫蘆】おまへは狗や狐のごとき二人の男と付き合へり。
（言う）揚州奴よ、おまえは幾つになったのだ。
（揚州奴）わたくしは三十歳です。
（正末）黙れ。
（唱う）若きにもあらざるに、など良きことを学ばざる。
（言う）しかし、おまえを咎めることはできぬわい。
（唱う）おまへはまさに、内にありては父兄の導きはなく、外にありても良友厳師の教へはなきなり。
（言う）揚州奴よ、おまえは乞食になるであろうぞ。
（揚州奴）どうでしょう。とりあえず左手をご覧ください。わたくしは乞食にはならないでしょう。
（正末が唱う）財産を使ひ果たして、妻を餓ゑ凍えしむべし。わたしはなほも、酔ひて醒め、迷ひて悟り、夢みて覚むるときのあることを望めど、なにゆゑぞあのやうな二人の者を友となしたる。
（揚州奴）柳隆卿、胡子伝はわたくしの良き友にございます。
（正末）揚州奴よ。
（唱う）
【天下楽】ああ、息子よ、「賢良といつしよにあらば、智恵はますます高し」とはよくいつたもの。
（言う）揚州奴よ、他の人を欺けたとて、わしを瞞くことはできぬぞ。
（唱う）そなたは胎内より出でて、母じやはそなたを襁褓で包み、酥蜜食[27]もてかくも大きくなるまで育てり。
（言う）お父さまは、おまえが財産管理をせぬため、気鬱となって亡くなったのだ。
（唱う）先に母じやを怒らせて若死にをさせ、その後に、父上が失せたまひたり。宜しきことぞ。宜しきことぞ。[28]「子を養ひて、老後に備ふ」とはいへず[29]。
（揚州奴）おじさま、二人の男を軽く見られてはいけません。いずれも少々書物を読んでいますから。
（正末）揚州奴よ、おまえがふだんしていることを、わたしは逐一話すから、言い逃れしてはならぬぞ。
（揚州奴）おじさま、わたくしがふだん敬っているのはいったいどのような人でしょう、敬っていないのはいったいどのような人でしょう。おじさま、お聴かせくださいまし。
（正末が唱う）
【那吒令】新たなる妓女が現るるを見ば、[30]
（言う）馬鹿ものめ、お前は「どうぞ、どうぞ」と言って
（唱う）あたふたとすぐに迎へん。良家の婦人が門をば叩きたるを見ば、
（言う）おまえは「はやく。はやく」と言って
（唱う）階を降りて迎へん。よき秀才を見ば、
（言う）お前は「いません。いません」と言い、
（唱う）身を引き、避くべし。攀蟾折桂の手を侮り[31]、閉月羞花の顔[32]を慕へり。人とよく交はりし晏平仲のごとくすることぞなき[33]。
【鵲踏枝】細腰の、柔らかき枝のごときを愛せんとせり。舞榭歌台[34]、月夕花朝[35]を離るることなし。想へばむかし、『六幺』[36]に従ひて、『霓裳』[37]を舞ひおへざるに、たちまちに、燭は消え、香は消えたり[38]。
（言う）揚州奴よ、おまえはやがて乞食になろうぞ。
（揚州奴）どうでしょうかね。とりあえず右手をご覧になってください、わたくしは乞食にはなりませぬ。
（正末が唱う）
【寄生草】なにゆゑぞ、ねんごろに勧め、ねんごろに諌めたる。なんぢには禍の根と苗があり。家の宝の醜婦を棄てて[39]、悪しき美女をぞ選びたる。ああ、息子よ、これぞまさしく、なんぢみづから貧乏となり、財産を失ひたるなり。琵琶に寄り添ひ、一曲の『桂枝香』を唱ふを聴かんとひたすら思へど、おまへはきつと揺捶を手に取りて、幾つかの『蓮花落』をば唱ふを学ばん。
【六幺序】あちらには罠が蔵され[40]、すべては綿の中の針、笑まひの中の刀なり。なんぴとか、かのものの、掴み、打ち、抓り、揉めるを逃れ得ん。鮫綃の帳、羊羔の酒、人を迷はす玉軟香嬌がゐるにすぎざるも、半席の地は、八百里梁山泊のごとくして、月の暗く、風の強きがごときなり。あばずれの妓女は、愚かなるなんぢをばもつぱら待ちて、はや五千船の塩引と、十万担の茶引をぞ用意せる[41]。
【幺篇】かの人の家の敷居を踏まば、からくりに掛かるべし。その中は、官僚もなく、法律もなく、下役もなく、牢獄もなし。金谷[42]の豊かさも、たちまちに葬らるべし。そなたは逃がるるすべもなく、路はあれども抜け難からん。皮膚も羽毛も剥ぎ尽くされて、全身を、粉々に引き裂かれ、さんざん烹られ、炙られん。やり手婆は一対の頑丈な牙と爪を持ち、たとひ手足が軽くとも、たちまちに身も骨も喰らひ尽くさん。
（言う）揚州奴よ、何をしにきた。
（揚州奴）おじさま、用事もないのに伺ったりはいたしませぬ。今日はまっすぐおじさまにお知らせにまいったのです。父が亡くなった年から、家にいて、ひたすらじっとしておりましたが、財産は出てゆくのみで、入ってきたりはいたしませぬ。「坐して喰らはば山をも空しく、立ちて喰らはば地は陷らん」[43]ともうします。「家に一千貫を持つより、毎日、一分一文が、手に入るほうがまし」とももうします。想いみますに、わが家はもともと商人ですから、これから人と商売をしようと思っておりますが、元手を持っておりません。想えば、家には価値ある物が何もなく、この家があるのみですが、五六百錠では売れましょう。わたしが売って元手にすれば、すぐに元手と同じ利益が上がりましょう。
（正末）ああ、おまえは油屋、粉屋、質屋、金銀、珠翠、田畑、屋敷をすべて質入れし尽くし、わずかに残った住む家さえも、売ろうとするとは。売るがよい。わたしが買おう。
（揚州奴）おじさまが買ってくださるのなら、この家の東廊西舍[44]、前堂後閣[45]、門窗戸闥[46]を、点検し、値を決めましょう。
（正末）見る必要はない。
（唱う）
【一半児】東廊西舍に旧き椽と柱がありとも問題はなし、
（揚州奴）前庁と後閣は、新しく瓦を葺き替えたのですよ。
（正末が唱う）後閣と前堂がいづれも新たに造りたるものであらうとどうでもよし、
（揚州奴）おじさまが買ってくださるのなら、わたくしが値段を五百錠にしても、多すぎるとは申せますまい。
（正末が唱う）おまへの悪しきおぢさんが、おまへの求むる値段の高きを厭ふにあらず。
（揚州奴）おじさま、お金はいつ手に入るのでございましょう。
（正末）たくさんのお金は、すぐには用意できまい。
（唱う）多くて半月、少なくて十日掛からん。
（揚州奴）おじさま、お金が大事なのですよ[47]。それでは人に買われていってしまうでしょう。
（正末）五百錠が欲しいなら、まず二百五十錠をおまえに渡そう。
（唱う）わたしはこの五百錠を、半分を後払ひにし、半分を手渡さん。
（言う）息子よ、取りにいってくれ。
（小末がお金を持ってきて、言う）お父さま、こちらに二百五十錠がございます。
（正末が旦に渡すが、揚州奴が奪い、言う）寄越すのだ。おまえの顔は財産を管理する顔ではないぞ。
