楔子

(冲末が徐茂公に扮し兵卒を率いて登場。詩)

若くして錦の帯に呉鈎[1]を掛けて

鉄騎には西風が吹き 砦には秋草が生ふ

匣の中なる三尺の剣によりて

やすやすと王侯に封ぜらるべし

わしの姓は徐、名は世勣、京兆は三原の者。唐に降りて、天子さまより忝くも憐れまれ、委任を受けて軍師となりて、諸将はみなわが部下となりたり。今、劉武周は、わが大唐に従はず。劉武周は強くはあらねど、配下にすぐれた将軍があり、姓は尉遅、名は恭、字は敬徳とぞいへる。この者は水磨の鞭[2]を使ひこなして、万夫も敵せぬ勇気あり。このたびは聖上の命を奉じて、元帥さまは十万の兵士を率ゐ、わしは軍師に、劉文静は先鋒になり、美良川にて交戦し、介休城を包囲せり。元帥さまは幾たびも敬徳を招安せしかど、敬徳は降らんとせず、「わが主君劉武周は、今、定陽[3]にあり。いかで降伏すべけんや」とぞいらへせり。それがしは一計を思ひつき、劉文静を沙沱に行かしめ、反将の計[4]を用ゐて、劉武周の首級をとりたり。今、すぐに劉武周の首級を持ち、元帥さまをお呼びして、敬徳を招安しにゆくこととせん。(退場)

(浄が尉遅敬徳に扮し、兵卒を率いて登場。詩)

若年にして武藝を習ひ

鋼の鞭に黒き馬にて威勢を示す

いたるところで勝利を得

一万人なりとも我に敵ふまじ

それがしは姓は尉遅、名は恭、字は敬徳といい、朔州は善陽の者、定陽は劉武周の麾下にあり。それがしは水磨の鞭を使ひこなして、万夫も敵せぬ勇気あり。このたび、唐の元帥が兵を率ゐてそれがしと対戦すれば、美良川にて鋒を交へつ。それがしは唐の将軍秦叔宝と交戦すること百余たび、勝負はつかず。それがしは唐元帥を追ひかけて、この介休城に着きたりき。しかるに城はもぬけの殻、唐の兵士に囲まれて、内に糧秣、外に援軍すらあらず。唐元帥は幾たびもそれがしを招安すれど、いかでか唐に降らんや。

部下よ、城壁の上で様子を見よ。唐の兵士が話してきたら、このわしに報告するのだ。(退場)

(正末が唐の元帥に扮し、徐茂公とともに兵卒を率いて登場)わしは姓は李、名は世民、今、大唐の元帥となる。このたびは美良川に兵を率ゐて、尉遅敬徳と交戦し、敬徳は介休城に包囲せられたり。軍師よ、敬徳を投降させることを得ば、賊兵どもは手のひらを返すがごとく我になびかん。

(徐茂公)元帥さまは敬徳を幾度も招安なさいましたが、あの者の言うことは道理に適っておりまする。あの者の主君劉武周は沙沱におり、あの者は主君に背こうといたしません。わたくしは今、反将の計を用いて、劉文静を沙沱に至らせ、劉武周の首級を取ってまいりましょう。

(正末)軍師よ、その計略は大いに良いぞ。首級を持ってゆき敬徳を招安しよう。

(徐茂公)早くも城下にやってきた。兵卒たちよ、尉遅恭に告げるのだ、われらが唐の元帥さまが話をしたいと言っているとな。

(兵卒が報告する)将軍さまにお伝えします、唐の兵士が城下にて、話をしたいと申しております。

(尉遅)話をしにゆくことにしよう。(城壁に上る)唐の元帥よ、話は何だ。

(徐茂公)敬徳よ、わが兵たちが鉄の桶のように囲んでいるのを見るがよい。唐に降れば、諸将の右においてやろうぞ。降らねば、兵たちは四方を囲み、八方を火攻めにし、この城を粉砕してやる。よく考えろ。

(尉遅)徐茂公よ、それは違うぞ。「一頭の馬に二つの鞍は置けず、二つの車輪は四つの轍をつけられず。烈女は二夫に嫁ぐことなく、忠臣は二君に仕へず」。わしの主君は定陽にいるというのに、どうして降伏できようぞ。

(徐茂公)将軍よ、おまえの主君の劉武周は、もうわしに殺されたぞ。信じないなら、ここにその首級があるぞ。

(尉遅)わが主君には特徴があった。鼻には三つの穴があり、後頭部には鶏冠(とさか)があった。首級を持ってきて見せよ。

(徐茂公)兵卒よ、秋千(ぶらんこ)の板に首級を吊り下げ、見せてやれ。

(吊り下げる。尉遅が見る)ああ、本当に主君の首級だ、どうして殺されたのだろう。(哭く)

(徐茂公)将軍よ、主君はすでに死んだから、投降するのは、今をおいて他にはないぞ。優れた鳥は良木を見て棲まい、賢臣は明主を選んで仕えるといわれているぞ。暗君を棄て明主に付くは、古よりの(ことわり)ぞ。

(正末)敬徳よ、投降すれば、このわしが陛下に知らせ、恩賞を手厚く取らせ、官に封ぜん。投降せずば、わが兵は百万人、将軍は千人あれば、介休城より逃げ出づることはかなはじ。

(尉遅)ああ、主君が殺されていたとは。降伏をしたくはないが、今、大勢の兵を率いているし、主君も亡くなってしまった。「優れたる狼も多くの犬に敵ふことなく。好漢も多くの人には敵はず」というではないか。ああ、唐の元帥よ、投降しても構わぬが、わしの言うことを聴くなら、投降しよう。

(徐茂公)一つといわず、十でも承知いたそうぞ。話されよ。

(尉遅)三年主君の喪に服したら、投降しよう。

(徐茂公)軍務の急な時なれば、どうして三年(みとせ)も待てようぞ。待てぬわい。

(尉遅)それならば、三ヶ月間喪に服してから、投降しましょう。

(徐茂公)それも駄目だ。

(尉遅)それならば仕方ござらぬ。事ここに至っては、一日を一年と考えて、三日間喪に服し、埋葬と追善を終えてから、城門を開け、投降するのはいかがでしょう。

(正末)本当にそうなさるのか。

(尉遅)嘘をつくはずはござらぬ。信じられぬなら、この火尖槍[5]、深烏馬[6]、水磨鞭、袍と鎧を持ってゆかれよ。とりあえず(あかし)とし、三日後に、投降いたそう。

(徐茂公)それならば、持ってこられよ、兵卒よ、受け取るのだ。

(正末)軍師どの、尉遅恭は優れた武将、本当に世にも稀なる人物じゃ。

(徐茂公)元帥よ、本当に素晴らしい猛将ですな。

(正末が唱う)

【仙呂端正好】

喪に服するは三年(みとせ)なれども

緊急の時なればとりあへず三日間とす

後の世の人に知らせむ

かの英雄はよく君臣の礼を尽くせり

かの者が投降しなば

凱歌をあげて帰るべし

武器を下ろして

旗を載せ

紫禁に帰り

丹墀に至り

龍虎風雲会[7]をなすべし

(ともに退場)

