●巻四

 

◎書記が僧となること

 

蘇州の某書記は、湖北に遊幕[1]し、やや貯蓄すると、帰郷し、商人に改業した。嘉慶十八年夏、京師にゆこうとし、山東に至り、薄暮、宿に着いた。車を降りると、突然地に倒れ、毒に中たったかのようであった。夜半にはじめて蘇ったが、顔色はげっそりしており、あたふたと車を返し、揚州のある仏寺にゆき、剃髪して僧となった。童僕は阻んだが、聴かず、そのわけも分からなかった。手紙が家に届くと、その子が走って会いに来、涕泣して連れ帰ろうとしたが、某は泣いて言った。「残りの命はさいわい留まっているが、これ以上余計なことをするな。還俗すれば、死ぬ場所がなくなってしまう。」そして言うには、あの日、道中で、二人の黒衣の人が車の前に現れ、すぐに捕らえられてゆき、審理せねばならないことがあると言われた。みずからどうしてか分からないと思ったが、ひとまずついていった。ある場所にゆくと、官府のようであり、門に入れば、隷卒は階下に並び、凶悪で恐ろしかった。堂上に巍然として坐しているものは、冥王ようであった。黒衣の人は跪き、某が来ましたと告げたので、はじめて人の世でないことを悟った。堂上のものは(つくえ)を打って怒った。「おまえは某県でみだりに人を殺したな。」そうしたことはございませんと弁明すると、訴状を抛ったが、以前書いた、某県で教匪[2]を捕らえ、審問し軍営に護送し死刑にしたことが申告せられていた。某は言った。「これはたしかにわたしが書きましたが、刑名の某が撰したもので、当時わたしもそれが冤罪であることを疑っていましたことがあり、はじめは書くことを承諾しませんでしたが、後に主人に迫られ、たとえ過失があっても、わたしが責任を取るし、あなたが書かなくても、かならず書く人がいる云々と言われました。そこでかれのために書いたのです。」堂上のものは左右を顧み、某某を捕らえて来いと言うと、鬼卒は嗷然として一斉に返事した。まもなく二つの黒い影を案の前に引いて来たが、濃い煙に覆われているかのようであった。鬼卒が扇を持って煙を扇ぐと、かすかに面目を現したが、県令と刑名[3]の幕友であった。堂上のものが怒鳴って尋ねると、声は呦呦然とし、某が答えた通りに承伏した。ふたたび引いてゆかせ、さらに左右を顧みて言った。「かれは故意ではないが、数十の民草がゆえなく殺戮されることをはっきり知りながら、幕僚の地位に恋恋とし、私情に従い、去就を争わなかったのだから、やはり許し難い。どんな罪が適当だろう。」左右のものは言った。「秋に山東司に渡し、処罰させればよいでしょう。」堂上のものはそこで某を怒鳴って出させた。驚悸していると、旧友某に会ったので、捕らえられ、取り調べを受けたことを述べ、救いを求めた。すると言った。「死は逃れ難いが、はやく南へ帰ってゆき、空門に身を託せば、免れることができるかもしれない。」旧友は数十歩送ってゆくと、肩を打って言った。「帰って休め。」すると蘇ったが、息が絶えてわずか半日であった。同時に言うには、以前、四川・陜西・湖広三省の教匪が事を起こし、知事には賊を捕らえて功を得たものが多かった。某県令は昇級を切望していたが、機会がなかった。ある日、難民数十人が城外に逃げて来たことを報せた者がいた。県令はそれを奇貨とし、刑名はかれを助け、某はむりに清書したのであった[4]。知事は昇進し、後に刑名とともに相次いで急死したが、この冥土の裁きがこのように決着しようとは知らなかった[5]。そう言うと、胸を打ち、浩嘆し、子は涙を落として帰った。

 

◎経懺[6]は施捨に劣ること

 

嘉慶丙子の呉中は凶作であった。南濠[7]の李文璧の父が亡くなり、ひろく僧侶・道士を招き、法事を行い、拝懺した[8]。ある晩、かれの父が孫娘の福全に憑き、文璧に語った。「おまえはもともとわたしに孝行であったが、この凶年にあたり、この財産があるのだから、飢え凍えているものたちに施捨してはどうか。そのほうが益があろう。生臭の僧侶・道士を招き、礼拝経懺させても、わたしに補うことがないばかりでなく、わたしに罪を加えよう。貧しいものたちに施そうとするなら、功徳は経懺に比べて勝ること百倍だろう。」李は命に従い、ひたすら慎み、日々飢えた人一人一人に銭一百二十文を施し、都合七百余千文を用いた。まもなく、かれの父はさらに福全に憑き、文璧に言った。「おまえの孝念はすでに幽冥を動かし、冥府はすでに福寿を加増し、わたしも今から富貴の家に往生しにゆく。」

 

◎幽鬼が老儒を恐れること

 

盛孟岩中丞(崇)[9]が言った。某郷に某甲がおり、末子が幽鬼に憑かれ、酒食紙銭を求めて飽くことがなかった。道士を招いたが、符呪[10]でも禁じられなかった。豪族某は百万両を擁し、人々は財星[11]と目していたので、かれを迎えて鎮めさせようとしたが、すぐに口汚く罵られた。おりしも老儒がその家の入り口を通り掛かったので、進み出て尋ねさせると、幽鬼は退いた。老儒が出てゆくと、幽鬼はまた来た。あるものがそのことについて幽鬼に尋ねると、答えた。「老儒は窮迫しているが、すでに五世代人となり、三魂六魄[12]完全だ。豪族某などは、人間界に輪廻したばかりだから、わたしは何を恐れよう。昨今は罪を造るものはたいへん多く、魂魄が完全なものはたいへん少なく、愚劣凶悪のものは多い。三網を蔑み、五倫を損い、惻隠・羞悪・辞譲・是非の心がないものは、みな禽獣から脱したばかりのものたちだ。すこし書を読むとすぐに理解するのは、前生に読んだものを、今生で温習しているだけなのだ。」ある人はさらに尋ねた。「梨園の子弟が数歳ですぐに演唱できるのも、前世で習ったものでしょうか。」幽鬼は言った。「鴬歌[13]燕舞は、かれらの本性ではないか。」悪い冗談だが、理に適っているかもしれない。徳清の蔡生甫太史(之定)[14]は、生まれつき忠信で慈悲深く、幼くして『大悲楞厳呪』を奉じ、毎日かならず一遍誦えていた。今では数十年になろうとしていたが、つねにやめなかった。みずから前生は杭州塩橋[15]の念仏する老婆であることを知っていたので、京師の同僚は戯れに蔡老太婆と呼びなした。いずれも人の本性の善悪が、実は本来の面目に基づいていることが分かる。

 

◎幽鬼が怨みを晴らすことを求めること

 

わたしが袁浦[16]で官員に侍していた時、幕中の友沈香城(廉)が話すのを聞いた。乾隆末年、山東の陶某は、年は十八で、両親兄弟がいず、親戚に従い、幕僚の仕事を習った。親戚が死に、淮安に流落し、某県の刑胥[17]に当たり、建物を借り、住まいとしていた。若い下女を買い、炊事させ、情は親子のようであった。数年後、やや貯蓄ができ、妻を娶ったが、その時、下女が年頃になっていたので、妻は売ろうとした。陶某は忍びず、嫁入り道具を送り、ある民壮[18]に嫁がせ、つねにその家を援助したが、陶某は妻が嫉妬することを疑ったので、彼女[19]と話さなかった。一年あまりして、県庁の前に星占い師が寓居したが、富貴寿夭を推測してしばしば験があったので、公務の合間に、訪問し、質問すると、星占い師はその立冬の日にかならず死ぬと極め付けたため、憂えと疑いは解けなかった。妻が慰めても、憂えは解けなかった。晩秋になると、陶某は病もないのにひどく憂えた。妻は言った。「不測の災があるのかも知れません。県庁に赴いて暇を取り、家を出ぬようになさってはいかがでしょう。さらにふだん旧友を迎え、同伴なさい。」陶某は従い、友を招き、歓談し、朝晩逗留させた。立冬の日になると、さいわい元通りになった。一更過ぎになると、客はみなほろ酔いとなった。主人は連日酒を酌み交わし、たいへん疲れていたので、客を留めてさらに飲ませると、みずからは奥の間に退き、すこし休んだ。一時(いっとき)の後、突然かれの部屋で雷電のような轟きが聞こえたので、人々が驚いて走ってゆくと、陶某は頭と顔がともに傷つき、血は流れ、衣に満ち、ざんばら髪で戸を突き破って出て来た。人々はともに追ったが、たいへんはやく進み、結局、河に跳びこんで死んだ。数日浚っても、見つからなかった。みな星占い師を神のように思い、陶は前世の罪を負っていたのだと言った。陶某の妻は頼るものがいなくなったので、すぐに某甲と再婚した。ふだん陶某と付き合っていたものたちは、みなそれに任せた。昔、民壮に嫁いだ下女は、ある晩、夫が仕事で帰らなかったが、突然鬼哭が聞こえ、だんだん陶某が現れて言った。「わたしは人に謀殺され、怨みを含み、晴らしていぬから、わたしのために報いるべきだ。」下女が驚いて泣くと、幽鬼はすぐに消えた。夫に告げたが、信じなかった。数日足らずで、民壮はまた道で陶某に遇ったが、泣きながら進んで来、往日の情誼に負き、怨みに報いてくれないことを責めた。そこで夫婦が見たことを長官に告げた。おりしも某進士が知事をしていたが、若くして政治の才があり、たいへん民衆の苦しみに留意していた。陶某の旧宅は、まだ居住する人がいなかったので、調べたところ、壁の下に洗われていない血痕があった。外を巡視し、半日徘徊すると、家の裏の地面に脆いところがあると感じたので、鍬で掘るように命じると[20]、陶某の屍が見つかった。その妻を問い質すと、結婚した某甲はもともと泳ぎが達者で、若い時に密通し、嫁いだ後にも交際していたことを知った。先に星占い師に頼んで惑わし、陶某が二更になると、疲れに耐えられず、かならず寝ることを思い出した。そこで某の家に隠れ、機に乗じて殺し、みずからその血衣を着、ざんばら髪で顔を被い、戸を突き破り、水に跳び込んだのであった。妻が旧友を招き、酒を飲ませ、伴わせるように勧めたのは、実際は証人を作るためであった。陶某に頼み、下女を売らせたのも、甲の来るのを見られるのが邪魔だったからであった。すぐに某甲を捕らえたところ、供述は異ならなかったので、ともに処刑した。実の夫を謀殺する時は、奇計が百出するものだが、このように周密なものはなかった。結局、幽鬼は怨みを鳴らすことができ、賢い知事も誠実に調査することができた。人は欺けても、天は欺けようか。