（二浄に渡し、言う）兄さん、お二人でお持ちください。
（正末）この金を使いきったら、売る家はもうないのだから、自分自身で考えるのだぞ[48]。
（揚州奴）はい。わたくしは、商売をする相談をして、たちまちに元手と同じ利益を得ましょう。（背を向けて言う）兄さん、この二百五十錠で、十分です。まず十頭の大きな羊、五果[49]五菜[50]、響糖獅子[51]を買いにゆきましょう。わたしの義母は一人掛け、あなたたちは二人掛けにし、卓を一文字に並べてください。
（柳隆卿）そうしよう。
（正末が聴き、言う）揚州奴よ、何をしている。
（揚州奴）大したことではございませぬ。わたくしは商売をすることを相談しました。このお金を持ち、さまざまな品物を買いにゆき、卓上に積み、一文字に並べなければなりません。行き来する人々はそれを見て、称えてこう言うことでしょう。「たくさんの元手を持った商人は、なかなかに見事なものだ」と。わたくしはこのたび商売をして、たちまちに元手と同じ利益を得ましょう。
（正末）いい子だ、しっかりするのだぞ。
（揚州奴）ああ。すんでのところで、あの爺さんに聴かれるところだったわい。兄さん、頭湯[52]を飲みおわったら、熱いですから、帽子と笠を脱ぎ、服を緩めることにしましょう。四方の吊窗[53]をみな開けてください。
（正末）揚州奴よ、何を申しておるのだ。
（揚州奴）大したことではございませぬ。わたくしは商売をすることを相談し、あの倉庫に行き、暗いところであの人にお金を渡したくないのです。暗いところでお金を渡すと、人に騙されてしまいます。諺に「明るいところで酷い目に遭え、暗いところで酷い目に遭うなかれ」ともうします。吊窓を開けてください。わたくしは商売をすることを相談し、たちまちに元手と同じ利益を得ましょう。
（正末）いい子だ、わしの教えも無駄ではなかった。
（揚州奴）爺さんは行ってしまった。兄さん、ご飯を片付け、お開きにいたしましょう、あなたは楼の階段の入り口を閉め、あなたは酒壺を、わたしは杯を執って、別れの杯を飲みましょう。わたしの大姐の宜時景に、華厳の海会を舞い唱わせることにしましょう[54]。
（正末）揚州奴よ、何を申しておるのだ。
（揚州奴）大したことではございませぬ。
（正末）こいつめ。
（唱う）
【賺煞】天にも届ける屋敷をば、小さき嫌ひありといひ、城の近くの田も良からずとし、一枚の紙にてすべてを売りはらひたり。これよりは、いづこにか身を置かん。風霜に耐へ、屋根の壊れし、磚造りの窑を守るのみとなるべし。ああ、息子よ、心の中で考へよかし、おまへは近ごろ、夜も朝も、「商売をして帰りきたれば汗は消えず」といふことはなし。珍しき宝を手放して、質の良き銀を費やせり。ああ、息子よ、なにゆゑぞ、鄧通[55]の銭をもて、乞食の許由の瓢を得たる[56]。（退場）
（揚州奴）兄さん、早めにきちんと用意して、報告をしにきてください。（退場）
第二折
（正末が卜児、小末の尼とともに登場）
（正末）わしは李茂卿。揚州奴の住宅を買い、お金を渡してからというもの、あの者はどこかへ行って、何らかの商売をして、おそらく二人のごろつきに騙されてしまったのだろう。駄目な息子が改心をしなければ、故人の頼みに背いてしまうが、どうしたらよいだろう。
（小末の尼が言う）お父さま、あのひとは、こたび商いをなさいましたが、うまくはいきませんでした。生まれつき、拙い定めなのでしょう。
（正末）娘よ、それは間違いだ。商売をするものは、あるものは前に進んで、客と遣りあい、風雪を冒し、寒さに耐える。あるものは風雨を恐れ、門も出ない。それゆえに、孔子門下の三千の弟子の中では、ただ子貢だけが利殖に長けて、大金持ちになったのだ。運命で決められていて、人ではどうにもならないということはない。（唱う）
【正官端正好】富貴は才によるものにして、貧乏は定めによらざることを知るのみ。しかれども、わたしたち人間も経営をせざるべからず。貧窮富貴は生前に定められたるとはいへど、ゆつたり坐つて、のんびり待つものにはあらず。
（卜児）ご老人、若いとき、財産を築かれた様子をわたしにお話しください。
（正末が唱う）
【滾繍球】想へばわたしは若き時、血気盛んで、わづかばかりの利益のために、争ふことに努めたり。ああ、わたしは今では全身が病となれり。わたしは虎狼の巣に行きて、しがなき命を顧みず、夜であらうが昼であらうが、雨であらうが晴であろうがお構ひなし。わたしは名利の場に行きて、交際し、競争をして、一日の安らぎもなし。十年五年、かやうに豊かになりたれど、これもまた千辛万苦して積み上げしものなれば、過ぎにしことは驚くに堪ふものなりき。
（旦が登場、言う）わたしは翠哥。揚州奴さまは家を売られて、お金を持たれ、二人の幇閑たちといっしょに、月明楼へ、宜時景とお酒を飲んで、楽しむために行かれてしまった。隠すわけにはいかぬから、李家のおじさまに話しにいこう。ああ、はやくも着いた。坊ちゃん、取り次ぎをなさってください。翠哥がおじさまにお会いしにまいりましたと。
（小末の尼が報せ、言う）お父さま、翠哥さんが入り口にいらっしゃいます。
（正末）呼んでくれ。
（小末の尼が出て言う）翠哥さん、父がどうぞと申しております。
（旦が会い、言う）おじさま、おばさん、こんにちは。
（正末）娘や、どうしてやってきたのだ。
（旦が悲しむ）
（正末が唱う）
【倘秀才】あの人は、咽喉は哽んで話し得ず、あの人は、頬に泪のぽろぽろと零るるを拭ひ得ず。
（旦）ほんとうに腹立たしいこと。（哭く）
（正末が唱う）そんなに耳や頬を抓って、いかがしたのだ。
（旦）おじさま、揚州奴はあの家を売ったお金を持って、あの二人の幇閑の兄弟と、月明楼へ宜時景と酒を飲みにいきました。あの人はお金を使い果たしたら、わたしも売ろうとするでしょう。おじさま、どうしたらよいでしょう。
（正末が唱う）わたくしはじつくりと聴き、御身はねんごろに話せり、あのものは、今もなほ悟らざるや。
（旦）おじさま、亡くなった舅どのは、錦にも似た財産を築かれて、子孫がながく住むことを望んでらっしゃっいましたのに、揚州奴により損なわれてしまいました。
（正末が唱う）
【滾繍球】家のいまだに潰れざるとき、家をば潰す人はいまだに生まれずと言ふなかれ。家のいまだに興らざるとき、家をば興す人はいまだに生まるることなしと言ふなかれ。古人の言葉が、一つ一つの証しなり。[57]
（言う）父母たるものは、
（唱う）息子と娘が、代々栄ゆることを望みて、家運が興り、財産が增え、年ごとにいとど盛んになることのみを求めたり。