(尉遅)わが君が唐将の手に掛かったとは知らなんだ。木箱を作り、埋めるとしよう。わが君よ、あな悲しやな。(退場)

 

第一折

(尉遅が兵卒を率いて登場)それがしは尉遅恭。今日は三日目、兵卒よ、城門を開き、唐の兵士がやってきたら、知らせるのだ。

(兵卒)かしこまりました。

(正末が徐茂公とともに登場)軍師どの、今日は三日目、尉遅敬徳が来ることだろう。

(徐茂公)元帥さま、おめでとうございます。本日は猛将を一人配下になさいましたな。

(正末)軍師どの、尉遅恭を手に入れるのは、容易なことではなかったぞ。(唱う)

【仙呂点絳唇】

運命はかくこそありけれ

猛将は迷魂寨[8]に捕へられたり

かの者を呼び

弟のごとく見なさん

【混江龍】

要衝を窺はんとし

美良川を経、介休にしぞ至りたる

先王は有道の君

子孫は賢才

周西伯[9]が猛将を求めざりせば

何人(なんぴと)か姜太公[10]を釣魚台より招くべき

旗を並べて

がらがらと門を開け

どんどんと太鼓を鳴らし

たんたんと銅鑼を鳴らせり

千戦千勝なる尉遅恭を得んために

万生万死[11]の唐元帥はまことに危ふき目に遭へり

本日は禍を転じて(さいはひ)とぞなせる

(言う)軍師どの、軍令を伝え、大勢の兵士をきちんと並べてくれ。

(徐茂公)諸将よ、刀を鞘から抜き放ち、弓をつがえて、七重にきっちりと取り囲むのだ。

(正末が唱う)

【油葫蘆】

軍令を伝へとくとく兵士を並べ

相手を見くびることなかれ

七重の囲みは両の脇に並べり

(徐茂公)元帥さま、敬徳は一人ですし、武器、鎧、鞍、馬もございませぬから、恐れることはございませぬ。

(正末が唱う)

身に[犬唐]猊の鎧を纏はず

腰に獅蛮の帯を結ばず

駿馬に跨ることはなく

掌中に武器(うちもの)はあらざれど

岩前の虎は痩すとも猛き心は消ゆることなし

やすやすと降伏するとな思ひそね

(兵卒が報告する)元帥さまに申し上げます、尉遅敬徳が投降してまいりました。

(尉遅敬徳が縛られた姿をして跪く)わたくしは粗暴な男、美良川では失礼つかまつりました、元帥さま、どうかお許しくださいまし。

(正末)すでに投降されたのだから、みずから縄目を解くとしよう。

(徐茂公が解く)

(正末が唱う)

【天下楽】

(くろがね)の壁、(しろがね)の山がありとも切り開くべし

ああ

優れたる者よ

疑ふなかれ

面縛投降したからは

われもまた階を降りて迎へん

将軍どのには喪に服するをやめたまへかし

本日は将軍どのにお祝ひいたさん

(尉遅)元帥さま、掛けられて、それがしの拝礼を受けられよ。(拝礼をする)

(正末)将軍どの、立たれよ。

(尉遅)それがしは何の力もございませぬのに、元帥さまよりかようなるお許しを受けたからには、終生おんみに従いましょう。

(正末)

【那令】

尉遅は威風と気概あり

腹に兵書と策略を収むれば

誉れは天下に響くべし

我々は策略があり

勝負を知れども

何処(いづこ)にか尉遅のごとき人材を求むべけんや。

(尉遅)元帥さま、「晏平仲は人と交はるに、久しくしてこれを敬す」[12]ともうしましょう。

(正末が唱う)

【鵲踏枝】

話をすれば難しきことを言ひ

礼節を施せば驕り高ぶる[13]

汝は虎をも斬る英雄

子路澹台[14]にも勝るべし

われら兄弟は心を変へじ

「友あり遠方より来たる」てふことを聞かずや

(言う)酒をもて。将軍どのに一献捧げることにしよう。(酒を斟ぐ)

(尉遅)元帥さま、お先にどうぞ。それがしは武夫にすぎませぬのに、元帥さまに手厚くもてなされようとは。ただ一つ、思えば昔、赤瓜峪にて三将軍元吉さまと戦ったとき、あの方を一鞭打ってしまいました。今、わたくしは唐に降伏いたしましたが、三将軍さまは一鞭の恨みをお忘れではありますまい。

(正末)将軍どの、ご安心あれ。わしが陛下に上奏をしたからは、かならずや恩賞を賜わって、何者も恨みを抱いたりはしませぬ。(唱う)

【寄生草】

赤瓜峪にてわれらと戦ひ

馬蹄にて連環寨を突き破りたり

鞭ははやくも頭を掠めり

主人のために辺境を占領せしは

帝堯に咆えたる桀の犬にぞ同じかるべけん

三将軍はいかで尉遅を咎むるを得ん

(尉遅)韓信は項羽をすてて劉邦につき、蕭何は彼を推薦し、印を掛け、壇に上らせたのでした。それがしの力量は韓信に及びませぬが、元帥さまの度量は沛公にも勝りましょう。

(正末が唱う)

【後庭花】

汝は天下の貔貅(つはもの)にして

麒麟閣にも描かれん者

漢の高祖は英傑を知り

韓淮陽を(うてな)に拝せり

すみやかに宴を設け

ねんごろにもてなして

唐朝に立ち武藝を示さんことを求めん

唐朝に立ち武藝を示さんことを求めん

【青哥児】

ああ

豪快なる英雄なれば

社稷をぞ定むべき

社稷が興るも敗るるも

文武にともに秀でたる将相の人材次第ぞ

雲、(つちふり)を払ひのけ

塵、埃をぞ清むべき

将軍は勇ましく、兵士は聡く

印を提げ、牌を掛け

一日()たび昇進せんとも

優待なりといはめやは

(徐茂公)元帥さま、今、軍をこちらに留め、人を都に遣わして上奏し、尉遅恭が唐に降伏したことを述べましょう。陛下はかならず恩賞を賜わりましょうぞ。

(正末)軍師どの、貴殿はこの地で三将軍といっしょに砦を守られよ。このわしはみずから陛下に上奏し、敬徳に将軍の牌印をもたらしましょう。

(徐茂公)それならば、元帥さまは二十騎の人馬を率いて旅路の備えとなさいませ。

(正末が唱う)

【賺殺】

本日は皇都に赴かんとして

辺地を離る

以前の恨みを消しさりて

陛下の御前で話をぞせん

逐一つばらに報告し

「まかりならぬ。何ら汗馬の労なし」と言はるとも

とりあへず副元帥となさしめん

(言う)軍師どの。(唱う)

わしのため、三軍の武器を整へ

しつかりと砦を守りたまへかし

さすればわしはこの手にて印牌をしぞもたらさん

(退場)