 

◎輪廻

 

家大人は軍機[21]にいた日、よく聞いていたが、富陽[22]の董蔗林[23]閣老[24]の家の老僕王某は、性質が謙謹[25]で、よく門番し、数十年間一人にも逆らわなかった。公に従い、役所に斎宿し[26]、月夜、石に拠り、納涼し、遠くを見ると、一人の男があたふたと隠れ、もう一人の男がにわかにかれを遮り、腕を執り、ともに樹下に座し、言った。「おまえは昇天して久しいが、こちらで逢おうとは。」そしてまず交際の親密さを述べ、次に仕事を任せた時の裏切りを責め、××の件ではわたしの急に乗じ、そのもったいぶってわたしを脅し、幾許を横領した、××の件では事情を知らぬわたしを騙し、その数を水増ししてわたしを騙し、さらに幾許を横領したとつぎつぎに責めた。都合数十件であった。一件ごとにかれの頬を一撃し、怒気はいっせいに湧き、齧らんばかりであった。まもなく一人の老叟が草叢から出て来、言った。「かれは今すでに餓鬼道に堕ちているから、苛めることは必要ないし、負債もかならず返すから、急ぐ必要はない。」その人はますます怒った。「餓鬼なら、どうして借りを返せよう。」叟は言った。「罪業は満ちる時があり、借金は返す日がある。冥土の法律では、借金の元本利息は、来生で禄があれば償還し、禄がなければ免除されるが、それは力に限りがあるからだ。しかし脅し取り、騙し取ったのであれば、万劫を経ても、補填しなければならない。相殺できる禄がなければ、六畜[27]となって償い、一世で相殺できねば、数世に分けるのだ。今晩、董さまはブタを召し上がったが、あのかたの幹僕[28]某の十一世の身ではないか。」その男は怒りがすこし収まり、手を放してそれぞれ散じた。思うに叟は土神[29]であろう。程春廬[30]は言った。「このことは、記憶では、小説にすでにあり[31]、文恪公[32]のことのようである。暇に乗じて閣老にこのことを直接質そうとしたが、忙しくて果たさぬうちに、閣老はにわかに箕に乗って[33]去った。」家大人は言った。「文恪と文恭[34]は数十年を隔てているに過ぎない。このことは、どちらが先でどちらが後かに関わらず、いずれも戒めとすることができる。」

 

◎辱めを忍び、怨みを解くこと

 

徐受天は、呉中閶門の人で、市で糞を担ぐものに会ったが、汚穢を全身に傾けられた。徐は、糞を担ぐ貧民は着物履物を償えないだろうと思い、我慢して去ろうとしたが、糞を担ぐものは、かえってかれが突き倒したと誣い、拳を揮って大声で罵り、もがいて逃げても、一里ばかり追ってきた。人々はそのために不満であった。徐は狼狽して家にゆき、衣を換え、体を洗った。妻子は怨み、不吉と思い、徐も怏怏としたが、どうしようもなかった。真夜中になると、突然、戸をたいへんはげしく叩く音を聞き開いて見れば、糞を担ぐものが凶凶として入ってきたが、囁嚅[35]として語らなかったので、徐は訝った。「わたしはあなたを責めて着物履物を償わせることはなかったのに、あなたはわたしを罵った。わたしが我慢して避けたのだから、もうやめにしてよいだろう。どうしてさらに真夜中に来たのだ。」「わたしはおまえと前世の仇があったが、昼間おまえが避けたので、わたしの怨みはもう消えた。今わたしはすでに死んだが、わたしの家は貧しく、納める棺がない。おまえがわたしの葬式をすることができれば、これで怨みを解くことを求めよう[36]。さらにわたしの妻子を救うことができれば、さらに徳に報いよう。」そう言うと大声で泣いた。燈光は陰惨に碧く、向かいあっていると寒かった。徐はすでに戦慄し、かれが幽鬼となったことを聞き、ますます恐れた。そこで言った。「仰る通りにいたしましょう。」糞を担ぐものは、そこでその姓名住所を告げ、大声で嘯いて去った。徐が翌日いって尋ねると、本当にその言葉の通りであったので、手厚く納棺し、かれの子に十両を贈り、ささやかな商売を営んで母を養わせた。このことを人に告げたことがあった。「もし一時の怒りを逞しくし、辱めを忍んで遠く避けなければ、糞を担ぐものはわたしの手で死に、わたしはすでに刑場で縛り首になっていたろう。」

 

◎幽霊の壁造り

 

蒋味村(承培)は、杭城[37]の人で、こう言った。某甲は野菜を植えることを生業とし、いささか家産を持っていた。平生字の書かれた紙を大切にし、街路や牆壁に告示・広告で、風雨によって翻り落ちそうになっているものは、拾って家に帰り、集めて惜字社の洪炉[38]で焼いた。年が九十余になっても怠らなかった。ある夜、祟りに遭って道に迷い、三更まで走ったが、かならず塀に阻まれた。俗に「幽霊の壁造り」に遭うということであった。摩っていると、紙が翻っているかのようであったので、すぐに剥ぎとると、にわかに手の中に光を発し、ぼんやりと村の社廟[39]だと分かったので、その門に回って叩き、泊まれた。そもそも倉頡[40]が字を作った時、天は粟を雨ふらせ[41]、幽鬼は夜に哭いたが[42]、なんと懇ろであったことか。某甲が手で字の書かれた紙を剥がすと、幽鬼でも迷わせられなかったのは、顕證[43]ではなかろうか。以前、太上の垂訓に「十万の字を大切にすれば、寿命が一紀延びる[44]」とあると聞いたが、野菜を植えるものの年が九十を越えたのは、字の書かれた紙を大切にした報いではなかろうか。

 

幽鬼が密通を発かれたことを仇とすること

 

汪銘甫明経[45](恭寿)[46]が言った。「乾隆年間、蘇州に趙延洪というものがおり、直情で、悪を憎んでいた。たまたま隣家の女房が若者とふざけているのを見たが、すぐにその夫に告げた。探ると証拠があったので、遠出すると偽り、ひそかにかれらが寝るのを窺い、どちらも殺して出頭したところ、法律により、お構いなしとなった[47]。半年後、趙は突然発狂し、隣家の女の言葉で命を求め、刀を引きよせ、みずからを切った。家人がむりに助けると、舌を咬んで死んだ。そもそもひそかに閨房の秘密を語ったことからして、すでに陰徳を損なっているが、まして隣家の女房の姦通で、捕らえるべき親族でもないのに、にわかに自分と関わりないことで二人を殺すことを招き、「わたしは伯仁を殺していないが、伯仁はわたしによって死んだ」[48]のだからなおさらのことで、本当にどういう心であろうか[49]。遊魂が祟ったのは、かれがみずから造った罪であろう。

 

◎陰悪によりイヌに堕ちる報い

 