（言う）なんぞ知るべき、産みたる児女の、
（唱う）あやにくに、天は邪魔をし、人情に適ふことなし。あのものは城中の邸宅と荘園の地を[58]、風裏の揚花、水面の浮草となしたり。ああ、錦のごとき財産は惜しむべきなり。
（言う）娘や、数十人の好漢を連れ、まっすぐ月明楼に行き、あの馬鹿ものを打つとしよう。（退場）
（揚州奴、柳隆卿、胡子伝が登場）
（揚州奴）わたしは揚州奴、まことに楽しい。今日は気ままに何杯か飲み、ひたすら食べて、すっかり酔って帰るとしよう。
（胡子伝）お酒と食事はすっかり用意いたしました。
（揚州奴）わたしたちはすっかり酔ってから帰ることにしましょう。（杯をとる）
（正末が押しかけて、言う）揚州奴よ。
（揚州奴が恐れ、言う）ああ、うま酒の宴に邪魔が入ったぞ。ああ、おじさま、わたくしは店員にふるまいをしていたのです。
（正末）揚州奴よ、これがおまえの商売か。これでたちまち元手と同じ利益が上がるともうすのか。おまえに尋ねることにしよう。
（唱う）
【倘秀才】お墓参りやお正月、誕生祝いにもあらざるに、理由なく、宴を張りて、かのものたちを招きたり。
（柳隆卿）まことに興ざめ。
（正末が唱う）尊ぶは、かれらのいかなる德行ぞ。重んずるは、かれらのいかなる才能ぞ。ああ。息子よ、何ゆえかようなことのみをなしたるや。
（柳隆卿）ご老人、とやかく言うのはやめられませ。わたくしたちは少々の書物を読んだ秀才ですぞ。
（正末）黙れ。誰が少々の書物を読んだともうすのだ。（唱う）
【滾繍球】なんぢが読みしは人を欺く天甲経[59]ぞ。
（胡子伝）わたしはどうです。
（正末が唱う）なんぢは人に纏ひつく布衫の領なり[60]。
（言う）一生かけて学んだことは、「兄じゃ、どちらへお出かけなのでしょう。わたしも連れていってください」という一言だけだろう。
（唱う）おまへは鞭と鐙に従はんと言ひ、一千の宴席に赴かんとも、底無しに飲みかつ喰らふべし[61]。
（正末が打つ）
（揚州奴）わたくしは二人の古人に倣っているのでございます。三千の食客を養った孟嘗君、東閣に賢者を招いた公孫弘に学んでいるのでございます。
（正末）ぺっ。この恥知らずめが。
（唱う）孟嘗君は公子にて、公孫弘は名臣なりき。かれら二人は朝廷にあり、十分に敬はれ、門下はすべて英れたるものなりき。妻子を苛めるこのやうな無頼漢をば見しことはなし。
（正末が打つ）
（胡子伝）ご老人、足を踏んでおります。
（正末が唱う）父母を養わぬ馬鹿ものも見しことはなし。
（柳隆卿）ご老人は、ほんとうにつまらぬことでお怒りです。
（正末が唱う）ひどく怒って、烈しき焰は騰騰たり。
（言う）揚州奴よ、そなたは大したものではない。やがて乞食になるだろう。
（楊州奴）どうでしょうかね。とりあえず左手をご覧ください、わたくしは乞食にはならないでしょう。
（正末が唱う）
【倘秀才】天に上り、地に潜る左慈の術、山を抜き、鼎を挙ぐる項羽の力を持てりとおまへは申せども、かれら二人は昼間から泥玉を眼に換ふべし[62]。降魔咒や度人経[63]がありとても、妖鬼のごときこやつらからは得逃れざるべし。
（言う）揚州奴よ、わたしの言葉を聴かないならば、遠からず乞食になるぞ。
（揚州奴）どうでしょうかね。とりあえず右手をご覧になってください、わたくしも乞食にはならないでしょう。
（正末が唱う）
【三煞】なんぢは苦海を乱すがごとき飢寒の病にさいなまれ[64]、青楼で薄幸[65]の名を得るのみならん。
（柳隆卿）わたくしは。
（正末が唱う）一文字もなき空の瓶なり。[66]
（胡子伝）わたくしは。
（正末が唱う）皮の剥がれし包み薬ぞ。[67]
（柳隆卿）われら二人は、風采はなかなかのもの。
（正末が唱う）外面は温和なれども、内心は陰険ならん。
（柳隆卿）このじじいめ、つべこべ言うな。眼を見開いて、このわしの姿と服を見てはどうだ。
（正末が唱う）おまへらが袖付を寛くして、上着を垂らし、肚を突きだし、胸を張り、鴨か鵝のごとく歩むは見るに得堪へず。門を出づれば、桃花の扇の影かも知れぬが[68]、窑に戻らば、『風雪酷寒亭』となることを免れざるべし。
（柳隆卿）何が『風雪酷寒亭』だ。このわしはゆったりと駿馬に跨り、ゆったりと鐙を踏むことしか知らぬぞ。
（正末が唱う）
【二煞】ゆつたりと駿馬に跨り、鐙を踏めりとぞ言へる。
（言う）二人して家に行き、どちらが幾ら手に入れたのかを精算しろ。
（唱う）蒼蝿を打つと思へばたちまちに放生す。
（揚州奴）おじさま、わたしには、喜捨の心と、礼譲の意と、江湖の度量と、慷慨の志気があり、劣ったものでもございませぬ。
（正末が唱う）そなたに喜捨の心があらば、魯粛をば嘲笑ふべし[69]。慷概の心があらば、劉毅をば降すべし[70]。礼譲の意があらば、鮑叔に勝るべし。そなたに江湖の度量があらば、陳登[71]を凌ぐべし。
（揚州奴）わたしはふだん、人にお金を援助したこともあり、たくさんの良いことをしております。
（正末が唱う）損したる商人に、おまえがお金を援助せば、貧窮したる官員に、おまへがお金を援助せば、落魄したる学生に、おまえがお金を援助せば、名を揚げて、日月と輝きて、朝廷を動かさん。
【一煞】やり手婆や嫖客に三十錠、幇閑に二百瓶やるよりもずつとまし。楽しきときと、心を楽しませることを恋ひ、友と会ひ、客を迎へて、斝を走らせて、觴を飛ばせり。
（言う）揚州奴よ、尋ねるが、これは誰のお金なのだ。
（揚州奴）わたしの父のお金です。
（正末）誰が使うべきものなのだ。
（揚州奴）わたしが使うべきものです。
（正末）これはおまえの父上の築かれた財産で、おまえ自身の財産だから、他家の者が奪いにきたりしないはずだ。どうしておまえの妻に取らせず、胡子伝と柳隆卿に預けたのだ。
（揚州奴）わたしが酒席をととのえて、あの人たちに、十人を招けといえば、十人招き、二十人を招けといえば、二十人招きます。一時足らずで、あの人たちは宴席の人々をすべて呼びます。おじさま、あの人たちを敬わないでおられましょうや。
（正末）黙れ。（唱う）
【煞尾】金あらば、三千の剣客さへも招き得べけん。
（言う）たちまちお金がなくなれば、
（唱う）ああ、おまへはすぐに棄てられて、十二瑶台をひとりで行くべし[72]。
（言う）揚州奴よ、
