雁門関存孝打虎
無名氏
楔子
(殿頭官が登場)忠義もて皇朝に報いんとして、身心を尽くしつつ労を憚ることぞなき。賢者を挙げて政事に勤めしむるを得ば、ともに社稷を扶けつつ、神堯[1]をしぞ輔くべき。
わたしは殿頭官。聖上の御諚を奉っている。今黄巣は乱をなし、天下を跋扈しているから、陳敬思を遣わし、今すぐに沙陀国[2]へ李克用を捕らえにゆかせることにしよう。左右のものよ、陳敬思を呼んでくるのだ。
(卒子)かしこまりました。陳敬思さまはどちらでしょうか。
(正末が登場)わたしは陳敬思。今、殿頭官が呼んでいるが、何事だろうか、行かねばならぬ。話していると、もう入り口に到着だ。門番よ、取り次いでくれ。陳敬思が来たと。
(卒子が報せる)陳敬思さまが入り口にいらっしゃいます。
(殿頭官)お通ししてくれ。(見える)
(正末)大人がわたしを呼ばれましたのは、いかなるご用にございましょうや。
(殿頭官)陳敬思どの、おんみを呼んだはほかでもない。今、黄巣が乱をなしているのだが、敵する人がおらぬのだ。沙陀の李克用は、配下に五百の義子家将、十万の鴉兵[3]、武将千員がいる。聖上の御諚を奉じ、かれが国舅段文楚を殴って傷つけた罪を[4]、すべて赦免することにする。かれに五百枚の金字牌[5]、五百通の空頭宣勅[6]を与え、天下兵馬大元帥にするとしよう。おんみは行って勅命でかれを迎えて、黄巣を破らせるのだ。はやく行き、はやく戻ってまいるのだ。
(正末)かしこまりました。本日は長の旅路につきましょう。(唱う)
【仙呂】【賞花時】漠漠とした平沙の碧天に接したるのみ、「夕に潮陽に貶せらるれば路八千」[7]に異なれり、忙しく一枚の聖上の宣を伝へん。
(殿頭官)ただ、路はやや遠く、進むのは難しいから、注意なされよ。
(正末が唱う)山の遥けく路の遠きを得避けざるべし、
(言う)大人、ご安心ください。
(唱う)明日の夜にならざるうちに居延[8]に到らん。(退場)
(殿頭官)陳敬思は行ってしまった。用事は済んだ。聖上にご報告しにゆこう。(退場)
第一折
(冲末の李克用が登場)万里は平らか掌のやう、古月[9]のみこそ尊けれ。地は寒く氈帳[10]は暖かく、殺気があれば陣雲は昏きなり。江岸は三島[11]に連なりて、黄河は八分を占むるなり[12]。華夷図[13]を見れば、別に一つの乾坤あり。蛮[14]、蛮、蛮、地は悪しけれど人は楽しむ。荒馬に騎り、雕鞍に坐し、鷹を飛ばし、犬を走らせ、野の水に秋の山あり。渇けば羊羔酒を飲みて、飢うれば鹿脯干を食らへり。鏑矢を手に取るに慣れ、雕弓を臂をもてつねに引きたり。宴が終はれば帰りきて胡旋舞し、丹青をもて絵に描きて見る[15]。
それがしは沙陀の李克用。先父は姓を朱邪といい、名は赤心、龐[16]を討って功があり、唐の天子から李国昌という姓名を賜ったのだが、五十七歳で身まかった。それがしは幽州刺史の位を継いだ。それがしは酒を帯び、国舅段文楚を殴り、傷つけたため、聖上はおおいに怒り、それがしを沙陀に流して閑居させ、三年になる。今、中原では黄巣が反乱し、唐の僖宗は田令孜[17]らを信任している。かれらが財を貪って賄を好んでいるため、人民は逃げ、四野は荒れ、盗賊は並び起こり、黄巣は天下に跋扈している。朝廷の文武は社稷を重んじず、今、各藩の節度使は二十四鎮あるのだが[18]、華厳川[19]で、黄巣に半本の矢も折らせることができなかった[20]。それがしは夜に寝て夢を見た。一輪の紅い日が、帳の中で転がっていた。占い師にもこの夢を占わせたが、日は人君の相だから、この夢は朝廷から宣勅が来る兆しに違いないということだった。聖駕は今、西川[21]に御幸している。宣勅が来るはずはないだろう。本日は何事もない。こちらでしばらく閑坐して、誰が来るのか見るとしよう。
(正末が登場)わたしは陳敬思。聖上の御諚を奉じ、李克用を召しにゆく。北の塞をめざして行くが、ほんとうに寂しい景色だ。(唱う)
【仙呂】【点絳唇】満面の塵埃に、一本の鞭もて旅せり。青山の外、碧樹は雲に埋もれて、沙陀の地をはるかに望む。
【混江龍】はるかに雁門[22]紫塞[23]を望めば、黄沙は漠漠、天涯にぞ接したる。山は遥けく路は遠けく、日に炙られて風に吹かれり。一騎の馬は蘇武坂[24]をひたすら目指し、半天の雲は李陵台[25]をぞ覆ひ尽くせる。一川の煙草[26]に、数点の寒鴉、半竿[27]の紅日に、幾縷かの残霞。晩風に悠悠と羌笛[28]は鳴り、があ、があと、帰雁は天外に遥けし。旅愁を増して、情懐をば寂しからしむ。
(言う)はやくも着いた。左右のものよ、取り次いでくれ。天朝の使者がこちらにいると。
(卒子が報せる)阿媽にお知らせいたします。今、天朝の使者が、入り口にいらっしゃいます。
(李克用)お通ししてくれ。わたしがみずから使者を接待するとしよう。
(卒子)お通ししてくれ。(見える)
(李克用)あらかじめ天使がいらっしゃることを存じていれば、お迎えいたすべきでした。お迎えするのが遅れましたが、お咎めになりませぬよう。
(正末)李克用どの、香卓を持ってきて、宮居を望んで跪き、聖上の御諚を聴くのだ。おまえが国舅段文楚どのを殴って傷つけた罪を、みな許そうぞ。今、黄巣が乱をなしているため、おまえを迎えて黄巣を破らせることとする。おまえを天下兵馬大元帥にして。五百枚の金字牌、五百通の空頭宣勅を賜い、賊が平げられた日に、論功行賞するとしよう。
(李克用)聖恩に感謝いたします。
(正末)関山に隔ては多く、信息はもっとも通じ難い。
(李克用)昨日は良い夢を得て、今日は逢うことを喜ぶ。
(正末が唱う)
【油葫蘆】煙水と雲山に隔てられ、数年間音信は通ぜざりしかば、仁兄をつねに心に思ひき。
(李克用)幽州でお別れし、今日は折よく逢うことができました。
(正末が唱う)思へばそのかみ幽州で風采をいささか見たりき。本日は沙陀に来れどまた会はんとは思ひもよらぬことなりき。聖上は三枚の宣もて[29]、わたしをまつすぐ遣はして、劉を興して楚を滅ぼしし韓元帥を招かしめたり[30]。聖上はすみやかに功績を立つるを命じたまひたり。
(李克用)大唐の配下では、文官武官の才は全く、英邁で済済として、容貌は堂堂としています。好漢は限りなくいるのですから、わたくしは大したことはないでしょう。
(正末が唱う)
【天下楽】高々と黄金の拝将台[31]を築き、英材のおんみを招けり。邪推をなせそ、虹霓のごとくにおんみの来るを望みたるなり。唐家のために天子を輔けたてまつり、威風によりて四海をし振るはせば、かならずや清風を千万載に広むべし。
(李克用)左右のものよ、酒を持て。(盞を取る)天使どの、この杯を干されませ。