某甲は、父を守り立て、財を築き、家を日に日に豊かにしたので、郷里の人々はみな肖子[50]だと思っていた。死後、甲の子は、二人の隷卒が甲を縛り、護送して来るのを見た、甲は言った。「わたしは平生一善も修めておらず、五倫は妻子だけを知り[51]、富むものを重んじ、貧しいものを欺き、情を絶ち、義を忘れ、近い親戚や代代の交友でも、一たび窮乏するに到れば、あらかじめ門番に命じ、来たらすぐに拒むようにさせた。することがあれば、ひたすら良い所を取り、功績は自分に属させ、罪過は他人に委ねていた。冥府はわたしの陰悪を責め、こう言った。『イヌはもっとも貧しいものを虐げ、養えば尾を振り、媚を売るが、逆らえば反撃して無情である。今、堕として西隣の白い足の黄のイヌにする。』と。おまえが家産を惜しまず、ひろく陰隲を行い、わたしの罪を贖えれば、おまえの幸福にも資するであろう。」嗚嗚(ウウウウ)と言いながら去った。一日後、本当に隣家にいるイヌが、四本の足がすべて白かったので、心が動き、手に入れて養ったが、終年人に吠えなかった。もしや前生の過悪を悔いていたのか。ああ。悔いても遅い。

 

◎羅氏の二節婦

 

粤東の仁化県の羅氏の二人の節婦は、慣例では祭られるべく、広文は求めたが遂げず、しばしば阻み、県令洪某がそのわけを尋ねると、広文は言った。「祠に文廟があるが、婦人は入るべきではない。」県令「以前祭ったものはすべて婦人ではないか。」そこで祠に入り、一日後、県令は郷に赴いて年貢を取りたて、羅氏の村に留まり、午後、門番し、駅卒が見ると、二人の老婆が軽やかに進み、捕らえないことを求めた。県令が夢みると、二人の老婆がきて、祭ってくれたことに感謝したので、貞婦の魂は滅びることができないことを知った。まもなく広文はにわかに亡くなった。

 

◎怨霊が転生すること

 

張補梧孝廉(邦弼)[52]がいった。公車[53]の途中で、聞いたところ、淮民[54]の陸氏は、奸悪なことで平素から有名で、横暴でもあり、隣家の鄭家の財産を犯し、追いはらって自分の部屋にし、嘉木[55]一株だけが残っていた。晩年、子を得たが唖であった。ある日、庭に遊んだところ、樹を指してたちまち言った。「樹よ。まだあったか。」家人はたいへん驚いた。その後、また唖になり、あれこれ誘ったが、まったく語らなかった。長ずるに及び、荒淫放蕩、あらゆることをし、家を売り払って死んだ。鄭家の怨霊が転生したのであろうか。

 

◎財貨と容色

 

家大人は蘇州にいた時、尤春樊[56]中翰[57]と文字の交わり[58]を結んでいた。聞けばかれの家に諸生の尤敬庭(世綸)というものがおり、西堂先生[59]の令孫で、経史に精通し、百家を捜覧していた。年は七十余で、巻を掩って『離騷』を誦え、さらに逆さに読むことができた。著作は古に意を尽くしたが、知音に遇わず、没落した青衿[60]であった。家はきわめて貧しく、葑[61]の西堂先生の旧宅におり、蕭然として風雨を凌がなかった。生徒を教え、口を糊し、つねに儋石[62]の貯えもなかった。ひねもす棐几[63]の間で[64]、その楽しみを改めなかった[65]。親戚友人が往来しても、貧しいからといって、一銭も欲しいとは言わなかった[66]。以前述べるには、かれが若くして南禅寺[67]で勉学していた時、寺は荒廃し、雑木が四方を囲み、陰雨は晦冥、鬼声は朝に達していた。寓所の隣に三楹の家があり、たいへん幽静であったが、ある人が借りて住むと、まもなく頭痛を病んで死んだ。その後、さらに一人が住んだが、(むね)が痛んで病死した。数日後、一人の壮夫が来てその家を借りたが、真夜中にやはり頭が痛いと叫んで死んだ。それから人々はそこを凶宅と目した。しかし敬庭は安値でそれを借り、その中に、琴を持ち込み、書を積み上げた。夜分、突然扉を叩く音がしたので、開いて見れば、少女がいたが、妖冶なさまは目を眩ませ、進み出て衽した[68]。どこから来たか尋ねると、言った。「わたくしは隣のでございます。正妻に嫉まれ、つねに鞭うちに苦しんでおります。あなたに奥さまがいらっしゃらないことを知り、浥露の嫌疑を恥じず[69]、夜、ひそかに逃げて来て、巾櫛に侍することを願っているのでございます。」きちんと拒み、さらに亹亹[70]と教え戒めたが、女は結局去らなかった。そこで激怒して叱り付けたところ、消えた。翌晩、門を閉ざす前、女はまた来て金を出し、語った。「あなたが正しい男であることが分かりましたので、主人の銭差しを盗み、贈り物といたします。方策を設け、束縛を逃れることを求めるばかりでございます。」さらに拒み、金を門の外に擲ち、言った。「諸生は他人の閨房に関わることは分からないから、余計なことを言うな。」女が門の外で金を取るのに乗じ、すぐに戸を閉ざした。帰ってみると、女はふたたび部屋におり、一人の醜い幽鬼と化し、荒々しく床を占拠し、言った。「わたしは実は幽鬼で、神仙の術を会得し、生きている人間の(しん)と脳を食べ、七揃いに達すると、生き返ることができるのだ。だから財と色で惑わして食らうのだ。おまえは硬い心が木石のようなので、惑わせぬが、わたしはどうして力で取ることができなかろう。」一つの掌を伸ばしたが、大きな扇のようで、進んで来てはげしく掴んだ。慌てて案頭の書で乱打したところ、すぐに消えた。朝になり、走って家主に告げ、地を掘ったところ、白骨一体が見つかったが、黄色の毛があまねく生えており、中に血があったので、焼いた。以前、頭痛・心痛で死んだ者は、いずれもこの幽鬼の祟りであったことをはじめて悟った。ああ。これを見ると、非礼の色、非義の財は[71]、いずれも神と関わっていることが分かる。以前、心痛・頭痛で死んだ者は、これによっている。

 

の力

 

乾隆年間、河南彰徳府に一人の騎兵がおり、馬皮条といい、孝行で有名であった。家には寡婦の母がおり、世話してひたすら敬っていた。ある日、関帝廟に祈った。「貧しくて養うすべがございませんので、神さまがお力を賜わることを願います。」その夜、夢みると、神が周将軍に命じ、かれの肩と背を打たせた。すると、勇力が抜群となり、馬皮条の名はおおいに顕れた。市井の豪傑および緑林は、みなかれの鋒先を避けた。ある男が郊外を歩いていて二人の盗賊に会ったが、その男が偽って馬皮条と称したところ、盗人はすぐに逃げ去った。まさに馬皮条と会うと、二人の盗賊はかえってかれが偽っていると疑い、武器で打った。はじめは笑って受けていたが、さらに打つと、怒った。「はじめわたしはおまえがふざけていると思っていた。」そして甲乙の盗賊を捕らえ、向かい合って殴ったところ、一挙に二人の盗賊が死んだ。後にかれの母が死ぬと、かれの力はにわかに衰え、元の通りになった。家大人は言った。「神にはみだりに求められるものではなく、力はにわかに借りられるものではない。しかし孝心に感動させられれば、神もかれのすることに従うのは難しくない。母が死ぬと、元に戻ったが、神は漫然として制限がないわけではないのである。孝が神に感通できるのは、もとよりこのようなものなのだなあ。」

 

◎後身が誓いを適えること

 

呉中の郭鳳崗が言った。某甲がかれから千両を借りていたので、親戚を連れ、請求しにゆくと、甲は酒で酔わせ、かれの証文を盗んだ。一日後、甲は急に、債務はすでに返したと言った。鳳崗は酒に酔って証文を盗まれたことを知った。そこで誓った。「わたしは証文を失ったが、債権を回収したのにさらに請求しているならば、代々妻が再婚するだろう。」甲も誓った。「わたしに負債があるならば、妻はかならず娼婦になって償うだろう。」一か月あまりして、甲の妻は死に、再婚しなかった。このことを知るものは、天道は知ることがなく、結局、網を漏れることになってしまったと思った。十余年後、鳳崗は白門[72]に遊んだが、おりしも妓女の梨雲という者がおり、艶名と声誉は煙花[73]に冠絶し、烏衣[74]の公子は日々石榴裙下[75]を拝していた。鳳崗は一見して傾倒し、たがいに愛慕した。梨雲はまったく紅に依り緑に依る[76]ことを厭わず、ひそかに貯えた千両を出し、こっそりかれに贈り、買って妾にすることを鴇児に約束させた。鴇児が彼女を金のなる木と思い、頑固に承知しないでいるうちに、梨雲はにわかに病むことなく亡くなった。鳳崗は懊悩し、すぐに金を贈り、墓を造り、墓道[77]に土盛りし、碑碣を建てたが、たいへん美しいものであった。ある夜、突然、梨雲が謝しに来た。「わたくしは某甲の妾の後身で、貯えました纏頭[78]は、もともと某甲の債務を償うためのものでした。今、恩沢を枯骨に及ぼしていただきましたので、さらに後身を結んでお礼しましょう。」すぐに見えなくなった。ああ。古人は誓いを立てて心を明らかにしたが[79]、最近の狡獪[80]の徒は、みな誓いを立てることを、過ちを飾る助けとしている。ところが応報は明らかで、すべて誓いと吻合し、さいわい現世で免れても、後世で免れぬことに気付いていない。たとえば甲が、妻が娼婦になって債務を償うことを誓っても、彼女の父に陰徳があれば、娼婦となる嫁がいるはずがないので、甲の妻の死を早め、その後身により、娼婦になる誓いを適えるのである。かの蒼天は[81]、どうして憒憒たるもの[82]であろうか。