(徐茂公)元帥さまは行かれてしまった。敬徳どの、我々は汝とともに陣中に赴こう。

(尉遅)軍師どの、それがしは唐に降ったが、わずかな戦功さえもない。それなのに元帥さまはそれがしの印牌を取りにゆかれた。かならずや満腔の熱血を抛って、国家の為に力を出だし、尽忠の心を示そう。

(詩)

暗君を棄て、明君に投ぜんがため、旧き主君のもとを離れて

肝胆を明らかにして、新しき主君に仕へん

それがしの烏錐馬[15]により、唐国の社稷を支へ

水磨鞭にて李家の天下を打ち立てん

(退場)

第二折

(浄が元吉に扮し、丑が扮した段志賢、兵卒とともに登場。詩)

(あした)には田舎の男なりしかど

暮には天使の堂に登れり

朝陽門を出でたれば

大黄荘なり

このわしはほかでもない、三将軍の元吉じゃ。この将軍は段志賢。わが兄の唐元帥は兵を率いて劉武周めを捉えようとし、尉遅敬徳と戦を交えた。このわしは尉遅敬徳を介休城に引き寄せて、兵で囲んだ。わしはあいつを殺してやろうと思うたが、わが兄はあいつを部下にすることとした。今、わが兄はみずから京師に赴いて、陛下に奏し、恩賞を受けようとした。段志賢よ、わしの恨みを存じておるか。

(段志賢)三将軍さま、何ゆえにあの者をお怨みになるのでしょうか。

(元吉)弟よ、赤瓜峪で、尉遅と交戦した時に、あの者はこのわしを鞭で打ち、数里にわたって血を吐かせたのだ。あの者はこのたび唐に降ったから、いつか怨みに報いよう。

(段志賢)三将軍さま、鞭の恨みに報いることは、た易いことではございませぬ。

(元吉)段志賢、おまえにどんな計略がある。

(段志賢)今、唐元帥は京師に行かれ、御身は砦を守られています。尉遅敬徳を呼びよせて、微罪に問うて、あのものが二心を持っていると言い、牢に入れ、命を奪うことにしましょう。唐元帥が戻ってきたら、あの者がこっそりともとの部隊の人馬を率い、山の彼方へ行こうとしたので、追いかけて捕まえて牢に入れたとおっしゃいまし。あ奴は癇癪もちですから、怒りのあまり死ぬことでしょう。この計略は宜しくはございませぬか。

(元吉)その計略は大いによろしい。わが兄、実の父さえもそのような妙計は考え出さぬことであろう。部下よいずこぞ。尉遅恭めを呼んでまいれ。

(兵卒)尉遅恭どの、いずこにいられる。

(尉遅)それがしは尉遅恭。唐に降って、三将軍元吉さまのお召しを受けた。何ごとだろうか。行かねばなるまい。

(兵卒が報告する)敬徳どのが参りました。

(元吉)呼んでまいれ。

(見える、尉遅がいう)それがしを呼ばれましたは、いかなるご用にございましょうや。

(元吉)敬徳よ、罪を認めるか。

(尉遅)分かりませぬ。

(元吉)どうして罪を認めぬのだ。昨日の晩に、部下たちと相談し、山の向こうへ逃げようとしたであろう。

(尉遅)三将軍さま、それがしは唐に降って日も浅く、少しの功もございませぬのに、元帥さまからこのような優遇を受けました。元帥さまは京師に行かれ、陛下に奏し、わたくしの牌印を持ってきてくださいますのに、わたくしがそのような心を持ちはいたしませぬ。

(元吉)口答えするのだな、部下よ、このものを牢に入れよ。

(兵卒が捕える)

(尉遅)ああ、唐に降伏しようとは思わなかったが、唐元帥、徐茂公に説得されて投降したのだ。今日は(ひとや)に入れられた。元吉はその昔、赤瓜峪で、それがしに鞭で打たれた。昔の恨みを忘れずに、わしの命を奪うつもりだ。天よ、誰に救いを求めよう。(退場)

(段志賢)三将軍さま、この計略は如何でしょうか。

(元吉)妙計じゃ。見張りに言いつけ、あ奴を殺し、生かしてはならぬ。あ奴を殺すことができれば、このわしが好漢である証となろう。このわしに一片の良心があれば、神さまもこのわしに飴を一本食わせてくださることだろう。(退場)

(外が単雄信に扮して登場)わしは単雄信。幼いときに韜略の書を習い、長じては武藝を好み、あらゆることを習得した。狼牙の棗の槊を使い[16]、万夫不当の勇気がある。それがしは洛陽の王世充の麾下にある。唐元帥は無礼者、兵を率いてひそかにわれらが洛陽城を窺っている。ただではすまさぬ。主君に知らせ、十万の兵を率いて、唐元帥を捕えにゆこう。三軍よ、わが命を聴け。

(詩)唐元帥は大胆にして心は奸悪、洛陽に入り少しも恐れず。唐元帥に追ひ付かば、ただではすまさじ。(退場)

(正末が登場)それがしは唐元帥。尉遅敬徳を部下にして、みずから京師に赴いて、すでに陛下に上奏した。ここまで来たが、後ろには土埃がたっている。人馬が追ってきたのだろうか。

(徐茂公が慌てて登場)わしは徐茂公。元帥さまが去られた後に、元吉さまは昔のことを恨みに思われ、敬徳を牢に下した。元帥さまを呼び戻し、敬徳の災難を救わなければなるまいぞ。前方にいらっしゃるのは元帥さまではあるまいか。元帥さま、お待ちください。お話がございます。

(正末)軍師どの、何ゆえに追い掛けてこられたか。

(徐茂公)元帥さまが去られた後に、三将軍さまは昔のことを恨みに思われ、敬徳を(ひとや)に下し、二心を抱き、山の向こうに帰ろうとしていると誣告されたのでございます。敬徳に万一のことが起これば、わたくしたちが嘘を付いたということになりますので、元帥さまを追いかけて、敬徳の災難を救おうとしているのです。

(正末)軍師どの、敬徳は、そのような心を抱くはずがない。(唱う)

【正宮端正好】

かの者は新しく

我らは古く

端無くも恨みを抱けり

尉遅敬徳がふたたび沙沱に行けりといへば

我々はゆるゆると事情を尋ねん

【滾繍球】

敬徳は明君に身を寄せて暗君を棄つる心と

雲や霧をも掴む手を持ちたれば

人中の禽獣なるかと疑ふなかれ

優れたる人物なれば王侯に封ぜらるべし

顔つきは恐ろしげにて、武藝に通じ

陣に上れば馬を馳せたり

これらはすべてこのわれが幾たびも招安したる所以なり

忠孝を尽くす良将なれば

忘恩不義の死刑囚となり

さまざまな計略を無駄に費やすはずがなし

(徐茂公)元帥さま、京師に行かれ、敬徳をお救いください。

(正末)今すぐに陣地に戻り敬徳を救いにゆこう。(退場)

(元吉が段志賢とともに登場。詩)