(正末が返杯する)
(李克用)聞けば黄巣は反逆し、たちまちに百万の餓夫を集めて、配下には葛従周、孟截海、ケ天王、張帰霸、張帰厚らの五将がいるとか。かれらは英雄好漢ですが、わたくしは大したことはございますまい。
(正末)そう仰らずに。将軍は経綸済世の才能と、天地を補完する手腕をお持ちだ。ぜひとも行かれよ。
(李克用)黄巣は手強い奴でございますから、行くことはできませぬ。
(正末が唱う)
【那吒令】賊徒は手強しとはいへど、おんみはかれを軽んぜり。黄巣を破るには、おんみが唐の天下を扶くるよりほかなからん。おんみの大才なかりせば、漢朝の三傑[32]も、唐朝の十宰[33]も、一日に千階級を昇進すべし[34]。
(李克用)黄巣を破るときには計略を定める人も必要です。
(正末が唱う)
【鵲踏枝】陣に上れば歇魂台[35]、軍に臨めば捨身崖[36]にぞ似たるなる。われらが朝野の公卿に、一人さへ将相の才はなかりき。それゆゑに万乗は西蜀に難を避けたまひたるなり。誰かかつてこの一場の興衰[37]を見し。
【幺篇】陣に上れば軍を並べて、賞罰を明白にすべきなり。おんみは千戦千勝にして、勝ちを決する人才ぞ。おんみは智略を用ゐつつ、唐朝の百姓のため、災を除くべきなり。
(李克用)敬思どの、兵を並べて陣を布き、雄兵を統べ、謀略を定めるのなら、わたくしは大したことはできません。
(正末)そう仰らずに。(唱う)
【寄生草】災殃は天より至り、干戈は地を揺るがして来れり。驚けば一朝の帝王は精気なく、脅ゆれば両班の文武らは魂魄を失ひ、慌つれば六宮の粉黛は顔色なきなり。今、龍車鳳輦[38]はなほも移りて[39]、雕梁と玉砌は今いづこにかある[40]。
(言う)大人、聖旨に逆らいますな。すみやかに黄巣を破りにゆかれよ。
(李克用)敬思どの、お掛け下さい。義子と家将を呼び出してきますから、ご覧になってみてください。兵卒よ、太鼓を叩け。
(卒が鼓を敲く)
(李亜子、李存信、李従珂、康君利、周徳威の五将が登場)それがしは李亜子。この四人の将軍は、李存信、李従珂、康君利、周徳威。帳の中にいたところ、将軍を集める太鼓が響いているぞ。父上がお呼びなのだろう。行かねばならぬ。(見える)阿媽、わたしを呼ばれましたのはいかなるご用にございましょうや。
(李克用)天使さまがこちらにいらっしゃる。お会いしろ。
(衆)かしこまりました。(諸将が跪いて拝する)
(正末)ああ、ああ、将軍どの、立たれよ。立たれよ。
(李克用)敬思どの、わたしの義子と家将が、黄巣を破りにゆくのは、いかがでしょうか。
(正末)将軍配下の人々は驍勇で、いずれも威風がございますから、黄巣は大したことはないでしょう。
(李従珂、康君利)父上、行かれてはなりませぬ。
(李克用)どうして行ってはならぬのだ。
(李従珂、康君利)思えば父上は幽州で、酒を帯び、国舅段文楚を殴り、傷つけました。聖上はおおいに怒り、沙陀に流して閑居させました。このたびは黄巣が反乱したため、召しにきたのでございます。父上は行かれてはなりませぬ。
(李克用)おまえの言うことは尤もだ。行くのはやめだ。本日は牛を殺して馬を屠って、盛大な宴を設け、天使さまを款待し、出発させよう。
(李亜子、李存信)父上、朝命はすでにこちらにございます。聖旨に負いてはなりませぬ。刀を恐れ、矢を避ければ、名声を損ないましょう。
(李克用)李亜子の言うことは尤もだ。今日は人馬を整えて、黄巣を破りにゆこう。
(康君利)父上、行かれてはなりませぬ。
(李克用が剣を執り、案を撃つ)これ以上軍を阻んで、黄巣を破りにゆかぬというものは、この剣に従わせるぞ。
(正末)将軍さま、ぜひ行かれませ。(唱う)
【寄生草】八面の威風[41]は大なるものにして、げに将相の才器なるべし。おんみの虎略龍韜[42]に、人が勝るは難からん。雲を握りて霧を持ち、兵略を施したまひ[43]、兵を列ねて陣を布き、精彩を添へたまひなば、千里の彼方に勝ちを決して輸贏を分かち、黄巣が今日敗るるは必定ならん。
(李克用)敬思どのはさきに行かれよ。わたしはあとから寨を発って、黄巣を破りにゆこう。
(正末)将軍どの、ぜひはやく来られよ。(唱う)
【後庭花】雄兵を率ゐ、隊伍を列ぬべし。今日明公[44]をお招きすれば、ご理解を得り[45]。李雁門[46]の威風が盛んになるは必定。今日黄巨天[47]の旺気は衰へぬ。一言はすでに明白[48]。将軍に除せられて英雄は慷慨したり。止まるなかれ。待つなかれ。金牌を懐に抱けかし。
【柳葉児】将軍は黄巣を破る元帥を授けられたり。今、皇朝は良き人材を重用すれば、おんみを鞠躬躬と拝せん。人々はみな奔走すべけん[49]。壇台[50]に上れかし。将軍どの、おんみはかならず勢剣[51]と金牌を掛くべけん。
(李克用)仕方ない。「之を用ふればすなはち行き、之を捨つればすなはち蔵る[52]」とはよく言ったもの。義子と家将よ、本日は寨を発って、黄巣を破りにゆこう。
(正末)将軍どの、はやく来られよ。それがしはまず聖上にご報告しにゆきましょう。(唱う)
【賺煞】願はくは、おんみが軍卒をば起たせ、本日沙塞[53]を離れんことぞ。言ひし言葉を改むることなかれ。わたしはさきに君王に、ひとまず安心したまへかしとお報せし、李沙陀があとから来ることを語るべし。ぐづぐずとするなかれ。褒賞の金帛を用意して、おんみが人を捕らふる手策を表彰すべし。ああ、おんみは邪推するなかれ。一心に、天を支へて海に渡せる棟梁の材を待つとせん。(退場)
(李克用)陳敬思は行ってしまった。本日は黄巣を破りにゆこう。[口旨]呵哩哪闌嗎那哈児嶼嶼言、不実我克[酉歹灬]児哦八遅哈児布侄児何狗不狼、これも雇而鈇哩古雷都脳刻実可不巡[54]。(退場)
第二折
(李克用が登場)本日に勝る喜びはなし、本日の喜びにいかで逢はめや。
それがしは李克用。この沙陀に来て、三年になる。聖恩により、召還せられ、黄巣を破ることとなり、天下兵馬大元帥を加えられた。五百の義子と家将、三万の鴉兵を統べ、軍は雁門関を通っている。夜、一匹の大虫を夢みた。わたしを追いかけ、咬みついたのだが、ふと目覚めれば、南柯の一夢。吉兆だろうか凶兆だろうか。左右のものよ、周徳威を呼んできてくれ。
(卒子)かしこまりました。周徳威さまはどちらでしょうか。元帥さまがお呼びです。
(周徳威が登場)わたしは周徳威。今日は元帥さまがお呼びだ。何事だろうか。行かねばならぬ。はやくも着いた。門番よ、取り次いでくれ。周徳威が参りましたと。
(卒子が報せる)元帥さまにお知らせします。周徳威さまが入り口にいらっしゃいます。