 

◎天誅

 

番禺の某甲は、家がもともと豊かで、外に出て商売し、その妻だけがおり、孕むこと数ヶ月であった。従叔嬸[83]がおり、別居して貧しかったが、つねに交際していた。出産のときは、嬸を迎えて取りあげさせた。出産すると、嬸は妻に告げた。「女の子ですが、息はすでに絶えており、生かせません。」その妻は疲れていたのでじっくり見ることもできなかった。嬸は綿で口を塞ぎ、竹筐に入れ、棄てて帰った。するとたちまち家で飼っているイヌが吠えて飛んで部屋に入り、口で妻の衣を引き、外に出ることを望んでいるかのようにした。妻は驚き、むりに起き、イヌについてゆくこと一里ばかりすると、イヌはたちまち跳びだして跪き脚で地を掻いた。すると、色の布にくるまれた嬰児が筐入っているのが現れた。体は温かくて動き、男であった。布を調べると、みずからが産んだものであることが分かったので口の中の綿を取り、抱いて帰ったところ、呱呱の声をたてた。ひそかに嬸の悪意と思ったが、表沙汰にしようとしなかった。数日後、嬸が叔とともにきた。戸に入ると、イヌは叔にとびかかり、はげしく咬み、脚を傷つけた。叫んで助けを求めていると、たちまち霹靂が轟然とし、妻が出て見れば、(おじ)(おば)はいずれも庭で死んでいた。それぞれ字が背にかかれていたが、篆文で判読できなかった。遠近のものが騒いで見、みな叔夫婦が財産を狙い、子孫を絶やすことを謀ったことを知ったもし天が誅しなければ、ほかに凶悪をほしいままにしようとしていたかもしれず、予想がつかなかったであろう。

 

◎蝙蝠が鐘を撞くこと

 

嘉応[84]の饒氏は望族で、李淑人[85]が亡くなると、葬儀はたいへん手厚かったが、諸事はすべて家丁の福に委ねていた。福はかれの資産に垂涎していた。葬った後、その孫は墳にいったが、碑に異変があると感じ、手で押したところ、碑が倒れた。見ると、碑の中に穴が開いており、屍が裸になっていたので。すぐに官に訴えた。その時、州牧は王公某で、調査は月を重ねたがその実状を得なかったので、城隍廟で表[86]を焼き、その子や孫と斎戒して廟に宿った。ある夜、鐘がひとりでに鳴ったので、見たところ、蝙蝠が翼を奮って鐘を撞いて音をたてているのであった。公は祈った。「本当に陰霊[87]なら、蝙蝠は来てわたしを衝くべきだ。」そう言うと、蝙蝠は来て王公の頭を衝いた。公はすぐに刑杖[88]を設け、廟で取り調べ、その子に尋ねた。「姓は鍾、名は蝠という人がいるか。」子は後ろにいる家丁を指して言った。「これが鍾福でございます。」公は前に呼んで尋ねると、拷問しないのに自供したので、すぐに処刑した。

 

◎神が偽官を撃つこと

 

顔鳴皐[89]は、乾隆年間に台湾総兵官となり、巡海していたので、役所の事を表親[90]の楊奇に委ねていた。奇はもともとふざけることを好んでいたが、ある日、役所で誕生日の宴会があったので、酒に酔い、人々に言った。「みなさんを楽しませてさしあげましょう。よろしいでしょうか。」みなが諾うと、すぐに総兵の袍と冠を出して身に着け、材官[91]を呼び出して排衙[92]奏楽させた。雲板が鳴り、暖閣[93]の門が開くと、奇は官座に着こうとしたが、たちまち地に倒れて人事不省となった。昏倒して臥すこと三四日でやや意識が戻った。人々が事情を尋ねると、言った。「座に着いた時、左右二人の金甲の人が肅然と左右に立っており、箕のような掌を挙げ、わたしにむかって頬を打って倒したようです。」後にその頬は終生どす黒く、傷つけられたばかりであるかのようであった。『寒梧墊録』[94]、およそ封疆に任ぜられたものは、すべて煞神[95]が宿直して守っているので、出れば威力があり、人を恐れさせるという。楊奇の事を見ると、ほんとうにそうである。

 

◎幽鬼が節婦を知ること

 

嘉応州の顔提督(鳴漢)[96]の祖母楊夫人は、年が二十で寡婦となり、一子を守り、紡織して過ごし、足はから出なかった彼女の部屋の北の窓の外に荒れた畑があり、雑多な石が積まれていたが、聞けば明末に土弁[97]が人を殺した場所だということであった。天が曇り、雨が湿り、冷たい風が一たび起これば、石はそれに従って飛び、空中でぶつかり合い、砰訇[98]として恐ろしかった。楊夫人は窓の外に手を出し、振って言った。「そのようにするな。わたしたち孤児寡婦は驚いてしまう。」すると石はすぐに寂然とした。ある日、彼女の表妹が来ると、石がまた飛んでぶつかり合ったので、表妹は頭を挙げ、窓の外に向かって罵った。「何の妖怪だ、糞を集めて火で焼こう。」話していると、空中に石が抛たれ、彼女の頬は傷つけられ、一時しても意識が戻らなかった。楊夫人は幽鬼の言葉を聞いた。「奥さまがわたしをお止めになるのかと思いましたが、田舎女が大胆なことをしようとは思いませんでした。はやく一千の大金を捧げれば、このようにしたことを許しましょう。」金額通り焼くと、蘇った。夫人は聞いた後、つねに言った。「わたしの家には興隆するものがいよう。」後に二人の孫はいずれも貴くなり、鳴皐は台湾総兵となり、鳴漢は福建提督となった。

 

◎李二夫婦

 

台湾鎮の某総戎は、しもべに福州の李二がおり、妻の張氏を娶ったが、やはり貧家の娘であった。李二はその科斂誅求によって、かなりの家産を築き、童僕下女を養っていた。張氏は驕悍暴虐であったので、童僕下女を鞭うつ刑具は、つねにその夫に及んだ。二人の下女がおり、やや意に叶わないと、打って責めることが数百回に達した。李二の愛人かと疑い、下半身を残虐な刑具で叩き、日々一盂の粥を賜うだけであったので、飢え凍えて耐えられなかった。しばしば逃げようとし、鎖で閉ざし、李二は禁じられず、相次いで虐待されて死んだ。まもなく、張氏は親しんでいた遠い客のために、思いが募り、癆咳を病み、ぼんやりと二人の下女が命を求めるのを見て死んだ。一年あまり後、張氏は李二の夢に現れて言った。「わたしは下女に訴えられ、冥王はわたしを罰してウシにした。明日、市場でウシ売りが一頭の白い項の子牛を引いて来るから、駆って帰り、わたしが将来料理して屠られることを免れさせろ。従わなければ、すぐにおまえを噛み殺そう。」目ざめると訝った。翌日、市中で本当にウシ売りが一頭の白い項の子牛を連れて来るのに会い、買うまいとしたが、子牛はすぐに吠えて追いかけてきたので、李は恐れ、買って帰り、裏庭で飼った。放逸で、耕作せず、つねに走って隣のウシとまぐわった。さらに、かならず飯で養わねばならず、草を与えると、すぐに門窓器皿を踏んだ。隣人に李二の刻薄を怨みに思っている者がおり、ひそかにそのわけを知り、毒薬を食わせた。李二がウシを槁葬すると[99]、さらにひそかにその皮を剥いだ。ああ、畜道[100]に陥っても、まだ悪を改めず、結局、皮を剥がれる惨害を免れなかったのだから、悔いないことができようか。恐ろしいことではないか。しかし人の世の人物には張氏のようなものも、少なくなく、とくにその報いはこのようにはやくはできないものがある。人は、天網は恢恢としているが、漏らす時もあるのかと訝った。ああ。これはほとんど見たことがなく、もしや本当に漏れたものであろうか。

 

◎ウシが恩に報いること

 