このわしは計略をもて

敬徳を生け捕りにして(ひとや)に下せり

あ奴を逆さ釣りにして殺さんと思へども

あ奴はわしを打ち春牛となしはすまいか

尉遅が牢に下されてから、彼の命を奪おうと思っているが、気の利かぬ徐茂公があれやこれやと邪魔してくる。どうすればよいだろう。

(段志賢)三将軍さま、ご存知ないのでございましょうか。軍師はあなたが敬徳を牢に下されたのを見て、みずから唐の元帥さまを追いかけて行ったのですよ。

(元吉)構わぬわい。唐元帥が戻ってわしに尋ねても、言うことは考えてある。

(正末が徐茂公とともに登場)早くも陣地の入り口に来た。馬を繋げ。

(徐茂公)報告せよ。元帥さまが軍師とともに来られましたとな。

(兵卒)かしこまりました。元帥さまと軍師さまが来られました。

(段志賢)どうです。徐軍師が元帥さまを追い掛けていったと申し上げたでしょう。

(元吉)構わぬわい。このわしが迎えにゆこう。(見える)ああ。兄じゃがこられた。お掛け下され。

(正末)三将軍よ、敬徳はどこにいるのじゃ。

(元吉)兄じゃ、敬徳は、忘恩不義の人間です。わたくしたちはあの者を持て成しておりましたのに、兄じゃが行かれるや否や、人馬を率い、晩に逃げ、山の彼方に行こうとしました。さいわいにわたくしがすぐに気付いて、人馬を率い、数里追いかけ、あ奴を捕え、戻ってきたのでございます。あの者を殺そうと思いましたが、兄じゃがいませんでしたので、牢に下して、戻られたとき、殺そうとしていたのです。あの者を殺さなければ、いずれまた逃げ出しましょう。

(正末)弟よ、敬徳はかような心は持っておらぬ。

(元吉)兄じゃ、人の心は分かりませぬ。二心がないとおっしゃいますが、あの者はなぜ劉武周を裏切って、我らに投降したのでしょう。かような者は善人ではございませぬ。殺されずして何となさいます。

(正末)弟よ、敬徳を手に入れるのは、た易いことではなかったぞ。あの者を殺したら、賢者を招くことができなくなるではないか。

(元吉)元帥さま、その昔、劉沛公の部下英布、彭越、韓信は、十大功を立てましたが、後に蕭何が計略を立て、英布を誅し、彭越を塩辛にし、韓信を斬りました。三人の将軍は罪がないのに、殺されたのです。敬徳などは大したことはございませぬ。はやく殺してしまわれるのが、宜しいでしょう。早めに殺してくだされば、兄じゃ、飴を買い、兄じゃに感謝いたしましょう。

(正末)弟よ、おまえは一を知ってはいても二を知らぬわい。(唱う)

【倘秀才】

彭越は

かつて舎人と謀議せり[17]

韓信は

陳豨と手をぞ携ふる

英布は

勇を奮ひて九州を占領したり[18]

千軍は得易きも

一将は最も得難し

蕭何の手腕をいかで学ばん。

(徐茂公)元帥さま、敬徳を呼び、事情を問えば、本当のことが分かりましょう。

(正末)それもそうだな。兵卒よ、敬徳を呼んでまいれ。

(元吉)敬徳を連れてまいれ。

(尉遅が枷を帯びて登場)前もって考えていれば、後悔を免れられよう。その昔、唐に降ったが、元帥さまは京師に行かれ、三将軍の元吉さまは、それがしに鞭で打たれた恨みを忘れず、それがしを牢に下した。元帥さまが戻られたから、これよりお会いするとしよう。(見える)

(尉遅)元帥さま、賢者を招き、人士を納むるとはこのことにございましょうや。

(正末)三将軍よ、敬徳を何の罪で、(ひとや)へと入れたのだ。

(元吉)元帥さまは、ご存知ないのでございます。元帥さまが去られた後に、この者は二心を抱き、もともとの部下を率いて、山の彼方へ行こうとしました。幸いにわたくしが連れ戻したのでございます。敬徳に不当なことはしておりませぬ。

(尉遅)元帥さま、三将軍は鞭の恨みを覚えているのでございます。敬徳はそのような心を持ってはおりませぬ。

(正末)それならば、わしはみずから縛めを解くとしよう。このわしは京師に行って陛下に知らせ、将軍の牌印を取ろうとしたのに、将軍どのが戻ろうとなされたものとは知りませなんだ。「心が去らば留まり難し、留まらば恨みが生ず」といいますからな。

(尉遅)わたくしはそのような心は持っておりませぬ。

(正末)軍師どの、酒と果物を並べてくれ。

(元吉)結構なことをなさいますな。この者は二心を抱き、山の彼方に逃げようとしたのですぞ。かように恩義をわきまえぬのに、罪を許して、殺すことなく、餞別さえもなさるとは。かような道理はございませぬ。

(正末が唱う)

【脱布衫】

敬徳は敬はれても(かうべ)を擡げず

たとひふたたび逢ふたとて瞳を凝らすに忍びんや

君子たる者は旧悪を思はねど

小人は生まれつき後悔するもの

(言う)部下よ、酒をもて。敬徳のために送別を行おう。(酒杯をとり、言う)将軍どの、たんと飲まれよ。(唱う)

【小梁州】

みづから轅門へと送り、玉杯を捧げもちたり

将軍どの、恨みにな思ひたまひそ

(言う)部下よ、(きん)をもってまいれ。

(兵卒)こちらにございます。

(尉遅)元帥さま、この金をどうなさるのです。

(正末)将軍どの、

(唱う)

この金を、とりあへず旅路での酒手となして、(うれへ)を消されよ

いつまでもともにあらんと思ひしに

心が離れたりしとは、思ひもよらぬことなりき

(尉遅)それがしはもとより二心を抱いてはいなかったのに、元帥さまに疑われました。事ここに至ったからは、仕方ござらぬ。仕方ござらぬ。命を惜しんで何になりましょう。階にぶつかって死にましょう。

(正末が引きとめ、言う)ああ、敬徳どのはかような心はなかったと言われるが、三将軍はあのように言っていますぞ。

(元吉に言う)弟よ、これではわしも手におえぬから、おまえといっしょに敬徳を追いかけた兵たちを呼び、尋ねてみよう。彼らが本当のことを語れば、敬徳も納得しようぞ。

(元吉が背を向けて言う)これはまずい。敬徳は逃げたわけではないのだから、追ったことなどなかったし、たとい逃げても、このわしに追いかける勇気はないわい。兵たちに本当のことを話されたら、どうしよう。仕方がない。よし。こう言おう。(返事する)兄じゃ、それは違っておりまする。わたくしはあ奴が逃げたことを聞き、兵たちが来るのを待たず、一頭の馬に乗り、鞭を持ち、命をも顧みず、敬徳を追い掛けました。敬徳は言いました。「何をしに来た。」わたくしは言いました。「おまえはわしの兄じゃから、大恩を受けながら、何ゆえに逃げるのだ。馬を降り、死ぬがよい。」あの者は腹を立て、歯噛みしながら水磨の鞭を振り上げて、私に打ち掛かりました。兄じゃ、ほかの者なら、あの者に殺されていたことでしょう。しかし私は兄じゃの弟、武器こそございませなんだが、身を躱し、一拳にて、鞭を地に落としたのです。あいつは慌てて、叫びました。「お許しください。」。わたくしは聞こうともせず、右手(めて)にて馬を引きとめて、左手(ゆんで)であ奴の睫毛を引っぱり、羊のように牽いて戻ってきたのです。