(李克用)お通ししてくれ。
(卒子)どうぞ。(会う)
(周徳威)元帥さま、わたしを呼ばれましたのは何事にございましょうや。
(李克用)今晩夢を見たのだが、吉兆なのか凶兆なのか分からないから、おんみを呼んで夢占いをさせるのだ。
(周徳威)元帥さま。夢占いは三つの場合うまくゆきませぬ。最初を覚えて、最後を忘れるのが、その一。最後を覚えて、最初を忘れるのが、その二、真ん中を覚えて、最初と最後を忘れるのが、その三でございます。元帥さま、仰ってくださいまし。
(李克用)昨夜の三更、一頭の大虫を夢みたのだが、二つの肉翅[55]を揮いつつ、それがしを一口咬んだ。ふと目覚めれば、南柯の一夢であったのだが、どのような兆しであろうか。
(周徳威)その夢は、吉を司っており、凶を司ってはいませぬ。
(李克用)なぜ吉だけを司り、凶を司っていない。
(周徳威)今日の正午に、夢の験に将軍を得ることでしょう。
(李克用)夢の験の将軍は、どこにいる。
(周徳威)飛虎[56]にはおらず、かならずや丘にいましょう。
(李克用)どうしたら会える。
(周徳威)元帥さま、猟すれば会えましょう。
(李克用)それならば、義子と家将よ、聴くがよい。すみやかに狩り場に散らばれ。辺塞の沙地に出、雕弓[57]と硬弩[58]を身に掛け、短剣と長槍を手に握れ。p雕[59]を飛ばせば麋、鹿は死に、黄鷹を放てば水鴨は捕らえられよう。山の獐、野の獣は矢に中たり、虎、豹、豺、狼も叉に刺されよう。馬は鳥、獣、鶏と兔を載せて、驢は獐、麅、麋、鹿、猪を負う。鷹を飛ばし、馬を走らせ、狩りを終えれば、夢の験の将軍が見付かろう。(ともに退場)
(正末が登場)わたしは安敬思、この雁門関に住んでおり、ケ大戸さまのため、羊飼いして暮らしている。わたしは思う。十八般武藝を学びあげはしたが、いつになったら出世するやら。(唱う)
【南呂】【一枝花】大丈夫は沈淪し、英雄漢は埋没したり。辛苦を忍び、月日を渡る定めにて、いづれの時にか謀略を江山に施すべけん。天の数は巡りめぐれり。太公[60]は磻溪[61]の岸に在り、功を成すは晩かれど、西風に釣をせし蓑笠と綸竿は、北闕に朝する烏靴[62]と象簡[63]に換はりにき。
【梁州】辛苦して北海に羊を放てど、いづれの時にか英雄を逞しうして南山に虎を射て、眼前の光景の虚幻と成るを得べけん。恐るるは雁門に月の冷たく、紫塞に風の寒くして、黄沙の漠漠、衰草の班班たるなり。さまざまにいたく苦しみ、人は蒼顔皓首となりて、義胆忠肝を消磨し尽くす。功績を立つるさまは韓信か周勃のやう、妙策を施すさまは張良か謝安のやう、ああ、ああ、ああ、英雄を逞しうするさまは楽毅か田単のやうならんとも、むなしく人に軽んぜられて、侮らるべし。虹霓を吐き志気は霄漢を衝かんとも、命が拙きものならばむざむざと長嘆すべけん。毎日沙陀の老契丹[64]に伴ひて、いささかの虐めを受けたり。
(言う)羊を山の崖の下、水があり草がある処に駆って、すこし食べさせるとしよう。わたしは盤陀石[65]の上で、ちょっと眠って、誰が来るかを見るとしよう。(正末が眠る)
(李克用が衆を率いて登場)(狩り場に並ぶ)
(李克用)周徳威よ、人馬を並べろ。はやく狩り場に並ばせて、獐、麅、野鹿、虎、豹、豺、狼を逃がさないようにしろ。
(卒子)かしこまりました。(虎に扮して登場、舞台を通り過ぎる[66])
(李克用)狩り場では何を追いかけていったのだ。
(周徳威)牛ほどの大きさの大虫を追いかけていったのですが、澗を跳び越えて行ってしまいました。
(李克用)ああ。あの盤陀石で、若者が眠っているぞ。あの毒虫に殺されたのか。呼びかけてみろ。
(卒子が叫ぶ)おい羊飼いの若者よ、虎が羊を咬んでいるぞ。
(正末が目醒める)本日羊がいなくなったら、明日も羊がいなくなることだろう。わたしの主人のケ大戸さまは、わたしが羊を売ったと思うことだろう。溌毛団め、羊を食べたか。ほんとうに無礼なことだ。(唱う)
【隔尾】わたしは見たり、八面の威風ある猛獣の深澗に拠りたるを[67]。かれははやくも一跳びし、身を翻し、浅山[68]を飛び越えて、水と草とを貪れるわが羊らをすべて散らせり。こいつはわたしを怒らしめたり。わたしはこちらで皮裘をばしかと着け、大股で前に向かひて懸命に追ふ。
(李克用)周徳威よ、わたしはかつて日月がたがいに食むのを見たのだが、このように闘いを好む若者は見たことがない。あの大虫を見ても、すこしも恐れないとはな。かれに言え。虎を打つなら、かれのため、鑼を鳴らし、鼓を敲き、鬨を上げ、旗を振り、威風を助ける、毒虫を打てとな。
(周徳威)おい羊飼いの若者よ、わが元帥は仰った。大虫を打つなら、あなたのために、、鑼を鳴らし、鼓を敲き、鬨を上げ、旗を振り、威風を助ける、毒虫を打てとな。
(正末)わたしの威風をお助けください。大虫を打つのをご覧ください。(唱う)
【牧羊関】血の顔をぼかぼかと十余たび連打したれば、死にし骸はごろごろと四五たび転がる。拳で顎の関節を打ち砕き得ぬは恨めし。八面の威はたえてなく、十石の力[69]は萎えたり。泥は汚せり数尺の金の尾を、血は曇らせり幾筋かの剪の斑を[70]。鋼の鈎に似た十八の爪を伸ばせず、金の鈴に似た一対の眼を開けず。
(正末が虎を打ち殺す)
(李克用)周徳威よ、あの羊飼いの若者を見ろ。かの大虫を二三回殴り蹴りして、打ち殺したぞ。虎は獣の王であり、十石の力[71]、百歩の威[72]がある。人は虎を見れば骨肉はすっかり萎える。この者はほんとうに壮士だな。壮士に言え。この毒虫はもともとわたしの狩り場から追いだしていったものだと。わたしに虎を還させろ。
(周徳威)虎を打たれた壮士どの、わが元帥は仰っている。その虎はもともとわれわれが狩り場から追いだしていったもの。われわれに返されよ。
(正末)お下がりください。あなたに投げ与えましょう。(正末が虎を投げる)
(李克用が驚く)こんなに大きな澗を隔てているのに、投げてくるとは。くねくねとした小路を辿って来るように言え。わたしはかれと話しをしよう。
(周徳威)壮士どの、わが元帥はくねくねとした小路を辿ってくるように、あなたと話すと仰っている。
(正末)くねくねとした小路など見付かりませぬ。(澗を跳ぶ)
(李克用)壮士どの、どちらのお方か。姓と名は何とおっしゃる。一遍話してお聴かせくだされ。
(正末)大人がくだくだしいのを厭わないなら、わたしが一遍お話しするのをお聴きください。(唱う)
【賀新郎】わたしはもとは雁門関に住みたりき、
(李克用)どのような商いをしていましたか。
(正末が唱う)人のため、牛や羊を牧したり、