劉老人は、その氏名住所は伝わっていない。道で一頭のウシが屠られようとしているのに遭い、ウシが震えているのを憐れみ、衣を脱ぎ、銭を出し、贖って帰り、外の厩舎養った。翌年、疫病で死ぬと[101]、家人はその革を取ろうとしたが、許さず、廃園に埋めた。後に盗人が斧を振るい、戸を壊し篋を開き、財を探し、一家はかれらに縛られ、あらゆる拷問を受けた。劉老人は深林草莽に潜伏し、なすがままにされるばかりであった。盗人は里中の無頼で、劉老人が埋蔵金を持っていることを知っていたので、くまなく探したが見つからなかった。すると突然一団の黒い気が湧き出し、旋回して止まらなかった。病んだイヌが檐の下に臥しており、すでに死に瀕していた。盗賊の警報を聞き、つとめて奮い立とうとしたが起きられず、目を瞠って吠え、声もだんだん枯れた。しかし黒い気が触れると、すぐに飛んで咬み、跳ね上がり、吠えて進み、盗人が棍棒と刃をつぎつぎに下しても、すこしも避けず、盗人は結局傷ついて逃げた。門の外に追ってゆき、一人の盗人を突き倒し、足で圧しただけで、盗人は動けなくなった、夜明けになると、隣人たちがみな盗人を捕らえに来、追跡・捕縛し、すべて捕らえて処罰した。劉老人はそこで難を逃れたが、病んだイヌは跛で痩せ、骨と皮ばかりであった。呼ぶと戻って来たが、歩くたびに躓いた。夜にトラのようにはげしく吠えたのは、埋められたウシの魂がイヌに憑いていたのであろうか。そもそもウシ・イヌが恩に報いることはしばしばあり、冥府は人がウシ・イヌを食べぬことを半偈を持する[102]ことだとする。まして大慈悲力を発して救護し、結局その報いを受けるのならなおさらのことである。人間と動物が関わり合わず、幽界と明界が知り合わないと誰が思おう[103]

 

◎教師の悪報

 

年間、楊御史某がおり、都にいた時、一人の道士と親しくしていた。道士は幽鬼を見られたが、語るには、午後、幽鬼が出たが、あるものは大きくて長く、あるものは小さくて短く、あるものは老い、あるものは若く、いないところはなかったということであった。あるものは喫煙し、あるものは気を吸い、精を吸い、あるものは人畜が食べた余りものを食らい、さながら『法華経』にいう「その()すところに随ひて業報を受」[104]けるものであった。ある日、楊の館に来、笑って言った。「あなたの台所には、食べものを盗む小さい幽鬼がおり、今、転生しますが、どなたがその債務を償われるか分かりません。」楊はそこで最近一子を得たことを言い、老婆に抱いて出てこさせた。道士はじっくり見ると、愕然として語らなくなった。楊は怪しみ、(とばり)に招き入れ、ひそかに再三尋ねると、道士は歔欷して言った。「以前どんなお仕事をしていられました。食べものを盗む幽鬼は息子さんでございます。」楊は言った。「わたしはみずからに大過がないことを信じていますが、微賎であった時、童子の師となり、すこし怠けていました。」道士はかれの背を打って言った。「みだりに家庭教師先の粥や飯を食べ、子弟の歳月を廃したことが、大過でないのですか。」道士は衣を払って出た。後にこの子が成長すると、日々酒色を事とし、田が尽きれば屋舎の磚を掘り、酒に換え、結局目に一丁字もないまま死んだ。

 

◎一念によって解脱すること

 

杭州長慶寺[105]の静縁和尚は、金陵の人で、みずからに言うには、出家する前、山を歩いていて道に迷い、とある荒れた廟に宿った。真夜中、ふと見ると、一人の僧が来てともに語ったが、向かいあっていると精神がすぐに惘惘[106]とした。まもなく、だんだん百脈[107]が逆さまに湧き、肌膚が寸裂し、胃腸が烈火で焼かれ、全身が刀で裂いたかのように傷むのを感じたが、しばらくするとやや収まった。精神を凝らしてじっくり見ると、月光が窓に射せば、見ると腰の絲帯[108]がすでに二つの()となり、櫺でみずから縊れた。たちまち前の僧がきて救ってやった。そこで、たいへん驚いて言った。「つとに怨恨がなく、身辺にさらに貪れる財がないのに、なぜ殺そうとした。」僧は答えた。「仏家は嘘は言わない。わたしは本当は縊鬼で、もともとあなたを代わりにしようとしていた。思い返せば、生前みずから縊れた時、苦しみは万状で、惻然として忍びなかったので、また救いにきたのです。唐突であるのを怪しまないでください。」そう言うと見えなくなった。そこで首を()から出し、さらに仏前で拝し、タタ然[109]として、幽鬼がまたきて騒ぐことを心配した。たちまち前の僧が窓の下でいった。「わたしは一念を修めたことにより、伽藍は従って解脱することを許した。あなたは宿業が重く、みずからを懺悔すれば、悪趣[110]に堕ちないことができる。ひとまず安眠し、あまり心配するな。」朝になると家に帰ったが、結局、ほかに異常はなく、この因縁によって報恩寺で剃髪したという。

 

◎寿命を延ばすこと

 

上虞[111]の顧華亭(大年)[112]は、はじめ部則例館[113]にいたが、たちまち一人の旧知らしきものに会った。旧知は言った。「ご寿命は三十六に過ぎず、今では四五年しかございません。はやく帰郷し、ご家庭の事を整理なさってはいかがでしょうか。」ともに語ろうとすると、たちまち見えなくなった。惘惘として夢のようであったので、心の中でたいへん嫌に思った。館の任期が満了し、議叙[114]があると、福建に揀発[115]せられたが、年はちょうど三十六であった。途中で病を患い、呼吸が危うくなった。医者たちはみな手を拱いた。日夜暝然として死んだかのようであったが、四肢だけは温かく柔らかであった。魂は揺揺として定まらず、見えるのは多くは冥土のありさまであった。まもなく、人がかれを撫でてこう言った。「ああ。疲れている。すぐに白虎湯[116]を服用しろ。」そこでみずから家人を呼び[117]、すぐに白虎湯を買って来させた。かれが数日黙して語っていなかったので、人々はたいへん喜んだが、医者は、この湯薬は脈症にはあまりよくないと言った。しかし、かれが叫ぶことが急であったので、ひとまず調剤して進めたところ、すぐに治った。乾隆年間、まだ汀州で役人をしていたが、結局恙なかった。聞けばその一年前、同郷某が礼闈試を受けて落第し、すぐに京師に住み、妻を娶り、一子を生んだ。郷里に母がいたので、しばしば帰ろうとしたが、金がないことに苦しんでいた。後に某が死ぬと、かれの妻はみずからを売り、人の妾になり、その金で幼子を寡婦の姑のもとに送り、頼らせようとした。ある人が華亭に同の縁があるため、子を託したところ、華亭はすぐに某の妻のところへゆき、こう告げた。「本当にお子さんを帰郷させ、血筋を絶やさず、お姑さんを世話させようとなさるのでしたら、節を守ることができないものではありません。みずからを売られてはなりません。母子で棺に付き添い、帰郷する費用は、わたしが負担しましょう。」その妻は大声で泣いて言った。「ああ。未亡人(わたくし)はどうして礼法を知らないことがございましょう。両親兄弟がいないからなのでございます。みずから思いみますに、年は三十を越えており、多病ですので、おそらくまもなく死んでしまい、煢煢たる孤児は、数千里外に流落し、奴隷にならなければ、溝壑を満たすことでしょう。天はほんとうにそうしたことをするのです。」聞くものたちはみな悲しんだ。華亭は自分が役人になろうとしており、両親は都にいたので、先に南へ送り返そうとし、慨然として父に告げ、その母子ならびに某の旅櫬[118]帯びて帰郷し、さらに救済した。この盛徳があったので、天がかれの寿命を増したのは当然であった。

 

◎経書を軽んじて禄を削られること

 