(尉遅が言う)そのようなことはございませんでした。

(正末)敬徳は猛将だから、簡単に捕えることはできまいぞ。とりあえず軍師どのにお尋ねいたそう。(茂公に言う)軍師どの、お聴きくだされ。敬徳は本当に逃げたのですか。

(徐茂公)敬徳は好漢にございます。三将軍さまも平素より嘘はつかれぬお方です。

(元吉)これが嘘なら疫病になることでしょう。

(徐茂公)元帥さまと一緒に演武場にゆき、敬徳に人馬を率いて先を進ませ、将軍さまに後から単騎で追いかけさせ、捕らえて戻ってこられれば、三将軍さまが正しいことになりましょう。捕らえることができないときは、敬徳が正しいということになりましょう。

(元吉が背をむけて言う)徐茂公はとんでもない奴。話をしているのではなく、人の命を害そうとしておるわい。

(正末が言う)それがよかろう。

(元吉)あの時はただ運が良かっただけにございます。幸福は幾たびも訪れぬもの。兄じゃはあいつを許せば宜しい。わたくしを追い詰めることはございませぬ。

(尉遅)そうおっしゃらずに。わたくしは単騎で先にまいりましょう。あなたは(ほこ)を手に執られ、わたくしを捕まえることができたら、わたくしは罪を認めましょう。あなたが刺せば、わたくしは死にましょう。

(元吉が笑い、言う)自慢するわけではないが、このわしは気性が激しく、機略に通じ、平素より誰も恐れはしないのだ。演武場へ行くとしようぞ。

(入場する。敬徳が先に進む。元吉は槊で刺すが、槊を奪われ、馬から落ちる。)

(元吉)この馬は眼が悪いのだ。(馬を換えるが、同じことになる。)

(元吉)手が鶏爪風(けいそうふう)[19]になったのだ。(ふたたび追いかけるが、同じことになる。)

(元吉)腹が痛いから、帰って酒を飲むとしよう。

(正末)やはりこういうことだったのか。敬徳よ、今日、わしはおまえとともに陛下に見えることにしようぞ。

(尉遅)それならば、元帥さまに御礼申し上げましょう。

(正末が唱う)

【幺篇】

なんぢとともに宮中にゆき、上奏すべし

(尉遅)三将軍は一鞭の恨みを忘れず、

(正末が唱う)

以前のことはみな帳消しにするがよし

(元吉)わたくしもあの者と争ったりはいたしませぬ。

(正末が唱う)

将軍よ、怨みに思ふことなかれ

これよりは、労苦を厭ふことなかれ

なんぢが陛下の憂へを解くをひとへに望まん。

(兵卒が慌てて報告する)元帥さまにお知らせ申し上げまする。王世充の部下にして、先鋒の単雄信が、戦いを挑んできました。

(尉遅)元帥さま、単雄信は三将軍に捕えにいっていただきましょう。多くの人馬はいりませぬ。かならずや単騎にて捕えることができましょう。

(元吉)何と。そのほうもわしの武藝に恐れ入ったか。

(正末)その通りだな。たとい五千の人馬でも、弟を先鋒にすれば、単雄信を捕えることができようぞ。

(唱う)

【上小楼】

気性は激しく

機略にも通じてをれば

雄信の兵が来たらばかならずや戦ひて

相手すべけん

鞭一本で敬徳を捕へたりなどと申すからには

洛陽の盗賊などは、物の数にもあらざらん

(元吉)先ほどは戯れ言を申したのです、本当にわたくしに戦えとおっしゃるのですか。(痛いと言う)ああ、急にお腹が痛んでまいりましたので、陣中に行き、寝ることにいたしましょう。(出てゆく。詩)

三将軍のすることはまことに醜し

戦はずともうまくはゆかじ

烏亀法[20]のみをものにして

(かうべ)を縮むべき時に首を縮めり

(退場)

(尉遅)元帥さま、それがしは唐に降りましたが、わずかな(いさお)もございません。もとの部下たちを引き連れて戦いましょう。

(正末)将軍どのは行くには及ばぬ。このわしは洛陽城を見たいから、人馬百十騎を率い、段志賢とともに様子を探り、洛陽城を見にゆこう。

(唱う)

【幺篇】

洛陽城を見

備へを窺はんとせり

鉦や鼓を鳴らすことなく

旗や幟を立つることなく

戈を減らせり

(尉遅)元帥さま、単雄信を見くびられますな。あの者は強く、馬は肥え、狼牙棗木の槊を使えば、万夫不当の力があります。ただそれだけの備えでは、失敗しましょう。

(正末)構わぬわい。

(唱う)

相手は強く

馬は肥ゆとも

必死に彼らと戦はば

このわしが手玉に取られんはずはなし

(徐茂公)元帥さまが洛陽城をご覧になられたいのでしたら、お先に行かれてくださいまし。わたくしは敬徳どのと後から参り、元帥さまに合流しましょう。

(正末)軍師どののおっしゃることは尤もだ。わしは段志賢と先に行くから、敬徳とともに後から来られて合流されよ。

(尉遅)わたくしは元帥さまについてゆくのが、宜しいでしょう。

(正末が唱う)

【随煞尾】

(とり)()くには牛刀は必要なし

つまらぬ武将に大軍は必要なし

かならずや六十四箇所の征塵は一掃せられ

十八箇所の年号を改めし者どもは醜態を出だし尽くさん

(徐茂公)元帥さま、このたびは何とぞ鞭で金の鐙を敲いてください。[21]

(正末が唱う)

その時は軍容をふたたび整へ

いつせいに凱歌を奏で

早めに功を寿ぐ酒を備ふべし

(退場)

(段志賢)そうはいっても、やはり三将軍さまとお別れせねばなりますまい。三将軍さまはいずこにおわしましょうや。

(元吉が登場)今しがた陣幕の中に行き、居眠りをしたところ、腹の痛みはなくなった。今ちょうど戦いに行こうと思っておったのに、兄じゃは待てずに、行ってしまわれるとは。

(段志賢)三将軍さま、軍師どの、失礼つかまつりました。元帥さまと一緒に先に参ります。

(元吉)段どの、どうか気を付けて。

(段志賢が退場)

(徐茂公)三将軍さま、兵を率いて後からゆかれよ。わたくしは敬徳とともに先に行き、元帥さまに合流しましょう。

(元吉)軍師どのが行かれたら、後から兵を率いて合流するとしよう。敬徳よ、理に従えばおまえを許すことはできぬが、わしの兄じゃの顔を立て、とりあえず首を繋げてやるとしようぞ。これからもしも失敗したら、おまえを許しはせぬからな。