（唱う）おまえはいづれ財産を使ひ果たして、質屋の元本利息を失ひ[73]、家もなく、食糧も尽き、支ふるかたなく、救ふすべなくなりぬべし。商売に慣れてもをらず、手先もさして器用ではなし。重たき物は担ぎ得ず、軽き物は摘み得ず。揺捶を懸け、瓦罐を持ちて、家々の軒を巡りて、残りたるものを求めん。土鍋の底には柴なく、氷を温むるを得ず、ぼろぼろの窰の中には蓆なく、屋根は覆へず。飢ゑしおまへの肚の中では春雷がごろごろと鳴り、背骨には寒風がびゆうびゆう冷たし。あたふたとして楼頭の更鼓を数へきることぞなき[74]、
（言う）今、いつごろかな。
（唱う）凍えたる窑に朝を待ち望みたり。悲しや、身寄りが門を敲けども誰も応へず、良き友は、通りにも影さへ見せず。食らふものなく力なき体はいかでか支ふべき。餓ゑ凍えたる屍は大雪の中に斃るべし。深々としたる棺はなんぴとかなんぢのために手に入れん[75]。あつといふ間に、人々はなんぢを担いで、土に埋め、平らにすべし。なんぢは死後も隣近所に憎まれて、むざむざと父母の名を辱しむべし[76]。正しき言葉でなんぢを諌めても聴かず。奴らは嘘の話でおまえを弄び、なかなか賢し[77]。父上は怒りのあまり病となられ、わたしも激怒し、胸の怒りはいよよまされり。お役所に引つぱつてゆき、怒りに任せ[78]、無頼なるおまへを殴り殺さずば、わたしの姓を改めん。いかなる家の愚かなる子弟にも、なんぢにまさる、汚れたる馬鹿ものはなかるらん。なんぢは体つきは劣り、心は愚か、くはへて耳は聡からず。ああ、息子よ。導きたれども改まることはなく、教へたれどもものにはならず。署名せし文書をゆつくり省るべし。（退場）
（揚州奴）おいしいお酒の宴席が、興ざめなものになってしまった。お好きなようになさってください。わたしは家に帰りますから。（二浄が揚州奴とともに退場）
第三折
（揚州奴が旦とともに粗末な籃を携えて登場）
（揚州奴）ぶざまなありさま。わたしは揚州奴という者。良い人の言うことを信じなければ、みじめな結果となるものだ。柳隆卿と胡子伝を信用し、屋敷、財産を、すっかりなくし、城の南のぼろぼろの瓦窑に住んでいる。朝に食べれば、夕に食べるものはない。毎日、地面を炙って眠り、いかでか日々を過ごすを得ん。わたしが苦しい思いをするのは、当たり前だが、わたしの妻は一日も楽な思いをしたことがない。仕方ない。妻よ、もはや生きてはゆけぬから、縄を解き、樹の枝に懸け、おまえはあちらで、わたしはこちらで、二人で首を吊るとしよう。
（旦）揚州奴さま、昔、お金があった時、すべてあなたが使われて、わたくしはすこしも使いませんでした。あなたが首吊りされるのは当然ですが、わたくしがどうして首を吊らねばならないのでしょうか。
（揚州奴）妻よ、おまえの申すとおりだ。わたしはお金を使ったが、おまえは使ったことがない。窑で待っていろ。今から二人の悪者を訪ねていこう。乾いた驢馬の糞を集めて、罐を温め、わたしが米を貰ってきたら、いっしょに粥を煮て食べよう。ああ。わたくしはまことに貧乏。（揚州奴が旦とともに退場）
（お茶屋が登場し、言う）わたしはお茶屋。今朝、起きて、てかてかに髪を梳き、きれいに顔を洗いあげ、茶店を開き、誰が来るのか見ていよう。
（柳隆卿、胡子伝が登場、言う）薪も貴からずして、米も貴きことぞなき。馬鹿者二人は、まさに一対。わしは柳隆卿といい、弟は胡子伝という。われら二人は親友で、一歩たりとも離れない兄弟だ。趙の若さまを失ってから、ふたたびうまい話がない。本日は、とりあえず茶店に行って、ぼんやり坐り、運があったら、ふたたび人を探せばよかろう。お茶屋さん、お茶があるなら持ってきてくれ。二人で飲むから。
（茶屋）ございますとも。中にお掛けになられてください。
（揚州奴が登場、言う）わたしは揚州奴。むかしはわたしが門から出れば、出くわすものは、すべてわたしの友人や兄弟だったが、今ではわたしが貧乏になったのを見て、わたしを見れば、みな逃げてしまう。わたしは今からお茶屋を訪ねることにしよう。
（お茶屋に会い、言う）お茶屋さん、こんにちは。
（茶屋）どこの乞食だ。こら。乞食も挨拶をするのか。
（揚州奴）よかった、よかった。わたしは二人の兄弟をちょうど探していましたが、ここにいました。お金を援助してもらえるのは、ほんとうに嬉しいことです。（二浄に会い、挨拶をし、言う）兄さん、こんにちは。
（柳隆卿）この乞食を追い出してくれ。
（揚州奴）乞食ではありません。わたしは趙の若さまです。
（胡子伝）どなたが趙の若さまです。
（揚州奴）わたしです、
（胡子伝）あなたが趙の若さまですって。お尋ねしますが、どうしてそんなに貧しくなってしまわれたのです。
（揚州奴）あなたがた二人の馬鹿者のお蔭で貧しくなってしまったのです。
（柳隆卿）若さま、お腹は空いていますか。
（揚州奴）もちろんです。何か食べさせてください。
（柳隆卿）若さま、ちょっとお待ちください。食べ物を買ってきてさしあげましょう。おいしく焼いた鵝鳥に、おいしい肩肉を、わたしが買ってまいりましょう。
（柳隆卿が退場）
（揚州奴）兄さん、あの人はどこへ買い物に行ったのでしょう、今になっても戻られないとは。
（胡子伝）若さま、わたしも行ってまいりましょう。
（揚州奴）兄さん、あなたは行かなくてもよいでしょう。
（胡子伝）若さま、あの人を待ちきれないなら、肉鮓とお酒をひとまず買ってきて、食べさせてさしあげましょう。しばしお待ちを、わたしはすぐにまいりましょう。
（胡子伝が外に出る）
（茶屋）わたしからたくさんのお金を借りて、どちらへ行かれるのでしょうか。
（胡子伝）大声で叫ぶんじゃない。出てきてくれ。あんたと話そう。
（茶屋）何のお話でございましょう。
（胡子伝）あの人を知っているか。あの人は揚州奴だぜ。
（茶屋）あの人が揚州奴さまですか。なぜあのようなお姿になられたのでしょう。
（胡子伝）あの人は金持ちなのだが、軍務に就かされるのを恐れ[79]、貧乏なふりをしているのだ。俺たち二人はあんたからお金を借りたが、みなあの人にお任せしたから、あの人に請求してくれ。俺たち二人とは関係ないからな。俺は帰るよ。
（揚州奴が虱を捕える）
（茶屋）精算をいたしましょう、借りたのはお茶代五銭、酒代三両、飯代が一両二銭、歌い女の耿妙崖を呼んだのが五両、双六をして負けたお金が八銭で、全部で十両五銭です。
（揚州奴）お兄さん、何の精算ですか。
（茶屋）おとぼけを。今、柳隆卿、胡子伝さんが、遠い昔と最近に、わたしから借りた銀子を、すべてあなたが支払ってくださると仰っておりましたから、わたしに銀子をお返しください。帳簿はこちらにございます。
（揚州奴）お兄さん。お金があるなら、乞食の振りをしたりはしないよ。