(李克用)財産を共有していたのでしょうか。
(正末が唱う)いささかの衣食目当てに過ぎざりき。
(李克用)どのような親戚がいらっしゃる。
(正末が唱う)親戚はなく単身漢なり。
(李克用)姓と名は何とおっしゃる。
(正末が唱う)名は敬思、わたしは姓を安といひたり。
(李克用)十八般武藝では、何が得意か。
(正末が唱う)十八般武藝を深く学びたり。
(李克用)あなたはすでに十八般武藝を学んでいるのだな。今黄巣は乱をなし、天下に跋扈しているが、黄巣を破りにいってくださるか。
(正末が唱う)兵書を習へる好漢は少なきものにあらねども、げに剣客を養へる主人を得るは難からん。
(李克用)見ればあなたは威風は凛凛、容貌は堂堂としているが、なぜ功名を得ないのだ。
(正末が唱う)貧しき身、拙き命、功名を求むることは難きなり、
(李克用)虎を打つ力があるのだ。功名を得るのに何の難しいことがあろうか。
(正末が唱う)山に入り、虎を捕らふることは易きも、拱手して人に告ぐるは難きなり[73]。
(李克用)壮士どの、十八般武藝を学んでいるのに、なぜ功名を得ないのだ。こちらでかような艱難を受けるとは。
(正末が唱う)
【哭皇天】衣食を調ふることは難ければ、やむをゑず他人の眉睫の間に在り[74]。
(李克用)あなたはどこに住んでいる。
(正末が唱う)安敬思は飛虎峪にあり、
(李克用)どうしてこちらで苦しみを受けている。
(正末)大人、わたし一人が苦しみを受けようと構いませぬ。そのかみの古人には、苦しみを受けたものが多うございます。
(李克用)いかなる古人が苦しみを受けたのだ。
(正末が唱う)班定遠[75]は玉門関に居りたりき。兵書を学びしこともむなしく、運は拙く、時こそ辛けれ。こなたにて淹留すれど住むに家なし。蘇武[76]は蛮地に陥りたりき。虎を打つ壮士は、羊飼ふ家僕となれば、梁園[77]の木も伐られ、凡花[78]、凡花と同様に見られたるなり[79]。黄巣は手強しとあなたは思へど、わたしは与し易しと思へり。
(李克用)壮士どの、黄巣を破りにゆくなら、十万の鴉兵を貸すが、どう思われる。
(正末)いりませぬ。いりませぬ。(唱う)
【烏夜啼】錦衣繍襖[80]軍十万も必要なし、わが手にて大唐の江山を恢復せんとす。民草の塗炭に遭ふは憐れにて、今、天と地は覆りかつ乱れたり。わたしはただちに国と民とを安らかにせん。談笑する間に国土を広ぐるあたはずば[81]、天を頂き地に立つ男児漢とはいへず、あなたのお指図、ご差配を徒にせん[82]。花の根はもとより艶やか、虎の体はもとより斑あり[83]。
(李克用)壮士どの、わたしに従い、黄巣を破りにゆくなら、義子となり、家将となられよ。
(正末)義子とは何ですか。家将とは何ですか。
(李克用)家将となるなら、わたしの配下の普通の頭目たちと同じだ。義子となるなら、実の子の李亜子と同じだ。
(正末)義子となることを願います。家将にはなりませぬ。
(李克用)わたしの義子となるのなら、名を改めて、李存孝と呼ぶとしよう。どんな衣袍と鎧甲を用いる、おまえにやろう[84]。
(正末)父上、わたしは衣袍と鎧甲を用いませぬ。この死んだ虎の皮を用いて、虎皮の磕脳[85]、虎皮の袍、虎筋の縧にしましょう。かねてから二つの武器を持っております。渾鉄槍[86]、鉄飛撾[87]です。
(李克用)この者を得たが、まさに夢の験の将軍だ。周徳威よ、今日の正午に、夢の験の将軍を得ると申していたが、ほんとうに夢の験の将軍を得た。おまえの陰陽は中たり、禍福には誤りがなかった。一錠の金を周徳威に与え、占い代にするとしよう。(金を与える)
(周徳威)元帥さまのご厚意におおいに感謝いたします。
(李克用)左右のものよ、空頭宣勅を持ってこい。李存孝よ、宮居を望み、跪くのだ。今日よりおまえを十三太保飛虎将軍とする。存孝よ、宮居を望んで聖恩に謝するのだ。
(正末)聖恩に感謝いたします。
(李克用)息子よ、本日は長の旅路につくのだ。
(正末)父上。ケ大戸に別れを告げにいってから、長の旅路につきましょう。
(李克用)それならば、左右のものよ、ケ大戸を呼んできてくれ。
(卒子)かしこまりました。大戸さまはどちらでしょうか。
(外がケ大戸に扮して登場)老いぼれはケ大戸。荘園にいたところ、元帥さまが呼んでいるから、行かねばならぬ。話していると、はやくも着いた。門番よ、取り次いでくれ。老いぼれが元帥に会いにきましたと。
(卒子が報せる)
(李克用)通せ。(見える)
(ケ大戸)元帥さま、老いぼれを呼ばれましたは、いかなるご用にございましょうや。
(李克用)ケ大戸どの、この安敬思はおんみに大変お世話になった。このたびわたしの義子となり、朝廷の人となったから、十錠の金、十錠の銀を与えよう。養育費になされよ。
(ケ大戸)老いぼれは金銀を頂くわけにはまいりませぬ。家に一人の娘がおり、金定小姐と呼ばれていますが、十八歳でございますから、存孝に与えて妻といたしましょう。元帥さまはいかが思し召されましょう。
(李克用)良かろう。良かろう。娘御を、倅に娶せ、妻としよう。倅が役人となったときには、おんみの娘は夫人となろう。
(ケ大戸)それならば、元帥さまのご厚意におおいに感謝いたします。老いぼれは別れを告げて戻ってゆくといたしましょう。(退場)
(李克用)存孝よ、三千の人馬を与え、さきに黄巣を破りにゆかせようと思うが、おまえは行くか。
(正末)父上、ご安心ください。大言壮語するのではございませぬが、(唱う)
【二煞】わが忠心もて煙塵を掃蕩し、散ぜしめ、将軍を捕らふる手もて社稷を支へ、安からしめん。華厳の大戦の時は、雕鞍の駿馬に乗らん[88]。このさまは海を越え遼を征せしかの漢に似ざれども、黄金の鎧は着るを須ゐず、背なる雕弓を月と挽き、われはただ天山を定めんとせり[89]。
(李克用)李存孝よ、このように勇ましいなら、黄巣と交戦するか。
(正末)父上、ご安心ください。(唱う)
【尾声】王を敬ふ存孝が侮りたるにはあらねども、国に叛せし黄巣はまつたく大したことはなからん。ぐづぐづとするなかれ。だらだらとするなかれ。わたくしはかれをとりわけ侮れり。両陣の間にて[90]、存孝に会ひしときには、わたくしは防ぐを許さず、阻むを許さず、一隊の軍をもてやすやすと長安に突入すべし。忙しく宝鐙を離れ、征鞍を跳びおり、内苑に臨み、皇宮に突入し、片手もてずるずると宝殿から引き離し、ごろごろと瑶階から引きずりおろさん。筋を抜き、骨を削ぎ、胆を取り、心を剜りて、大きな拳で口元を殴りつけ、大きな脚で胸元を踏みつけん。わたしは尋ねん、汝はなどて大唐に反せしと。(退場)