徐上舎(本敬)は才能を自負し、不羈であり、歇後語[119]を作ることを好み、つねに経文を断章取義し、猥褻に渉っていることもあった。以前、某督学の幕中で、『四書』の歇後詩[120]を作っていった。「刑於(けいお)(くわ)(妻)[121]抛卻(はうきやく)し、(きた)りて未喪斯(みさうし)(文)[122]()る、(ただ)四海(しかい)(こん)(窮)[123]()り、(はく)(とく)七年之(しちねんし)(病)[124](なか)()援之以(ゑんしい)(手)[125](すべ)(くら)(せい)(もん)()(目)[126](しばら)()()遊子(いうし)(夏)[127](かふ)()(えい)(へい)()(走)。」才が大きく心が敏いことは、おおむね窺い知ることができるが、結局、窮迫して及第せず、中年にならぬうちに死んだ。家は貧しく、子弟がなく、跡取りもいず、継げるものがいなかった。未亡人は刺繍して口を糊していたが、つねに先祖の祭祀は絶望的だと思い、しばしば自殺しようとした。ある日、突然姿を現し、その妻に言った。「わたしはもともと名を清華[128]に列ね、位は顕要に当たっていたが、ひとえに聖経を軽んじたため、禄籍[129]は削り尽くされ、さらに残りの罪がある。冥王は、わたしが歇後語を作ることを好んでいたので、罰して子孫を絶やそうとしたが、さいわい先祖に陰徳があり、本家を絶やさないので、わたしの弟に子ができよう。よく継子を育て、悲しむな。」妻は泣き、ともに語ろうとしたが、たちまち影は消えた。翌年、かれの弟が双子を生んだので、片方で家を継がせた。朱蕉圃(海)[130]は言った。「聖経を軽んずれば、冥罰はこのように重い。わたしは童年に四書の句を集め、戯れに男女の居室の題文を作ったのは、まさにこの罪だ。先祖の功業を喪失し、千里に漂泊することを招き、苦難を嘗め尽くし、坎坷不遇で、功名は人が知府になるのを送る[131]ばかりで、家計は金貸しを生業としておりますが、これがどうして身から出た錆でないでしょう。さらに目に一丁字もない子もおりますが、まだ祖父の徳沢があるためにその子孫を絶やしていないのでしょうか。後悔しても手遅れで、隅に向かって哭くばかりでございます。」

 

◎金

 

呉に金媒媼というものがおり、豪族の間を奔走していた。晩年、家はたいへん豊かになったので、近所は金太婆と呼び成していた。口達者で、人に珠翠[132]を売れば、すべてうまくゆき、その利を壟断し、仲買人より狡猾であった。ある晩、みずから竹絲燈[133]を提げ、葑から家に帰ろうとしたが、路は遠く、歩みは遅く、微雨も来たので、慌てていると、闇からにわかに一人の男が出て来、袂を執って言った。「金太婆、わたしの碧霞犀の手串[134]をお返しください。」金はたいへん驚き、燈を挙げて注視したが、まったく面識はなく、面色は黄に痩せ、両眼は落ち窪み、向かえば凜凜[135]としていたので、肌は粟立った。そこで答えた。「どなたでしょうか。お会いしたことがございません。わたしがいつあなたの碧霞西やら碧霞東やらを取りましたか[136]。」その男はすぐに怒って殴り、燈も消えた。金は狂呼した。「強盗が人を殺します。ご近所の皆さん、お助けください。」さらに土でその口を塞がれ、声は涸れ、響かなくなった。ざんばら髪でもがき、衝いたが、殴打はますます激しくなった。しばらくすると、一人の男が進み出て宥めた。「おやめなさい。奥さまが再婚しようと思わねば、この人もあなたの物を得るすべはなかったのですよ。」これより前、豪族某に若い妻がおり、三五年寡婦暮らししていたが、金が媒妁してやり、再婚し、妻は碧霞犀[137]の手串で報いたのであった。このことを聞けば、はじめて幽鬼であったことを知り、叩頭して命乞いした。まもなく、夜回りが見に来たが、金は地に伏して哀願しており、様子は癲癇のようであった。呼び覚まし、送り返した。それからは二度と寡婦のために再婚を取り持って手厚い報いを求めようとしなくなった。そもそも若い寡婦は、飢寒に迫られていなければ、節操を守り、孤児を育てて亡くなるのは容易である。再婚して身を失うに到る理由は、花婆悪媼[138]が財を狙って惑わすのが、そもそも十分の四五である。古人が家訓を設け、三姑六婆[139]が門に入ることを許さなかったのは、考えが深かった。

 

◎高僧の奪舎[140]

 

銭塘の王翁は、その名は伝わっておらず、家は貧しかったが、善行を楽しんで倦むことがなかった。年が五十でもまだ子がなく、同郷人に伯道の嘆[141]があった。清明に墓参して帰り、夜、部屋に坐していると、突然亡父が杖をつき、進んで来、言った。「わたしは徳が薄く、子孫が絶えることになっておりおまえが広く福田を植え、鏡山寺[142]に子を求めれば、得られよう。」そう言うと、すぐに見えなくなった。そこで、かれの言葉通りにしたところ、翌年本当に一子を授かった。幼くして聡明で、十二で学校に入り、十六で孝廉に挙げられたが、さらに礼闈[143]を受けたところ、及第しなかった。親戚に官位が部曹[144]のものがおり、留めて勉強させた。ある日、突然その親戚に言った。「わたしは鏡山寺の僧で、戒律を修め、大道が成就しようとしていましたが、心のなかで若くして合格することを羨み、さらに富貴への憧れを消せませんでしたので、さらに二世代堕落する[145]ことになっています明日、わたしは富豪に転生し、(ごう)を完結します。」そして父に別れの手紙を書き、親戚に頼んで届けさせたが、その概略はこうであった。「わたしは不幸にして数千里離れたところで客死し、寿命も短く、若妻と幼子を残し、お父さま・お母さまの厄介にさせました。わたしはお父さま・お母さまの実の子ではございませんが、孫はお父さま・お母さまの本当の孫でございます。お父さまは、昔鏡山寺の僧と茶話したことをご記憶でしょうか。わたしは僧でございます。わたしはお父さまと語ってたいへんうちとけ、心のなかでお父さまは忠直謹厚なのに、どうして造物者は後継ぎを与えないのかと思い、一念が動いたために、子となりに来たのでございます。わたしの嫁も幼年の時、やや善縁[146]がございました鏡花水月は、いずれも幻景でございます。集うてもどうして長居できましょう。お父さまはどうか実子としてご覧にならず、はやく情を断たれれば、わたしの罪は除かれましょう…[147]。」親戚がかれを宥めると、答えた。「ゆくのと来るのには定めがあり、障限[148]には限りがございます。」どこに転生するかを尋ねると、言った。「順承門[149]外の姚家でございます。」翌日、鼻から二つの柱を垂らして亡くなった。その後、姚家を訪ねると、その日、本当に一子を挙げていた。姚翁は、富は郷里に冠絶し、やはり善を楽しみ、施しを好み、晩年そのために子を得たが、天が賜ったかのようであった。珍しいことである。貧しいのに善を楽しんで倦まず、富んでいるのに気前よく施しを好めば、晩年に子がいない憂えはなく、おのずと高僧の奪舎があるのである。

 

◎改葬は慎むべきこと

 

嘉善[150]の潘溧泉孝廉(棟)が悼亡[151]した後、かれの妻は棺を畑に数年間置かれていた。その後、側室がなかなか子を授からず、堪輿[152]は棺を置いている土地が不吉だと言ったので、改葬を決意した。亭(蘇州では浮厝[153]は、つねに数椽[154]を築いて収蔵し、相亭という)を壊すと、棺の下に一つの穴があり、二尾のフナが中でぴちぴちとしていたので、土地の気を得た霊であると思った。後悔し、復旧しようとしたが、穴は露出し、佳いが利益はなくなっていたので[155]、結局、よそに移った。溧泉は美しくて博識であり、壮年でもあったが、一年後にやはり亡くなった。同輩はみなかれの才を惜しみ、風水師の言葉をみだりに聞いたことを咎めた。霽青[156]先生は言った。「潘孝廉が修文[157]の招きに赴いたのは、運命に限りがあったのかも知れず、棺を移したことのせいだけにすることはできない。それに暫時の[158]は、最後は埋葬して安らかになるべきなのに、後継ぎを得るのが難しいからといって、朽骨に助けを求めようとするのは、惑いであることを免れない。わたしはつとに家笑士先生[159]が言うのを聞いた。小華[160]殿撰[161]は閣学[162]諱は騰達とおじおいで[163]、誉を竹林[164]にほしいままにし、雲衢[165]に歩みを列ね流れに従い、順に進めば[166]、鼎台[167]も意中のものであった。そこで青鳥[168]家の言に従い、先祖の墓を数歩移し、×向きに改めれば、公卿はすぐに致すことができると思った。その言葉通りにしたところ、まもなく相次いで死んだ。最近、湖北の陳秋舫[169]および大雲御史兄弟は、いずれも甲科[170]に登り、共同で華近[171]を掌管したが、これは人の世のまれに見る栄誉であった。しかし秋舫はまもなく瘋疾[172]で亡くなり、大雲はその後左遷されて亡くなった。語るものはそれも改葬が齎したことだと言った。要は、墓地は静穏にするべきであり、動かすべきでないのである。魂が佳城[173]に安んじ、神が幽宅に住み、亡くなった人が安穏であれば、生きている人も平穏なのである。貴賎・貧富・寿夭・盛衰が風水に関わるとしても、役人となって顕達すれば、それが吉祥であることは知れる。おとなしく運命を待てば、どうして将来が今に勝らぬことがあろうか。「狐埋め狐()[174]」というが、人はそれを憎む。考えてみよう。牛眠[175]が巍然[176]として馬鬣[177][178]に長く臥せば、まさに安穏吉祥なのだが、鍬钁[179]で泥を掲げ、松楸[180]の根を抜き、泉を抉り、白日に晒すとは、本当にどういうことか。さらに覬覦を盛んにし[181]、言葉はもとよりでたらめで、聞くものはまことに愚かである。まして先祖の骸を暴露し、子孫の福を重視するのは、徳に悖ることである[182]。天下にどうして徳に悖りながら、天がかれに沢地[183]を降し、霊力を顕してくれることがあろうか。ああ。怨みを誰が知ろう。啾啾と哭しているのに、ぼんやりとして夢のようにし、なお欣欣の栄を願う[184]。順逆[185]を推測すれば、絶対にその理はあるまい。前轍が存在しているのだから、やはりその根本を顧みてはどうか。