（茶屋）貧乏なのだと仰いますが、あの人はあなたが軍務に就かされることを恐れて、仮装してらっしゃると言っていました。
（揚州奴）かれら二人は、遠い昔と最近の、人からの借金を、すべてわたしに推しつけて、償わせようとしたのです。お兄さん、わたしが食べたものは見ないで、着ているものを見てください。一銭も持っていません。わたしはあなたの家のため、水を汲み、、掃除をし、雇われ人となり、償いをいたしましょう。
（茶屋）おかわいそうに。おかわいそうに。あなたはむかしは立派なお方で、わたしの世話をしてくださったこともあるのに、あなたを使用人にして、借金を返させるですって。銀子をあなたに請求せずに、あなたをお許しいたしますが、いかがでしょうか。
（揚州奴）お兄さん、もしも許してくださるのなら、わたくしは驢馬になっても、あなたにお礼をいたしましょう。
（茶屋）もう結構です。あなたを許しましたから、お行きなさい。
（揚州奴）お兄さん、ありがとうございます。門を出よう。かれら二人はわたしをここに坐らせて、買い物に行く振りをして、かれら二人が借りたお金を、すべてわたしに押し付けた。さいわいに、お兄さんがわたしのことを許してくれたが、そうでなければ、どうなっていただろう。柳隆卿、胡子伝め、わたしは今まで、おまえたち二人のような悪党を見たことがない。（ともに退場）
（旦が登場）わたしは翠哥。揚州奴さまは街へ行き、友人を訪ねられたが、今になってもやってこられぬ。ひとまずここで湯罐[80]を暖めて待つとしよう。
（揚州奴が登場）あの二人はまことに無礼。わたしを茶店に置きざりにして、かれら二人は逃げてしまい、わたしは一日腹ペこだった。ひとまずぼろぼろの窰に戻っていこう。（会う）
（旦）揚州奴さま、来られましたね。
（揚州奴）妻よ、鍋ではお湯が沸いたかな。
（旦）熱熱に温めましたよ。お米をわたしに煮させてください。
（揚州奴）わたしの足を煮ておくれ。わたしは門を出ていったが、いい友人には出会えなかった。もうだめだ。死んでしまおう。
（旦）何かといえば自殺しようとなさるのですね。想えばあなたは柳隆卿、胡子伝と、あれこれと楽しい思いをなさいましたが、わたしはどうして自殺をせねばならないのです[81]。あなたは今では行く当てもございませんから、いっしょに李家のおじさまのところへ行って、ご飯を貰って食べましょう。
（揚州奴）妻よ、何を言うのだ。家に行ったら殴られるとはまさにこのこと。おじさまがわたしを見たら、軽ければ罵られ、重ければ殴られることだろう。行きたいのなら一人で行け。わたしは行くわけにはいかない。
（旦）揚州奴さま、大丈夫です。二人しておじさまの家の入り口にいき、まず尋ね、おじさまが家におられたら、わたくしが一人で入ってゆきましょう。おじさまがいなければ、あなたといっしょに入っていって、おばさんに会いましょう。そうすればきっと生活費をくれるでしょう。
（揚州奴）妻よ、おまえの話も尤もだ。あちらに行って、おじさまが家におられたら、おまえはひとりでおじさまに会い、ご飯をもらって食べるがいい。おまえが腹いっぱい食べたら、残ったものをすこし包んで出てきてわたしに食べさせてくれ。おじさまが家にいなければ、わたしはおまえと入っていって、おばさまに会うとしよう。そうすれば、生活費はもちろんのこと、ご飯もたらふく食べられるだろう。ああ。ほんとうにひもじいことだ。（旦とともに退場）
（卜児が登場）わたしは趙氏。今日はお爺さんが朝早くから出ていって、そろそろ昼になるというのに、どうして戻ってこないのだろう。小者たち、食事を用意しておくれ、そろそろ戻ってくるだろう
（揚州奴が旦とともに登場）
（揚州奴）妻よ、入り口に着いたから、先に行き、おじさまが家にいたら、わたしがここにいることは言わないでくれ。もしいなければ、わたしを呼びに出てきてくれ。
（旦）分かりました。わたしが先にまいりましょう。（会う）
（卜児）小者たち、どうして乞食を入れたのだ。
（旦）おばさん。乞食ではございません、わたくしは翠哥です。
（卜児）ああ、おまえは翠哥、娘や。なぜこのような姿になったか。
（旦）おばさん、今でも揚州奴さまといっしょに、城の南のぼろぼろの窰に住んでおります。おばさん、ほんとうに悲しいことでございます。
（卜児）揚州奴はどこにいるかえ。
（旦）揚州奴は入り口におります。
（卜児）こちらへお呼びしておくれ。
（旦）わたしが呼んでまいりましょう。
（揚州奴が眠っている）
（旦が叫ぶ）この人は眠ってしまった、わたしが呼び起こすとしよう。揚州奴さま。揚州奴さま。
（揚州奴が目覚め、言う）この馬鹿ものめ、殴ってやるぞ。ああ、良い夢に邪魔がはいった。いい気持ちだったのに。
（卜児）何を夢見てらっしゃったのです。
（揚州奴）月明楼で、撇之秀[82]と二人して『阿孤令』を唱っていたのだ。全部唱ってみるとしよう。
（卜児）まだそんなことを憶えてらっしゃる。おばさんに会いにゆきましょう。
（揚州奴が会って哭き、言う）おばさん、まことにひもじゅうございます。おじさまは家にいらっしゃいますか。あの人が来て、わたくしを打とうとしたら、どうか宥めてくださいまし。
（卜児）息子や。食事をしていないのだろう。
（揚州奴）どうして食事ができましょう。
（卜児）下男たち、最初は麺を用意して、息子に食べさせるとしよう。息子よ、たっぷりご馳走してやろう。おじさまは家にいないから、食べなされ、食べなされ。
（揚州奴が麺を食べる）
（正末が登場）いずこの子弟ぞ、駿馬に雕鞍[83]、馬上の人は半ば酔い、馬は飛ぶかの如きなり。両袖は春風を払い、街じゅうに埃が漂う。見よ、ぺっ、わしの眼にごみが入った。（唱う）
【中呂粉蝶児】いづこの若き無頼漢、かのものは憂へなき太平の時に生まれて、容貌は堂々として、風采は俗ならず。しばしば琵琶を爪弾きて、双六をして、財産を顧みず。長老や名儒を求め、聖賢の章句をば学ばんとすることぞなき。
【酔春風】はからざりき、日月は両つの跳べる丸のごとく、乾坤は一夜の雨なり[84]。わたしは今や年老いて、桑楡[85]に逼り、げに朽木の材なれば、数ふるに足らぬものなり。詩書は覚世の師にして[86]、忠孝は立身の本、財産は偶然に手に入るる物なるを知れるのみなり。
（言う）はやくも家に着いたぞ。
【叫声】手に杖を持ち、街を歩きて、一歩き、一歩きして、敷居に入りゆく。
（揚州奴を見て怒り、言う）なにものが麺を食べているのだ。
（揚州奴が驚き、言う）もうおしまいだ。
（正末が唱う）わたしはさつと頭を擡げ。ちらと窺ひ見しのみなるに、あのものはなにゆゑぞ、ぶるぶる震へ、かばかりにびくびくとせる。