(尉遅)三将軍さま、ほかの者ならいざ知らず、御身はわたしの水磨の鞭をご存知でしょう。わたくしが行き、単雄信に出遭ったひには、鞭で一打ちするだけで、頭は碎けることでしょう。

(詩)

命を捨つるは易くして、(いさを)を立つるぞ難しき

力は山を抜くわれにいづれの人か勝るべき

鋼で作りし水磨の鞭と一騎の馬で

無道の輩を殺さずば誓ひて還らじ

(徐もともに退場)

(元吉)わしはあ奴を殺そうと思うたに、兄じゃが戻り、救ってしまった。まあよかろう。いずれにしてもあ奴を殺さねばならぬ。敬徳を亡き者にすれば、鞭の怨みに報いることができようぞ。軍師はわしに後から来いと申していたが、とにかくゆっくり行くとしよう。援軍が到着せねば、かならずや失敗があるだろう。これも一つの計略じゃ。(退場)

 

第三折

(単雄信が馬に乗る動作をし、兵卒を率いて登場)それがしは単雄信。唐元帥は、段志賢をば引き連れて、わが洛陽城の偵察をしているとのこと。ただではすまさぬ。それがしは三千の人馬を率い、追いかけようぞ。(退場)

(段志賢が馬に乗る動作をして登場)それがしは段忠賢。わが唐の元帥さまが洛陽城を視察されると、単雄信が兵を率いて追いかけてきた。どうしたらよいだろう。

(単雄信が追いすがる)段志賢、すみやかに馬から下りて降伏せよ。

(陣形を変える)

(段志賢)あの者に近づくことはできぬわい。逃げろや逃げろ。(退場)

(単雄信)こやつめ、逃げるか。ただではすまさぬ。どこであろうが追ってゆこうぞ。(退場)

(正末が馬に乗る動作をして登場、慌てて)どうしたらよいだろう。洛陽城を見ていたら、単雄信が兵を率いて追いかけてきた。段志賢はいずこにいるのだ。どうしたらよいだろう。

(単雄信が登場)李世民、逃げるでない。どこへ行くのだ。すみやかに馬から下りて降伏せよ。

(正末が歌う)

【越調闘鵪鶉】

人は北極天蓬[22]に似て

馬は南方火龍に[23]似たり

敵方は馬を走らせ槍を振り

我らを激しく攻めたてり

かの者たちのはげしきさまは雷霆(いかづち)のごと

このわしのすばやきさまは火風のごとし

このわしはあたふたと逃げ

かの者は激しく追へり

かばかりに武勇を奮ひ

力を競ひ激しく戦ふ

【紫花児序】

このわしの脇に二つの(つばさ)なく

頚に三つの(かうべ)のなきぞ恨めしき

かのものたちは唐の小僧を逃がすななどとまうしたり

あたかも魚の網に入り

鳥の籠へと入るがごと

急げや急げ

馬よ

わしはおまへを凌煙閣[24]の第一の功臣にせずばなるまい

ひたすら()つの蹄を動かせ

聞こゆるは(をめ)き声

さらに軍鼓はぽんぽんと鳴る

(単雄信)楡科園に追い込んだぞ。いずこにも逃がれることはできまいぞ。

(正末が歌う)

【耍三台】

わが馬を走らせて

敗残の身で生き延びん

(徐茂公が馬に乗る動作をし、慌てて登場)元帥さまではございませぬか。(雄信を掴む)

(徐茂公)将軍どの、しばらく待たれよ。

(単雄信)誰かと思えば、徐茂公か。放すのだ。

(正末が歌う)おお、軍師の茂公か。

(徐茂公)元帥さま、今すぐお逃げくださいまし。

(単雄信)徐茂公め、手を放せ。

(正末が歌う)

あのものは、このわしが、命拾ひをしたものと考へて、余裕綽綽

しばらく茂公の働きを見ん

強き手でしつかりと軍服の袖を牽き

達者な口で説き、かのものを心服せしめん

汝は英布を騙しし随何

韓信を説得したる蒯通なり

(単雄信)徐茂公よ、手を放せ。その昔、わしら二人は友であったが、今はおのおの別の主君に仕えている。

(徐茂公)将軍どの、昔の誼を思うてくだされ。

(単雄信)幾度(いくたび)もこのわしを牽き止めるとは。ええい。剣を抜いたぞ。軍服を切り、おまえとは絶交だ。それでも追ってくるのなら、剣で二つに斬ってしまうぞ。

(徐茂公)これは取り付く島もないわい。

(正末が歌う)

【調笑令】

単雄信は従はず

さつと白刃(しらは)を抜き出だす

ああ

単雄信は冷たく笑ひ

軍服を裂き 袖を切り 友情を断ち

ますます怒れり

単雄信が徐茂公を押しのけば

ああ天よ

誰かは我を救ふべき。

(徐茂公)まずい、陣中に行き、援軍を呼んでこよう。(退場)

(単雄信)徐茂公は行ってしまったぞ。李世民、すみやかに馬から下りて降伏せよ。

(正末)手の(うち)に弓はあっても矢はないわい。単雄信め、わしが射撃がうまいのを知っているのか。矢を放つから見るがよい。

(単雄信)あやつも死ぬべき定めだな。手の中に弓はあっても矢はないのだから、どこへも逃げられはすまいぞ。

(正末が歌う)

【小桃紅】

手中に矢はなく いたづらに弓を張り

頻りにむなしく弦を引きたり

徐茂公は陣に臨めど役には立たず

(敬徳が馬に乗るしぐさをして登場、叫ぶ)単雄信、逃げるでないぞ。

(正末が歌う)

鐘のやうなる声を出だして

春雷のごとき声にて喚きたり

耳がいささか遠しとも

にはかに聞かば怯ゆべし

(尉遅)単雄信、わが君を傷つけるなよ。

(正末)敬徳がわしを救いにきてくれたのか。

(歌う)

高らかにわが君をな傷つけそと叫びたり

(単雄信)この炭売りはどこからきたのだ。こやつは裸馬に乗り、鞭は一本、大したことはあるまいぞ。

(尉遅)単雄信、無礼なことを申すでないぞ。(陣を調える)

(正末が歌う)

【禿厮児】

尉遅敬徳は力はあれど猛くはあらず

単雄信は戦ひたれど(いさを)なし

かの者は防げども中つることなし

一陣の殺気は黒く

立ち籠めり

【聖薬王】

槍をすばやく突き出だし

鞭をはげしく振り下ろす

空中に立ちたる避乖龍[25]のごと

あちらは雌で

こちらは雄

がちやがちやと鞭と(ほこ)とがぶつかり合へば

勝れるは尉遅恭なり

(尉遅が雄信を打ち落とす)元帥さま、わたしがはやく来なければ、元帥さまはあやつの罠にはまられていたことでしょう。あやつはわたしに鞭で打たれて、血を吐きながら逃げましたので、わたしはあやつの棗木槊を奪い取りました。