(李克用)存孝は行ってしまった。
(卒子)行ってしまった。
(李克用)義子たちよ、家将らよ、今日よりはわが軍令を聴け。前に甲馬を並べ、後に軍卒を列ねよ。耳には金鼓の天雷を震わすを聞き、眼には繍旗の日月を覆うを望む。闘いを好む蛮官、死を恐れない家将らに告げるとしよう。それぞれが虎爪狼牙の棍棒[91]を懸け、沙魚の鞘には三環の宝剣を挿せ[92]。雁翎刀は並んできらきら[93]、日に耀いて光を競う。繍旗の下にはぴかぴかの檀子棒[94]を列ね、手に楽器を弾き、有弩杜花遅[95]、対峙して勝ちを得る備えをするのだ。宴を調え、金盞に賽銀[96]打剌蘇[97]をなみなみと斟ぎ、胆瓶に一枝の万金千柳を挿す[98]。帳房の内には、数人の絵にも描けぬ麗しい、すべすべとした胸の胡女、帳房の外には二三百員の鬢は黄で、髪の乱れた蛮官を並べよう。賽銀斉将駑蘇門也舎吃[99]、みな隠□を帯びている[100]。陣を列ねて、錦行軍使[101]、幾対かの雲月p雕旗[102]を立てて、拐子馬[103]には数千の鉄鷂子[104]を列ねている。わが方は馬は龍に似、人は虎に似、追い掛けて鋼刀で切り、銅斧で斬り、鉄鞭を忙しく振り、馬が来れば[105]、追い返し、捕まえて、あのものたちを殺し尽くしてはじめて終わりにするとしよう。(退場)
第三折
(黄巣が登場)馬は征鞍をば備へ、将軍は袍を掛け、手に弓鞘を取れるなり。十載の灯窓の苦を言ふなかれ[106]、などかは征夫の半日の労に比べん。
それがしは黄巣。大唐が科挙を行ったため、それがしは上京受験したのだが、唐の天子はそれがしの貌が醜いことを嫌って、退けて用いなかった。それがしは太行山にて落草し、賊寇となったのだ。それがしの配下には御弟黄圭[107]、ケ天王[108]、張帰覇[109]、張帰厚[110]がおり、雄兵は百万、武将は千員、大唐の江山社稷を奪おうとしている。このたびは北塞沙陀から、李克用を迎えてきた[111]。かれの部下には羊飼いがおり、李存孝と呼びなされ、雄兵を率いてわたしと交戦している。今から張帰覇、張帰厚を呼んできて、かれらに雄兵百万を与え、交戦しにゆかせよう。左右のものよ、かれら二人を呼びだしてこい。
(卒子)張帰覇、張帰厚、大王さまがお呼びだぞ。
(二浄が登場)湛湛たる青天は欺くべからず、八匹の螃蟹は南に飛べり[112]。一匹のみは飛びて動かず、そもこれは尖臍なり。それがしは張帰覇、張帰厚。今、大王がお呼びだが、何事だろうか。行かねばならぬ。話していると、はやくも着いた。左右のものよ、取り次いでくれ。われら二将が会いにきたと。
(卒子が報せる)喏[113]。大王さまにお知らせします。張帰覇、張帰厚さまでございます。
(黄巣)通せ。
(卒子)行かれませ。
(二浄が会う)大王さま、われらを呼ばれましたのは、いかなるご用にございましょうや。
(黄巣)おまえたち二人を呼んだのは、こたび大唐が沙陀の李克用を迎えてきたからなのだ。かれの配下には羊飼いがおり、李存孝といい、十万の雄兵、千員の猛将を統べ、わたしと交戦しにきている。今、百万の雄兵を与えるから、明日かれと闘いにゆけ。
(二浄)かしこまりました。門を出た。大小の三軍よ、わが軍令を聴け。甲馬[114]はにわかに馳せてはならぬ。金鼓はみだりに鳴らしてはならぬ。人は人の甲を着け、馬は馬の甲を着け、甲がなければ、二枚の板を着、二本の縄で縛るのだ。わたしが突進できるなら、ひたすら突進し、わたしが突進できぬなら、わたしは逃げる。おまえらはどのようにおたおたとすることであろうか[115]。(退場)
(黄巣)かれら二人は行ってしまった。大小の三軍よ、わが軍令を聴け。軍隊を統べるのは巡捕だ[116]。狭い路では小声で話し、大声で叫ぶことは許さぬ。命令を犯したものは首級を斬り、けっして許しはせぬからな。(退場)
(正末が登場)それがしは十三太保[117]李存孝。黄巣めは無礼だぞ。張帰覇、張帰厚に命じて、雄兵百万、武将千員を率いさせ、こちらでわたしと交戦しにこさせた。思うにこいつはまことに無礼だ。(唱う)
【越調】【闘鵪鶉】見よわれは対峙して鋒を交へて闘へり。鬨を上げ、旗を振り、天は砕けて地は崩れたり。われは武を耀かし、威を揚げて、袍を着て甲を纏へり。ただごとならず、ざれごとならず。この八水[118]と三川[119]に、千軍と万馬を止めり。
【紫花児序】人は征塵殺気を散じ、旗は落日残霞を掃ひ、馬は野草閑花を踏めり。見よやわたしの武藝をば逞しうして、賊将を生け捕りにせんとしたるを。このたびの征伐にて、見よやわたしの龍韜虎略を備ふるを。みづから誇るにあらねども、わたしの軒昂たる志節、熟練の武藝に頼ることとせん。
(言う)大小の三軍よ、陣を布き、誰が来るかを見はるのだ。
(二浄が登場)われらは黄巣配下の大将張帰覇と張帰厚。おまえは誰だ。われらと闘おうというのか。
(正末)こいつらはまことに無礼。太鼓を鳴らせ。(唱う)
【金蕉葉】わたしは見たり、黒黯黯[120]たる雲の日華を遮りて、昏ケケ[121]たる風の塞沙[122]を吹きたるを。一人にて雄糾糾[123]と袍を着て甲を纏ひ、瞋忿忿[124]と槍を振り、馬を躍らす。
(二浄)来たのは誰だ。
(正末が唱う)
【調笑令】おまへがわたしを捕らふることはなかるべし。おまへが征伐をよくすることを恐れめや、
(二浄)来たのは誰だ。名を名乗れ。
(正末が唱う)おまへの存孝爹爹が出陣せるなり[125]。
(言う)おまえらは何者だ。
(二浄)われらは黄巣配下の大将張帰覇と張帰厚。おまえは例の羊飼いだな。すみやかに馬を下りてきて殺されろ。
(正末が唱う)かれはそも黄巣配下の張帰覇なりしか。かやうに軒昂大胆なるも宜ならん。進み出で二人して戦を挑め。冬冬と戦鼓をしきりに叩くを須ゐず。
(二浄)羊飼いめが、無礼だぞ。われらと三たび戦うこともできはしまい。
(正末)馬を交えろ。(唱う)
【禿厮児】鞍は威風をますます加へ、馬に坐すれば筋力[126]は誇るに堪へたり。紗灯[127]のやうに回ること十余たび、おまへはいかに事を収めん。
(二浄)わが子李存孝よ[128]、今すぐに馬から下りろ。
(正末)こいつらはほんとうに無礼だな。(唱う)
【聖薬王】あいつらめ、わたしのことを侮るか。匣中の宝剣をもて中華を定めん。坐したる馬と、手の撾[129]もて−李存孝はみづから誇るにはあらねども−大唐を扶け起こさん。
(二浄)あのものを殺せないから、長安へ逃げるとしよう。(退場)
(正末)あいつらははやくも逃げて、どこかに行ってしまったぞ。
(卒子)長安城に行ってしまいました。