（旦）おじさま、ご挨拶申し上げます。
（正末）下がれ。
（唱う）
【剔銀灯】実のところは、なんぢら夫婦は必要なし。貧しき身寄りの世話はしきれず。こやつには、一千の、情理に照らして許し難きことがあり。こやつが五刑で処刑せらるとも、その罪は贖はれまじ。
（言う）揚州奴よ、おまえはこう言わなかったか。
（唱う）わしはおまえを立派な人物、金持ちにせんとしたれど、おまへはなどてか、ひそかに人気なき部屋で、長々と語りたる。
（言う）おまえはこう言わなかったか、わたしは姓は李、おまえは姓は趙、われら両家は身内ではございませぬと。（唱う）
【蔓青菜】今日はいかなる面下げて、わが家に踏み入りたるや。無頼漢二人とともにをらぬのはなにゆゑぞ。
（楊州奴が恐れて逃げる）
（正末）どこへ逃げるのだ。
（唱う）びつくりとして手と足をぶるぶる震はせ、わたしの前でなんぢは何を怕れたる。わしら乞食の家の羹湯に生姜醋が足りぬのか[87]。
（正末）まだ出てゆかぬか。[88]
（唱う）なが大いなる料理屋の、焼きたる羊を食ひにゆくべし。
（揚州奴が恐れ、箸で碗を敲く）
（正末が打つ）
（卜児）お爺さん、打つのはおやめくださいまし。
（揚州奴が門を出て、言う）おばさん、打ち殺してください。今、わたくしは商売をしたいのですが、元手がないのでございます。わたくしはたちまちに元手の倍の利益を得ましょう。
（卜児）息子や、わたしはおまえにこの一貫の銭をやり、元手とさせよう。
（揚州奴）おばさん、安心なさってください、わたくしは商売をいたします。（退場し、ふたたび言う）おばさん、わたしはこの一貫の銭を持ち、炭一袋を買いにいきます。
（卜児）息子や、おまえはどんな商売をするのだえ。
（揚州奴）わたしは炭を売るのです。
（卜児）炭を売るとは、どういうことだえ。
（揚州奴）わたしは一貫の元手で、一貫を売り、一貫を稼ぎ[89]、二包みの炭を残して、おばさまにお送りし、おみ足を暖めて、利子とすることにいたしましょう[90]。
（卜児）わたしの家にあるから、持ってゆき、使いなされ。
（揚州奴）おばさん、わたしはさらに別の商売をいたしましょう。（退場、ふたたび登場、叫ぶ）野菜売りだよ。青菜、白菜、赤根菜、芫荽、葫蘿卜、葱ですよ。
（卜児）息子や、今度は何の商売をしているのだえ。
（揚州奴）おばさん、おじさまにお話しください。わたしは野菜を売るのです。
（卜児）息子や、おまえはここにいておくれ。わたしはおじさまに話すとしよう。
（卜児が正末に会い、言う）ご老人、お喜びくださいまし。揚州奴が商いをして、お金を稼ぐことができましたよ。
（正末）信じられぬな。揚州奴がどんな商売をしているのだ。
（揚州奴）わたくしは初めは炭を売り、今は野菜を売っております。
（正末）おまえが炭を売っていたとき、人々はおまえのことをどう言った。
（揚州奴）ある人はこう言いました。「揚州奴が炭を売っている。かわいそうに。あの人はお金を持っていた時は、炎にも似て盛んだったが、今ではお金がなくなって、ぺしゃんこになってしまった」と。
（正末）何がぺしゃんこになったのだ。
（揚州奴）炭がぺしゃんこになったのです。
（正末）こいつめ。
（揚州奴）わたくしが野菜を売ると、ある人はこう言いました。「あの人はお金を持っていた時は、柳隆卿がいっしょだったが、今ではお金がなくなって、胡子伝もいっしょにいなくなってしまった[91]。
（正末）おまえの野菜の天秤棒は、他の人が担ぐのか、それとも自分で担ぐのか。
（揚州奴）おじさま、なぜそんなことを仰るのです。こんなにたくさん元手があるのでございますから、他の人に担がせることはできません。その人がほかのところへ担いでいったら、わたしは探し出せません。
（正末）表通りへ行ったのか、裏町へ行ったのか。
（揚州奴）表通りも裏町も、みな行きました。
（正末）おまえは荷物を担ぎながら、呼び声を揚げたのか。
（揚州奴）呼び声を揚げなければ、どうして野菜売りのいることが分りましょう。
（正末）おまえが叫んだのか。それとも誰かが叫んだのか。
（揚州奴）わたしが自分で叫んだのです。
（正末）小者たち、楊州奴兄さんがどう叫ぶのか、聴きにこい。
（揚州奴）おじさま、お聴きになりたいのなら、わたしが前を歩きますから、おじさまは後ろでお聴きくださいまし。叫びますよ。おじさま、小者たちを追い払ってください。この小者たちは、みなわたくしが売ったものです。
（正末）叫ばなければ、わしはすぐおまえを打ち殺してやろう。
（揚州奴）あの人が叫べというのは、あきらかにわたしを辱しめているのだ。叫ばなければ、あの人はわたしを打つといっている。我慢して、一声叫ぶことにしよう。青菜、白菜、赤根菜、葫蘿卜、芫荽、葱ですよ。（悲しんで、言う）天よ。ほんとうに恥ずかしいこと。
（正末）まことに憐れだ。（唱う）
【紅繍鞋】おまへは昔、鴛鴦の帳にありて、雲雨をなせり。ああ。息子よ、おまへは昔、玳瑁の筵にありて、美しき言葉で語らひ、花影のもと、人に扶けらるるまで飲みたり[92]。本日は、孛籃[93]を担ぎ、服を引きずり、街中で叫ぶのは、まことに恥づかし。
（揚州奴）おじさま、わたくしはその昔、おじさまの教えを聴きませんでしたが、貧乏になり、はじめてお金が役立つことを知りました。わたくしは悟ったのです。
（正末）そのことは誰が言ったのだ。
（揚州奴）わたくしが言ったのでございます。
（正末）ああ。息子よ、ほんとうに悲しいことだ。
（唱う）
【満庭芳】高陽の酒徒のおまへが目醒め、白菜二籃をば担ぎ、数貫の銅銭を稼ぎしや。
（言う）楊州奴よ、今日はどれほど稼いだのだ。
（揚州奴）一貫の元手で、一日売って、さらに一貫稼ぎました。
（正末が唱う）おまへはこの五百銭で、雑麺を買ひ、窰に戻つてゆくがよし。油、塩、醤は卸で買ふか小売で買ふか。
（楊州奴）油、塩、醤を喰らったりはいたしませぬ。
（正末が唱う）ああ、息子よ、売り切れず残った野菜を、
（揚州奴）食べれば元手を損ないますが、冷水を掛ければ、まだ売ることができましょう。
（正末が唱う）おまえの五臓は今日になっても精進明けをしないのか。[94]
（言う）揚州奴よ、焼いた羊を買って食べるか。
（揚州奴）食べるわけにはまいりませぬ。
（正末）おまえは魚を買って食べるか。
（揚州奴）おじさま、どれほどの元手があれば、魚を買って食べられるのでございましょう。
（正末）おまえは肉を買って食べるか。
（揚州奴）それもだめです。
（正末）みな食べようとせぬのなら、いったい何を食べるのだ。