 

最終更新日:2018222

北東園筆録

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[1]http://www.zdic.net/c/8/81/139792.htm故郷を離れて、幕友となること。

[2]未詳だが、白蓮教徒などであろう。

[3]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic88Zdic91109011.htm刑事を主管する(幕僚)

[4]原文「一日、有報難民數十人竄至城外者、令以為奇貨、刑名贊成之、某強為繕。」。このくだり、舌足らずで未詳。とりあえずこう訳す。難民を

[5]原文「豈知結この一重冥案耶」。未詳。とりあえずこう訳す。「重冥」は冥土のこと。「結案」は判決すること。

[6]http://www.zdic.net/c/f/e3/229701.htm僧侶あるいは道士を招き読経拝、冥福を祈る儀式

[7]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B5%A9%E8%A1%97

[8]http://www.zdic.net/c/c/df/220505.htm僧尼が信徒のために拝仏読経、罪を懺悔したり、亡霊を済度したりすること。

[9]http://www.gg-art.com:8080/dictionary/dcontent_b.php?bookid=34&name=%B2%B1&columns=2&bookdetailid=42824

[10]http://www.zdic.net/c/6/a0/186610.htm符呪http://www.zdic.net/c/6/2f/71862.htm 符と呪

[11]http://www.zdic.net/c/2/1b/41076.htm運を盛んにする星

[12]http://baike.baidu.com/view/633488.htm

[13]http://www.zdic.net/c/a/23/54083.htmとして耳を楽しませる歌声。

[14]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%94%A1%E4%B9%8B%E5%AE%9A

[15]https://maps.google.com/maps?hl=zh-CN&q=%E6%9D%AD%E5%B7%9E+%E9%B9%BD%E6%A9%8B&ie=UTF-8&ei=Mnk2U_7ZA4LilAXC5YHwCg&ved=0CAYQ_AUoAQ

[16]http://baike.baidu.com/view/2089813.htm

[17]http://www.zdic.net/c/1/11/27566.htm刑部に属する小吏。

[18]http://www.zdic.net/c/1/97/170998.htm州、官衙前の兵。壮班ともいう

[19]下女

[20]原文「命畚掘」。「畚掘」が未詳。畚で掘るというのはおかしい。「畚」は「臿」の誤りと解す。

[21]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E7%AB%A0%E9%89%85に「嘉慶二十三年(一八一八年)、經考選任軍機章京。」とある。

[22]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E9%98%B3

[23]http://baike.baidu.com/view/330973.htm(一七四〇〜一八一八)

[24]http://www.zdic.net/c/1/100/270495.htm翰林で勅を管掌する学士に対する称呼。

[25]http://www.zdic.net/c/6/f5/254312.htm慎。

[26]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6Zdic96Zdic8B53557.htm祭祀あるいは典礼の一日前に戒独宿し、誠意示すこと

[27]http://www.zdic.net/c/d/143/312737.htm猪、牛、羊、

[28]http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicB9ZdicB2281747.htm有能なしもべ。

[29]http://www.zdic.net/c/f/146/319885.htm土地神。

[30]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%8B%E5%90%8C%E6%96%87

[31] 原文「此事記得部中已有之,似是文恪公事。」。未詳。

[32]胡高望一七三〇〜一七九八年)か。

[33]http://www.zdic.net/c/1/2f/71046.htm箕尾。大臣の死亡をいう。

[34]陳宏謀 一六九六〜一七七一年)か。

[35]http://www.zdic.net/c/b/2a/64281.htm話そうとしても話そうとしないさま。

[36]原文「請即解仇。」。「請」の落ち着きが悪い感じがするが未詳。とりあえずこう訳す。

[37]未詳だが、杭州であろう。

[38]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6ZdicB4ZdicAA282272.htm大火炉

[39]http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE7ZdicA4ZdicBE225829.htm土地神を祭祀する

[40]http://www.zdic.net/c/3/157/345510.htm字を創造したとされる伝説上の人物

[41]http://ctext.org/huainanzi/zh?searchu=%E5%A4%A9%E9%9B%A8%E7%B2%9F

[42]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E6%98%94%E8%80%85%E8%92%BC%E9%A0%A1%E4%BD%9C%E6%9B%B8%EF%BC%8C%E8%80%8C%E5%A4%A9%E9%9B%A8%E7%B2%9F%EF%BC%8C%E9%AC%BC%E5%A4%9C%E5%93%AD

[43]http://www.zdic.net/c/e/30/75014.htm

[44] 原文「嘗聞太上垂訓,惜字十萬,延壽一紀」。『歸元直指集』 に見える。「太上垂訓」に関しては未詳。

[45]http://www.zdic.net/c/e/16/35087.htm

[46]グーグル検索結果

[47]主語は夫であろう。

[48]原文「我雖不殺伯仁,伯仁由我而死」。出典 。

[49]原文「是誠何心哉」。出典

[50]http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE8Zdic82Zdic96158398.htm趣味等の方面でその父と同様の息子。

[51]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%80%AB五倫のうち、父子の親・夫婦の別だけを弁えていたということ。

[52]グーグル検索結果

[53]http://www.zdic.net/c/c/1C/43492.htm人が会試を受験すること

[54]未詳だが、揚州の人であろう。

[55]http://www.zdic.net/c/9/39/89635.htm美しい

[56]グーグル検索結果

[57]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicB8ZdicAD333129.htm

[58] http://www.zdic.net/c/7/94/168466.htm 文によって交わる友人。

[59]http://zh.wikipedia.org/zh/%E5%B0%A4%E4%BE%97

[60]http://www.zdic.net/c/2/14a/324857.htm生員

[61]グーグル検索結果

[62]http://www.zdic.net/c/b/1e/47224.htm少量の米粟。

[63]http://www.zdic.net/c/0/dd/219900.htm几桌。

[64]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic93Zdic85274858.htm粉と雌黄。古人は常に粉と雌黄で籍を点校したので、校勘」とする。

[65]http://baike.baidu.com/view/68792.htm

[66]原文「親故來往、從未以貧故言一銭。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[67]同名の寺が複数あるので、特定できない。

[68]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE8ZdicA3ZdicA3358679.htm女子が行う礼、衣服の裾角を引き上げる。

[69]原文同じ。未詳だが「露水夫妻」の意であろう。不正常な性関係のある男女。

[70]http://www.zdic.net/z/15/xs/4EB9.htm勤勉で倦まぬこと。

[71]グーグル検索結果

[72]http://www.zdic.net/c/d/a5/191442.htm南京

[73]http://www.zdic.net/c/f/10e/291279.htm妓女あるいは妓。

[74]http://www.zdic.net/c/c/3f/98284.htmhttp://www.zdic.net/c/c/3f/98287.htm地名。今南京市秦淮河南にある。三国呉のここに置き、士兵が衣を著けていたのでかくいう。晋の等の望族がここに住んだので有名。「烏衣の公子」は望族の公子ということ。

[75]http://www.zdic.net/c/3/99/173811.htm色の裙子。またひろく女の裙子を指す

[76]http://www.zdic.net/c/e/da/212292.htm 妓女に親しむこと。

[77]原文「封樹碣」。未詳。とりあえずこう訳す。

[78]http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7ZdicBCZdicA0338076.htm妓女への贈り物の通称。

[79]原文「古人以誓明心」。「明心」は心思を清明正にさせること。

[80]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7Zdic8BZdicA1286868.htm虚偽

[81]原文「彼蒼者天」。出典

[82]http://www.zdic.net/c/6/9f/182477.htm暗愚。

[83]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicBBZdic8E118292.htm堂房叔父。

[84]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E6%87%89%E7%9B%B4%E9%9A%B8%E5%B7%9E

[85] http://www.zdic.net/c/1/1/1460.htm 封号

[86]http://www.zdic.net/z/23/xs/8868.htm皇帝に上げる奏章。ここでは神への奏章。

[87]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE9Zdic98ZdicB4271923.htm幽霊。

[88]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic88Zdic91105641.htm刑具、拷問での棍棒。