(正末)大小の三軍よ、一斉に長安城に突入してゆけ。(唱う)
【雪里梅】たちまちに京華に入れば、誰かはあへて阻むべき。この京城はまさにわが大唐の天下なり、ぱかぱかと忙しく軍馬を促す。
(言う)城に入った。大小の三軍よ、陣を布き、誰が来るのか見るとしよう。
(黄圭が登場)それがしは御弟黄圭。大唐は沙陀に人を行かせて、李克用を迎えてきた。かれの配下に新らしく加わった羊飼いは、存孝というのだが、やってきてわれらを二三十たびも撃破した。今、長安の城内に押し寄せてきたのだが、阻もうとする人はない。それがしはみずからかれと交戦しにゆくことにしよう。おい羊飼い、それがしと戦いにこい。
(正末)こいつはまことに無礼だな。やってきて馬を交えて戦うか。こいつの鎧は見る必要はないのだが、騎っているのはなかなか良い馬。大小の三軍よ、わたしがあいつを捕らえるのを見よ。(唱う)
【古竹馬】征鞍に軽く乗り、征靴をば軽く穿き[130]、征[馬宛][131]にしかと跨がる必要もなく、ぱかぱかとただちに追ひて海角天涯にしぞ到らん。両事家はいたく苦しみ、心は驚き、胆は戦き、力は萎えて、神は疲れり。かのものは、かのものは、ぶるぶる、おどおど、黄甘甘[132]たる容顔は蝋渣のよう、武藝に熟達したるものにはまつたく見えず。
(黄圭が敗れる)わたしはかれを殺せないから、逃げるとしよう。(退場)
(正末)あいつは逃げたぞ。追いかけてゆかねばならぬ。(唱う)
【幺】かねてより猛き心を抑ふることは難くして、まさに怒ればいかでかは収まるべけん。かれを追ひ、陣を衝き、戈を倒して甲を棄てしめたるを見よ。轡を緩め、鞭を加へて軍馬を催し、紫稍[133]を断ちて、宝鐙[134]をななめに踏みて、玉勒[135]をにはかに緩め、金[算刂][136]を振りて損なひたくてたまらず。
【尾声】倉廒府庫を風に乗せ、焼き払ひ、一本の椽、一片の瓦さへ残すことなし。王に忠なる存孝は功を得て戻り、国に反せし黄巣は為す術もなし。(退場)
第四折
(李克用が登場)帥鼓[137]と銅鑼を一二度敲き、轅門の内と外には英豪[138]をしぞ列ねたる。三軍は平安喏をば唱へおへ、旗旛をかたく巻きて動かすことぞなき。
それがしは李克用。今、李存孝が黄巣と交戦しにいっている。勝負はどうなっただろうか。はやく走れる斥候を遣わしたが、そろそろやってくるはずだ。
(正末が斥候に扮して登場)すばらしい闘いだ。(唱う)
【黄鍾】【酔花陰】一気に走る数十里、総身に汗かき、水もて洗ふがごときなり。兵機を語るにあらねども、闘ひを論ずるならば、並ぶものなき大会垓なり。
【喜遷鶯】すみやかに階に上りゆき、まつすぐに先を争ふ、
(言う)お報せにございます。お報せにございます。喏。
(唱う)吉報を届けにきたれり。
(李克用)良き斥候よ、陣地から来たのだな。喜色は溢れ、一張の弓を秋月のように挽き、二本の矢を寒星[139]のように挿し、三尺の剣を小さな貂裘に掛け、四方のものは吉報をもたらした斥候に問い、五花[140]は陣地に行き来して飛梭のよう、六隊[141]は軍中に上り下りして蛟龍のよう、七尺の躯の肩に担うは令字旗[142]、八角紅纓桶子帽[143]。ながながと待っていたぞ。軍情をくわしく語れ。
(斥候が唱う)そのむかし華厳川にて、諸侯らは雲集したりき。げにや、いづれも戦をよくするものにして[144]、おしなべて闘ひを好む気勢を示したり。一人一人が人を捕まへ、将を捉へて、一人一人が鼓を叩き、旗を奪ひき。
(李克用)わが存孝は黄巣の賊将と対陣したが、どのように闘ったのだ。息をするのが楽になったら、ゆつくり話せ。
(斥候が唱う)
【出隊子】きつちりと士卒は列なり、ゆうゆうと画角[145]を吹けり。とんとんと地を振るはせて征鼙[146]を鳴らし、ひらひらと天を遮る繍旗を振りて、ぱかぱかと風を追ひ軍馬は嘶く。
(李克用)賊将はどのように陣を衝き、侵略し、大声で叫んだか。わが存孝はどのように突撃したか。息をするのが楽になったら、もう一遍話してみよ。
(斥候が唱う)
【刮地風】張帰覇は軍前で荒く叫びき、われら二人は勝負を着けんと。李存孝さまは怒りを心に発し、ああ、たちまちに顔を変へ、眉を逆立てたまひたり。宝鐙を踏みてひらりと烏騅に跳びあがり、風雷[147]と吼え、虹霓を吐き、一たび怒れば千斤の力を発せり。命を懸けて闘ひて、手には二本の撾と槌をしかと持ちたり。
(李克用)わが存孝は賊将と馬を交えること十数たび、どちらが勝って、どちらが負けた。息をするのが楽になったら、もう一遍話してみよ。
(斥候が唱う)
【四門子】荒らかに真ん中に突入せしかば、張帰覇は走ること飛ぶにぞ似たりし。思へばかれは武藝では敵し得ざりき。征[馬宛]を打ち、玉勒を取り、まことに慌て、まことに急げり。飛虎将はすぐに来て後ろを追へば、まことに慌て、まことに急ぎ、あやまちて長安市中に突入したりき。
(李克用)賊将は存孝に敵わずに、戦に敗れて長安めざして逃がれたのだな。わが存孝は勝ちに乗じて追いかけて、長安の城内に突入したのか。賊将とどのように街で戦った。もう一遍話すのだ。
(斥候が唱う)
【古水仙子】追ひかけて灞河に到れば、舡が一隻飛ぶやうに来るを見たりき。櫓を漕ぐ水手は心が逸り、柁を取る梢公は胆が砕けて、いづれも降旗を納めんとせり。ともに馬前にあたふたと跪き、お父さま、ほんたうに敵ひませぬと告げたりき[148]。来るさまは、来るさまは、小鬼の鍾馗に会ふに似たりき。
【寨児令】げにやげに、半点の疏失さへもあらざりき。敵も武藝に拙きやうには見えざりき。存孝さまは、兵機を善くしたまひしかども、これもまた今上陛下のお陰なるべし。
(李克用)良き斥候よ、おまえには二頭の羊、二瓶の酒、十冊の免帖[149]を与えよう。本営に戻ってゆけ。
(斥候が唱う)
【尾】底には到り得ず、千尋の浪。見る時はいささかの頭盔を顕はす。われは見き、灞陵橋下の水を屍の堰きたるを[150]。
題目 張帰覇布陣排兵
李克用揚威耀武
正名 長安城黄巣簒位
雁門関存孝打虎
最終更新日:2007年7月19日
[1]唐の太祖李淵をいうが、ここでは唐の社稷をいう。
[2]部族名。西突厥の別部。
[3]神出鬼没の塀をいう。『黒韃事略』「故其騎突也、或遠或近、或多或少、或聚或散、或出或没、来如天墜、去如電逝、謂之鴉兵撒星陣」。
[4]『旧唐書』懿宗本紀・咸通十三年「是月、李国昌小男克用殺雲中防禦使段文楚」。
[5]軍令をすみやかに伝えるときに用いる札。『宋史』輿服志六・符券「又有檄牌、其制有金字牌、青字牌、紅字牌。金字牌者、日行四百里、郵置之最速遞也、凡赦書及軍機要切則用之、由内侍省発遣焉」。