(正末)将軍どのが来なければ、命はなかった。本日は将軍どのと陛下に見えん。

(尉遅)わたくしに何の(いさお)がございましょう。元帥さまのご威光に頼っただけにございます。

(正末)すばらしい。すばらしい。良将というに恥じぬぞ。(歌う)

【收尾】

たちまちに軍馬を交へ

棗の槊を突き出だせども

鋼の鞭は重くして

()(ごわ)き男は打たれて体を腫らしたり

ああ

単雄信を鞭打ちし尉遅恭

娄煩を怒鳴りつけたる霸王にぞ勝るべき[26]

(ともに退場)

第四折

(徐茂公が登場。詩)

軍鼓と銅鑼を一二度敲き

轅門の内と外には武器を連ねり

将軍は平安(へいあんじや)[27]をば唱へおへ

きつちりと旗を巻き、ふたたび振らず

それがしは徐茂公じゃ。元帥さまは単雄信と楡科園で交戦し、大敗したので、取り急ぎ、尉遅敬徳を遣わして、元帥さまの救援をさせたのだが、勝負はどうなっただろうか。脚の速い間者に様子を見にゆかせたが、そろそろやって来ることだろう。

(正末が間者に扮して登場)ひどい闘いだったわい。(唱う)

【黄鍾酔花陰】

大いなる路は進めず、荒れたる野をば歩きたり

二本の脚で嶺を越え、山を登りて追ひかけり

走れば息は飛びたる梭にぞ似たりける

軍師さまにお会ひせば、つばらにお話し申し上ぐべし

(見える)お報せにございます。お報せにございます。

(徐茂公)間者だ。かの者は陣より来たり。かの者の喜びの顔を見たれば、勝敗は早くも知れたり。(詩)

雉尾(ちび)[28]金環の雄々しき出で立ち

腰には(はす)に宝雕の弓[29]を挿したり

両脚は千里の路をゆくことができ

身にをしぞ常に五更の風を伴ふ

金字の旗の赤き柄を持ち

長蛇の槍には(あか)き房をぞ垂らしたる

両陣営はぶつかりて、勝負を決し

やつて来る人々はみな噂せり

間者よ、単雄信は唐元帥とどのように戦ったのだ。息を鎮めて、ゆっくり我らに話してくれ。

(間者が唱う)

お話しを聴きたまへかし

単雄信はこのたびは武術を使へり

【喜鵲鶯】

北邙[30]の前に至れば

たちまちに天をとよもす銅鑼と太鼓の()を聴けり

その軍は三千に足らざれど

将軍が一人現れ

勇ましく武術を揮へり

そは段志賢の陣頭にしぞ立ちしなる

功名は汗簡に記されて

凌烟閣にぞ描かれん

(徐茂公)単雄信は段志賢と戦ったのか。両将軍は囲みの中に突入し、話もせずに行き来して戦った。三軍は喚声をあげ、二将は功を争った。陣で数回鼙鼓[31]が敲かれ、軍前で二騎は戦った。馬はぐるぐる回ったり、ジグザグに曲がったりして、千尋の浪の中にて波をも涸らす龍に似ていた[32]。人はぶつかり、万丈の山の前で食を争う虎に似ていた。一方は雷車を引き裂く霹靂鬼に似、一方は華岳を引き裂く巨霊神[33]に似ていたぞ。いったいいずれが勝ったのか。ふたたび話してみるがよい。

(間者が唱う)

【出隊子】

両将軍は刀を揮ひ、馬を返して

まず段志賢を打ち破り

唐元帥は敗走し、弦を離れし矢の如し

単雄信は追ひ掛くること風に吹かれし船にぞ似たる

尉遅敬徳は傍観し、犬を見る虎の如くす

(徐茂公)段志賢が負けるとは思わなかったぞ。後ろでは、将軍が大音声で「単雄信よ、無礼なことはさせぬぞ」と叫んでいるぞ。誰だと思う。尉遅敬徳が出てきたのだ。すばらしい将軍だ。

(詩)

虎の体に鳶の肩[34]、将相の人材にして

六韜と三略を胸に蓄ふ

敵に出遭はば一本の鞭を振りあげ

禍を救はんとして、裸馬にぞ乗りてきたれる

将軍を捉ふるさまは、鷹が狡免を掴めるがごと

人を手挟むありさまは、母が子を抱けるがごと

真武[35]の俗世に現れたるにあらざれば

黒煞[36]の天台[37]を下りしならん

尉遅敬徳は単雄信とどのように交戦したのだ。間者よ、息を鎮めたら、またゆっくりと我らに話せ。

(間者が唱う)

【刮地風】

ぴし、ぴし、ぴしと鞭を加へて

ぱか、ぱか、ぱかと逃ぐること煙のごとし

一騎の馬が目の前に駆けてきたれば

単雄信の棗槊は秋練[38]のごと

心臓めがけて突き刺さる

たちまちに鋼の鞭を振り回し

恐ろしき眼をぎよろりと見張れり

敬徳は身は軽く、手も速ければ

単雄信はいかで武術を使ふべき

一鞭が左の肩に当たるのみにて

軍馬よりどさりと落ちたり

唐の小僧の矢は避けたれど

ああ

あつといふ間に敬徳の鞭を受けたり

(徐茂公)敬徳は竹節の鋼の鞭を手に持って、単雄信と戦った。すばらしい鋼の鞭だ。

(詩)

武器(うちもの)は多きもことさら素晴らしく

重なりあへる霜雪を集めたり

枯竹の節を集めしがごと

()に黒龍の尾の半分に截られしがごと

千人の軍の中にて殺気を生じ

万人の群の中でも英傑をしぞ損なはん

三重の鎧を着んとも

鞭打たば骨は折るべし

敬徳が鞭を振り上げ、「えい」と叫ぶと、単雄信は棗槊を棄て、口からは鮮血を吐き、鞍に突っ伏しながら逃れた。すばらしい将軍だ。宇宙を支え、江山を整えようぞ。将軍を打つ鞭により、雲をも掴む手を出すことはできぬわい。鞭を挙げれば、黒龍が尾を振るかのよう、将軍は馬から落ちて、猛虎が巣を離れるかのようだ。敬徳はこの世に並ぶ者もなく、功績簿では第一等に記されよう。今わが(あるじ)の唐元帥はどこにいるのか。間者よ、息を鎮めて、ゆっくり我らに話しをしてくれ。

(間者が唱う)

【四門子】

わが元帥は、手綱を執りつつみづから戻られ

虎の体を動かして

駿馬を走らせ

行きつ戻りつ戦へり

勝つはいづれぞ

あちらは逃げて

こちらは追へり

将軍と兵士とは遠くへ身を避け

[山茲][39]の山の中に隠れん

浪の中には潜るなからん

馬の上にて前後に揺れり

(徐茂公)単雄信が負けたぞ。

(詞)