[89]http://baike.baidu.com/view/1416083.htm 

[90]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE8ZdicA1ZdicA816684.htm中表戚。

[91]http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE6Zdic9DZdic90144367.htm武卒あるいは派遣に供する低

[92]http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6Zdic8EZdic9283663.htm主官が着席し、役所に儀仗列ね、僚属が順番に参、両脇に分かれて立つこと

[93]http://www.zdic.net/c/6/2f/71004.htm官署で公座を設け

[94]未詳

[95]http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7Zdic85Zdic9E164199.htm凶神。

[96]http://baike.baidu.com/view/5795506.htm

[97]未詳だが、土地の役人であろう。

[98]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7ZdicA0ZdicB0174490.htm擬音語。ポンポン。パンパン。

[99]http://www.zdic.net/cd/ci/14/ZdicE6ZdicA7Zdic8134633.htm草蓆で屍体を包んで埋めること。

[100]http://www.zdic.net/c/c/8d/156754.htm畜生道

[101]主語は「牛」。

[102]https://kotobank.jp/word/%E5%8D%8A%E5%81%88-606285半偈とは「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為樂」一偈の後半。http://www.dharmazen.org/X1Chinese/D45Dictionary/D03Naman001/D03-0073.htm

[103]原文「孰謂人物之不相涉、幽明之不可知哉。」。未詳。とりあえずこう訳す。人間と動物、幽界と明界が関連しあっているということを述べていると解す。

[104] こちら で検索したがこうした文句は出てこない。

[105]グーグル検索結果 。『西湖游覽志餘』 に出てくる。

[106]http://www.zdic.net/c/8/87/147823.htmぼんやりしたさま。

[107]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE7Zdic99ZdicBE188274.htm人身の各血管。

[108]漢典に適切な語釈なし。絹帯であろう。

[109]http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6Zdic83Zdic95225461.htm憂労;恐懼

[110]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6Zdic81ZdicB6171151.htm鬼、畜生の三道。

[111]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E8%99%9E%E5%8C%BA

[112]未詳。

[113]http://baike.baidu.com/view/13085211.htm

[114]http://www.zdic.net/c/e/fa/260202.htm清の制度で、績優異の官対し、加記録等の奨励を与えること叙」いう

[115]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic8BZdicA3151773.htm清代の官制用語。選任を待つ人中から任用すること。

[116]http://baike.baidu.com/view/126994.htm

[117]主語は顧大年。

[118]http://www.zdic.net/c/5/e1/223697.htm客死した者の霊柩。

[119]http://cjjc.weblio.jp/content/%E6%AD%87%E5%90%8E%E8%AF%AD

[120]歇後語の詩。

[121]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E5%88%91%E6%96%BC%E5%AF%A1

[122]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E6%9C%AA%E5%96%AA%E6%96%AF

[123]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E5%9B%9B%E6%B5%B7%E5%9B%B0

[124]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E4%B8%83%E5%B9%B4%E4%B9%8B%E7%97%85

[125]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E6%8F%B4%E4%B9%8B%E4%BB%A5

[126]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E8%AB%8B%E5%95%8F%E5%85%B6%E7%9B%AE

[127]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E5%AD%90%E6%B8%B8%EF%BC%8C%E5%AD%90%E5%A4%8F

[128]http://www.zdic.net/c/5/111/299634.htm家柄あるいは位が清高顕貴であること

[129]http://www.zdic.net/c/4/99/174805.htm天上あるいは冥府人の福、禄、寿を記録した帳簿。

[130] 『北東園筆録』での出現箇所 。

[131]http://www.zdic.net/c/c/104/279505.htm仕途が不遇であること

[132]http://www.zdic.net/c/0/7e/133571.htm真珠と翡翠。

[133]http://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=756151&searchu=%E7%AB%B9%E7%B5%B2%E7%87%88 

[134]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE6Zdic89Zdic8B147538.htm手腕に戴く装身具画像検索結果

[135]http://www.zdic.net/c/b/149/321828.htm寒冷。

[136]原文「我何時取爾碧霞西碧東耶。」。「犀」と「西」が同音であるのを利用してふざけて不誠実な返答をしている。

[137] http://www.zdic.net/c/7/a1/187901.htm 

[138]原文同じ。未詳だが悪辣な結婚仲介業の老婆であろう。

[139]http://www.zdic.net/c/9/3/5801.htm「三姑」は尼姑、道姑、卦姑を指す。「六婆」は牙婆、媒婆、婆、虔婆、婆、婆を指す。

[140]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%AA%E8%88%8D他人肉身奪取、自我靈魂進駐させる行為。

[141]http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE4ZdicBCZdicAF1778.htm子供のいない嘆き

[142]未詳

[143]http://www.zdic.net/c/c/9a/177155.htm会試

[144]http://www.zdic.net/c/8/1d/44981.htm各部の司官

[145]原文「尚須兩世墜落。」。「墜落」はここでは俗人になることであろう。

[146]http://www.zdic.net/c/4/3c/90411.htm

[147]原文「父幸勿以真兒相視、速斷情牽、庶免兒之罪戾云云。」。「勿以真兒相視、速斷情牽」がどうして「庶免兒の罪戾」ということになるのかが未詳。とりあえずこう訳す。罪の報いで俗人に堕落しているので、それをはやく終わらせてくれということか。

[148]原文同じ。まったく未詳。文脈からして「障」は罪障で、罪の報いとして俗人に堕落している時間のことか。

[149]未詳

[150]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E5%96%84%E5%8E%BF

[151]http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6Zdic82ZdicBC76874.htm妻を失うこと

[152]http://www.zdic.net/c/a/15/32511.htm輿家。風水師。

[153]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6ZdicB5ZdicAE71796.htm暫時霊柩を地面に置き、周石等を積み上げて掩ったり、暫時浅く埋め、改葬を待ったりすること。

[154]」は房屋の部屋を数える量詞。

[155]原文「顧穴已洩露、雖佳無益」。「洩露」「雖佳無益」が未詳。「洩露」は土地の気が漏れてしまった状態か。「雖佳無益」は本来風水がよい土地だが気が漏れてしまって利益がなくなっていることをいうか。

[156]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%83%E5%AE%89%E6%BF%A4

[157]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE4ZdicBFZdicAE19905.htm冥府で著作を掌る官のことを「修文郎」と称したため、「修文」で文人の死を指す。

[158]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE6ZdicB8ZdicB45003.htm死者が葬期に達していないのに前もって埋葬すること。

[159]まったく未詳。

[160]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E8%BD%A9_(%E6%B8%85%E6%9C%9D)

[161]http://www.zdic.net/c/f/91/161483.htm状元の通称。

[162]http://www.zdic.net/c/1/100/270522.htm大学

[163]原文「小華殿撰與閣學諱騰達叔侄也」。ちらには黄騰達は黄軒の兄とある。

[164]原文「譽擅竹林」。「竹林」がまったく未詳。翰林院のことか。

[165]http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicBAZdic91256393.htm朝廷。

[166]http://www.zdic.net/c/d/3c/90395.htm仕途において経歴に従って順番に昇進すること

[167]http://www.zdic.net/c/e/2f/72890.htm三公の位。

[168]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE9Zdic9DZdic92299581.htm、は」字の誤り。堪輿指す

[169]http://zh.wikipedia.org/zh/%E9%99%B3%E6%B2%86

[170]http://www.zdic.net/c/2/8e/159345.htm

[171]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5Zdic8DZdic8E234751.htm顕貴で帝王に近い

[172][172]http://baike.baidu.com/view/1289576.htm多義語。@、半身不随等の症状。A病。神経錯乱、精神異常。B病。などの意味がある。

[173]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE4ZdicBDZdicB3100493.htm墓地。

[174]http://www.zdic.net/c/0/145/317793.htm疑心がきわめて甚だしいことの

[175]http://www.zdic.net/c/b/149/322878.htm牛眠の地http://www.zdic.net/c/b/84/141298.htm埋葬によい土地。

[176]http://www.zdic.net/c/d/70/111589.htm高大雄さま

[177]http://www.zdic.net/c/c/2b/67316.htm墓の封土の形状。墓をも指す。

[178]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6ZdicB3Zdic89297557.htm墓穴。冥土をも指す

[179]http://www.zdic.net/c/9/150/332374.htm鍬鐝」とも。

[180][180]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic9DZdicBE327438.htm。墓地に多く植えるので、墓を代称する。

[181]原文「更張覬覦」。未詳、とりあえずこう訳す。

[182]原文「況乎奕視先人之骸、海量後昆の福、是謂悖コ。」。「奕視」「海量」が未詳、とりあえずこう訳す。

[183]原文同じ。未詳。文脈からして福のある地か。

[184]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6ZdicACZdicA3108536.htm。草木茂盛のさま出典

[185]http://www.zdic.net/c/a/103/276161.htm正邪

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