（揚州奴）おじさま、わたくしは倉から粟を買ってきて、磨り減ってしまうおそれがございますから、搗こうとはせず、売れない野菜を持ってきて、じっくり煮、塩、味噌をつけることなく、一碗の薄粥をいただきまする。
（正末）婆さんや、揚州奴に魚を買って食べるかと尋ねたが、食べるわけにはいかないと言っていた。肉を買い食うかと言うと、食べるわけにはいかないと言っていた。どちらも食べないつもりなら、何を食べるのだというと、薄粥を食べるのですと言っていた。薄粥を食べられるのかと言うと、食べられますと言っていた。
（唱う）婆さんや、あのものは、はや行く末を考えり。ぼろぼろの瓦窑にて苦しみを受けたるならん。
（言う）これぞまさしく、「苦の中の苦を受けずんば、人の上なる人になることこそ難けれ」。
（唱う）ああ、息子よ、ほんとうに、おまえは死ぬほど努力をせねばならないぞ。
（揚州奴）おじさま、わたくしは、頑ななれば、諌むることは難けれど、今では危険にさらされてみずから悟れり。
（正末）今までずっと生きてきて、はじめてこの一言をいうたな[95]。息子よ、ひとまず帰るがよい。もしもわたしに従えば、五日足らずで、わたしはおまえを大変な金持ちにしてやろう。
（唱う）
【尾煞】業海[96]に果てしなき愁へあり、窮坑[97]に救ひやうもなき苦しみあり。業海は千回とんぼ返りを打つとも逃れ得ず、窮坑は十万回身を翻すとも、にはかには跳び出づることを得ざらん。（卜児とともに退場）
（揚州奴）妻よ、帰ろう。ああ、ほんとうにひもじいことだ。（旦とともに退場）
（小末の尼が登場、言う）わたくしは李家の息子だ。父上さまは、わたしに趙の若さまを宴にお招きするように仰った。城の南のぼろぼろの窰にはやくも着いた、あの人を呼ぶとしよう、趙の若さま、
（揚州奴が旦とともに登場、会い、言う）若さま、どうしていらっしゃったのです。
（小末の尼）若さま、父に言われて、わたしがまいったのでございます。明日は宴においでください。
（揚州奴）おじさまがお酒を飲むのに呼ばれたからには、われら二人でまいりましょう。
（小末尼）若さま、かならず早めに来られてください。（退場）
（揚州奴）妻よ、なぜあの人はわたしたちを、お酒を飲むのに呼んだのだろう。明らかにわたしを辱しめるつもりだが、呼ばれたからには、行かずばなるまい。あちらに行ったら、ぼんやりとしてはいかんぞ。おまえはあの人のため掃除をし、わたしは水を汲むとしよう。天よ、ほんとうに辛いこと。（ともに退場）
第四折
（正末が小末の尼とともに登場、言う）今日はわたしの誕生日。酒席を設け、隣近所をお招きし、転宅を祝い、ついでに揚州奴を祝わん[98]。昨日は息子[99]に、揚州奴を、呼びにいくよう命じたが、やってこない。隣近所の老人たちは、おそらくやってくるだろう。
（衆が隣人に扮して登場、言う）われらはすべて揚州牌楼巷の者。その昔、趙国器さんは亡くなるときに、東堂老に息子の揚州奴を托された。だが、揚州奴は財産を使い果たして、今やこの立派な家も、東堂老に売ってしまった。本日は東堂老の誕生日、わたしたち隣人や友人を呼び、酒を飲むのだが、乞食をしている馬鹿ものの、揚州奴夫婦も招いたのは、なぜだろう。われわれは、一つには、誕生を祝うため、二つには、あの人の転宅を祝うため、行かねばなるまい。はやくも着いたぞ。若さま、取り次ぎをしてくだされ。隣人たちが、誕生祝いをしにきましたと。
（小末の尼が入って報せ、言う）お父さま、ご近所がお父さまの誕生祝いに来られました。
（正末）すぐお呼びしてくれ。
（小末の尼）お入りください。
（隣人たちが会い、言う）われら隣人たちは、一つには員外さまのお誕生祝いをするため、二つには転宅をお祝いするためまいりました。
（正末）ありがとうございます、皆さん、お掛けくださいまし。下男たち、あちらに酒肴を用意してくれ。揚州奴たち二人が来たら、席に着こう。
（揚州奴が旦とともに登場、言う）わたしは楊州奴という者。ここは李おじさまの家の入り口、われらは入っていくとしよう。
（旦と会う）
（揚州奴）おじさま、嫁といっしょにまいりましたが、何のお話でございましょう。
（正末）来たか。（唱う）
【双調新水令】本日は、画堂に春は暖く、佳賓と宴し、東風に舞ふ落紅は陣を成したり。並べられたる一つ一つの肴は旨く、杯を酌み交はす人々の綺羅は新たなり。
（揚州奴が背を向けて、言う）ああ。本当に恥ずかしや。
（正末）揚州奴よ。
（揚州奴が返事をしない）
（正末が唱う）あのものはひそかに心を傷つけて、言葉なく泪をひそかに拭いたり。
【沈酔東風】商人として身を立つべしと申せども、花柳を恋ひて、人にあるまじき行ひをせり。わたしは精魂傾けて、なんぢを教育せんとせり。
（揚州奴が背を向け、言う）ああ。大勢の人にむかって、わたしを当てこすっている。はやくも悟れり。来なければよかったと。
（正末が唱う）なにゆゑぞ、歯噛みせる。家はあれども身を寄せ難くなりたるは、そなた自身のせゐなるぞ。
（揚州奴が手を伸ばし、言う）本当に恥ずかしや。
（正末が唱う）なにゆゑぞ、ひたすらに腕まくりして、拳を握り、わけもなく怒りたる。
（言う）息子よ、そんなに慌ててどうしたのだ。
（唱う）わたくしは汝をして、飢ゑと寒さに耐へ尽くし、正しき道に戻らしめたり。
（言う）本日は、親戚の方々がこちらにお越しくださいました。わたくしは親戚の方々に、お話をすることがございます。われわれは本貫は東平府の者、商売をするために、この揚州は東門里、牌楼巷に来て住まいしておりまする。西隣にいた趙国器どのはこの揚州奴のお父上にて、わたくしと三十年、通家の誼がありました。その昔、趙国器どのは病となられ、この揚州奴を遣わされ、わたくしを家に招かれました。わたくしが、あの人に、「どうして病気になったのですか」と問いますと、あの人は、「息子揚州奴は不肖にて、かならず家を滅ぼしますから、心配で、病気になってしまったのです。今日はあなたをお招きし、揚州奴夫婦をあなたに托しますから、これからは、かれらの世話をしてください」と言っていました。わたくしは言いました。「わたくしは才德ともに薄いうえ、喪に服すべき身寄りでもございませぬから、この重い付託には耐えられません」と。趙国器さんは病をおして、わたしに跪かれたので、わたしは承諾するしかございませんでした。揚州奴よ、その昔、お父さまが、おまえに署名をさせた証文には、どのように書いてあったのだ。
（揚州奴）わたくしは見たことがございませぬ。おそらくは効力のない証文でしょう[100]。