[6]皇帝ではなく、臣下が代わりに出した勅書。『宋史』巻四百六十八・任守忠伝「英宗猶未行、宰相韓g出空頭勅一道」。
[7]韓愈『左遷至藍関示侄孫湘』「一封朝奏九重天、夕貶潮州路八千。欲為聖朝除弊事、肯将衰朽惜残年。云横秦嶺家何在、雪擁藍関馬不前。知汝遠来応有意、好収吾骨瘴江辺」。
[8]甘粛省の県名。
[9]胡のこと。
[10]フェルトの帳。
[11]東海上にあるとされる、蓬莱、方丈、瀛洲の三島をいう
[12]原文「江岸連三島、黄河占八分」。句全体の意味がまったく未詳。
[13]華夷図は唐の賈耽が描かせた、華夷の山川の図。『旧唐書』巻一百三十八・列傳第八十八・賈耽「至十七年、又譔成海内華夷図及古今郡国県道四夷述四十巻、表獻之、曰、臣…謹令工人画海内華夷図一軸、広三丈、従三丈三尺、率以一寸折成百、奠高山大川、縮四極於繊縞、分百郡於作絵。宇宙雖広、舒之不盈庭、舟車所通覧之、咸在目」。写真:画像元ページ。
[14]ここでは蛮族の土地をいっているものと解す。
[15]原文「宴罷帰来胡旋舞、丹青写入画図看」。含意未詳。胡旋舞する姿が絵のように美しいという方向か。
[16]唐末咸通年間の反乱指導者。『旧五代史』唐書・巻二十五・武皇本紀上「咸通中、討龐有功、入為金吾上将軍、賜姓李氏、名国昌」。
[17]唐の人。『唐書』巻二百八などに伝がある。
[18]原文「今日雖有各藩節度使二十四鎮」。二十四鎮は未詳。
[19]未詳。正史に一箇所見える。陝西省辺りの地名か。『宋史』巻四百五十三・張[玉巳]「[玉巳]陳兵華厳川、俄白気貫日、吏士驩奮、戦于興平、咸陽、渭河、石鼈」。
[20]原文「不曾得黄巣半根児折箭」。未詳。とりあえず、黄巣に少しも損害を与えられなかったという趣旨に解す。
[21]四川省をいう。
[22]山西省の関の名。
[23]秦や漢の時代に、北方に築かれた辺塞をいう。『古今注』都邑「秦築長城、土色皆紫、漢塞亦然、故称紫塞焉」。
[24]未詳。
[25]元代の駅站名。現在の内蒙古自治区。『元史』文宗本紀四・至順二年「勅在京百司日集公署、自晨及暮毋廃事。賑灤陽、桓州、李陵台、昔宝赤、失八児禿五駅鈔各二百錠」。
[26]煙霧の立ちこめた草地。
[27]日の高く登ったさまを、竿三つ分の高さということで、三竿と称するが、半竿は竿半分ぐらいの高さ、地上すれすれといったぐらいの意味であろう。
[29]原文「聖人三紙宣」。未詳。とりあえずこう訳す。
[30]原文「請你個興劉滅楚的韓元帥」。「韓元帥」はいうまでもなく韓信のこと。この句、李克用を韓信に喩えたもの。
[31]将軍を任命するための台。劉邦が韓信を将軍に任命したときの拝将台は有名。
[32]張良、蕭何、韓信。『史記』高祖本紀「高祖曰、公知其一、未知其二。夫運籌策帷帳之中、決勝於千里之外、吾不如子房。鎮国家、撫百姓、給餽饟、不絶糧道、吾不如蕭何。連百万之軍、戦必勝、攻必取、吾不如韓信。此三者、皆人傑也」。
[33]唐の十人の功臣と思われるが未詳。
[34]原文「則除是你該、扶唐朝世界、若非公大才、且休説漢三傑、更和這唐十宰、他毎都日転千階」。全体的な論理の流れが未詳。あなたは唐を助けるべきだ、あなたがいなければ、漢の三傑や唐の十宰のような人が手柄を立てる、ということによって、李克用を漢の三傑や唐の十宰以上のものとして持ち上げているか。
[35]まったく未詳。嚇魂台の誤りか。嚇魂台は元曲の常用語で、冥府にあるとされる、鬼を苛める場所。ここでは修羅場の喩えか。
[36]身投げをする崖。この地名は中国各地にあるが、泰山のものが有名で、自殺の名所という。清孔貞瑄『泰山紀勝』捨身崖「捨身崖奇険、以石投之、移時及地、微聞[馬害]然之声。愚民或攛身其下、常有遣骸撑住、不知何取、或曰墨氏之教也、夫墨子兼愛、其流弊乃至不仁其身、悲夫」。これも修羅場の喩えか。
[37]ここでは偏義詞。「興」には実際上の意味はない。
[38]龍車、鳳輦、いずれも天子の車駕。
[39]原文「見如今龍車鳳輦尚遷移」。僖宗が都を離れ、蜀に避難していることをいう。
[40]原文「知他那雕梁玉砌今何在」。「雕梁」は彫刻を施した梁、「玉砌」は玉で飾った階。ここでは天子の宮殿をさしていよう。
[41]十分な威風をいう。
[42]優れた韜略。
[43]原文「握雲拿霧施兵策」。「握雲拿霧」は未詳だが、元曲の常用語として「拿雲手」という言葉があり、それと同義であろう。「拿雲手」は遠大な志気、優れた手腕をいう。
[44]相手に対する尊称。ここではもちろん李克用を指す。
[45]原文「今日個請明公自見解」。「自見解」が未詳。とりあえずこう訳す。
[46]李克用をいう。雁門節度使であったため。
[47]黄巣のこと。巨天は字。
[48]李克用がはっきりと招きに応じることを承諾したことをいう。
[49]原文「他毎都忙挟策」。「他毎」が誰を指しているのか未詳。とりあえずこう訳す。「挟策」は鞭を揚げることから転じて奔走すること。
[51]原文「将軍你穏情挂勢剣金牌」。「勢剣」は尚方の剣のこと。朝廷が大臣に与える剣。これを持っていると生殺を自由に行うことができた。
[52]『論語』述而。
[53]沙漠の砦。
[54]原文「[口旨]呵哩哪闌嗎那哈児嶼嶼言、不実我克[酉歹灬]児哦八遅哈児布侄児何狗不狼也、這也雇而砆哩古雷都脳刻実可不巡」。異民族の言葉の音を漢字で表記したものと思われるが未詳。「這也」のみ中国語であると解す。[口旨]、[酉歹灬]は字音が未詳。
[55]肉の翼。蝙蝠のような羽を持ち、飛んできて人を食らう肉翅狐首の怪物に関する記載が『旧唐書』五行志にある。『旧唐書』五行志「其年九月、大鳥見于武功県、群鳥隨而噪之。神策将軍張日芬射得之、肉翅狐首、四足、足有爪、其広四尺三寸、其毛色赤、形類蝙蝠」。
[57]彫刻を施した弓。
[58]強い弩。
[59]黒いワシ。
[60]太公望呂尚。
[61]陝西省の川の名。
[62]黒い革靴。
[63]象牙の笏。
[64]契丹人ということであろうが未詳。
[66]原文「冲科」。未詳。とりあえずこう訳す。
[67]原文「我則見八面威的猛獣偎深澗」。
[68]深山の反対。浅い山。
[69]典故がありそうだが未詳。強い力という方向で間違いないであろう。後ろにも出てくる。
[70]原文「血模糊幾道剪刀斑」。「剪刀斑」は虎の縞が鋏のように見えることをいっていよう。
[71]典拠がありそうだが未詳。いずれにしても強い力という方向であろう。
[72]韓愈『猛虎行』「正昼当谷眠、眼有百歩威」。ただ、「百歩威」とはどういうことか未詳。百歩離れたものをも恐れしめる威力ということか。