かのものは狼牙の矢をば投げ棄てて

宝雕の弓を牽きちぎり

麒麟と獬豸を押し倒し

猛虎と熊を押し分けり

敬徳こそは見事なれ

鼎を挙げて山を抜く力を持ちて

世に並外れし英雄なり

鋼の鞭は鉄塔の立つがごと

蒼馬(あをうま)は黒龍のごと

人を殺すに敵はなし

陣に上れば威風あり

すばらしき唐の敬徳

帰り来たらば、鄂公を拝命すべし

敬徳が行かなければ、わが主君唐元帥さまはおしまいだったろう。間者よ、さらに話をせよ。

(間者が唱う)

【古水仙子】

ああ、ああ、ああ、たちまちに見る

鉄石の人が見たとて憐れまん

かの人は袋の(うち)に弓はあれども

壺の中には一本の矢ももたざれば

いかで武術を用ゐるを得ん

びゆん、びゆん、びゆん 二三度で弦は切れ

単騎にて楡科園に逃げ込めり

将軍二人は楡科園をしつかりと取り囲み

美良川より凶悪なりき

(徐茂公)単雄信は大敗し、わが尉遅恭は勝利した。間者よ、ここには大した物はないが、一頭の羊、二甕の酒を与えて、一か月、仕事をなしにしてやろう。陣中に戻るがよい。

(間者が唱う)

【煞尾】

元帥さまは今年は運が盛んなり

裸馬、一本の鞭で大暴れ

ただ一戦で敵を滅ぼし

あたふたと十余里の遠きに去らしむ

(退場)

(徐茂公)尉遅敬徳が単雄信を鞭打ったため、我らは勝った。これより戻れば、三将軍の元吉は恥じ入ろう。こちらでは牛を屠って、酒を備えて、盛大な(うたげ)を催し、元帥が陣に戻れば、一つにはお祝いし、二つには(いさお)に報いることにしよう。すでにすっかり話はつけたぞ。

(詩)

武勇をば耀かせたる尉遅敬徳

闘志はあれど功績(いさをし)はなき単雄信

聖上は百霊に助けられ

大将軍は八方に威風あり

最終更新日:20101117

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[1]湾曲した刀。 『玉堂閑話』「唐詩多用呉鈎者、刀名也。 刀彎、故名」

[2]水を使って磨き上げた

[3]陝西省の県名。

[4]未詳。三十六計のうち、反間の計をいうか。

[5]未詳。

[6]未詳。黒い馬か。

[7]龍虎が相見えること。自分と尉遅敬徳の宴をさしていよう。

[8]迷魂陣、迷魂局とも。人を惑わす策略をいう。

[9] 周の文王。

[10] 太公望呂尚。

[11]未詳だが、万死一生ということであろう。

[12]晏嬰が人と付き合うときは、時間がたっても相手を敬いつづけた。『論語』公冶長に見える言葉。

[13]原文「施礼数傲吾儕」。未詳。「施礼数」の主語がはっきりしない。また、「傲」は「驕り高ぶる」の意であろうが、主語が尉遅敬徳であるとすると、李世民が尉遅敬徳を悪く言っているようにとれ、前後の脈絡と合わない。待考。

[14]子路と澹台滅明のこと。いずれも孔子の弟子。子路は勇者として名高い。澹台滅明は『論語』雍也に登場する人物で、顔が凶悪であったことで名高い。『史記』仲尼弟子伝「澹台滅明、状貌甚悪」。

[15]未詳。黒い馬か。

[16]狼牙槊については未詳だが、狼牙棒に似た形状の槊であろう。棗槊については『東京夢華録』に「単将軍廟乃単雄信墓也。上有棗樹。世伝乃棗槊発芽生長成樹。又謂之棗冢」。

[17]原文「那一个彭越呵、他也曽和舎人出口」。「出口」は「出口入耳」の略。『左伝』昭公二十年に典故のある言葉で、ひそかに相談することをいう。彭越が舎人と謀議した云々については、『史記』彭越伝に「於是呂后乃令其舎人告彭越復謀反」とあり。

[18]九州は中国全土のことをいうが、これはおかしい。九州は九江の誤りであろう。英布は九江王。『史記』黥布伝「項王封諸将、立布為九江王」。九江が九州になっているのは、押韻の関係。

[19]筋肉が攣ること。謝観等編著『中国医学大辞典』七百十七頁。『両世姻縁』にも用例あり。

[20] 「烏亀法」という言葉の用例については知見がない。ただ、「亀の戦法」というくらいの意味であろう。

[21]原文「元帥、這一去則愿你鞭敲金鐙也」。どのような含意があるのかは未詳。ただ、勝利して帰られよ、といった含意があるか。後世の小説『醒世姻縁伝』第五回第三十七回に「鞭敲金鐙响、斉唱凱歌回」とあり。いずれの句も、基くところがあると思われるが未詳。

[22]北斗の第九星。『太上助国救民総真秘要』巻三「天蓬金頭大聖、四面八手、身長五十丈、著金甲、手持剣戟、帝鐘、神印、兵三十万騎」。

[23]唐王轂『苦熱行』「祝融南来鞭火龍、火旗焰焰焼天紅」。

[24]唐の太宗が功臣二十四名の画像を描かせた楼閣をいう。

[25]雨を避けて逃げるとされる龍。ここでは、槍と鞭を喩える。『太平広記』巻四二五引宋孫光憲『北夢瑣言』郭彦郎「世言乖龍苦于行雨、而多竄匿、為雷神捕之」。

[26] 『史記』項羽本紀「項王令壯士出挑戰。漢有善騎射者樓煩、楚挑戰三合、樓煩輒射殺之。項王大怒、乃自被甲持戟挑戰。樓煩欲射之、項王瞋目叱之、樓煩目不敢視、手不敢發、遂走還入壁、不敢復出。」。

[27]平安を祈って唱えられる挨拶。

[28]雉の尾。武将が頭の後ろにつけた装飾品。

[29] 「宝雕弓」という言葉については未詳。ただ、宝石や彫刻を施した弓のことであろう。

[30]洛陽の東北にある山。

[31]小太鼓と大太鼓をいう。

[32]原文「千尋浪里竭波龍」。「竭波龍」が未詳。この後の、「万丈山前争食虎」と対になっているので、「竭波」は動詞目的語の構造になっているはずだが、どういうことなのか分からぬ。「波を涸らす」の意にとると、前半部の「千尋の波の中にて」と矛盾するように思われる。待考。

[33]黄河の神。巨大な手で川の流れをきりひらいたという。張衡『西京賦』「巨霊贔屓、高掌遠蹠、以流河曲」。

[34]原文「鳶肩」。上半身がすっきりしていることか。『後漢書』梁冀伝「梁冀為人鳶肩豺目」注「鳶肩上疎也」。

[35]真武大帝。真武真君。玄武。道教で、北方を守護する神。髪を振り乱し、金の鎧をまとっている。『太上助国救民総真秘要』巻二「真武身長百尺、散髪、金鎖甲冑」。

[36] 『五雑俎』天部二「一日之中、則有白虎、黒殺…等凶神」。

[37] 「天台」という言葉については未詳。ただ、天界、天宮の意であろう。

[38]白い練り絹。槊の刃が白く光っているさまを練り絹に喩える。

[39]甘粛省の山名。

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