（正末）息子よ、効力のない証文ではない。親戚たちに向かって、この証文を、大声で読んでみよ。
（揚州奴）承知しました。この証文は、父が手ずから書いたもの、署名はわたしが書いたものです。父上さま、今、証文はありますが、証文を書かれた人はいずこにいましょう。（悲しむ）
（正末）とりあえず哭くのはやめて、この証文を読め。
（揚州奴）はい。（証文を読み、言う）揚州東関里牌楼巷の住人の趙国器は—これはわたしの父の名だ。－病が重く、起き上がれず、息子揚州奴は不肖なるがため、ひそかに粒銀[101]五百錠を旧友の李茂卿のところに預け、息子の揚州奴が貧乏になった時、使わせる。－まさか目が霞んだのではあるまいな。もう一度読んでみよう。（ふたたび証文を読み、言う）おじさま、わたくしに返してください。
（正末）なにを返すのだ。
（揚州奴）なにを返すのだですって。白い紙に黒い字で書かれていますよ。
（正末）お父さまはこのように書かれているが、本当に何の銀子もないのだ。
（揚州奴）おじさま、五百錠とは申しませんが、一二錠だけでも出してきてくださいまし。触ったら、元通りお返ししましょう。
（正末）揚州奴よ、またそんなことを言うのか。お父さまが亡くなった後、おまえは田畑と屋敷を、他の人に売ろうとしたが、わしは他人に買われてゆくのに忍びずに、ひそかに人に買わせたのだ。その金は、五百錠の銀子から出し、何年何月何日に[102]、全部でこれだけ使ったのだ。おまえは油屋、粉屋、質屋を、他の人に売ろうとしたが、わしはふたたび、人にひそかに買うように命令し、その金は、そのときも五百錠の銀子から出し、何年何月何日に、これだけの額を使ったのだ。おまえの家畜と老若の奴僕たちには、去ったもの、死んだものがある。初めおまえは他の人に売ろうとしたが、わしはこのときもひそかに人に買うように命令し、その金を、五百錠の銀子から出したのだ。わしは帳簿を一冊保存しているが、おまえの房廊屋舍、条凳椅卓、琴棋書画、日用品がことごとく記されている。わしはこれより、一つ一つを受け渡し、欠損があれば、すべておまえに弁償しよう。揚州奴よ、聴け
（詩）お父さまはひそかに銀を預けられ、このわしは遣り繰りし、借用すること十余年、本日は、もとのものをば出だしたり[103]。かやうなる志誠の人は世間に得がたし。（言う）揚州奴よ（唱う）
【雁児落】「遠き身寄りは隣人に及ばず」といふを聞かずや。口はあれども信なきものとはなるべからず。本日は一つ一つを送り返さん、一つ一つをすべて受け取れ。
（揚州奴が拝跪し、言う）ありがとうございます。おじさま、おばさま。わたくしは今日があろうとは思いませなんだ。
（正末が唱う）
【水仙子】看よや屋敷の表と裏の塵に汚れしことなきを。
（揚州奴）前堂と後閣は、修理をされて、以前とはすっかり変わった。
（正末が唱う）画閣蘭堂もすべて新し。
（揚州奴）おじさま、この倉は空っぽでしょうか、穀物があるのでしょうか。
（正末が唱う）倉の中には米、麦が、たつぷりと蓄へられたり。
（揚州奴）ああ。質屋は元の通りに開けるのでしょうか。
（正末が唱う）質屋には金と銀あり。
（揚州奴）おじさま、城外の幾つかの荘園は、まだありますか。
（正末が唱う）荘園にありては家畜が群れをなし、銅斗[104]のごとき邸宅と、錦にも似た荘田が百頃あり。
（言う）揚州奴、翠哥よ、
（唱う）なんぢらはこれよりは他の人に質入れをするをやむべし。
（言う）息子よ。卓をもってきて、揚州奴夫婦にお酌をさせて、ご近所さまやご親戚がたをおもてなしさせるがよい。
（揚州奴）おじさまとおばさまのご厚恩に感謝いたします。おじさまとおばさまが受け戻されなければ、わたしは瓦窑に一生住んでいたことでしょう。妻よ、お酒を持ってきてくれ。まずはおじさま、おばさまにお酒を捧げることにしましょう。どうか一杯干されませ。
（隣人たち）趙の若さま、あなたがたご夫婦は、お酒を斟ぐのはもちろんのこと、たとい身を殺しても、このように大きなご恩に報いることはできますまいぞ。
（正末）息子よ、わたしは飲むぞ、わたしは飲むぞ。
（揚州奴がさらに酒を捧げ、言う）親戚の方々も、どうか一杯干されませ。
（衆）有り難い。有り難い。頂きましょう。
（揚州奴）ふたたびおじさま、おばさまに一杯捧げることにしましょう。大きなご恩にこの世で報いられなければ、来世で、犬や馬となり、おじさまとおばさまにご恩返しをいたしましょう。
（正末が唱う）
【喬牌児】玉樽をまめに捧げて、来世にてわれらの恩に報いんとせり。これぞまさしく、父上が財産をひそかに寄託されしかば、わが李家の財産はもとより損なはれしにはあらず。
（柳隆卿、胡子伝が登場、言う）聞けば、趙家の若さまは、ふたたび豊かになったとか、あの人を訪ねていこう。（会う）
（柳隆卿）趙の若さま、わたくしたちをお忘れですか。ごいっしょにお酒を飲みにいきましょう。
（揚州奴）兄さん、わたくしはもう改心しました。もうお招きはいたしません。ほかに人をお探しにいかれてください。
（柳隆卿）何を仰います。あなたが改心なされたのなら、われらも改心いたします、今からあなたをお助けし、立派な人にいたしましょう。
（正末）おい。小者たち、ごろつき二人をつまみ出せ。
（柳隆卿）趙の若さま、取りなしをなさってください。
（揚州奴）はやく出ていけ。ほかのところで楽しい思いをするがいい。
（正末が唱う）
【川撥掉】隣人たちは、しきりに歓び、笑ひたり。悪人二人は、紅裙を引き連れて、たちまちに堂に入りたり。びつくりし、三魂のうち二魂を失ふ。ああ。息子よ、たとひそなたが慌てずとも、われは最も慌つべし。
【殿前歓】息子がやうやく一人立ちしたりしに、おまへはなほも息子をば「一年の春は尽く一年の春」たらしめんとす[105]。息子は麗春園[106]に行き、争鋒印を納むれば、なんぢは完体将軍を騒がすなかれ[107]。おまえが達者な口にまかせて褒むるとも、息子は今や運に恵まれ、愚かしく迷魂陣にふたたび入らんとすることなからん。二人の遊び人に勧めん、ほかに死すべき若者を探すべし。
（言う）揚州奴よ、聴け
（断[108]）たくさんの財産を、花と柳に恋恋として、ことごとく費せり。わたしはなんぢを諌めたれども、なんぢはまつたく顧みず、二人の親友のみを信ぜり。付託を受けて家を買ひ、心を改むるを待ち、元本と利息を返せり。これぞまさしく、西隣なる友人に不肖の息子は生まれしかども、東堂老は家を潰しし子弟をば最後には諫めたるなり。
最終更新日：2010年11月10日