[73]原文「端的是入山擒虎易、叉手告人難」。未詳。とりあえずこう訳す。虎を捕らえるのは簡単だが、人に恭しくするのは難しいという方向か。
[74]原文「不得已在他人眉睫間」。未詳。「眉睫間」は極めて近い距離の喩え。
[75]後漢の班超。定遠は封号。西域を征した。
[76]前漢の人。匈奴に十九年間抑留されたことで有名。
[77]漢の梁孝王が造った庭園。豪華な庭園の代名詞。
[78]つまらない花。『佩文韻府』引于濆『寒食』「二月野中芳、凡花亦能香」。
[79]原文「似梁園採木、把我做凡花、凡花一例看」。「似梁園採木」が未詳。とりあえずこう訳す。
[80]錦繍の衣と襖。
[81]蘇軾『念奴嬌』赤壁懐古「羽扇綸巾、談笑間、強虜灰飛煙滅」。
[82]原文「枉了你厮聴使、相調慢」。「聴使」「調慢」は未詳。とりあえずこう訳す。
[83]原文「花根本艶、虎体元斑」。元曲の常套句。自分の出身が由緒正しいことをいう場合に使われるが、ここではむしろ自分がもとより勇猛であることを述べていよう。
[84]原文「我関与你」。「関」が未詳。衍字か誤字か。
[85]帽子の一種。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』七十一頁参照。
[86]未詳だが、渾鉄は純鉄のこと。純度の高い鉄で作った槍か。
[88]原文「華厳大戦那其問、上的那驍馬雕鞍」。未詳。とりあえずこう訳す。「華厳」は前出の華厳川と思われるが未詳。
[89]原文「恁般児雖不似跨海征遼那漢、黄金鎧不須擐、凭着背上雕弓月様弯、我則要定了天山」。「跨海征遼那漢」は薛仁貴のこと。唐の将軍で、高麗、契丹、突厥などの異民族を征伐した。突厥を天山に伐ったとき、三矢を発して三人を殺し、敵を恐れさせ、屈服させた。なお元雑劇に『薛仁貴』あり。また、『永楽大典』巻五千二百四十四に『薛仁貴征遼事略』という小説を収める。
[90]原文「好還咱両陣間」。「好還咱」が未詳。
[92]原文「沙魚鞘挿三環宝剣」。「三環宝剣」は未詳。
[93]原文「雁翎刀擺明晃晃」。『佩文韻府』引『玉海』「乾道元年、命軍器所造雁翎刀以三千柄為一料」。
[94]未詳。檀子は色の名で、薄紅色。薄紅色の棒か。
[95]原文同じ。異民族の言葉の音を漢字表記したものかと思われるが未詳。
[96]蒙古語。「良い」の意。
[97]蒙古語。「酒」の意。
[98]原文「胆瓶中挿一枝万金千柳」。「胆瓶」は首が長く腹の大きな花瓶。「万金千柳」は未詳。
[100]原文「都帯着隠□。」。「隠」の後は原文缺。
[101]まったく未詳。
[102]未詳だが、雲、月、黒いワシの図案のある旗であろう。p雕旗という言葉は張可久『水仙子』懐古に用例がある。
[103]陣の名。拐子馬陣、拐子陣とも。大陣の左右に設けられる陣。『武経総要』東西拐子馬陣「東西拐子馬陣為大陣之左右翼也」。
[104]騎士で、みずからの体を馬にくくりつけ、死んでも落ちないようにしたもの。『東斎記事』巻二「鉄鷂子、賊中謂之鉄林。騎士以索貫穿于馬上、雖死不堕、以豪族子親信者為之」。
[105]原文「来着馬皮」。「馬皮」は未詳。とりあえずこう訳す。
[106]原文「休言十載灯窓苦」。「灯窓」という言葉は未詳だが、灯りを付けて書を読む窓辺のことであろう。この句、兵士の半日の労に比べれば、科挙の受験勉強を十年続けることなど問題ではないという趣旨であろう。
[107]御弟というから黄巣の弟なのであろうが、未詳。正史には見えない。
[108]未詳。正史に出てこない。
[109]黄巣の部下。後に梁に下った。『五代史』巻二十二などに伝がある。
[110]張帰覇の弟。『五代史』巻二十二などに伝がある。
[111]主語は唐の朝廷。
[112]原文「八個螃蟹往南飛」。含意未詳。とりあえずこう訳す。
[113]挨拶の言葉。
[114]鎧を着けた馬。
[115]原文「看你怎生剌巴巴」。「剌巴巴」は未詳。とりあえずこう訳す。
[116]原文「統戈甲便是巡捕」。「巡捕」は軍官の一種かと思われるが未詳。
[117]太保は古の三公の一つ。後代の王朝にも置かれたが、実職ではなく称号。
[118]関中地方の八つの川。『初学記』巻六引『西征記』参照。また、関中地方を指す。
[119]三つの川。諸説ある。、渭、洛の三川を指すことがあり、洛陽の別称としても用いられる。
[120]暗いさま。
[121]暗いさま。
[122]辺地の沙漠。
[123]猛々しいさま。
[124]怒るさま。
[125]原文「你存孝爹爹出陣咱」。自分が相手より二世代上の人間であると称することによって相手を侮辱したもの。
[126]馬の筋力。
[127]紗を貼った提灯だが、ここでは走馬燈のことであろう。
[128]原文「我児李存孝」。相手が自分より一世代下の人間であると称することによって相手を侮辱したもの。
[129]武器の一種。
[130]原文「征靴微抹」。「抹」は未詳。とりあえずこう訳す。征靴は軍靴
[131]未詳だが、軍馬であろう。[馬宛]は大宛産の馬。名馬のこと。
[132]黄色いさま。
[133]原文同じ。まったく未詳。馬具であろうか。
[134]鐙の美称。
[135]轡の美称。
[136]原文「恨不的剪断紫稍、踏斜宝鐙、頓寛玉勒、擺損金[算刂]」。未詳。[算刂]は押し切り。ただ、押し切りを振るというのはおかしい。
[137]太鼓の一種と思われるが未詳。
[138]英雄豪傑。
[139]原文「両枝箭挿寒星」。未詳。とりあえずこう訳す。「寒星」は冬の星。鏃が鋭く光っているのを星に喩えるか。
[140]五花馬、五花驄。杜甫『江都護驄馬行』「五花散作雲満身、万里方看汗流血」仇兆鰲注「五花者、剪鬃為瓣、或三花、或五花」。
[141]六つの部隊。『宋史』儀衛志「左右廂各歩軍六隊、分東西在仗隊後」。
[142]令字旗は「令」の字が記された軍旗。
[143]紅纓は紅い紐。桶子帽は筒型の帽子。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』八十頁参照。
[144]原文「阿誰不会」。未詳。とりあえずこう訳す。
[146]鼙は馬上で鳴らす軍鼓。
[147]疾風迅雷。
[148]原文「告爹爹委実敵不的」。自分が相手より一世代下の人間であると称することによって自分を卑下したもの。
[149]まったく未詳。
[150]原文「到不得底、千尋浪頭里。看時節顕出些頭盔、我則見屍堰断灞陵橋下水」。この曲、全体的に含意未詳。とりあえずこう訳す。